3月31日③ そんな話されたら眠れないよ

 この村の食事は、一日三回。軽い朝食、昼過ぎのおやつ、日が沈む前に豪華な夕食というのが基本なのだそうだ。


 俺と先生はリリアさんの家に呼ばれて、彼女の家族(といっても女性だけなので、母親と姉妹たち)と、食卓を共にした。


 メニューは『蜥蜴岩の村』と変わり映えしなかったが、肉の味付けがかなりスパイシーだった。色がオレンジや黄色なので油断させられるが、肉も野菜もソースはピリ辛だ。


 先生は調理中、がぶり四つでメモをとっていて、「明日一日は調理のメモをする」と宣言していた。リリアさんの母親が請け負ってくれて、二人は意気投合したようだ。確かに、食事もその土地を写す鏡だろう。


 この村にはもちろん宿なんてないので、俺たちは用意された空き家に泊まることになった。


 以前暮らしていた住人はもうおらず、誰も住んでいないのだと聞かされた。

 主人のいない、がらんとした室内を眺めて、夕方の話を思い出し、誰かが出ていった後なのかもしれないと想像した。


 ここでかつて暮らした人々は、どんな思いで村を離れたのだろう……


 何かが胸に去来してくるのを断ち切るように、俺はベッドメイキングを始めた。


「それで、今日の調査の程はいかがでした?」


 何気なく尋ねると、先生もさらりと返してきた。


「ああ、上々だ。だがやはり警戒されている」

「っていうか、黄金王の使者だってバレてたじゃないですか」

「ははは、そうだな。そうだった。彼らに隠し事はできんな。しない方が賢明だ」


 俺の思いつきに、先生が声を立てて笑う。


「じゃあ、変化の術のことも?」

「それは必要ない」


 キッパリ拒否され、俺は黙った。


「神話の上では『息子』と言っているが、実際にはすべての男を閉め出す対象としている。ここでは男がいない方がいいという判断になったということだろう……。いったいいつから」


 理由を説明していたはずの先生が、関心事に任せて話を変えていこうとする。

 メモに目を落とす先生に、俺は力なくつぶやいた。


「そんな『味も素っ気もない』言い方……」

「なんて言った?」

「だから、『味も素っ気もない』……」

「アジモ?」


 聞き返されて、何が起きているのか察した。


「えーと、僕はまだこれにふさわしい共通語を知りませんから、忘れてください……。なんか、つまんなくなったって感じです……夢がないというか」


 先生はニヤニヤしている。何が楽しいのやら、緩んだ頬で感想を続けた。


「彼らがなぜこの生き方を続けているのか興味が止まらんよ。この村は長い時間、それこそ神話の時代からうまく生きながらえている。不思議だ」


「戦うのも肉体労働も、商売だって、女性だけでやるなんて、すごいですよね」

「お前の国では女は、働きも戦いもしないのか」


 俺は同意のつもりで言ったのだが、フィスさんは途端に目を丸くした。

 言われた俺も、戸惑った。


「えっと、働きはしてます、が……肉体を酷使しない活動が好まれる傾向です。戦うのは、なくはないですけど……それは男の仕事になってる気がします。あと、全体的に、そんなに戦わないかも……」


 俺の周りには女性は結構いたけど、本当の意味で女性はいなかったように思う。人間は性別で役割を分けたからこんなに繁栄したとも聞いたことがあるし。


 でも軍隊のある海外では女性も戦ってるし、女性の消防士とかいるよな。看護師さんなんてある意味戦士かもしれない。なにより母親という仕事が一番、心も体もきついかもしれない……。


 実際俺だって男だけど肉体労働なんて御免だ。


 みんな働きたくなんてないよな。


 いや、そもそも、こっちの世界と〝働く〟って概念一緒か?


