4月2日③ 国内情勢について少し

 夕暮れの風を冷たく感じる頃、俺とリリアさんは家に戻った。

 一歩外に出ると、熱った体が急に冷やされるようで、胸の奥では変わらず火が灯っていたが、俺は目が覚めたような心持ちだった。


 俺たちは昨日までと同じように振る舞っていた。


 リリアさんの家へ行くと、なんと夕食は先生の手料理だった。筋がいいんだとか褒められてヘラヘラしている。


 先生は表情筋の使い方がちょっとおかしい。性差別的な言い方になるのかもしれないが、「美人が台無し」って感じなのだ。もしかしたら相手のガードを下げさせる手法なのかもしれないけれど。


 黙ってテーブルに着くリリアさんと俺は、秘密を共有しているような不思議な一体感だった。


 気づかれただろうか。

 先生と、リリアさんのご家族に。

 誰も何も言ってこないし、そんな様子もないけれど……。


 しかし宿泊先である家に戻ると、先生は俺をしばらく眺めて、何かメモをつけやがった。


「なんですか」と、むきになって問うと、「なんでもない」とだけ。腹がたつ。


 だけど俺は怒りを抑えることにした。先生には聞きたいことが山ほどある。


 俺は気取られぬように、ただ好奇心を満たしたい無垢な気持ちで切り出した。


「今日、ついに『不死の山』の姿を見ましたよ。あまりに大きくて圧倒されましたし……、なんだか不気味でした。それで、『黄金王』のことを思い出したんですけど」


 ちょっと早急すぎたかと思ったが、口は止まらなかった。


「『黄金王』って、どんな人物なんですか? 本当に『世界』を良くしようとしているんですか?」

「ふむ。〝良い〟とは何か……。難しい問題だ」


 一気に捲し立ててしまった俺に、先生は禅問答のようなことを言い始めた。


 きっと長くなる。

 この時の俺には、先生の講釈に付き合っている余裕がなかった。


「先生、僕は……王様に会えますか?」


 先生は口元にペンをやって、考え込んだ。


「たぶん、会える」

「え、そうなんですか」

「私が会うのに着いてくればいい。それだけだ」

「ああ、そうですね」


 なんだ。気負って損した。それだけのことじゃないか。


「ただし」

と、先生は真面目な顔になった。

「お前が遠い場所の人間だと、知られていいかは判断つかん」


 息を呑んだ。


 死の影が、頭をよぎる。


「彼と、どんな話をした?」

と、先生。


 念の為、この世界の三人称には性差がない。ここで先生の言った「彼」とは、リリアさんのことだ。


 俺は正直に打ち明けることにした。


「僕、約束したんです。この村を攻め込まないと王様に、誓わせるって」


 その途端。

 先生の爆笑は蜥蜴岩村まで届いたかもしれない。

 

「わーっはははは! うひゃひゃひゃひゃ! この村を? 攻め込まないと? 王様に? 誓わせるだと? こりゃ傑作だ」


「ちょっと! ひどいですよ!」

「すまん、すまん。お前がかわいくて」

「なんでそんなこと……」

「泣くな。悪かった」

「怒ってるんです」


 泣いてはいなかったが、目は真っ赤に潤んでいたと思う。

 情けない。


「サトーよ。王はどこにも攻め込むつもりはない。それは本当だ。あの方は戦いが嫌いなんだ。だが平和だけではうまくいかんとわかって、それはそれで難儀している」


「平和、いいじゃないですか。平和『サイコー』」

「『サイコー』ねぇ」


 俺の意見に、先生はジトっとした目つきになった。

 この人、本当にちょいちょい腹立つ。


「なんですか、その顔は」


「いやいや、どうにも争いたがる者もいるということだ。全員が一斉に戦いをやめ、この村のように生きられればなあ……」


 確かに、言われてみればそのとおりだ。ここの暮らしを全員には……、無理かも。


「『二手の国』は強欲だ。商船をいくつも持って、海向こうの大陸にも商売をしに行っている」


 他の大陸もあるんかい。


「その隣、『三鋤の国』は勤勉勤労だが素朴すぎるので、ほとんど『二手』の隷属となっている。『三鋤』が作り『二手』が奪う。王が変わればと思ったが……土地がそうさせているのか変化なしだ」


