4月2日③ 『黄金の国』への不安

 その後リリアさんは村での話し合いの方法などを語ってくれ、俺は彼女が取ってきてくれた甘い木の実をかじりながら聞いた。その辺に生えていたやつだ。


「私たちはいつだって話し合って解決する。時間をかけて。どうしたらうまくいくかみんなで考えるの。……七日七晩、話し合ったこともある」


「長っ!」

 思わず口から種を飛ばしてしまうと、リリアさんはクスクスと笑った。


「途中で仕事もするし、歌ったり食事したり、昼寝もするわね。それでも全員が意見を出して話していくうちに、ちゃんと落とし所って見つかるのよ」


 旅立った息子たちの話になると止まらなくなるのか、大昔の逸話からつい最近まで、彼らの話をいくつも聞かせてくれた。


 中でも印象的だったのは、親切な旅人夫婦と共に巣立った息子の話だ。彼は毎年夏至祭に旅人として戻り、また旅に出る。今や彼が〝親切な旅人夫婦〟になっているそうだ。


 それらはどれも興味深かったので、別の機会にまとめることにする。これはあくまで日記。俺個人の記録だ。


 村や息子たちについては、メモもたくさん取ったし、彼女に執筆の許可ももらった。まぁ、別に、どこかに発表するわけじゃないけど……、でも、もしかしたら、なにかになるかもしれない。


 とにかく俺たちは夢中になった。お昼は野生の実で済ませてしまったし、ついに村人が探しにくるほど話し込んでいた。それでも足りなくて、村の中を歩き回りながら話し続けた。


 こんなにも、誰かと話すのが楽しかったことはあるだろうか。こんなにも、何かを知りたいと思ったことが。


 リリアさんは話し上手でもあったが、それ以上に聞き上手だった。

 どんな質問も汲んでくれるから、彼女相手なら、俺の間抜けな質問も的を得たそれに変わった。


 この優しさや忍耐強さ。相談役は戦士ではないけれど、強くなければ果たせない役割なのだと思った。彼女がなりたかったもの。形は違うけれど、彼女は村に貢献している。


 活気あふれる太陽の時間は過ぎ、一日のうちで残る仕事は夕飯の支度くらい。村を包む空気もまったりとしている。


 なぜだろう。

 知らない場所なのに、懐かしい。


 記憶というより、遺伝子に刻まれた感覚なのかもしれない。


 俺とリリアさんは段々畑の方まで足を伸ばしていた。崖というほど切りたっているわけではないが、ずっと下まで見渡せる場所だった。


 遮るものが何もない。眼下に豊かな緑を湛えているのは、間違いなく『七ツ森の国』だ。右に視線をずらしていくと『六夜の国』の砂塵、左には『八翼はちよくの国』に連なる、ドラゴンの翼のような山も見えた。


 『霧』の輪も、この標高でやっと姿を確認できた。

 そしてそこに包まれた、巨大な『不死の山』も。


 あまりにも巨大で、初めは目に入らなかった。

 その存在に気づくや、俺の体は勝手に震えた。


 怖い。

 情けないが、本能的に恐怖を覚える。それくらいの大山だ。頭は、もはや成層圏を突いているだろう。


 どういう理屈かわからないが、その全体が霞んで見えた。

 恐ろしさに打ち勝とうと目を凝らしていると、時々山肌に、パッと閃光が走る。


 霧が作る稲妻だろうか。

 などと、地球基準で想像しても意味がないだろうに、俺は理屈を考えずにはいられなかった。それが唯一、山からの圧迫に耐える方法だった。


「私、ずっとここから下の様子を見ていたの。小さい頃からずっと」


 俺の隣で、リリアさんも物思いに耽っていた。


「いつもどこかで煙が上がってた。爆発音や地鳴り。すぐそこまで森が燃えたことも。恐ろしかった。とても、怖かった。いつここまで燃え広がるかもしれない……。攻め込まれるかもしれない、と……」


 彼女の恐怖は山の存在どころではない。現実に、差し迫ってくる戦火だ。


 この世界は、どんな混乱の中にあったのだろう。こんな美しい森を燃やした連中は、いったいどこの誰だ。そしてそんな戦乱を、どうやって収拾つけたんだ。それらを収めたという『黄金の国』って、なんなんだ。