 思考の泥沼に落ちてしまった俺に対して、先生はさらに意見した。後から思えば、それは議論を促すような口調だった。


「そうなのか。あまりにも違うな。ここでは女も男も戦う。安全ではないから」


「でも、子孫を残すためには女性が多く残っていないと困るのでは? 危ない所には行かせないほうがいいんじゃないでしょうか」


 このときの俺は、どうして自分がこんなに食ってかかるような言い方をしているのか見えていなかった。


「ふむ。しかし強いものは戦い、弱いものは後ろへ。当然ではないか?」

「そう、ですかねぇ……」


 俺の煮え切らない相槌に、フィスさんは窓の外を振り返って指した。


「お前はずーっと後ろの方だな」

「それはそうかもしれませんが……鍛えます!」

「そうか、それは良いことだ」


 はは、と、楽しそうに笑われる。


 俺はだんだん、先生が元から女性だったんじゃないかと思うようになっていた。

 女性の先生との方が、長く時間を過ごしているからかもしれないが、所作が優雅で、おっさんぽくない。


 それとも、この世界のおっさんは優雅なのだろうか。


 ……逆に、なんで俺の世界のおっさんは優雅じゃなかったんだ?


「ここは極端だが、多くの場所で男女の働きに違いはない。しかし都市部では男女の分業が盛んになっている。私はね、あの立派な塀が全ての境目なのではないかと思い始めているんだ」


 先生は真剣な眼差しになっていた。

 はじめから、これが言いたかったことなのかもしれないと思った。

 先生の本音。先生の情熱。

 静かに、しかし力強く語られる。


「子孫を多く残すならば、お前の言うように、女の方が多いのがいいだろう。人間は一年に一人か二人しか産まないからな。男一人につき二、三人でどうだろうか。そして協力して子供の面倒を見させるためにも、出産の時期はずらしたほうがいい」


 聞いているうちに、胸の奥がザワザワとしはじめた。

 なんだか嫌な感じだ。


 それじゃまるで……と思ったところで、考えていた言葉が先生の口から発せられた。


「女は家畜だ」


 ギクリとした。

 先生が目をふせる。


「いまの都市部では、その風潮がある」

「そんな……」

「無論、男も家畜だ」

「え……誰の?」

「国のだ。いや……『麦』の、かもしれん」

「……!?」


 言葉が出なかった。


「一人でも多くの働き手を産み、少しでも多くの麦を作る。そのための、あらゆる手段が正当化されている。国中を歩いて回ると、都市の連中のほうが不幸に見えることがある。もちろん塀の外で暮らす人々は死と隣り合わせだが、互いに、時には他の生き物とさえ助け合って暮らしている。都市では働けない人を塀の外へ捨てることがある。同じ人間なのに……」


 話しながら差し出した先生が指に、光り輝く蝶が止まった。


 その神秘的な輝き。


「聞いただろう。ここの人々は、正しい相手を見つけ出したとき、繁殖の炎を逃すまいと愛し合う。養う金がないからと子供を殺めたり、逆に人手が欲しいからと手に余るほど生んでしまったり、そういう難しいことはないんだ……いや、今のは飛躍した話だった。すまん」


 先生が手を引っ込めると、蝶は煙となって消えた。幻だったのだ。


「いえ……」と、俺は慎重に、的確な返答を探した。「暮らす環境によって、大きく変わるものなんですね」


「黄金王は、都市で広がる不幸を止められないかと考えている」


 先生は出し抜けに言った。


「だから私たち学者に、より良く暮らしている人々を見てきてほしいと頼んだのだ」


 そんなこと、俺なんかに話してしまって大丈夫なのだろうか。

 先生はどんどん続けてしまう。


「まだ見ぬ楽園を求めて。だが暮らしとは大地に根付くものだ。土地が変われば応用はできない。それに、塀の中の都市でうまく生きている人もいる。本当に、難しいところだよ」


 俺には、持てる返答の言葉などなかった。

「……なにごとも、試してみるのはいいことだと思います」

 なんとか取り繕おうとした俺に、先生は無言でベッドに入ってしまった。


 これは、思ったよりも壮大な話だ。

 先生が関わっているのは、この世界の人々の幸福についての一大事業だったんだ。

 

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