4月1日① 散策して気付いたこと

 この日、俺は朝からリリアさんと散歩していた。


 どうしてこんなことになったかといえば、先生が昨日の宣言どおり、リリアさんのお母さんに一日密着すると言い出したからだ。


 家を出る前、先生から「自由に話してよし」と許可がおりた。

 その瞬間は、誰と何を話そうが俺の勝手だと思ったけれど、もしかしたら、わざわざそんなことを言ってくるなんて聞き込みを頼まれたのかもしれない。


 プレッシャーだ。


 リリアさんは、普段から村の中を「ぶらぶらする仕事」をしているそうだ。


「なんていうか、困ってることがないか聞いて回って、喧嘩してる相手との話し合いをさせてみたり、壊れたものがあったら修理できる人を探したり」


「なるほど。相談役みたいな」

「ええ。そんな感じかな」


 リリアさんは俺を少女と思ってか、とても優しく話してくれる。それがすごく、甘えたくなる雰囲気で素敵だった。


 歩き出してすぐ、家の修繕をしている人たちと出くわした。


 足場を組んだり、木製の脚立に乗って作業したり。

 くどいようだが女性だけの村だ。彼女たちは肉体労働を難なくこなしていた。その中に、昨日リリアさんの警護をしていた一人の姿があった。見間違いでなければ。


 彼女たちの足元では子供達も楽しそうに藁を泥に混ぜたりして手伝いをしていて、傍らの家では外に置かれたベンチに年齢の違う三人が座って、大きな布に刺繍を施しているところだった。


 みんな朝からよく働く。


 三人は刺繍をしながら子供たちに注意をしたり、大工仕事の人たちを見守っているようだった。


 リリアさんはその一人ずつに挨拶をして歩いては、「具合はどう?」とか「何かいるものはある?」とか聞いている。本当に相談役だ。


 足の具合だとか、雨が来そうだとか、みんなとちょっとした立ち話をして手を振って別れた。


 畑の方へ移動した。

 そこでも既に人々は働いていたが、寸暇を惜しんでいるような様子の者は一人もいなかった。のんびり楽しそうに、草木の世話をしたり山羊と戯れたりしている。


 村の人が飢えないだけ作ればいいわけで、生産量とか気にしているわけじゃないとなると、こんなもんなのか。


 聞けば、農作業は朝方の数時間でほとんど終わるので、お昼を食べて休憩して、夕方は見回りするくらいなのだとか。


 通り過ぎようとしたら、軽々と農具を抱えた一人の姿が目に止まった。彼女も、昨日の護衛に違いない。


 ちなみに俺は、ここではサトーと呼ばれるようになっていた。

 国が変わると名前の雰囲気が変わるらしく、異国の人だと言えば珍名「サトー」もすんなり受け入れられた。


 さらに村を先に進むと、長老たちが見せたくないと言っていた戦士の訓練場があった。もちろん近づかせてはくれなかったが、たくましい女性たちの姿が遠くに見えた。


 昨日リリアさんの護衛をしていた人たちも戦士だろうけれど、大工や畑仕事をしていた。ということは、戦士専業の人はいないのだろうか。


「私も戦士になりたかったんだけど」

と、リリアさんが出し抜けに言った。少し寂しそうに。

「早く走れなかったの。たぶん足が悪いって」

「せ、戦士にですか?」

「そう! かっこいいから。いまでも憧れてる」


 そんな風には見えません。と、言いそうになって、踏みとどまった。


 そんな風ってどんな風だよ。美人で華奢だからって、中身までそうとは限らない。


「僕なら、戦うのは嫌ですね……」


 偏見を露呈させる代わりに正直な感想を述べると、彼女は馬鹿にする様子もなく「ふふ」と笑った。


「私たち、嫌なことを無理やりさせはしないわ。だからあなたがここにいたら、戦う必要はない。私たちはみんな、やりたい仕事をするし、たまには違う仕事をしてもいいの」


 戦士になれない代わりに選んだのが相談役っていうのも、不思議に思えた。


「誰もやりたがらない仕事もあるのでは……?」


「うーん」とリリアさんは考え込んだ。「なんだろう。いまのところ困ってることはないから、ちょっとわからない」


「たとえば、掃除……トイレ掃除とか」

「どうしてそれを嫌がると思うの?」


 驚いたリリアさんの表情は、なんだかちょっと可愛らしかった。


「えっと、汚いから?」

「汚い?」


 俺の頬が緩む。


 彼女は笑って、続けた。


「住まいを綺麗にする仕事は何より大切。水も空気も留まると濁って、生き物を病気にするから。みんな率先してやるの。糞尿は肥料にもなるし。手分けしてやってる」


 嘆息した。

 立派な考え方である。


 それからぐるりと回って、村の中心に戻ろうとすると、その途中に長老のドームがあった。


 あの中の薄暗さと、奇妙にも見えた三人の老婆を思い出して、俺はつい探るようなことをリリアさんに聞いてしまった。


「あ、あの、長老さんたちって、ずっとあそこにいらっしゃるんですか?」


「あそこは大切な時に集まる話し合いの場所。だからいつもは……」

と、彼女は目の上に手をかざして光を遮り、遠くを探した。

「あ、いた。あの、赤い実のなってる木のところ」


 指されたのは、集会場広場の脇の大きな木。その足元に、長老の一人が座ってお茶を飲んでいる。


 外で見ると、全然怖くない可愛いおばあちゃんだった。


「後の二人は最近あまり外では見かけないかも」

「そうなんですか」

「もう歳だから……」


 ぎゅっと胸が押された。

 彼女の言葉が意味する寂寥せきりょう感。


「長老って、なにで決まるのですか? 血筋とか?」


 何か質問をして気を紛らわせようと思ったのかもしれない。だが、後から考えれば際どい問いだったと思う。村の秘密だったらどうしたのか。


「歳をとった、知恵者が長老と呼ばれるようになるの。できれば三人。まあ、みんな歳を取れば知恵をつけるわけだけど、中でもよく物を知っている人ね」


 リリアさんはあっさり答えてくれたが、聞いた方の俺は答えの意味がわからなくて、「はあ…」なんて間抜けな相槌を打ってしまった。


 その様子を見てとったのか、リリアさんが具体例を挙げて説明してくれた。


「草木の育て方、家畜の世話の仕方。天気の予測をしたり、別の国から来た旅人には何をしたら失礼になるか、とか」


「すごいですね」


「みんな自分のやってきたことを覚えているだけよ。それでも、忘れっぽい人は長老にはなれないわね」


「確かに」


「……年寄りの知恵でこの村は守られているの」


 リリアさんは遠くを見やって微笑んだ。その瞳には、まるで何千年も続く過去が映っているようだった。


 ここは土地から授かった知恵を守っている。

 だから神話の頃から変わらず平和にやっている。


 でも、地球みたいに、気候変動とか起きたら、一瞬で吹き飛ぶかも。

 新しい幸せが外にあるかも……。


 ふと、象の群れが想像された。

 象も歳をとったメスがリーダーになって、メスと子供だけの群れを引き連れている。

 リーダーが賢ければ、群れは生き残れる。

 水飲み場の位置や、敵が現れた時にどう対処するか、とか。


 象と俺たちが違うのは、知恵を次の世代へ伝えられるところだ。


 リーダーだけでなくたくさんの人が知恵をつけたら、もっと穏やかに、確実に生き残ることができる。


 この村は、それを実践している……!

 

 丘の上で風に吹かれた俺は、心の底から平和を感じていた。

 

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