「『七ツ森』の人々はどうなんです?」


「ここの連中は気ままだ。なにしろ森が深すぎて王も国民を把握しきっていない。もしかしたら考えてるよりずっとたくさんの人が暮らしているかもしれん。地の精霊も活発だしな。他と比べてダントツにいい場所だよ」


 ダントツと聞いてホッとするが、ちょっと待て。なにか今、耳慣れない言葉があったような。


「精霊?」

「土の人々だ。お前を気に入ってるようだ。これからも仲良くやりなさい」

「は、い……?」


 更なる疑問に襲われたけれど、先生は「この解説は済んだ」って顔してるし、精霊についてはまた今度聞くことにして。


「黄金王は、どれくらい前に統治を始めたんですか?」

「実は、正確にはわからん」


 なんでも知ってんじゃないのかよ。という心の悪態が聞こえたか、先生はまたジト目でこっちを伺ってきた。


「彼の噂が我々『知識の塔』の魔導士まで届いたのは、十年前。『七ツ森満月』の頃だった」


 十年前……、『七ツ森満月』……。


 それってもしかして、ひと月ごとに満月の位置が変わるってこと?

 一年が十ヶ月なのか?


 そっちも気になるけど、まずはこっち。


「『知識の塔』……というのは?」

「『知識の塔』は国には属さず、『霧』の上を常に浮遊している」

「浮遊?」

「左様。浮いている」


 あ、こともなげに。

 いいですよ。ここは異世界だ。塔が浮いていようが、なんでもありだ。


「我々は過去の知識を学んでいるが、新しい噂には疎いところがある。地上が酷く揉め始めてからは着陸も困難になり、魔導師の中には地上を捨てた者もいた。それがあるとき、『一岩の国』の岩山で、我々を呼ぶ者がいた」


「それが……」


 のちの黄金王、かと思いきや。


「吟遊詩人だ」

「スカすなあ……」


 俺はベッドに倒れた。もう疲れた。先生は肝心なことなど話す気はないんじゃないだろうか。寝てしまいたい。


「詩人は大陸を歩き回り、すべての国を見ている。素晴らしい情報源だ。我々に伝えたいことが山ほどあると叫ぶので、しかたがない塔に乗せてやると彼はさっそく歌い始めた。まずは『五度谷ごどだにの国』に現れた勇者の話だ」


 このあたりの話は夢現で聞いていたが、内容は確かだ。


「勇者というのは比喩表現だが、その男は、底に着くまでに五回死ぬと言われている谷を越えることに成功したというのだ。風の精霊を従えたんだ。おかげで『六夜』との間に橋を作り直すことができ、途絶えていた国交が回復した。それで『五度谷』の王も勇者を崇めた」


 俺の脳裏に、風の精霊を従えて深い谷を飛び越える男の姿が浮かんだ。

 谷というのがうまく想像できなくて、まどろんだ頭はそれを見慣れたビル群で再生する。


「彼は、もとは『六夜』で賞金稼ぎをしていた人間らしい。そもそも、『六夜』の王が谷越えに賞金をかけていたことがきっかけだったとか……」


「『クエスト』みたいですね……」

「クェーチョ?」


 寝言みたいな俺の相槌に、先生は首を傾げたが話を進めた。


「……まあいい。その後、勇者は手に入れた大金を元に仲間を集め、争いの激化していた『八翼はちよくの国』と『九炎山くえんざんの国』の国境を目指した。吟遊詩人の歌には道中の物語ももちろんあったが、『七ツ森』で地の精霊を仲間にすると、『八翼』と『九炎山』、どちらの味方にもならず、どちらも抑えたという。大筋はそんなもんだ」


「スゲ〜」


「すげえ、だな。うむ。まさにスゲー、だ。『八翼』も『九炎山』も武力を重んじる。彼らが勇者に従ったのはわかる話だ。ここからは難しい。竜の長子だという誇り高き『一岩』、兄を支え他を統べるという伝説を信じる『二手』その下僕『三鋤』。『四荒河しこうが』の話はしたか? あそこが一番面倒かもしれない」


 頑張って聞いていたつもりだが、ここで俺の記憶は途絶える。

 数分なのか数時間なのか、うたた寝をして目が覚めると、先生は薄明かりで書き物をしていた。


 集中しているような背中に話しかけるのも申し訳なく、俺もそっとこの日記を書き始めることにしたのである。


 今日はこんなところかな。

 貴重な話の途中で眠ってしまったから、明日一番に謝罪して、また今度聞かせてもらおう。

 

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