第13話
「おかえり、ヒーロー」
「誰がヒーローだ。ただの労災だよ。負傷手当代わりのクリスマスプレゼントってやつだ」
若本木則夫と野津田健次郎が起こした事件から一年、リハビリを経てようやく職場復帰を果たした俺は、初日にナゴヤ警察本部での表彰式の壇上にあがった。中岡隆盛たっての希望だったとはいえ、捜査一課や公安の案件であろう場違いな山を割り当てられ、それでも結果を残したところが評価に繋がったらしい。そのうえ結果だけをみればスピード解決だ。実際には口止め料代わりと言ったところも多分に含まれている気もする。ともあれ朝礼から続けて執り行われた式典は思いのほか早い時間で終わってくれたうえ、式の後は午後までの休みをもらえていたので一度帰宅し、あらためて出直してきたところである。これからいよいよ現場復帰だ。そういうわけで本部庁舎三階の長い廊下をホームフロアである端の捜査二課へ向けて歩いていた。二〇〇メートルはある直線、東側に連続する窓も西側に見える各種フロアの壁もそれらへの入口のドアもどれも特別なものではない。けれど復帰直初日はいつもどれも新鮮に感じられる。もう何度も行き交ったはず廊下なのに。
ところで俺が廊下を半ばまで進んだところで、にんにくの臭いをまき散らしながら後ろから声をかけてきた眼前の小太りな男は、捜査一課における俺の数少ない味方、同期の宮前野守である。警察官になったばかりの頃は互いに顔も知らないほどに交流がなかったのだけれど、七年前に俺が婚約者だった森木東明里を失った事件に見舞われるなり声を掛けてくれ、誰より親身になってくれた。精神的に参っていた時期にスマホの妖精以上に傍らで支えてくれたのだ。大学ではアニメ研究会に所属していたなど、その時にいろいろと話を聞いたことを覚えている。お互いに同期だと知ったのも、その時だ。そして知る人ぞ知る台湾ラーメンの隠れた名店『味閃』を紹介してくれたのも、この男だった。にんにく増し増し激辛ラーメンとにんにくチャーハンのセットが絶品。おそらく昼にそいつを食べてきたのだろう。この寒いのにうっすら汗までかいている。見るからに妻帯者という出で立ちで、実際に三児の父にして警察官という日本国民のお手本のような男だ。ひょうきんで愛嬌があり、捜査二課だけでなく、相性の悪いあちらの部署ともこちらの部署とも上手くやれる稀有な存在ゆえ『ミスター緩衝材』と呼ばれている。
「クリスマスプレゼントがクリスマスプレゼントを贈られるとは、これ如何に?」
「うるせえよ! ……っで、なんなんだよ?」
「ええっ、石平さん? そりゃあないでしょう? 俺たちの仲なのに? そんなに嫌そうな顔をしてくれるなよ?」
「誰が石平さんだ。気持ち悪いから急に『さん付け』はやめろ。ったく、これが職場以外だったら警戒せずに話を聞いてやれるんだがな。お前のことを嫌ってるわけじゃねえが、なにせミスター緩衝材の宮前野守だ。そんなお前が話をしに来たってことは、なにか裏があるんだろう?」
「さすがは心の友、察しがよい」
「誰が心の友だ。その顔を見りゃあ俺でなくたって察しがつくってもんだ」
復帰早々、嫌な予感がした。なにせ毎年のことなのだ。直後に面倒事に巻き込まれるのは。俺の身体はいつから難事件に対し、誘蛾灯の性質を宿してしまったのか。明里の言葉が蘇り、長く伸びる廊下の先が前も後ろも暗闇に包まれているような錯覚に陥る。進退窮まれり、となることを暗示されているようで堪らず溜め息が漏れる。
「……言っておくがな、宮前野。今年こそは石平彰『エピソードⅦ』、サブタイトル『無傷の帰還』を上演予定なんだ。悪いが面倒そうな案件はマジで断わらせてもらうぜ?」
「残念ながらもう決定しちゃってるんだよね」
「なにがだよ?」
「石平さんといえば人工知能、人工知能といえば石平さん。だろう?」
「なんで担当が決められてるんだよ!」
