4月3日① 緊急呼び出しと地の精霊
怒涛の一日だった。
いや、まだ終わってないし、半日ってところだけど。
とにかく、まずは朝の出来事だ。
なんだかもう遠い記憶になりつつあるけど。
明け方、窓から一羽の小鳥が飛び込んできて目が覚めた。
布団から身を起こすと、そいつは先生の手に留まっていた。
先生が造作もなくそれを目一杯握りつぶしたので、俺はびっくりしてすっかり覚醒した。あやうく悲鳴をあげるところだった。
だが、小鳥は瞬時にして、煙とともに丸められた紙に姿を変えたのだ。
幻影だ。
先生は封蝋を雑に取って、素早く文面に目を走らせた。
「ふむ。すぐに帰らねばならん。『二手』の使者が難破船について話があるとか、王に会いに来るそうだ」
突然の宣言である。
「え、え? なんで僕らが必要なんです?」
「私が、必要なんだ。現場にいたからな」
「他の人では駄目なんですか?」
「駄目だ。私以上に信頼できる人物はいない」
出たよ、自信過剰。
でも、きっと本当にそうなんだろうな。
先生はさっそく服を着替えている。
「ああ、もう少し聞きたいことがあったのになぁ……」
「また来たらいいじゃないですか」
俺も、気だるさを振り払って、それに
「他にも調査する場所がたくさんある。そんなに何度も同じところばかりに時間は割けん」
「そう、なんですか……」
俺は、その全部に同行するのだろうか。
他に行くあてもないし、仕方ないか。
ここに、住めないかな……。
無理な希望が頭をもたげる。
この際、一生女性の体だって構わない。不便してないし。
朝食の席で先生が経緯を説明して、昼までには村を出ることになった。
先生は、そのギリギリまで農地を見学するという。それで、俺はリリアさんと荷物をまとめながら最後の時間を過ごすことができた。
借りっぱなしだった服を返そうとしたら、断られた。
「それは持っていって。旅には向かないかもしれないけれど、私たちの思い出に」
「ありがとうございます。大切にします」
花の刺繍を胸に抱くと、昨夕のことが思い出された。
リリアさんも、そうだったのかもしれない。
「あの、昨日のこと」
「それはもう、言わなくていいわ」
「じゃなくて、『黄金王』のことです」
「あっ……、うん」
リリアさんは珍しく、真っ赤になって咳払いした。
「約束は、必ず果たします。僕はこの村が大好きです。できれば、また訪れた時も、変わらずにいてほしい……」
今思うと、もしかしたらこの時の高揚感というのは、「あのとき助けられなかった少年への罪滅ぼし」という感覚が、どこかにあるからかもしれない。
だけど、俺はそれでもいいと思っている。
俺は二度と後悔したくないんだ。
やれることは全部やりたい。全力を尽くしたい。
今はそんな気持ちだ。
「サトー、きっとあなたの子供や孫が遊びにきても、何も変わらずここにあるでしょう」
「それはなんだか……とても安心します」
俺たちは手を取り合った。
「サトー、あなたが『黄金王』と話すと、そう言ってくれて、私はとても勇気をもらいました。ありがとう」
リリアさんはぎゅっとハグしてくれた。そして体を離すと、意志の強いキリッとした眼でまっすぐ俺を見て言った。
「私も、いつか旅に出ようと思う。もっとたくさんのことを知りたい。この村は素晴らしいけれど、私は、外の景色も見てみたい」
「それは……」
俺は「危ない」と言って止めそうになるのをぐっと堪えた。人の決意を頭ごなしに否定するのは良くない態度だ。心配していることだけ伝えればいい。
「素晴らしいと思います。そのときは、どうか気をつけて」
「ありがとう。あなたも、道中気をつけて」
リリアさんは別れの挨拶として両頬にキスをしてくれた。
それから家を出ると、外のベンチに先生の荷物が積んであった。
本人はまだ戻らないが、最後は長老たちに、あのドームで挨拶することになっていたので、俺は先に向かうことにした。
