4月4日③ このセカイを知るために

 王に形ばかりエスコートされて室内に戻ると、先生はいつものように余裕のオーラをまとって待っていた。顔に「遅かったな」と書いてある。


 俺は駆け寄りたい気持ちを抑えて先生の元へ歩み寄った。


 すると先生はサッと王へ一瞥いちべつを投げ、それから、なぜかにっこりと王へ微笑みかけながら、俺の背中に手を回してきた。表情に反して、すごく、力を込めて。


「王よ、『二手』については込み入っておりますので、我々だけで話しましょう。サトーを一人にするのが不安だったのですが、あなたに正体が知られたなら、もはやその心配はない。サトーも疲れているようなので、客間に置いておいても構いませんかな」


「私が疲れさせたとでも?」


 王はムッとなったが、先生は沈着冷静だった。


「私が疲れさせたのですよ。無理な旅程を組みました」

「そうか。好きにしなさい。佐藤、ゆっくり休むんだぞ」


 にっこり微笑まれたが、俺は自分がちゃんと微笑み返せたか自信がない。


 召使の女性に案内されて客間に戻ると、それから先生を待つ時間は、一生分の長さに感じられた。


 キョロキョロしたり、ブラブラしたり、ここで日記を広げるのは安全だろうかとソワソワしたり、そのうちウトウトし始めた夕方、先生は足音を鳴らして帰ってきた。


「何も喋るな。少し待て」


 部屋に入るなりぴったりと扉を閉め、鍵をかけ、先生は花瓶や置物を次々と、俺を囲むように並べていった。


 そうして出来上がった円の中に自分も入ると、先生は十字を切るように指で印を結んだ。


 結界を張ったのだ。


「私から話す」

と、先生は、あの強引さで進めた。


「私が彼と出会ったのは、すでに彼がこの大陸を統治しようと乗り出した後のことだった。黄金王がことは知っていたが、それが、過去に捕えられて処刑された『言葉の通じない人々』と同じ場所から来たなどとは到底考えられなかった。無論、お前と同じ場所からなどとも」


 先生は大きく息を吐いて、トーンをさらに落とした。


「彼がどこで生まれたのであれ、大した問題ではないと思っていた。統治者として適任であれば、どこの人間でもいいと。だが、どうにもだけでは説明のつかない違和感もあってな……。お前と出会って、王と似た雰囲気を感じて、詳しく話を聞いたいと思っていたのだが……」


 だが……?

 続く言葉を、固唾を飲んで待っていたが、


「忘れとったわ」


 前のめりだった体が、そのまま転倒するかと思った。


「いや忘れていたわけではないんだが、なのにすっかり後回しになってしまった。なにしろ他のことで忙しかった」


 あー、はいはい、そうですね。

 まったくこの人は。


 呆れ返った俺だったが、先生も本気で後悔している様子だった。


「王のことは、先にお前に話しておくべきだったかもしれない」

「そんなことはありません」


 俺は反対した。珍しくしょげる先生がかわいそうに思えたからではない。


「僕のことをよく知らないうちに、自国の王の秘密を打ち明けるのは良くないと思います。先生の判断が間違っていたとは思いません」


 先生は真っ当な仕事をしたと確信している。

 それを伝えると、彼は微笑んだ。それだけだった。もっと高慢な感じで同意してくると想像していたのに、肩透かしを食らったと同時に、俺はなんとなく、俺たちの間の絆が深まっているようにも感じた。


「先生は以前、黄金王は平和のために画策しているとおっしゃっていましたが、僕は彼が信用できません」


 俺は思い切って打ち明けた。


「ほう、どうして」


 先生は興味深げにさらに聞いてきたが、俺は困った。

 確固たる見解はない。


「わからないんですが……、なんかヤダなって……」


 こんな意見では不合格だろうと思ったが、違った。


「サトーは風読みの素質もあるのかもしれないな」

「風読み?」

「自身の受け取るさまざまな感覚から物事を判断することだ。占い師とは少し違うが、精霊とは近いかもしれない。目に見えないものを読む」

「その話も面白そうなんですが、僕は今どうしたらいいか困ってるんです。王と二人きりで話してからと言うもの、なんだかすごく、モヤモヤしていて……」


 先生は髭を撫でさすった。


「まだ話すだけの時が満ちていないのだろう」

「そうなんですか?」

「その時が来れば、言葉など自然と出る」


 はっきり言い切られて、喋れない俺は少し安堵した。

 フィスさんは続けて聞いていた。

 想像力の必要な、大きな質問だった。


「なんの制約もなく、何をしてもいいとしたら、どうしたい。お前自身が、心から望むことだ」


「俺が、したいこと? なんの制約もなく?」

「そうだ。どんな荒唐無稽なことでもかまわん。まずは腹から出してみろ」


 難しい。

 したいことなんて、今までなかった。


「俺は……」


 ニャイテャッチ。

 美しい景色。

 リリアさんの笑顔。


「もっとたくさんのことを知りたいです。この『世界』のことを」


 先生が渋い顔になるので、答えを間違えたかと俺は思った。だが、この質問に間違った答えなど存在しない。先生が考えていたのは、別のことだった。


「何度かお前の口から聞いているが、その『セカイ』というのは、大陸のことを指す言葉か?」


 なんてことだ。

 このには、『世界』に該当する言葉がなかったのだ。


「いえ、あの、全部です。大陸も、人も動物も。生き物だけじゃなくて、植物も天気のことも。みんながどうやって生きていて、どう関わっているのか、その複雑さ全部のことです」


 世界。

 これをどうやって説明したらいいのか、俺はあたふたと言葉を並べていた。


「便利な言葉だな。『セカイ』か」

「過去のことも知りたいです。教えてください。この世界の人々がここまでどうやって生きてきたか。これからどうなっていくのか、知りたいんです」


 ようやく俺は、自分の考えが掴めてきた。


 俺は、信用できない王様が何か事を起こす前に、この世界が本当に、今すぐ作り替えないといけないほど悪いものなのか知りたいんだ。


 そして必要なら、彼と議論するために、彼を納得させられるだけの知恵をつけたい。


 もしかしたらその途中で、俺の方が意見を変えることもあるかもしれない。


 だけど、何も知らないままではいられない。


 俺の目標が決まった。目的も。

 残された時間は少ない。

 焦ってはいけないが、急がなければならないだろう。


「フィス先生、どうか俺に、力を貸してください」


 頭を下げると、先生は嬉しそうに微笑んだ。

 

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