3月25日② ふたり旅することになりそう

 途中から小説みたいな書き方になってしまった……。

 俺はただ起きたことを正確に、その時の自分の気持ちを含めて書いておきたいだけなのに。


 とにかく、気がついた俺のところへ、さっきの銀髪ロン毛でヒゲのおじいさんがやってきた。


 この人こそが、フィス先生だ。

 けど、まだこの時は、俺は疲れて、混乱していて、ぼーっとなっていた。


 その顔を見るや、あの女性を思い出した。

 彼女はどこへ消えたのだろう。


 やっぱりこのおじいさんが……いや、まさか。

 それとも見間違い?


 でも、あの盗賊みたいな連中だって美女だと思っていたのだから……


「目を覚ましたか、サトー」

「は、はい」


 どう振る舞っていいかさっぱりわからない。だいたいここ、どこ国なんだ?


 現代でも外国でもないことくらい薄々気づいているのだが、それでもワンチャン、アフリカ大陸の端とか、ハリウッドの映画撮影中だったりしないだろうかという、ありもしない期待を抱いていた。


 というか、言葉が通じてるの、なんでなんだ?


 このとき、俺の頭の中は疑問でいっぱいだった。

 でも何を聞いても解決しない気がして、質問さえ出てこなかったのだ。


 フィスさんはヒゲの中で微笑んだ。


「よほど混乱しているようだな。ここがどこかわかるか?」

「いえ全く」

「そうか」


 フィスさんはローブの腰紐に提げていたメモ帳(の、ような物)を手に取った。どう考えても現代じゃない。

 と思ったら、どこからともなく彼の手の中に羽ペンが現れて握られている。どう考えても知ってる世界線じゃない。


 魔法がある、もしくは奇術師ということでいいのだろうか。

 奇術師ならなんとか同じ世界だと言えるけど。もはやそうやって考えることが無駄な足掻きに思えてきた。


「身なりからして君は奴隷だったようだ。足枷の跡もある。船が壊れて外れたのだろう。本当に幸運だったな」


 嘘だ。

 ビルから落ちて死んだはずなのに、奴隷として生き返るなんて。だけど、社畜の俺にはぴったりの第二の人生かもしれない。この、得体の知れない中世みたいな世界で……


「もう一度、名前をいいかな」

「さとう、たくまです」

「めずらしい……不思議な響きだ」


 このとき、確かに自分でも不思議に思ったのだ。

 耳から聞こえる自分の声に自信が持てなくなっていた。


 もう一度、己の声帯を確認したくなったのか、俺の方からおじいさん質問していた。

 ずっと気になっていた、アレの話だ。


「あ、あの、フィスさん……ですよね?」


 一応、まずは名前を間違えていないか恐る恐る呼びかけると、全く当然のように「そうだ」と返されたので、俺は続けた。


「浜辺で見かけた女性は……」

「私だが?」


 これまた、さも当然だと言わんばかりに、ひとつも表情を変えずに返答がきた。


「ど、どういうことですか?」

「変化の術だ。私はどんな姿にでもなることができる。私の肩書は呼ばれるままに言えば『学者』であるが、名乗るのであれば『魔導師』と言いたい。お前が驚いたのも無理はない。なにしろあの術を習得したの史上三人だけなのだから」


 立て板に水の如く演説されたのち、一拍の静寂。

 俺は咄嗟に、社内で上司に使うご機嫌取りを繰り出した。


「それはすごい。すごい人に助けていただき、まさに幸運です」

「そうだろうな」


 フィスさんは、まるで賛辞を待っていたように鼻を鳴らした。

 

