4月1日② リリアさん

 ぶらぶらしているうちにお昼になった。

 みんな道端に座ったり、木陰に集まったりして、そこここで軽食をとっている。


 もちろん家に戻る人もいるそうだけれど、多くの人が外で、集まって食べることを自然と選ぶのだそうだ。

 村全体がひとつになっている感覚だ。


 リリアさんの家へ戻ると、先生がクッキーをミルクと一緒に頬張りながら、その作り方の詳細を聞き取っているところだった。


 顔のフォルムが丸くなるほど頬張って、口の周りに粉をつけてる……。

 子供みたいだ。


「楽しんでくださってるようでよかった」


 リリアさんも思わず笑ってしまっている。

 なぜか俺の方が「すいません……」と頭を下げていた。身内への謙遜は日本人のさがなのだろう。


 先生の仕事を邪魔しないように、俺たちは同じメニューを持って、表のベンチに腰掛けた。


 村にはあちこちにベンチがあって、みんな自由に座ってくつろいでいる。


 木製のベンチだが、こんな吹きっ晒しに置かれているのに、あまり傷んでいない。聞けば、ここは朝晩霧が出るし地中の水分も多いのだが、雨が少ないのだそうだ。


 天候の話がひととおり終わると、リリアさんは走り回る子供たちの方へ視線を投げた。ミルクの入った木のカップを、両手で大事そうに包んで持っている。


 俺は、こんな若くて美しい人の横顔なのに、なぜか、お母さんを重ねて見ていた……


 もしかして、もう出ていった息子がいるのだろうか……


 いや。

 下品な勘ぐりだ。


 出しゃばった考えを誤魔化したくて、何か言いたくて、考え迷った挙句に、俺は結局失礼な質問をしてしまった。


「男親がいないって、苦労しないですか?」


 今思い出しても恥ずかしい。

 リリアさんは冷静に答えてくれた。

 もしかしたら、冷静を装っていただけかもしれない。


「私たちは男の親がいる状態がわからないから……。あなたはどういう苦労があると思う?」

「男の仕草とか、男のやり方がわからない、とか?」


 言いながらがなんなのか、自分でもわからなかった。

 男にはスポーツをさせたり強く厳しくしたりとか、無意識のうちに常識だと思っていたけれど、令和だし……、ここ異世界だし。


「男にしかないもの?」

と、リリアさんは首を傾げた。本気で理解できない顔をしている。俺も困る。


「自分で言ってて、よくわからなくなりました。男には決断力や勇敢さがあると言われてきたけど、僕には、いえ、僕の兄にはなかったですし」


「勇敢さなら、女にもあるものね」


 不快に思われても仕方がないのに、リリアさんは微笑みを絶やさない。


「男にしかできないのは、命の水を注ぐこと。女にしかできないのは、命を産み落とすこと。私はそう思う」


「寂しくなったりしないんですね……」


 彼氏や夫がいないって、どんな感じなんだろう。彼女がいたこともないから何もわからないけど、子供が生まれたのに一人きりだなんて。


 まして生まれたのが息子なら、そばにいられなくなるんだ。


「仲間がいるから、寂しい気持ちになったことはないわ。でも……」


 リリアさんは、一度ミルクに目を落としてから、うんと遠いところに目をやった。


 俺は視線を上げられず、彼女の手の中を見ていた。白い波が細かく揺れている。


「昔……とても愛した人がいたの。その人は旅人で、歌を歌う仕事をしていた。すぐに『この人だ!』と思ったわ。あなたの子供を産みたいと頼んで、快諾してもらえて……満天の星の下で愛を贈り合った」


