3月26日③ 乗合馬車って最悪
御者にドヤされ幌のついた大きな馬車に乗り込んだのは、もう日も傾いて肌寒くなる時間だった。
年季が入ってギシギシと鳴る荷台には、他にも大勢の客がいた。
後で聞いたがこれは乗合馬車といって、同じ方角へ向かう人たちが費用を出し合って運行する、ポピュラーな長距離移動手段なんだそうだ。
乗車人数が増えればそれだけ一人分の費用が安くなるので、必然的にぎゅうぎゅう詰め。
こんなに重くて馬は悲鳴を上げないのかと、隙間から先頭を覗き見たら、どデカいバイソンみたいなのが二頭で足を踏み鳴らしていた。
彼らの心配はいらなそうだ。
御者も二人いた。長距離バスと同じで交代制なのだろう。
「西に向かいますよ! お間違いないですね!」
と、片方が客席を振り返って声を張り上げると、尻で我先にと座る位置を確保しながら、みんな「ああ」とか「おう」とか返事している。降りる人はいないようだ。
俺の隣は、ドワーフみたいな小柄な男だった。手足が短く、全体的にずんぐりしていて、赤茶のちぢれた髪と髭を三つ編みにしている。さらに向こうに、髭がない以外はそっくりの女性(たぶん)がいて、二人で大荷物を抱えていた。
俺は自分の荷物を引き寄せて、床にごちゃごちゃ敷き詰められた毛皮の上で身じろぎした。このまま寝ることになったらどうしようと不安にもなる。
ふと見やれば、流石に先生は幌の支柱に寄りかかれるベストポジションを手に入れていた。周りを見回しては考え事に耽っているようだ。
くそう。初心者なんだから、俺にもいい位置の取り方を教えてくれたってよさそうなものを。
それにしても獣臭い。
自慢じゃないが俺は車酔いがひどい。特にバスでは必ず酔った。こんな異臭が立ち込めていて、無事で済むだろうか。
「ねえ、あんた」
と、どこかで声がしている。最初は自分に向けられているとは気がつかなかった。砂利のようなしわがれた声だ。
「あんたってばさ」
腕を突かれ、驚いて顔を向けると、隣の乗客である赤毛のおばさん(多分)がニコニコとこっちを見ていた。
「は、はい」
「旅行かい?」
「ええ、まあ」
先生は「『黄金王』直属の学者です」とは誰にも言っていないし、姿も変えている。王の印である黄金のピンブローチもフードの下に隠しているし、印籠のようにそれを御者に見せて乗車したわけでもない。なんなら怒られたし。
ということは、普通の旅行者を装った方がいいのかもしれない。
一瞬の間にそんなことを考えて、俺はあいまいに答えて微笑んだ。
こういうときは、とにかく「感じ良く」だ。
「新婚さん?」
「は?」という声も表情も押し留めた。新婚旅行でこんな馬車乗るかよ。
彼女は俺と先生を若くお似合いの二人と思ったのだろうか。勘弁してくれ。
「いえいえ、そんなんじゃ。そちらは?」
必殺・質問返しで逃げ切ろう。
「わしらは商いじゃーて。色っぽいこたないよ」
赤毛おばさんが「ひぇひぇひぇ」と笑う。隣の赤毛おじさんは胡座に腕組みで、むっつり目を閉じている。
大丈夫だろうか。
これ、大丈夫なやりとりだろうか。
ここで急にうっすら無視するのも申し訳ないし、話を変えることにした。
「そ、それが売り物ですか?」
二人にぴったり寄り添うように置かれた大荷物へ視線を投げる。
社会人として揉まれまくって、愛想の良さと地雷を踏まない自信はある。この自信がこっちの世界でも通じればいいのだが……。
「そうさ、『
「『三鋤の国』からですか。それは長旅だ。すごいなあ」
買い物するつもりも金もないので、さらに話を逸らそうとしたところで、先生が身を乗り出してきた。
「まあ、『三鋤の国』の方だなんて、なかなかお目にかかれません。お会いできて光栄です。『
「あるよ」
と、 おばさんはニコニコ笑って、揺れる車内で器用に荷物を探った。
大きな袋をかき分け、背負い紐のついた箪笥のようなものを眺めている。薬棚というやつか。
たくさんの小さな引き出しの一つから、おばさんは小瓶を取り出した。
中には丸い何か。
途端に、それが眩い光を放った。
「まぶし!」
「おい寝らんねーだろ!」
「なにしてんだ」
「しまえ!」
