4月4日② 王の過去
「私がここへ来たのは三十年ほど前だ。正確にはわからないが、そんなものだ」
と、彼は第二の人生の始まりを語り出した。
「十七歳になる年の春、私は向こうの世界で死んだ」
彼ははるか遠い空の先に視線をやって、それから
「そう。日本で、だ」
俺と同じだ。
同じことが、三十年も前から起きている。
一体何人が、繰り返し、繰り返し、不慮の死の後この国で生き返ったのだろう。
そして何人が、狂人として処刑されたのだろう……。
俺は口を挟むことができず、王は三十年の思いを吐き出す。
「突然で不本意な死だった。日本での私の生活は散々だったが、まあ、いま思えばこんなところで生きるよりずっとマシだったよ。秩序や法律があったし、なにより清潔だった」
清潔さ、それは頷ける。
俺もひどい居場所で寝起きした。トイレの概念も違う。
だけど、秩序や法律はどうだろうか……。
いや、俺は王の使いであるフィス先生と一緒にいたんだ。
この人の苦労とは比べられない。
「最初は本当に酷かった。危うく死にかけたことなど、一度や二度じゃない」
ほらな。
俺なんか、フィスさんがいなかったら、まずあの浜辺の時点で奴隷として売られていたんだ。後のことなど、わかったものじゃない。
「だが」と、王は体側で緩く拳を握った。「何かが変わった。何か……、そう、まるで導かれるようにして、次々と奇跡が起きた。目が覚めたようだった。強い武器が手に入り、精霊が従い、仲間が集まった。その頃、私は気づいたんだ」
彼は俺を手懐けるように、パッと腰を屈めて視線を合わせてきた。
「自分が、レベルアップする感覚があったんだ。わかるか? ここはゲームと同じなんだよ。依頼をこなせば金と信頼が手に入る。そしてある程度、経験値が貯まると……、レベルアップだ」
パンッと目の前で突然手を叩かれ、俺は目をパチパチさせた。
「勇者様なんて呼ばれているうちに、自分のなすべきことが見えてきたんだ。私の……、いや、私たちの、最大の強みはなんだと思う?」
王は質問の直後に自身で答えを述べた。
「そう、異世界人、だよ。私の地球的な考え方は、ここではまったく新しいもの。だから価値がある。この世界で、他に誰も持っていない力。唯一無二だよ」
過剰なほど自信に溢れた言葉の後、王は謙遜した。
「自分のことをゲームの主人公みたいに思ったことはなかったけれど、でも、こうも思ったんだ。意外と、俺はここで、誰よりもうまくやれるのかもしれないって」
あまり中身はなかったけれど、とにかく言葉を並べていた。
「気がついたら、これだ。王になっていた。この私が。今や世を統べる黄金王だ。ははは。不思議な感じだよ。私はただ、目の前のことをがむしゃらにやってきただけなのに。まぁ、それが良かったのかもしれない。大したことはしていないつもりだけれど。これからも皆の求めに応えていくつもりだ」
王は結論を述べた。
「どうやら、私は世界を創造し直しているようなんだ。ここでの王という存在は、そういうものらしい。だから、どうせなら誰も不幸にしない、誰も取りこぼさない美しい社会にしたい。今までの世界を悪いとは言わないけれど、旧態然とした価値観に未来はない。イノベーションが必要だろう。おそらく、だから私はこの世界に選ばれたんだ」
立派だ。
立派そうに聞こえる。
彼が話し続けている間、俺は、前世で出会ってきた女性の多くがそうしていたように、微笑んで、曖昧に相槌を打っていた。
彼女たちがどうしてそうしているのか、俺はこのとき、強烈に理解した。
そして嫌悪した。そうせざるを得ない社会を作っている、俺を含めた全てを。
なんだか変だ。妙な胸騒ぎがする。
彼は控えめな言葉を使ったり、言いすぎたと思ったら謙遜でカバーしたりしているけれど、プライドの高さが言葉の端々に見受けられる。
さすが王様、ということか。
自意識過剰で尊大で、偉そうだ。
きっと彼は、この世界が嫌いなんだ。
前世の自分も好きじゃなくて、その苛立ちを消化できず、こっちの世界にぶつけている。
短く、キビキビとした耳障りのいい言葉。
相手を納得させるための緩急をつけた表情作り。
力強いボディランゲージ。
日本にいた頃に散々見てきた、理想ばっかりで人の気持ちとか百年後の未来とか全然考えない連中を思い出していた。
端的に言って、嘘くさい。