初日の緊張感とは打って変わって、ドームの中は神聖で暖かく、心から安らげるような雰囲気を醸し出していた。内装なども、特に変化が加えられたようには見えないのに、まるで大きな毛布に包まれているみたいだ。
長老たちは、すでに着席していた。
「先の到着だね」
「座っていなさい」
「ゆっくりと」
俺は会釈して、初日と同じように敷布の上に座った。
いくら印象が良くなったからって、三人の老人にじっと見つめられていては落ち着かない。
「あ、あの。滞在中、ありがとうございました。とても楽しかったです」
俺は、自分の方から挨拶して、深々と頭を下げた。
途端に彼女たちは「ほほほ」「ふふふ」と、なんとも愛らしく笑い声を立てた。
「精霊が喜んでいるわけだ」
「心根の良い子だ」
「これを持っていきなさい」
そう言って、真ん中のおばあちゃんが手を差し出してきたので、反射的に両手を受け取る格好にしたが、そこには何もなかった。
肩透かしを食らった次の瞬間、俺の手の中で花が咲いた。
オレンジ色の、綺麗な大輪の花。
何か考えるよりも早く、それはまた咲いた時と同じくらい唐突に消えてしまう。
「なついておる」
「よかったよかった」
「大事になさい」
代わる代わるそう言われては、「はい」と言うより他にない。
ただ、手が、前腕のあたりまで暖かいような気がしてきた。
そこへ先生が現れて、丁寧に、しかし忙しない様子でお礼を述べた。
長老たちも、型どおりとも取れる労いの言葉を並べ、これでおしまいだった。あっさりした幕切れだ。
ドームから出る足が重い。
村の出口へ一歩ずつ進むのが、ぬかるみに取られたみたいに動きにくい。
先生は次の任務のことしか見えていない。スタスタと先に行ってしまって、俺はリリアさんと二人で取り残された。彼女は、俺と歩調を合わせてくれていたのだ。
「リリアさん……あの、……僕は、ここに残れないでしょうか?」
無粋な質問だ。
答えなんかわかっている。
だから、絶対口にしないと決めていたのに。
俺は弱い。
まだ弱い。
「そう言ってもらえて嬉しい。でも、ここにいられるのは、ここで生まれた女だけなの」
「そうですよね」
「またいつでもいらっしゃい。そうだ、蜥蜴岩村に嫁入りすれば、いつでも歩いて来られる」
「そうですね……」
こんな弱い心で、何が「『黄金王』に約束させる」だ。
戦う前から勝負が決まっているようなものじゃないか。
悲しい。
胸のあたりがざわつく。
と思ったら、本当に腕がざわざわと、むず痒いような感覚に襲われていた。
すわ、虫でも混入したのかと見れば、
『東の雑踏の街』で買ってもらった、ウールのチュニックシャツの両腕を、オレンジ色の満開の花の刺繍が次々に登っていた。
「な、なんですかこれ!」
みるみる間に肩口まできて、止まる。
「まあ。本当に精霊に気に入られたのね。彼らが、あなたを励ましているのよ。大丈夫だよ、って」
刺繍は綺麗だけど、小汚いシャツにこんな綺麗な模様は不釣り合いだ。
「彼らは、なにをする人たちなんですか? 刺繍の神様?」
俺の間抜けな質問に、リリアさんは声を立てて笑った。
遠くで先生が俺を呼んでいる。
「彼らは地の精霊。大地そのものよ」
リリアさんは大急ぎで、しかし嬉しそうに説明してくれた。
「全ての命は土と共にある。あなたは命と繋がったの。彼らは、いつでもあなたを支えてくれるでしょう」
どんなに離れていても、繋がっている。
いつでもここに帰って来れる。
「彼らと共にある限り、あなたは私と共にある」
今の俺には、なにより心強い言葉だった。
「あ、ありがとうございます。あの、長老さんたちにも、素晴らしいものをいただいてしまって、お礼を……」
「サトー! なにしてるんだ! 早く!」
言いかけたところで、先生の怒号だ。
俺はリリアさんに大きく手を振って、足取り軽く先生を追いかけた。
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