周りからヤジが飛ぶのに、料金交渉中の二人は聞く耳を持たない。
赤毛おじさんも微動だにしない。
俺一人が大慌てだ。
「す、すみません!」
マントを広げてなんとか光を遮ろうとしたが、そんなの焼け石に水、雪光虫にマントだった。ついには御者が振り返って叫ぶ。
「ちょっと! なんの騒ぎだ! 降りてもらうよ?!」
「すみません!!」
「よし! 買った!」
俺の謝罪と先生の購入宣言が重なった。
次の宿場町までの道程がいかに肩身が狭くつらかったかは書き残したくない。「つらかった」と、だけにしておく。
三鋤の行商には、もうこりごりだ。面の皮が厚過ぎて、周囲の目なんか気にもならない。
夜も更けて、広々とした田園地帯を駆け抜けた馬車(バッファロー車?)は、宿のある集落に到着した。
そこで一度目の集金。
全員が分け合って、御者とバッファローの宿泊・食事代を支払う。
この町までという人もいたし、中には迎えの馬車が来ている人もいた。
行商夫婦は荷物が多いから荷台でそのまま休むと言って、荷台だけを収める倉庫のようなところで手を振って別れた。絶対宿代をケチってるのだ。
その逞しさには憧れさえ感じる。いや憧れないけど。
俺と先生はもちろん宿を取った。
お世辞にも豪華だとか綺麗だとか言えない宿泊施設だった。
作り付けの三段ベッドひとつで目一杯という小部屋がたくさん並んだ、現代なら違法建築で取り締まられそうな、まさに蛸部屋。外観は石造りで強度は問題なさそうだが、床が抜けないか心配になる。
ありがたいことに、この世界の人たちの体格が良いからか、ベッドはシングルより大きかった。これならゆったり眠れそうだ。
部屋にはすでに先客がいた。マッチョが過ぎるほどデカい、逆三角ボディの黒髪の若者だ。脱いだ上着を一番下のベッドに投げ捨てている。
先に立っていた先生が「一番上だ」と、ベッドを見上げる。
「どっちがです?」
と、聞く暇もなく、先生はハシゴに足をかけていた。
「なにが?」
「先生が一番上ですか?」
怪訝そうな表情を浮かべて俺を振り返る先生。
やれやれ真ん中か、と思ったら、扉のない出入り口からもう一人、痩せたおじさんが入ってきた。
「ちょっとゴメンよ」
おかしいな。四人いるんですけど。
三段ベッドだぞ。
虚無感に
「お前は小さいから一緒で大丈夫だろ」
ベッドの山頂から見下ろしてくるのは、もちろんきれいなお姉さんなわけで、何も大丈夫ではないのですが。
下段の二人も、特段おかしいことは起きていないという様子で、自分の寝支度に集中している。あまつさえ、「おい、邪魔だから早く上がってくれ」と、おじさんに嫌な声を出された。
確かに共有のハシゴですものね。上の段は天井との間に余裕があるから、上がってからでも身支度できますもんね。
「すみません……」
そそくさと最上段へ上がると、先生は壁に寄りかかって座り、書き物に夢中になっていた。
足元の余った部分には荷物が立てかけてある。
最上段は荷物を手元に置けるメリットもあるのか。下の人たちは大変そうだ。
俺もそこに荷物を並べると、さてどうしたものかと一瞬迷い、それから、まぁ特に何もやることがないので、布団がわりにマントにくるまって、先生に背を向けて横になった。なるべく端っこに寄って。
部屋を照らすのは壁にかけられた小さなランプと、先生の手の中の雪光虫の瓶。
しばらくすると、建物全体から寝息が聞こえはじめた。
最初は緊張からなのか気が立っていた俺も、だんだんうとうとしてくる。
宿屋の主人が部屋を回って、ランプを消していく。
暗い。
けど、俺の真後ろからは、ちょっとだけ光が漏れている。
そっと首を巡らせると、彼女は手からこぼれる光の中で、まだ熱心にペンを走らせていた。
銀色の長い髪が顔にかかるのも気にしないで、何を記しているのか、集中しきっている。高い鼻梁、形のいい唇。それに、長いまつ毛。
綺麗だ……
暗く狭い場所に美女と二人……などという下世話なことが思いつかないくらい、彼女はわずかな灯に照らされて、神々しく闇に浮き上がっていた。
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