第14話

「それでは午前中に私が整理した情報を共有させていただきますね。本件の──」

 俺が無拡張者であることを把握している香菜が当然のように言葉での情報共有を始める。

「──重要捜査対象は、現在、日本で稼働している一九体のヒューマノイドロボットのうちの一体、X型人工知能搭載ヒューマノイドロボット『XFW04012005』、個体名『梅原田うめはらだ裕一ゆういち』です」

「……ああっと、早速の説明を助かるよ。しかしちょっと、その……な? それよりも前に確認したいことが山ほどあるんだが? っと、さらにその前にだ。まずもって数がおかしくなかったか? 人工知能人間の?」

 先日発表された総人口はおよそ九四一五万人だった。国際法に則って単純計算すれば、日本には一八八三体までのヒューマノイドロボットが導入できることになる。ほとんどの国が製造限界までの開発に踏み切る中、その半分どころか一〇〇分の一に届くかどうかの僅かな数しか導入していない日本は異質だった。世界最大の高齢化大国特有の保守的な国民性からか、好意的に受け入れられる人間が少なく、逆に過激な反対派が多いのだ。どうにも合理性や国益のそろばん勘定だけで制御できないのが国民感情というものらしく、ドローンを飛ばして洗脳電波でも流さなければ現状は打破できまい。ゆえに日本政府はやむなく二〇体前後のラインでの運用を続けている。

「この前の中岡と野津田で……」

「了解です。それじゃあ説明させていただきますね、ここ十年間の推移を」

「……悪い。頼む」

「まず十年前の時点では二〇体のヒューマノイドロボットが存在しました。そこから変わらず運用されてきましたが変化が訪れたのが去年です。日本は『XNT08181982』こと中岡隆盛と『XGY28122023』こと野津田健次郎の二体を失いました。この時点で一時的に一八体に減ります。しかし、今年──」

「追加されたのか?」

「はい、そうです。『XFW04012005』こと桜木さくらぎあやがあらたに導入されました」

「この日本にあらたなヒューマノイドロボットがねえ……」

「正確には、この日本の、このナゴヤ警察本部の、刑事部の、捜査第二課の、第六知能犯特別捜査第一八係に、です」

「なんだって?」

 思わず口に出してしまった。そう。そうなのだ。香菜が説明を始める前から疑問が山積みなのだ。一年ぶりに捜査二課のフロアに入るなり、俺は北風のごとく冷たい風が吹くのを感じた。己のデスクが端に移動されていたのだ。さながら左遷を想起させられ、背筋に寒いものが走った。けれどもよくよく聞いてみれば二課内での担当変更というだけらしい。まずもってそのあたりのことを詳しく聞きたい。しかも、だ。座席位置が端だったから窓際に飛ばされてしまったのかと誤解したけれど、移動先に配されたデスクをあらためて見てみれば重厚感ある木目調のそれは以前の二倍の大きさはあった。フロア全体を見渡せるような向きからしても、どうにも嫌な予感しかしない。すなわち、もはや何から手をつけて整理すればよいか分からない状態にあった。そんな混乱の最中、カメレオンコートを剥がされては座らさせられ、花澤木香菜から情報共有を始められているわけである。

「……ええっと、どこからいこう? ちょっと落ち着いて整理をしようか。花澤木刑事、君はこれまで一課だったから詳しくないのかもしれないが、ナゴヤ警察本部刑事部の捜査二課は第五知能犯特別捜査第一六係までなんだ」

「そうですね。石平さんが復帰されるまでは。新設されたんですよ。ちなみに知能犯罪は複雑化し、年々多岐に渡ってきているので、今後を踏まえて『普通の係』が増設されることも見越し、一七係は空き番とされました。飛び番で一八係になったんですよ、私たち。あらためまして、よろしくお願いしますね。石平『係長』」

