3月27日① 目的地はニャイテャッチ族

 翌日は、大雨。

 その時の俺はまだ、相変わらず旅程の報連相がない美女のフィス先生と簡素な食堂で質素な朝食をとりながら、「雨音、強っ」くらいにしか思っていなかった。


 天候なんかより、昨晩の先生の、暗がりにぼんやりとした灯で照らされる、思慮深げでありながらもどこか脱力したあの姿態が、いまだに気になって仕方ない。


 食も進まない。


「どうしたサトー? 食べないのか? まぁいい。どうせ今日は」

と、これもまた相変わらず一方的に話はじめたとき、戸口に村人がやってきて、どこそこの牧草地が湖になったと告げられた。


「やっぱりな」

と、フィスさんは涼しい顔で一言。薄いスープを飲み干した。

 なるほど、そこが行き先だったってことですか。


 周囲からは落胆の声が上がるが、魔法使いがいるような世界で、一瞬にしておじいさんが美女になったとしても、天候はどうにもならないようだ。


 大陸の南に位置する、ここ『六夜の国』は、一年を通して乾燥している。地球でいうならステップ気候が近いだろう。サバンナとか、そんな感じだ。

 その代わり、降るとなるとバケツをひっくり返したような豪雨で、それが二、三日続き、水飲み場ができ、草木が育って牧草地になる。


 『六夜の国』独特の生き物に、「マグラ」という巨大モグラがいる。

 こいつが、乾燥していてあっという間に地下水脈に消えてしまう雨水を、地中で溜め込んでくれるのだそうだ。


 彼らは時折それを排出するので、雨が降らなくても砂漠になることがないという。逆にマグラの生息数が少ない場所は、砂と岩が目立つとのこと。不思議なものだ。


 とにかく、旅は丸一日は足止めということで、俺は同室者のいなくなった宿部屋で、先生から気候とマグラについてのありがたい講釈を延々と聞くハメになったのだ。


 わざわざ宿屋から椅子まで借りて、運ばされて。

 これ、まさか本当にこんな講釈垂れたいだけで借りたんじゃないよな。


「ずっと気になってたんですが、目的地を聞いてもいいですか?」


 もっと話すべきことがあるだろうと促してみると、「おお、すまない」と、先生は晴れやかな笑顔であっさり。

「伝え忘れていた」


 これだ。


 おっさんのままだったらもっと頭にきただろうが、綺麗なお姉さんだからちょっと許してしまいそうになっている自分がいる。


 くっ。

 こういうのって性差別なのか。

 だけどこれが上司なら、いくら美人でも最悪のやつだぞ。


 先生はまたヒゲをしごき損なって、手を翻しながら話し出した。


「手始めに『七ツ森の国』の山間部に住む、ニャイテャッチという人々を訪ねる。彼らは女だけで暮らしている。男は、長老たちの許しがなければ滞在できないということなので、並み居る学者先生方御歴々の中でも、私にしか行かれない場所といえよう」


 この人、ひとたび口を開けば大変滑らかではあるのだが、肝心なことが抜けてないか。


「えーと、僕はその間どうしてればいいんです?」

「安心しろ、一人にはしない」


 どういう意味だ?


「お前も変化の術で女にして連れて行ってやる」


「はあ?」

と、思わず戸惑いと抗議の混ざった声が出たが、先生はそれをどう受け止めたのか、自身の術の凄さを語る。


「私は魔術を極めたのだ。効果範囲を他者へ広げるなど造作もない」

「いやあんたがスゴイのはよくわかったけど、俺は女になりたくないです!」


 咄嗟のことに、年長者に向かって失礼極まりない口のきき方をしてしまった。


 しかし、

「なぜだ?」

と、改めて真顔で聞かれると……、言葉に詰まる。


「それは、なんか、威信に関わるというか……まだ純潔なのに異性の体をそんな形で知るとか……ちょっと」


「うーん、よくわからん」

 先生は顎に手をやって、形のいい唇をへの字に曲げ、首まで傾げている。


 そんなに不可解な反応をされてしまうと、自分の方が間違っているような気になってくる。


 言われてみれば、魔法で一時的に姿が変わるだけのことだ。しかもカエルやヘビではない。自分がヌメヌメしてるのって想像しただけでちょっと気持ち悪い。ハエとか虫はもっと嫌だな。叩き潰されそうだし。


 そんなふうに俺の思考が暴走している間、先生様も真面目に悩んでくださっていた。(もちろんこれは嫌味だ)

 

「身体の機能はほとんど変わらないから心配するな。まあ、あったものが無くなるから、初めのうちはバランスを崩してコケるやつもいる。小便は不便だが慣れれば大したことじゃない。大便に関しては問題ないしな。ああ、手足の長さも多少変わるな。男にしてやったらしょっちゅうリーチを間違えて物を倒す奴がいた。迷惑だったが実験中だったので仕方なかったが、やはり、あれだ、勘のいいやつはすぐに慣れる。身体能力もそうだが、頭の出来の問題かもしれんなぁ。よし」


 長台詞ののち、先生はポンと膝を打った。

 そのイタズラな笑み。

 絶対嫌なことだ。


「早めに慣らしておこう」


 ほらーーーーーーー。


 止めようとか逃げようとか何か動くより、先生の方が早かった。

 たった二秒で、俺は女にさせられた。

 

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