 知りたい。

 もっと、俺は知りたい。


 先生の顔が思い浮かんだ。


 彼に弟子入りしよう。


 このとき、はっきりと俺は決意した。


 フィス先生のもとで、もっと歴史を学べば、きっとリリアさんたちの役に立てる。

 そう思ったのだ。


 だが——……


「黄金王は、私たちのような者のことを、どうお考えかしら……」


 リリアさんの呟きに、俺は相手の視点が欠けていたことを思い知らされた。


 彼女は正面を向いて、遠くに目をやったまま、隣の俺を見なかった。


「リリアさん、ぼ、僕は、実は、先生の助手といっても、まだ彼とは……、彼女とは、出会ったばかりなんです」


 俺は一生懸命言い訳を始めた。


「最初はフィスさんが『黄金王の使者』だなんて、知りもしませんでした。それを聞いて恐ろしく思ったくらいです。でも僕には身よりもないですし、他に頼れる人もいなくて……、先生は、悪い人には思えなかったので……」


 どうしようもない人だけれど。もしかしたら本当に、この村の女性たちが怪しんでいるとおり、黄金王のスパイかもしれないけれど。


 俺はそれとは無関係なんです。


「信じてください!」


 振り絞るように懇願していた。彼女には……、彼女にだけは、どうしても誤解してほしくなかった。


 長老たちは、強い態度で俺たちを威嚇したが、リリアさんは、怯えながらも受け入れ、話をしようと努めてくれた。もしかしたら、なんでもない顔をしてやりすごせ、とか、毅然とした態度でいろ、とか言われたんじゃないだろうか。


 いやいや、違う。ここではみんなで決めるんだ。黄金王の使者をもてなそうと、みんなで決めたんだ。きっと先生が前回訪れたあと、たくさん話し合ったのだろう。


 フィスさんの言葉が思い出される。

『十の国があった。それぞれに繁栄していたが、領地争いだ謀略だ和平だと揉めた末に、「六夜の国」の王が「黄金王」となり、全てを統治することになった』


 激しい戦はなくなったが、今度は一人の王が全世界を治めることになったのだ。ここ『七ツ森の国』の統治者は、今まで彼女たちを放っておいてくれた。もともと森に隔たれて、行き来の少ない人々なのだ。山の上から世界の行く末を案じながら、女性だけの暮らしを連綿と続けてきた。


 しかしそれは昔の話。

 一人の王になって、何が変わるのか。変わらないのか。


 ちょっと待て。『黄金王』が統治して何年なんだ?

 彼は本当に、民の幸せを考えてるのか?


 疑問や焦りが膨れ上がって、俺の頭はパンク寸前だった。

 気がつけば、勢い任せにリリアさんの手を取っていた。


「僕が会って聞いてきます!」


 無理やりこっちを向かされた彼女は、目をまん丸にしていた。


「約束します。必ず黄金王に会って、決してニャイテャッチを攻め入る気はないと、一筆書いてもらいます!」


 耳に届く自分の声がやけに甲高くて、甘ったるくても、今はそんなことどうでもいい。


 俺は昂っていた。


「黄金王に、『ケッパン』押させます!」


 血判の概念はこの世界にないけれど、気持ちは十分伝わったようだ。

 リリアさんは目に涙を溜めて頷いてくれた。


 霞む大山が稲光を走らせながら、俺たちの証人になった。


 この日記を書いている今でも、俺は本気だ。すっごく本気だ。

 先生にも話して、なんとかしようと思っている。


 だって俺は、この場所が好きだから。

 好きになってしまったから。

 彼女たちを守りたい。


 この暮らしは変えちゃいけない。

 変えるべきじゃない。


 変えたいという人が、別の場所へ行けばいい。山を降りて、乗合馬車で、遠くへ行けばいいんだ。


 帰りたくなったら、いつでもニャイテャッチは同じ暮らしでここにある。

 神話の時代から変わらずに、いつまでもここにあり続けるべきなんだ。

 

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