「そりゃあお前、警察ってのは役割分担がはっきりしている組織だからだよ。刑事ってのは個々がなんでも出来るわけじゃなく、個々がなんでも捜査するわけじゃない。それぞれの捜査にそれぞれの専門性を必要とする、いわゆるエキスパート職だ。殺人事件となれば俺たち捜査一課の出番だし、この前みたいな宗教絡みの面倒事は本来なら公安の管轄だ。っで、石平さんの所属する捜査二課のご担当は?」
「なんだよ、今さら? うちは脱税や詐欺って感じの知能犯相手が主戦場だよ。って、そういうことじゃねえ! 縦割り組織だなんだは身に染みてわかってんだ。そうじゃなくて、なんでうちの担当になるんだって話をしてるんだよ!」
「どう考えてもお前らの担当じゃないか?」
「なんでだよ?」
「捜査二課は『知能犯』の担当なんだろ? それすなわち『人工知能』の担当って言っているようなもんじゃないか?」
絶句した。なんという強引な押しつけなのだ。それでいて一瞬、ほんの一瞬だけれど、そうかもしれない、と思い込ませてくるあたり、さすがは宮前野である。その一拍の間で勝負あり。
「……マジかよ? 今後は人工知能絡みはうちの案件になるってのか?」
「逆にそうと決まってなかった今までがおかしいんだよ。今年度からそういうことになってるから、そのつもりでな。ちなみに人工知能絡みは二課だ。もちろんな。でも、お前はちょっと違うみたいだぞ? どこぞのヒーローの担当は人工知能『人間』絡みと決まったらしいからな」
「……嘘だろう? 冗談きついぜ」
見渡す限り窓の閉じられている本部庁舎の長い廊下へどこからか冬の寒気がスパイよろしく忍び込んでくる。俺は思わず背筋を震わせた。羽織っているカメレオンコートの前を反射であわせる。中岡の遺品を譲り受けたのである。無拡張者の俺には行く先々で指示を出してコートの色を変えることはできない。ゆえに組み込まれている色彩確定のプログラム自体を少々修正してもらっている。もちろん中岡が使っていた時と同等となるようにお願いをして。すなわち周囲に映える色でなく、周囲に溶け込む色を自動的に選択してくれる。まさしくカメレオンである。
「まっ、そういうわけでいろいろと大変だろうけど後は任せたぜ?」
「大変そうって、なにがだよ?」
「……お前、もしかしてまだ聞いてないのか?」
「なにをだよ?」
「ご愁傷さま。お前が療養中に決まったんだよ。中岡隆盛刑事の後任のヒューマノイドロボットの配属先が。もちろん捜査二課だ。そして言わずもがな、ヒーローのバディだよ。お前の復帰にあわせて、今日あたりから来るんじゃないか?」
再びの絶句。文字通り言葉に詰まった。復帰した俺の今日からの相棒がまたしても人工知能人間だと言うのか。前回の事件を思えば、しばらくは人工知能相手は遠慮したいのが本音である。二課の誰もが敬遠した結果、欠席裁判で俺にお鉢が回ってきたのだろう。なまじ前回の事件で結果を出したテイとなっているのも災いして。
「あっ、でも、朗報の方はもう聞いているんだろう?」
「……朗報?」
言葉の響きとは裏腹にどうにも嫌な予感しかしない。知っているくせに、という眼前の男の嫌らしい笑みが尚さら不安を掻き立ててくる。
「ほら、早く行けよ。香菜ちゃん、二課で待ってるぞ。ようやく一緒に仕事ができるな。異動が決まったって小躍りしながら桜の時期にデスクの引っ越しをしてたけど、肝心のお前がずっと休職中だったもんな」
小太りの友人に満面の笑顔で小突かれるも俺からしたらまったく笑えなかった。入院中は一日も欠かさず見舞いに訪れ、自宅療養になってからも土日のどちらか、週に一度は正面切って様子を確認しに来ておきながら、花澤木香菜は一言もそんなことを言わなかった。俺の復帰前に話をしたなら、あれこれと手を回し、俺が二課以外で復帰しようとするかもしれないとでも考えたのだろう。良い読みだ。まったくもって、そのとおりである。
「俺も厳重に口留めされていてさ。サプライズにしたいからって。だからずっとウズウズしてたんだ。ようやく黙っている必要がなくなったぜ」