 復帰前までと比べると貫禄が二倍以上に膨らんでいるデスク。それを挟んだ向こうから、香菜が綺麗な立ち姿で敬礼を向けてくる。一体どこまでが悪ふざけで、どこまでが真実なのか。出来れはすべてが冗談であってほしい。けれども真実とは時に恐ろしいものであることを俺は四一年の人生の中で学んでいる。

「……普通の係って。うちは普通じゃないってのか?」

「ええ、そうです。人工知能人間専門の係ですから。全国でも類をみない新設組織です。ナゴヤ警察本部長の山寺田やまてらだはじめ警視監の肝いりと聞いています。随分と期待されているみたいですよ」

 説明を受ければ受けるほど混乱する。もちろん香菜の説明が下手なわけではない。プライベートや性格の面はさておき、彼女は警察官としては非常に優秀であり、中でも物事を整理・分析して端的に伝えることに長けている。その花澤木香菜からの説明を受けても尚、俺は事態を把握できないでいる。あるいは受け入れたくない、と内心で抵抗している。

 座り心地の悪い王様然とした椅子に座したまま、パンツのポケットからスマートフォンを二台取り出す。左のポケットから業務用の捜査端末を右のポケットから私用デバイスを。それぞれをデスクに並べ、どちらを使うか迷った挙げ句、私用のスマホで調べ物を始める。

『刑事とは? 警察 階級』

 空白で区切って検索ワードを入力すれば小さな妖精がすぐさま答えを探し出し、手元まで運んできてくれる。現実逃避とまで、また記憶に頼らぬ正確な情報を確認すべく、俺はそれに目を通す。

『日本語の刑事とは刑事巡査の略である。正式な階級名である巡査などと異なり、刑事は官職名ではない。警察本部の刑事部や組織犯罪対策部、あるいは警察署の刑事課や少年課など、事件捜査に従事する部署の管理職でない私服の警察官を指す。階級としては巡査を刑事、巡査部長を部長刑事と呼んで区別する。警部以上は管理職のため刑事でなく、係長や課長などと役職名で呼ぶことが多い』

 言わずもがな復帰前の俺は刑事であった。階級は巡査。それなりにベテランだから役職は巡査長を担っていた。それが一挙に係長とは飛び番ならぬ飛び級、それこそ類をみない昇進である。新設の係だから役職と階級の関係性も他とは違うのだろうか。そうであってくれと願うばかり。けれど俺のささやかな願いは直後に打ち砕かれる。

「それで石平『警部』からのご質問は? 他にまだありますか?」

 警部。俺は己の知らぬ間に警部に昇進しているのか。どうにも表彰式の折、俺の周囲に嫌いな空気が漂っていたわけだ。上位者への配慮と反発。そして昇進者への嫉妬。宮前野の先の対応も一年ぶりだからという点を差し引いてもぎこちなかった。『元』刑事とはそういうことだったのか。まさかこの俺が管理職だなんて。ちょっと信じられない。そもそも俺はまだ正式な辞令を一つも受け取っていない。

「あっ、そうだ。配置転換とか、昇進とか、辞令とか。諸々の通知はすべてプリントして紙で一番上の薄い引き出しに入れてありますから。鍵付きのところです。石平さんのことだから捜査端末に送られてきている電子メールなんて見ていないでしょうし」

 図星である。時代遅れの俺に対する素晴らしい気遣いだ。しかしそうであるならば、見舞いの際に事前に渡してはもらえまいか。さておき俺は本当に警部らしい。警察の階級は、下から『巡査、巡査部長、警部補、警部、警視、警視正、警視庁、警視監、警視総監』と上がっていく。巡査からとなると一挙に三階級アップだ。しかし本来ならば、それぞれのフェーズで受ける管理職に向けての段階的な研修があるのではないか。そういうものは飛ばしても大丈夫なのか。

