4月5-6日 不穏な『二手の国』

 今日は、4月6日。日本でいうところの。

 この世界の暦についても理解してきたのだが、日記には依然とし慣れ親しんだ月日で記録しておく。


 しばらく日記がつけられなかったのは、後から書くが、他に熱中するものがあったのと、単純に疲れていたからだ。


 二日前、俺が正式にフィスさんに弟子入りしたあと、何があったのか。そこから時系列に記録していくことにする。


 あの後、暗くなる前に俺だけが『知識の塔』へ帰ることになった。

 先生は『二手の使者』との会談に同席するため、黄金城にもう一泊するのだそうだ。


 来た時と同じように、俺の見送りには秘密の通路を使った。


 ところで城の人たちは、先生をこんなに自由にさせていていいのだろうか。警備体制が心配になる。


 とにかく砂漠に出ると、先生は口笛を吹いた。

 すると、その音に誘われるかのように、野生のロバっぽい生き物がトコトコとやってきた。


 彼が『知識の塔』の迎えの岩まで連れて行ってくれるのだそうだ。

 催眠術にかかっているような目つきだが、大丈夫だろうか。

 案内役は、先生の手から躍り出た、光る蝶。


「先生、なんだか心細いです」


 俺はロバの上から泣き言を漏らした。

 赤く染まっていく荒涼とした砂漠が胸を締めつける。


「心配するな。私は誰より素晴らしい、そう『セカイ最高の魔導士』だ」

「先生の心配なんてしてませんよ……」


 一気に脱力。

 だけど、これが先生流の励ましだったのかもしれない。


「お前には地の精霊がついている。大丈夫だ。何かあればすぐに駆けつける。大事な調査対象だからな」

「……はい」


 最後の付け足しだって、照れ隠しなのかもしれない。


 ちょっと可愛いな……。


 年齢や性別を飛び越えてそんなことを思ってしまったのは、内緒だ。


 淡く光る蝶、若い雄ロバ、背に乗る俺。もうすっかり女の姿に慣れてしまっている、俺。


 岩は前回と同じように、砂漠の真ん中で、四メートルほどの高さを浮遊していた。


 どうしたものかと見上げていると、地の精霊がロープとなって実体化し、俺と岩に巻きついて引っ張り上げてくれた。体も固定してくれるので、落下の不安もない。本当に地の精霊はいい奴らだ。


 岩が浮上する。

 眼下を、暗くなった砂漠を引き返していく蝶とロバ。蝶の淡い光に照らされて、徐々に小さくなっていく。

 幻想的な光景だ。


 忘れていた胸の痛みが戻ってくる。


 行かないで……。


 蝶とロバは、セットでなぜか先生を思わせた。


 俺は自分でも驚くくらい動揺していて、たぶんロープがなければ岩から転がり落ちていたと思う。


 橋に到着すると、ポーチェさんが待っていてくれた。


「お帰りなさい。一人で戻るとフィスから聞いていたんで迎えにきたよ。大袈裟だったかな」

「ただいま……戻りました……。助かります」

「さあ、夕食にしよう。ちょうど時間だよ」


 ポーチェさんはどこまで知ってるんだろう。

 いや、知るわけない。


 俺が別の世界から現れたこと。

 黄金王も、同じように……


 考えてみれば、俺はとんでもないことを知ってしまった。

 この世界を根幹から揺るがすような事実を……。


 そういえば、この世界には『世界』って概念がないんだっけ。


 そんなことを考えながら、茶色いフードのみんなの中に混ざって、中央講堂で夕食を取っていたときだった。


 ヒラヒラと……何かが……


 蝶だ。

 先生の使いの蝶が、どこからともなくやってきたのだ。


 ポーチェさんが素手で捕まえると、小さな蝶は小さな紙切れになった。


「これはきっと君への手紙だ」


 中身も見ずに彼は言った。もしかして、彼にも何か特殊な力があるのだろうか。


 肝心の手紙には、短くこう書いてあった。


「二階の本は好きに読んでいい」


 俺が黒い塔へ走ったのは言うまでもない。

 この世界を知るために、手当たり次第読んでやる。


 そこから丸一日、俺は書斎で寝起きして蔵書を読み漁った。

 たくさんメモも取ったが、日記とは別の話なので【フィスさんの蔵書 読書メモ】のページを作ることにしよう。


 4月5日、夜。

 先生はまだ帰ってこない。


 王と、先生と、二手の国の使者。

 一体何を話し合っているのだろう。


 都市部には不安が広がりつつある。

 いつだったか、先生はそう話してくれた。

 王も対策したいところだろう。


 だけど、ここまで一緒に旅してきて、先生と黄金王では、全然違っていると感じるのだ。


 二人の考えが一致しているとは限らない。

 だって二人は別の人間だ。


 俺は、王の冒険譚も、本人からもっと詳しく聞きたいと思った。




 翌4月6日。

 昼過ぎにポーチェさんが書斎にやってきて、先生が帰ってくると知らせてくれた。


 よかった。

 やっと会える。


 たった一日半で、こんなに恋しく思ってしまうなんて。

 あんな、どうしようもない人なのに。


 とにかく、ポーチェさんが迎えの岩を送り出すと言うので、俺は見学させてもらうことにした。


「そういえば二人はどうやって、地上と塔で連絡を取り合っているんですか?」

「取り合っている、というほどのものではないけど、今回は先生から『迎えがほしい』って蝶が届いたんだよ」


 橋の岩ならどれでも機能は同じらしい。

 先生から届いた手紙に魔法がかかっていて、それを岩に貼り付けると勝手に送り主(今回はもちろんフィスさん)に向かって飛んでいく。


 意味はわかったが、意味がわからない。

 納得するしかないので、「そういうことか」と飲み込んだ。この素直さは美点なのか弱点なのか。


 岩はまっすぐ砂漠に向かって降りていった。

 ちなみに飛行魔法も存在しているのだが、とんでもなく疲れるのだそうだ。


 物体を浮かすというのは厄介なことらしい。「風の精霊に愛された者は何よりも尊い」という言葉があるように、この世界でも空を飛ぶことは至難の業だ。


 さらに余談だが、空飛ぶ大型動物を使役するのはまた別の話になる。ゲームなら「テイマー」と言われるようなモンスター使いたちもいる。

 先生はモンスターと出会ったらどう対応するのか聞いてみたい。


 『知識の塔』は先生を待つ間ずっと『六夜の国』の上空にとどまっていた。時折強い風を受けて揺れたが、棚から物が落ちるほどではない。

 

 バカみたいな話だけれど、俺は橋の上でずっと先生を待っていた。


 すぐ横の分厚い『霧』は、生き物のように不気味にうごめいている。


 先生、無事に戻ってきてくれるだろうか。


 霧を視界に入れないように、身を乗り出さんばかりに橋の下へ意識を集中させていると、ごく小さな黒い点が見えた。


 最初は見間違いだと思ったし、小虫かな、と思ったけれど、違う。

 手で払っても無くならない。どんどん大きくなっていく。

 先生だ。先生の乗った岩が近づいてきているのだ。


「先生! せんせー!」


 出迎えるのは初めてだから、こっちから見ていると不思議な感じだ。透明なエスカレーターが昇ってくるように、先生は直立のまま滑らかに橋上へ到着した。

 

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