 思い出話に、当然のようにさらりと性体験が挟まってきて、俺は危うく出かけた声を飲み込んだ。


「彼は、自分の子供が女の子で、この地で素晴らしい人生を送ってくれたら嬉しいと言ってくれた。そして、掟に従いそのまま村を去って行った」


 俺はそのまま、黙って頷いた。


「本当に心から、ずっと彼と一緒にいたいと思った。でも彼は二度と現れず、そして子供も死んでしまった……」


「え……」


「男性から命を受け取った女性は、その命が逃げ出してしまわないよう、子供がちゃんとお腹の中で大きくなるまで、しばらく休んで待つんだけど。私の子はそれでも……」


「……つらいですね」


 村人たちは、午後の労働へと動き出す。

 子供たちの笑い声が、やけに響いて耳に届く。


「……今でも彼を愛している」


 ぽつりと胸の内を漏らしてくれたのは、たぶん、俺がフィスさんのように、ただ彼女の気持ちに寄り添って話を聞き続けられたからだろう。


「サトー、フィスさんが言ってたでしょ? 下では一人ずつの男女が一生添い遂げるって。あのオナガセシロもそう。あの鳥たちを見ていると、ちょっといいなって思うこともあるの」


 空に、連なって舞う二羽の小鳥。


「私たちがもし下で出会ってたら、今も一緒にいて、あちこち旅して回って、子供もたくさんいて、毎晩彼の歌を聴いて眠る……そんな風になれたかなって」


 大きく息を吸って、リリアさんは俺の方を向いて「ほんの冗談よ」と言うように、すまなそうな顔つきになった。


「大切な話を聞かせてくれて、ありがとうございます」

「変なこと話しちゃった。あなたって、なぜだかとても話しやすい」


 俺は焦って、オーバーなくらい頭を下げてしまった。リリアさんの柔らかな笑い声が頭上から聞こえる。


 と、同時に、足元で草が不自然に揺れるのが目に入った。まるで草たちと目が合って、手を振られたみたいな。俺はなんとなく、草にも会釈した。


 なんだろ。


 妙な感覚に首を傾げる俺の隣で、リリアさんが木のカップをベンチに置いて腰を伸ばした。 


「でも、私はここでしか生きられない気がするの。ここではみんなで助け合って、話し合って生きている。下はもっと、慌ただしくて、賑やかだって聞くから。私なんて到底生き残れないと思う」


「リリアさんなら、きっとどこでだって生きていかれますよ。あなたは、強くて賢い人だと、そう思います」


「まあ、ずいぶん褒めてくれるのね」


「出会ったばかりなのに、変ですよね。僕の方こそすみません……」


 恥ずかしくて、顔が熱い。


「ううん。嬉しい。ありがとう」


 彼女も日に焼けた頬を赤らめていた。

 そしてはぐらかすように、パンと手を叩いた。


「そうだ。今日の夕食はみんなで集会場で食べるのはどうかしら。楽しそうじゃない?」


「はい、すごく素敵だと思います」


 さっそく家々を回って声をかけると、みんな賛成してすぐに準備すると言い出してくれて、嬉しい反面、俺は面食らってしまった。こんなに気軽に提案して、受け入れてもらえるものなのか。


 広場には、あっという間に夏至のお祭りで使う大きなテーブルが用意された。もちろん俺も手伝いたかったけど、もっと力強い女性たちがいたので応援だけにした。


 それぞれの家から椅子と食事を持ち寄って、焚き火を焚いて、それはそれは賑やかな夕食になった。


 誰かが突然歌い出した。

 するとそれが自然と合唱になり、誰かが踊り出すと座ったままの人は一人もいなくなった。


 俺も立ち上がった。

 リリアさんの手が伸びてくる。

 見よう見まねで、手足をばたつかせて踊りの真似事をする。

 手を繋いで、回って、跳ねて、目と目が合って、微笑まれて……


 ああ、そうか。

 もしかして、これかもしれない。


 俺は気づいた。

 字義じぎ的な意味じゃない。心の底から、体を通して、全身で理解した。


 これなんだ。


『この人だ!』


 俺はリリアさんに対して、そう感じたのだ。



 ……彼女は……、どうだっただろう——……

 

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