「……俺たち、本当に捜査二課の……知能犯特別捜査第一八係なのか?」

「はい」

「他の、メンバーは?」

「残念ながら石平さんと私だけ、二人だけの係、ということは無理だったみたいで……」

「当たり前だろう!」

「真に遺憾ではありますが他に猫安ねこやすたけし巡査と桜木綾巡査がいます。あっ、私は一年前の事件でおこぼれにあずかって巡査部長へ昇進しました。今は花澤木香菜巡査部長あるいは花澤木部長刑事です。でも長ったらしいのは嫌いなので変わらず花澤木刑事でお願いします」

 再びの香菜の敬礼。立ち上がったばかりの係は総勢四名らしい。すなわち二人一組が二組しか作れない。となれば係長とは名ばかり。この豪勢なデスクも宝の持ち腐れになろう。プレイングマネージャーとして俺も現場に出なければ手が足りない。

「猫安のおやっさんが? ヒューマノイドロボットの巡査だけでなく、おやっさんがいてくれるのは心強いな」

「向こうがぜひにと手を挙げてくれたのですが、お知合いですか?」

「俺に警察のイロハを叩き込んでくれた元二課のエースだ。最後に会ったのは七年前か。お子さんとお孫さんの……葬式の時にな。交通事故で……。っで、その後で三課に異動になったんだが、今年から二課に戻っていたんだな」

「ええ、私と同じで四月に転属されてきました。っで、戻るのなら二課の中でも新設の一八係がいい、と。桜木刑事だけは石平係長を待っての配属ということで、今朝来たばかりですが」

「そうか。おおよその状況はわかったよ。しっかし、そうなると──」

「私と石平さんですね」

「――俺と桜木刑事、花澤木刑事とおやっさんのペアだな」

「ええっ!? なんでですか!」

 心底驚いたという様子で香菜が素っ頓狂な声をあげる。二課の他係からの視線が氷柱のごとく突き刺さる。予想はしていたが想像以上に厳しい反応だ。宮前野が夫婦漫才はやめておけと忠告してきた理由を一瞬で体感できた瞬間である。捜査二課として全体で大きなフロアが確保されており、あとは机の配置で係が分けられているだけ。一係から一八係まで間に仕切りはない。すなわち大声を出すと二課内で筒抜けとなる。

「ちょっと、石平さん!」

「……ああっと、花澤木刑事、ちょっと声のボリュームを落とそうか? 今は俺と君の二人だけなんだから。なっ?」

「納得いきません!」

「あのな、別に嫌がらせでもなんでもなく順当なチーム分けだと思うぞ?」

 階級的に俺がトップで香菜が二番手、となれば必然的にチームのリーダーと副リーダーが俺と香菜になる。係を二つに分けるならリーダーと副リーダーをそれぞれの責任者とする配置は至って普通だろう。さらに俺と猫安のおやっさんがベテラン、まだまだの若手が香菜と桜木だ。ベテランと若手で組むといったバランスを考えても至極当然の結果であり、驚くようなことは一切ない。なにより今年度これまでは香菜とおやっさんのペアが一組で活動していたことになる。おそらくは他係のヘルプを渡り歩いていたのだろう。しかしせっかくバディになったのだ。それを半年やそこらで変えてしまうのはどうかと思う。

「どうだ? 納得したか?」

「それはまあ……普通の係なら……そうなのかもしれませんが……」

「一八もそこはスタンダードにいく。なによりどうせ決まってるんだ。仕方ねえさ」

「……決まっている?」

「ヒューマノイドロボットの相棒は俺だってな。無駄に逆らってみたところで、どうせ後から上から口を出され、変更させられるのがオチさ。なんせ山寺田警視監の肝いりなんだろう、このチームは?」

 いよいよ花澤木香菜が押し黙る。完全に論破されて返す言葉がない、といった風だ。そのハムスターのような愛らしい丸顔に浮かべる苦虫を噛み潰したような表情が、どうにも不似合いで歪だ。そのうえ目の奥にメラメラと炎が燃えているのが垣間見え、背筋がゾッとする。そのうち覆してやる、といった闘志が伝わってくる。どうすれば俺に対してそれだけのモチベーションを保てられるのか。いっそ尊敬してしまう。