「……仰天サプライズだよ。今の今まで知らなかったからな」
「ええっ!? ちょっと待て! 俺が先に言っちゃったのか? やばいじゃん! 香菜ちゃんに怒られちまう! ちょっと、おい、石平っ! 今のはなしだ! 知らなかったことにしてくれ! 頼む!」
「面倒な事になるから俺は余計なことはいちいち言わねえよ。口留めの理由もサプライズってのは表向きだろうしな」
「……表向き? まあ、なんにせよ助かるぜ。それじゃあ後は頼んだぞ。ああ、それと、これは友人としての忠告なんだが……職場ではあまり夫婦漫才をするなよ?」
「誰がするか! って、頼んだ? 任せた? ……待てよ、宮前野。お前、何か隠してるだろ? サプライズのネタバレ云々は今々のことだが、その前から後を任せた的なことを言ってたよな? しかも人工知能や香菜が二課に配属になるってのは単なる人事異動だ。一課がうちに何かを頼むようなことでもねえ。ってことは他にまだあるんだな? うちにわざわざ頼む必要があるような何かが?」
「あらっ、気づいちゃった? 腐っても元刑事ってこと?」
「誰が『元』刑事だ。現役だろうが!」
「いやはや、さすがは同期の出世頭の石平さんだよ。一年ぶりでもそういうところに気がついちゃうんだもんな」
「だから、誰が石平さんだ。いつまでもふざけてんじゃねえ。っで、なんだよ? お前らが頼みたいことって? 頼みたい案件ってことか?」
「ああ、そうだ。頼みたい案件だ。まあでも二課にっていうよりもお前にって感じだし、既に決定事項なんだけどな。だから言っても言わなくても同じで、今日は本当に復帰したお前の顔をちょろっと見に来ただけだったんだが……聞きたいか?」
「……言えよ。気になるだろうが。どんな山なんだよ?」
「ついこの前、イレギュラーな事件が起こってな」
「……ったく、この師走って時期は毎年毎年……っで、面倒なやつなのか?」
「人工知能絡みの殺人事件だ」
「人工知能絡みの殺人事件?」
「そうだ。今年度から人工知能は捜査二課の担当に決まったって話をしただろう? でも殺人事件は捜査一課のままなわけだ、もちろん。となると今回の人工知能絡みの殺人事件はどっちの山なんだ? ってことで一課と二課で喧々諤々しちゃってな」
「……っで?」
「よくよく調べたら幸か不幸か人工知能『人間』まで絡んでるって話じゃないか。そこで俺の活躍により、めでたくクリスマスプレゼントにクリスマスプレゼントを進呈できたってわけだ。俺だって時にはプレゼントを贈る側になりたいからな。心の友として」
「やっかいな山なんて贈られても嬉しくねえよ!」
「まあ、もうお前の担当で決まっちゃったしな。ってことで後は任せたぜ。なにかあれば俺も協力するからさ。あと、さっきの件はマジで香菜ちゃんには聞いていないってテイで頼むぞ。ちゃんと自然な感じで驚いてくれよ」
言い残すなり宮前野は色を失った廊下を足早に立ち去っていく。中央で折り返し、二課とは反対の一課の方へ。そして暗闇へ吸い込まれるように姿を見えなくした。同期の友人が呆然と立ち尽くす俺を振り返ることはなかった。軽く右手を上げ、手首から先を数回振っただけで。にんにくの臭いが薄れるのにあわせ、一人残された廊下はぐっと冷え込みが増して感じられ、外は雪でも降っているのではないかと思わさせられた。しかし視界に映る空は珍しく青く、家を出る前にスマホの妖精に聞いてみた天気予報の結果も今日はこの季節にしては暖かい一日になるといったものであった。俺の体感だけが狂っているようだ。おそらくは恐怖に。またしてものこの時期の人工知能人間絡みのイレギュラー案件である。詳細を聞く前から嫌な予感しかしてこない。
「……復帰一発目がまたこんな感じかよ?」
俺のつぶやきは本部庁舎の長い廊下の奥へ小太りの男に続いて消えていった。
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