 ……面倒臭い人かもしれない。


 俺の、先生への最初の感想は、これだった。

 そして今でも、それに間違いはなかったと言える。それ以上に思うことはあるけれど、先生はずっと変わらず、とても面倒な人だ。


 話を戻そう。

 そこへ兵士らしい人が駆け込んできた。


「先生! もう馬車が出ますよ!」

「そんな時間か……」


 先生と呼ばれたフィスさんは、慌てる様子もなく俺を振り返り、そして上から下まで繁々と眺めてきた。

 無遠慮な視線が俺の全身を這い回る。嫌な感覚だ。


 彼は、さっと兵士に向き直った。


「予定を変更する。私は帰らない。王には次の調査へ出かけたと伝えてくれ」


 兵士はぎょっとなって、なんとか考え直させようと慌てるが、その言葉は虚しく小屋に響くばかりだった。フィスさんが無情にも彼に背を向け、兵士は諦めて、肩を落として出ていった。


「サトー」と、二人きりになると、フィスさんは俺に提案してきた。「お前も来なさい。行くあてもないだろう」

「え……行くってどこへ?」


「私はこの国に住む人々の、その生活様式や人数などを調査する任務がある。ここ数日は、今朝話したように、難破船の救助活動を手伝っていた。通訳が必要なこともあるからな」


 彼が話している間に、いかにも村人Aという風体の年配女性が気配なく入ってきて、俺のベッドに服を置いて去っていった。

 フィスさんは、彼女に軽く手を挙げて礼を伝えた。


「もちろん死者も大勢出た。しかしなにより漁師たちが漂着物を持って行ってしまうので、そこに難儀した。漂流物を持ってきた者に謝礼を渡してみたが、それでも多くが闇市に流れただろうな。昨日になって『二手の国』から貴重な品を運んでいる商船だったなどと書簡が届いて……」


「あの、これは……?」

 流暢な演説に痺れを切らして、俺は服を引き寄せて聞いた。


「うん。それも漁師が拾ってきた漂着物の一部なのだ。お前の物だったかもしれんし、死んだ誰か物もかもしれんが」


 俺はゾッとなって服を放り出した。


「嫌なこと言わないでくださいよ」

「ははは、すまん」


 思わず口をついて出たツッコミを笑ってもらえて、それで俺はフィスさんに心を許せるような気がした。


 近くで見ると、そんなに老けてもいないようだ。白髪のように見える髪も、正真正銘キラキラ光る銀色だった。


「一応言っておくが、新しい物をと頼んだんだ。だが村人にしぶられた。まあ仕方がない。こんなご時世だ」


 どんなご時世なんだ? と、大きくてごわつくシャツを被りながら思った。


 下着はなく、今で言えばバギーパンツのようなブカブカのズボンを腰紐で絞る。靴下はただの布袋という感じで、靴も柔らかな革の袋だ。

 最後にシャツの上から腰の辺りを革紐で留めたら完成、したと思う。


「歩けそうか?」


 歩けなかったらおぶってくれるとでもいうのだろうか。あなたならできそうですけど。


「たぶん大丈夫です」

「商人の馬車がしょっちゅう通るから、それに乗せてもらって街へ行こう。遠くはない」


 スタスタと歩き出したフィスさんの後ろを、よたよたついていく。

 小屋を出たら、兵士たちが慌ただしく帰り支度を進めていた。馬車に荷物を積んだり、テントをたたんだり。


 視線を遠くへ投げれば、はるか彼方まで平原が広がっている。


 そのとき、俺は何かを思った。

 思ったというか、「感じた」に近いかもしれない。


 目の前に広がる、見たこともない風景。

 だいたい俺は、ほとんど家と職場の往復で、旅行にだって出ない。こんな風景、本当に、夢でも見たことないんだから。


 胸が、ぎゅっと締め付けられた。


 そんな感じ。

 うまく表現できない。

 寂しかったってことなのだろうか。


 とにかく俺は、本当に知らない場所にきてしまったんだ。

 そしてここで生きていくんだ。


 前をいくフィスさんは、通り過ぎざまに樽の上から茶色いフエルト地のマントをかすめとると、「寒いだろう、これを」と、俺に投げてよこした。


 手癖悪いな……。


 確かに寒い。

 ありがたく体に巻きつけながら、俺は心の中で呆れた。


 これからこの、面倒臭いと一緒なのか……

 俺は一体、どうなってしまうんだろう……

 

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