4月6日 偉大なる『竜の遺物』

「おう」


 挨拶は、それだけ。

 トイレから戻ってきたくらいの軽さだ。


 その上さっさと自室へ引っ込んでしまう。

 肩透かしを食らったようで、恥ずかしいし、ちょっと不本意だ。


「どうでした? 難しい話し合いでした?」

「そうでもない」

「話せないことですか?」

「いや。少し疲れたから風呂に入って着替えて酒でも飲んだらな」


 俺は母親かというぐらい甲斐甲斐しく、先生ご所望の酒を取りに行った。

 食料は基本的に中央講堂にあるのだ。自宅に貯蔵している人もいるけれど、フィスさんはすぐ腐らせるので取り上げられている。


 酒とチーズと果物を少しもらって帰ってきたが、先生は相変わらずの長湯だった。食卓をセッティングして階段の上から声をかけたら「ああ」とか「ふぁあ」とか返事がきて、先生は宣言通りバスローブ姿で浴室から出てきた。


「さて」と、ついに話が聞ける。が、先生の口は依然重たかった。「なにから話したものか……。まず、『二手』が船で運んでいたものだが、説明が面倒だ。『竜の遺物』だったようなのだが、これは……」

「漆黒竜が眠る前に、世界に撒いた鱗や牙とかのことですよね」


 先んじて答えると、先生は「勉強したな」とニヤリと笑った。

 それから後は、口も滑らかになった。


「遺物は竜の体から離れてなお強大な力を宿している。触れた者が一瞬で灰になったり、街ひとつ消し飛んだという話もある」

「『眉唾』じゃないですか?」

「マユツバ?」


 聞き返されて、俺は言い換えを探した。


「本当かどうか怪しいってことです。ただの言い伝えかも」

「確かに、言われているほどの力はないだろう。だが、ただの石ころと同じというわけでもない」


 おっしゃる通りだ。


「沈んだんでしょうか……それともまだどこかに」

「今どこにあるかより、どこへ持って行こうとしていたかの方が問題だろうな」


 あ。

 そうか。


 言われてみればそんな危ない物、どこからどこへ運ぶつもりだったんだ。


「『二手』から出た船だったんですよね?」

と、俺は確認した。


「ああ。そこからすべての国に寄港し、大陸をぐるりと回る予定だったらしい」

「それなら、少なくとも、二から五の間に乗せて、六より先に運ぶはずだった……」


 独り言のような俺の意見に、先生は「そういうことだな」と同意して二杯目を飲み干した。


 俺たちは黙って、しばらく物思いに耽った。


「ちなみに」と、俺の方が先に口を開いた。沈黙に耐えられなくなったというより、単純に疑問が浮かんできたのだ。


「竜の遺物は高価ですか? ただ売るつもりだったとか……」


 まさかと思ったが、可能性を排除するためにも聞きたかった。

 だが、返ってきた答えは予想外の問題点をはらんでいた。


「とてつもない高値で取引されている。だが『黄金の国』設立以降、見つけ次第『永久監獄』に保管する決まりになった。つまり売買禁止。王にも知らせねばならない」

「それじゃあ、『二手』のしたことは反逆罪に当たるのでは?」


 つい声を大きくしてしまった俺を諌めるように、先生はチーズをつまんだ指を立てた。


「証拠がないからなんとも言えん」


 それから黄色いそれを口に放り込んだ。


「だが黄金王は憤慨している。決まりが破られれば、すべて駄目になる、と」


 仕草の気軽さに反して、話は重い。

 先生は立て続けにチーズを手に取るが、俺はとても喉を通らない。


「遺物を保管するのは、争いに使わせないためですよね」

「ああ、そうだ」

「他にも武器になるものってたくさんあるのでは?」


「ある」

と、先生は強く肯定して、続けた。

「だが、大体のものは打ち消しの存在があって均衡が保たれる。しかし漆黒竜はただ一人だ。それが動けば誰にも止められない」


 背中にぞくりと、嫌な感覚が走る。


「また戦いが起こるんでしょうか……」

「さあな」


 先生はまるで他人事という様子で、だらりと足を伸ばした。

 俺は二手の国の使者が心配になった。


「今回はどう決着したんです」

「『二手』の言い分では、彼らが儲けているのに嫉妬した『六夜』の仕業だと」


 先生は足を引っ込めて座り直した。


「表向きの言い分にしかすぎんがな。『六夜』の連中が僻んで積荷を奪って沈めたと推論を述べてきた。もちろん黄金王は突っぱねた。そんなことはあり得ない。荷物も人も頑張って引き上げただろ、感謝しろと仰った」


 その読みが正しいのか、俺にはわからない。だが……。


「もし本当に積荷が竜の遺物なら、『二手の国』は引き下がるしかないですよね」

「まさに引き下がった。感謝の言葉を述べてな。だが『二手』は『一岩』同様、黄金王を認めていないと良くわかった。彼らは竜の子孫だという自負がある。それに弟を……」


 先生はそこで、一度言葉を止めた。


「六夜の王を殺した彼を、許すわけにはいかないだろうからな……」


 え?

 なんだって?


 六夜の王を、殺した——……?


 コガネザキさん、なんてことしてるんだよ!


「先生は、黄金王の味方なんですよね?」


 もしそうなら、先生だって『二手』たちに敵対することになる。危うい立場なんじゃないのか?


「私は誰の味方でもない」

「それは……なんか、ずるいですよ……」


 思わずむくれてしまった俺に、先生は言い直した。


「いまはまだ、決めかねている」

と、三杯目の酒をグラスに注いで。


「黄金王には、今まで出会った誰とも違う力を感じた。良い統率者になると信じて、ここ数年、力を貸してきた。彼も私を『中立の者』と呼んで信頼してくれている。だが……」


 先生は、ダークグレーの瞳をじっと俺に向けた。


「『この世界』の誰とも違っていて当然だった。『この世界』の者ではなかったのだから」


 覚えたての単語を駆使して、先生は心情を語ってくれた。


「だから、今度はきちんと、彼自身の内側を見極めようと思っているよ」


 そして指を一振り。

 俺は男に戻った。


「え! 今!?」


 戻ったはずなのに違和感があるほど、一瞬の出来事だった。もらった下着が男女兼用のものだったので助かった。助かってないけど。


「なんで今なんですか?!」

「今思い出したからだ」


 ああ、だめだ。

 やっぱりどうしようもない。


「……もういいです。それで、これからどうするんですか? 王様命令の調査旅行は続行で?」

「ああ、それはそれで楽しいし、なにより協力していることにすれば、費用は黄金王持ちだからな」


 なんて人だ。

 三杯目もグイッと空にしちゃってるし。


「よい旅のためにも休息が必要だ。出発日は追って知らせる。数日休め」


 その提案には大いに賛成だ。

 先生は自室で休み、俺は中央講堂に部屋を用意してもらった。講堂の七階の部屋で、外の景色がよく見える。


 明日はポーチェさんの助手として、塔を見て回ることになった。

 とても楽しみだ。

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