3月27日② 女体化と衝撃の事実

「さて、これでやっと落ち着いてニパンの話を聞けるな」


 なにが「やっと落ち着いて」なのかさっぱりわからないが、先生は筆記用具を手にして前のめりだ。


 俺、ものの二秒で女にされた直後なんですけど。

 先生が俺に手をかざして、ほんの二言くらい……、たとえば「女になれ」くらいの長さでなにか呪文を唱えたら……


 俺の姿が、変わってしまった。


 が、ぐっと視線が低くなった気がした以外、なにも感じなかった。


 痛くも痒くもない。

 しかし、何かがおかしい。


 座り心地が悪い。


 こ、これは……


 つまり……


 ない。


 大切な相棒が……


 いない。

 いなくなった。


 失ってしまった……!


 無意識に、俺の腕も足も内側を向く。まるで何かを隠すかのように。

 だらしなく足を開いて座る人は男女関係なく不愉快だと思っていたけれど、今は自然と膝頭を合わせてしまう。


 男女では骨格が違うと聞いたことがあるが、この世界の男女も違うんでしょうか。


 学術的っぽいことを考えて気を紛らわせようと必死な俺に向かって、冒頭のセリフが投げかけられたのだ。


「本当は一つ先の町でゆっくり聞こうと計画していたのだが、ここで足止めなら仕方ない」


 呆れた。

 話を聞く場所の計画ってなんだよ。


 だけどこの人には、何を言っても仕方ない。


「それで、ニパンの人々はおおよそお前と同じような体型か?」

「ええ、ああ、はい……男の方が大きくなりますが、性差もそんなにありません。どちらも、大きくても2メートル以内です」


 やっと発した声もか細く高くなっていて、自分じゃないみたいだった。


「なんでもいいから、思いつくところから話してみなさい」


 彼女は椅子にゆったりもたれて、「聞きますよ」という姿勢を見せた。

 俺の戸惑いに気づいてくれたのだろうか。

 なにから話せばいいだろう。


「そうですね……『ジャパン』は海に囲まれた、島です」

「ほう。小さいのか」

「そんなに、小さくはないです。大陸というほどではないですが。いななく馬のような、形をしてます」


 先生が静かに相槌を打つ。


「一年の中で、四つの気候が、めぐります」


 話しているうちに、俺は自分の中に起こっている不思議な感覚をついに理解した。


 二カ国語話者になった感じがしたのだ。


 俺は物事を日本語で考えているし、この世界の言葉も日本語に翻訳して理解している。だけど、話しているのはこっちの世界の言葉。

 思い浮かんだ日本語が、うまくこっちの言葉に翻訳できない時は困ってしまう。咄嗟に、そんな感覚を持ったのだ。


 実は今、『四季』をどう言ったらいいかわからなかった。


 この世界は、どこでも気候が一定だからだ。

 例えばここ『六夜の国』であれば、一年中暑くて乾燥している。


「それは興味深い。四つの気候とはどんなだ」


 俺は四季についてなんとか簡単な言葉で説明できないか、考えながら慎重に話した。


「『ハル』は植物が芽吹きます。花が咲き暖かです。『ナツ』は暑くなります。湿っていて、雨も降ります。『アキ』は作物の収穫が盛んです。そして少しずつ寒くなります。『フユ』は寒いです。乾燥して、雪が降ったりします」


 小学生の国語の授業みたいな演説に、ため息が出そうだった。

 そのうえ、今の自分は小柄な女性だ。もはや女児だ。


 ここに鏡はないのだろうか。

 ブスだったら悲しい。

 せめて可愛い女の子になっていたい。


「なるほど。なかなか過酷だな」

「そうですか?」

「暑さと寒さをやり過ごすなんて大変なことだ」

「寒暖の差はそんなにありません。着るものを工夫しますし、暖を取る道具も、涼しくなる道具もあります」


「それはすごい」と、先生は微笑んだ。「どんな家に住んでいる?」

「えーと、石と鉄でできた四角い家が多いです。とても硬い……『コンクリート』はわかりますか?」

「ああ、建材だな、確か」

「それで、本当に大きな家を……」


 こんな抽象的な話で、本当に通じているだろうか。

 先生は、理解できているだろうか。


 産業革命以降の人類史はとんでもないスピードで進んだんだ。

 もしスマホついて彼女に説明しなくちゃいけないとしたら、どうしたらいいんだろう。


 この中世みたいな世界観の中の人が、現代日本を理解できるだろうか。というか、理解させられる自信がない。


 もうだめだ。


「先生、実は……信じてもらえるかわからないのですが、僕は……」


 言い淀んでいると、先生は「うん」と一つ頷いて俺を促した。

 白状しよう。白状……、してしまいたい。


「僕は、ここではない『世界』から来たんです」


 決死の覚悟だった。

 おかしなやつだと思われるだろう。

 胸の中は不安でいっぱいだった。


 しかし先生は、美しいダークグレーの目を細めて、微笑んだ。


「知っていたよ」



 ほんの少しの静寂。



「は?」



 俺は驚いて、それしか出てこなかった。

 先生が説明しはじめる。


「うん。詳しくはわからないが、遠いどこかからここへやってくる人は時々いるんだ。私がゆっくり話できたのはお前が初めてだがね」


 彼女はローブの中で足を組んだ。


「もっとも、取り乱して騒ぎを起こした奴だけが発見されるわけだから、認識されていないだけで、うまく馴染んで暮らしている者もいるかもしれない」

「わかりません。どういうことですか」


 背中に変な汗が伝っていくのが感じられた。

 天と地がひっくり返ったようだ。


 俺以外にも、転生した人がいる?


「私にもわからんよ」

と、先生は落ち着き払って、大きく息を吐いて言った。

「なんだかはわからんが、私の知らない場所の、知らない人々の暮らしを、少し知りたいと思ってな」


「先生は、他にも、別世界の人と会ったことがあるんですよね」

「ああ」

「ど、どんな人ですか。俺と同じような?」


 自分が何を聞きたいのか、なんでそんなことを言っているのかも俺は理解できなかった。取り乱して、どうしたらいいかわからなくなっていたのだ。


「ふむ」と、先生は自分の手帳をめくった。「私が最初に会ったのは、三十年ほど前、やはり『六夜の国』の入り江で発見された『ジョー』という男だ」


「三十年……」

と、俺は思わず繰り返してしまってから、口を押さえた。


「ジョーは怒り、暴れたので、漁師たちに打ちのめされた。『黄金の国』統治前のことだが、この大陸では古より、危険な罪人は『十色鉱山じゅっしょくこうざんの国』の監獄に入れることになっていたので、彼はそこへ送られた」


 先生はそこで一度言葉を止めた。

 漁村で暴れて監獄に?

 たったそれだけで?


「彼は『二手にての国』の人々と似ていたが、わからない言葉で喚いていた。私たち魔導士も通訳として呼ばれたが、彼が何を言っているのか最後までわからなかった」

「最後って?」

「魔物の類だということになって殺された」


 先生は感情のない声で言うと、目を落としたままページをめくった。



 俺は、言葉を失っていた……

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