直感は当たるものだと、何かの本に書いてあった。
「えー、そうなんですねー。すごーい。大変なことですねー」
うーん、日本人女性らしいこの対応。
否定するつもりもないけれど、賛成も賞賛もしたくない。
適当な返事をして、自分の意見は言わず、場に波風を立てず、穏便に済ませたい。
俺は、リリアさんのことをずっと思っていた。
彼女だけではない。短い時間の間に出会った、楽しくて不思議な人のことも、だ。
文句言いながらも的確な手綱捌きだった乗合馬車の御者と、商魂逞しく親切だった行商のご夫婦。乗合馬車の同乗者たち。
一晩世話になった、蜥蜴岩村のピピンさんと、その元気で可愛い子供達。
俺たちを受け入れてくれたニャイテャッチの長老に、村のみんな。
外からやってきた王や俺に、この世界で暮らす人々の幸せや望みが、本当に理解できるのだろうか。
この人は、三十年の中で、理解する努力をしてきただろうか。
世界を、ゲームのように考えている彼は。
だが、翻って俺も同じだ。
彼と話し合うためには、まだ俺は、この世界のことを知らなすぎる。
もしも彼がこの世界を憎み、作り替えたいのなら、なぜそう思ったのか。根拠がどこかにあるはずだ。
「佐藤。いや、佐藤さん、だね。しばらくここにいてくれないか。やっと心を許せる人に出会えた気がする。私の話し相手になってくれないか」
テーブルの上で重ねられた手を、思わず引っ込めてしまった。
「お気持ちは嬉しいのですが……、でも、私はフィスさんの助手をしていますので」
「フィスには私から言う。私が命じればいいだけのことだ」
違うんだって。察しが悪いな。俺は断ってんだよ。
「でも、先生には人手が必要ですし」
「王にも信頼できる話し相手が必要だ」
ええい。わからん奴め。
「私、フィスさんと行きます。楽しいんです。この世界を見て歩くのが」
王も、フィスさんと旅すれば楽しかっただろうか。
席を立とうとした俺に、王は追い縋ってきた。
「しかし転生者が、それも君のような女がこんな世界を旅するなんて危険すぎる」
君のような女……?
それ、何を指してるんだ……?
困惑と苛立ちが湧き上がった、その時だった。
俺の感情を代弁するかのように、裾にあった花の刺繍が腕まで這い上がってきたかと思ったら、一気に飛び出してテーブルの上を
刺繍の実体化。
これには王も驚いた。
蔦は無数に棘を尖らせ、鮮やかなオレンジだった花の色は、グロテスクな赤紫へと変化していた。
身を引いた王の顔が隠れるほど、棘だらけの蔦は渦を巻き、花の盾がゆらゆらと揺れて威嚇する。
いきなり、王は笑い出した。
「地の精霊を連れているのか。フィスが見込んだだけのことはあるな。すまなかった! 君たちの愛する人を傷つけるつもりはないんだ! どうか静まってくれ」
彼の懇願に、蔦は非常にゆっくりと対応した。精霊は、俺がまだ困っていると理解していたのかもしれないし、王の態度が明らかに格下の相手を宥めるようで不満だったのかもしれない。
彼の宣言を、一応信じたというように、刺繍は胸の辺りにとどまった。柄は棘のある薔薇で、色はまだ赤紫だ。
おかげで王は強引に迫ることをやめてくれた。
「いまや黄金王と呼ばれているが、ここに来た時は『ルドラ』と名乗っていた。だが、君にだけ教えよう。私の本当の名前は『コガネザキ・ルイ』だ。信頼の印に、どうか君だけは、私のことを『ルイ』と呼んでくれ」
俺がその申し出を受け入れたのは、一刻も早くその場から立ち去りたかったからだ。
ちなみに、カタカナで書いたが、どんな漢字だろう。
コガネザキ・ルイ。
小金崎?
まさか、黄金崎?
黄金王になるべくして生まれたような名前だ。
俺の方は結局フルネームを名乗らなかった。
名乗っていたら、魔法で女性になっているとバレただろう。
今にして思うと、女性の姿で良かったのかもしれない。
なんとなく、この形だからこそ、彼のガードを下げられた気がする。
日本人男性同士だったら……
俺は別に、それでも親しみしか湧かないけれど、王はちょっと……、すぐに対抗心を燃やしそうな雰囲気があった。
たとえ俺みたいな、若輩者のひょろひょろ男子だったとしても。
とにかく、二人の会話は気まずく終わった。
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