第15話
「あなたの位置は常に把握しているのよ、私は」
悪戯っぽい森木東明里の声が淹れたてのコーヒーの香りを運んでくる。ゆるりと首を傾けて微笑んでいた。ダイニングテーブルに左の手で頬杖を突きながら。右手には彼女の頬のようになめらかな白磁のコーヒーカップが摘ままれている。完璧すぎる。口元のホクロが隠されてしまうと整然とした印象がぐっと増し、本当に彫像か何かに見える。
「そうか」
「いいの?」
「構わないが?」
「……つまらないわね。プライバシーの侵害だなんだって怒らないの?」
「別に腹が立たないからな」
「彰……本当に人間よね?」
「当たり前だろう。そもそも今はいつだってドローンに見張られている時代じゃないか? 『お天道様が見ている』あらため『ドローンが見ている』もしくは『人工知能が見ている』ってな。人間が見ていなくても他に見ているものが大勢いる。見られている前提で行動しているさ」
「監視されている前提で動いているの? そんなの疲れない?」
「もちろん疲れる。だから俺は外出嫌いな出不精なんだ。単純に人混みが嫌いってのもあるけどな。まあ、しかし、そうだな。人工知能はさておき赤の他人から監視されていたなら俺も多少は不快に思うだろうな。でも、まあ、明里からなら問題はない。明里に知られて困るような位置情報じゃあないからな」
「人間らしく浮気の一つでもしてみてよ」
「お前は浮気をしても怒らないタイプなのか?」
「めちゃくちゃ怒るわよ。下手をしたら殺してしまうかも?」
こういう台詞を真顔でさらっと言ってのけるところが森木東明里の恐ろしいところだ。天然なのか、計算なのか。そのすっきりと整った顔立ちが余計に嘘か真かを判別しにくくしてくる。
「今、ちょっと怖いと思った?」
「ちょっとな。明里なら本当にやりそうだし、やれそうだから。なんせMENSAが誇る天才科学者だからな。医療用ナノマシンの権威でもある」
「やれそう? やれそうって何を?」
「完全犯罪」
「やらないわよ! 私を何だと思っているの!?」
「冗談だよ。怒るなって。っで、なんでそんなことを聞いたんだ? 位置情報がどうとかこうとか? 研究の関係か?」
「怖がらせたかったのよ、彰のことを」
またなんでそんなことを。それが表情に出ていたのだろう。質問を口にする前に明里が続けて回答をくれるので、俺は彼女の淹れた正確無比なコーヒーを開いた口へそっと運ぶ。今日も同じ味だった。微塵の揺らぎも感じられない。彼女が煎れるから均一なのか、彼女が煎れたからそう感じられるのか。白衣を纏って実験よろしくメスシリンダーで分量を量り、サーモグラフィで温度管理しながらコーヒーを煎れる森木東明里がイメージされる。
「人間はね、真に恐ろしいと感じるものを目にした時にそれを無視することはできないの。取り得る行動は二つに一つ。従属してその庇護の元に加わるか、敵対してそれを廃除しようとするか。どうにかしてその恐怖から逃れようとする。だから無視することだけはできないのよ」
「どこかの偉い先生の論文か?」
「古い漫画に出てくる台詞よ。アニメ化もされていたかな?」
「……漫画かよ。まあ、でも、わざわざ怖がらせないでも俺にとって森木東明里のやることはいつだって無視できないものだよ。そもそも明里そのものが無視できない存在だからね。いろんな意味で」
「いろんな意味では余計よ、石平彰刑事。それに私のやることを無視できないって言う割には、今のは反応が薄かったじゃない?」
「位置情報の把握ってのは意外性がなかったからな。本当か冗談かはさておき、もし本当だったとしても明里ならそれくらい簡単にやれそうだし、なによりやりそうだろう? 驚きがないからな」
「やりそうって、やらないわよ! 彰は私を何だと思っているのよ!?」
その時はまだ、俺は彼女を人間だと思っていた。
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