4月3日④ 先生の取説的な

 一番下に来ていたチュニックシャツ一枚で風呂から出ると、先生は机に向かって頭を抱えていた。


 早く男に戻してもらえませんか。


 そのつもりで声をかけたら、「しっ」と制止されてしまった。メモを書きつける手は止まらない。


 こうなったら、放っておくしかない。

 俺は床のクッションに腰を下ろして日記を見直すことにした。


 しばらくして、ポーチェさんが着替えの服を持ってきてくれた。彼とお揃いの茶色いローブとフードだ。ウールかな。

 この世界の服はどれも動物の毛を加工したものが一般的だ。植物からの加工技術はそんなに高くないのかもしれない。


 物思いに耽る先生を置いて、俺はポーチェさんと外へ出ることにした。


「君が旅に同行してくれるって聞いてすごく安心したよ」

と切り出されて、俺はなんと答えていいのか言葉を失った。


「フィスは偉い学者さんだしすごい魔導士だけどな、俺に言わせりゃ子どもと一緒さ。没頭すると周りがすっかり見えなくなる。これからもどうか彼を頼むよ」


 そう言われても、どうしたらいいのか……。

 戸惑う俺に、ポーチェさんがフィス先生の扱い方を伝授してくる。


「熱中している時はほとんど周りの音が聞こえてない。どんどん引っ張って行っていいんだよ。手綱を引くみたいに」

「そんなこと、できませんよ」

「大丈夫、フィスは自分がそういう性格だってよく理解しているから、怒ったりしないよ。不機嫌な声は出すかもしれないけど」

「でも……、僕は先生を自由にさせている方が気が楽です」


 長年の経験者が言うのだから間違いないだろう。

 だけど、それは俺のやり方ではない気がした。それに、今の状態をちょっと面白くも感じている。


 ところがポーチェさんは、思いのほか真剣だった。


「何かあってからじゃ遅いんだよ。あいつは長距離馬車で乗り過ごして、大陸を半周したことがある」


 うっ……、そ、それは……


「……気をつけます」




 それからポーチェさんの案内で、『知識の塔』を少し見て歩くことになった。


 塔は大陸を反時計回りにゆっくり移動していた。

 小回りは利かないし速度も出ない。おまけに風の影響も受ける。それでも地上をいくよりずっと早く、自由に移動できる。


 ひとつひとつの塔は、それぞれ個性的で、色も形も異なる。塔というには低すぎる三階建くらいのものもあった。


 度重なる増設のせいで建物全体の中心からはやや外れているが、『中央講堂』と呼ばれる大きな塔があった。


 ここは全員が集まる時に使ったり、ポーチェさんのような世話係の人や、ここに住もうかと内覧に来ている魔導士たちが生活する場所だという。俺も長期滞在になったら、ここに泊めてもらうことになるようだ。


 講堂の一階は天井の高い広間で、壁沿いにぐるりと椅子が並んだだけの簡素なものだった。このときは数人が楽しそうにヨガのような体操をしていた。誰もが自由に使えるのだそうだ。


 部屋の奥には螺旋階段が二つ。どちらも上下に伸びている。


 二階は広いLDKという感じで、手前にソファや本棚、その先に大きな食卓とさらに奥には土間のようなスペースが見えた。


 二階に土間って……。


 いや、そもそも塔が浮いているのだから、トカゲに浄水してもらおうが二階に土間があろうがどうでもいいか。


 茶色いローブのお手伝いさんが男女五人いて、ちょうどお昼にするところだったという。俺たちも混ぜてもらって、パンとチーズ、野菜スープに薄いワインと、リンゴのような果物を二つもらった。


 みんな口々にフィスさんの逸話を話してくれたが、それは別のページにまとめて書くことにする。


 彼の物語を書くのも面白いかもしれない。


 こうやって日記をつけるようになって、自分は意外と文字を書くのが早いとわかった。記憶力もいいみたいだ。


 忙しいみなさんの手を煩わせないように、俺はフィスさんの所に戻って時間を潰すことにした。


————


 太陽と逆回りに飛行する『知識の塔』を、大きな夕陽が照らし始めた。


 窓から差し込むオレンジの光に気がついたサトーは、急いで部屋を出て、進行方向へ眼を凝らした。


 少し高度が下がったようだ。『六夜の国』の荒野を行く動物の群れが見てとれた。思ったより風が強い。彼はたなびくローブを押さえながら無意識に、流れていく景色の中に自分が通ったであろう道を探していた。


 行手に山のようなシルエットが見えてきた。沈む太陽の最後の煌めきを反射するそれは、大きな街だった。


 


 間もなく黄金城が見える。


————


 小説風に書いてみようと思ったけど、俺には難しいかもしれない。


 黄金城の城下町に見惚れていると、正装したフィスさんがやってきた。その姿に、俺は目を奪われた。それはもう、すごく立派な先生様って感じだったのだ。


 絹のように滑らかな白いローブが、銀の髪と地続きのようにキラキラ光を反射している。金の糸で花や鳥が刺繍された、地面に届きそうな濃紺の長い布を肩にかけていて、司祭のような雰囲気だ。


 俺が服や髪を強風に弄ばれているというのに、先生のそれはちょっと揺れるだけ。魔法がかかっているのか?


「サトー、忘れものだ」


 先生が空っぽの手を向けてきたので不審に思うと、俺のローブに花が咲いた。地の精霊だ。オレンジ色の刺繍が、ぐるりと裾を縁取っていく。


 あっという間に、立派な先生の隣に並んでもなんとか遜色ないくらいの格好になった。なんとも不思議でありがたい。


 感動している俺に、先生からの訓戒があった。


「下に降りたら、フードをしっかりかぶっていなさい。城の連中は鼻が利く」


 異世界人について、その存在を知る者がいる、ということだろうか。

 俺は言われたとおりにして、先生の後ろにピッタリとついて歩き出した。


 塔を降りるのは、来た時と同じ方法だった。石橋の中央あたりに立つと、足元の岩が音もなく動いて、俺たちを乗せて下降しはじめたのだ。


 先生は慣れたもので棒立ちだったが、俺は落ちやしないかと気が気ではない。思わず先生の腕にしがみついた。


 ジェットコースターより怖い。シートベルトもないし。


 岩は浮力があるせいか地面には接地せず、4メートルほど飛び降りる羽目になった。もちろん先生が抱えてくれて、俺は叫ばないように堪えていただけ。

 

 岩が飛び去るのと同時に、迎えの馬車が現れた。

 先生と一緒にいると、大方のことが時間ピッタリ、オンタイムだ。


 彼らは先生が使いに出した光の蝶に案内されてきたのだそうだ。蝶は俺たちの周りを一周して消えた。


 馬車に乗ったら、そこから先は早かった。

 ただし城下町を間近に見られるかと期待していたのに、それは叶わなかった。街を囲む高い塀の外から、地下を抜ける隠しトンネルに入ってしまったので、次に日の目を見たときには、城の庭先だったのだ。


 とにかく、俺は黄金王の城に来てしまった。


 きっと身分が高いと思われる人たちに恭しく迎えられ、絢爛豪華な客間に通される。今夜はそこで一泊。王の謁見は明日の朝、ということだ。


 先生は終始堂々と背を伸ばし、誰に対しても顎を下げなかった。そうかと言って偉そうな態度ではなく、まさに高位の学者といった雰囲気だ。


 頼り甲斐ある大人って、こういうことを言うんだろうな。

 俺もそうなれるだろうか。


 絶対内緒だが、ちょっとかっこいいなと思った。


 俺ってチョロいな……。

 

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