「しっかし、きな臭えよな? 飛び級での警部昇進に警視監肝いりの新係……大きな声では言えねえが、どうにも嫌な予感がするぜ」

「やめてくださいよ。私にとっては待ちに待った新天地なのに。トラブル体質の石平さんがそういう事を言うと本当に何かが起こりそうじゃないですか」

「……悪い。自覚はあるから止めておく。それにしても人口の〇.〇〇〇〇二パーセント。国際基準を大きく下回り、他国の僅か一〇〇分の一しか導入されていない稀少なロボットってことじゃなかったのか、ヒューマノイドロボットって? 上司になったかと思えば、今度は部下になるって? しかも従来機の転属じゃなく、今年あらたに導入された最新機が? いくら人工知能人間専門の係とはいえ、どうなってんだよ?」

「それを言うなら今回の捜査対象もまた、その日本に一九体しかいないヒューマノイドロボットの一体ですね」

「……もはや偶然とは思えないレベルだな? サンタなのか、神様なのか。ともあれ誰かに意図的に作られた必然的な状況に思えてならねえよ。誰かと言うか、どこかの組織と言うか、な」

「たしかに。でも、まあ、ちょっと落ち着いてくださいよ、石平さん。これ温かいですよ」

 どこから取り出したのか。香菜がホットコーヒーの缶を手渡してくる。親指に力を込めてプルタブを起こせば、閉じ込められていたコーヒーの香りが温められた空気に乗って溢れ出す。同時に蘇る、森木東明里の声。

「あなたには面倒事のほうから寄ってくるのよ、石平彰刑事――」

 もう刑事でなく係長と呼ばれる身になってしまった。けれども未だに面倒事を引き寄せる体質については変わってくれていないらしい。それでも、しかし。密かに意を決している七年目、今年こそは難事件を切り抜けて己の家で年を越してみせる。病院のベッドの上で聞く除夜の鐘にはほとほと飽きている。

「それで捜査対象云々の前に他の二人は? 今日は出てくる予定はないのか?」

「朝は姿を見ましたよ。私が石平さんの表彰式から戻ってきてからは見ていませんけど。とはいえ、どこにいるのかはすぐに分かるので確認しますね」

「……なんでわかるんだよ?」

「二人の服に発信機をつけてあるんです。部長刑事として係の刑事の動向を把握し、石平さんへとお伝えするのは大事な仕事ですからね」

「いやいや違法だから……次からはやめような……」

 猫安のおやっさんはおそらく気づいている。そのうえで若手の暴挙を黙認してくれている。俺がバディを組んでもらった頃から変わっていなければ、猫安武とはそういう男である。徹底的な現場主義者で、現場刑事を続けるために昇進を断り続けている変わり者だ。ともあれ能力は折り紙つき。見たことはないけれど桜木綾という巡査もきっと同様だろう。なにせヒューマノイドロボットなのだ。中岡隆盛を間近で見たことがあるだけに己につけられた発信機に気づかない俺のような間抜けだなんて到底思えない。

「あっ、見つけました。二人一緒にいますよ。この本部庁舎の一階の逮捕術道場ですね」

「訓練道場? そんなところで何をしてるんだ、うちの二人は?」

 俺が立ち上がった時には既に香菜がカメレオンコートを手渡してきていた。己はもう外出用のコートを羽織っている。まるで一瞬先の未来が見えているような手際の良さである。

「とりあえず行ってみるか、花澤木部長刑事?」

「了解です、石平係長!」

 まだ慣れないからか、あるいは管理職が性に合わないからか。どうにも『係長』という敬称がしっくりこない。己には不似合いな気がしてならない。それでも文句ばかりも言っていられない。それを聞いてくれる上司は、中岡は、既にいないのだから。それどころか今や俺が部下のそれを聞く立場なのである。革張りの座り慣れないチェアを後にし、俺は香菜と共に新設チームのメンバーへ会いに行く。季節は冬、時期は師走、迫るはクリスマス。今年こそ冬眠を避けてみせる。

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