第28話
「石平さん、ちょっとどこに行くんですか?」
「散歩だよ。冷えてきたからな」
「ええっ!? 散歩は暖かいときにするものでしょ! ていうか、まだ療養中ですよ! 外出は控えてください! ねえ、石平さん!」
久々に不要不急の外出をする。自宅療養となってしばらく、外は秋が深まり、イチョウノの木がすっかり色づいていた。早くも葉を落とし始めてもいる。少し風があった。頬を叩く風が既に冷たい。これまでは回復に努め、医者の言う事を聞いて大人しくしてきた。しかし、もうそんな悠長なことは言っていられない。冬だ。次の冬が迫っている。俺の天敵の、師走が。戦う態勢を整えなければ。リハビリを完遂して現場復帰しなければ。そのためにも今日から積極的に身体を動かしていく。ナゴヤの空はドローンが行き交っているけれど、頭上ばかりに構ってはいられない。
「ちょっと待ってくださいよ!」
軽い足音とともに花澤木香菜が後を追いかけてきた。初日だからそれほど遠出をするつもりはないし、部屋で待っていてくれてよいのだけれど。俺の位置情報だって、どうせ逐一把握しているのだろうし。森木東明里と同様に。
「シャバの空気はどうですか、石平さん?」
「……俺は犯人じゃねえよ」
適当に歩を進めていると小さな公園が見えてきた。足を向けてみれば、ちょうどお昼時とあって帰っていく子どもたちとそれに付き添う両親たちと入れ違いになる。無人となった公園のブランコでひと息つく。香菜が隣のブランコを捕まえ、立ったまま漕ぎ始める。
「よかったですね。桜木綾の件、ややこしくなくなって」
「……まあ、な」
「次にまた森木東さんと同じボディの人工知能人間が創られたら、どうします?」
ブランコに揺られ、近くから遠くから、前から後ろから。香菜の声が位置を変じながら聞こえてくる。家を出たときより風が少し弱まったように感じられる。
「どうすることもできねえし、どうにかしたいとも思わねえよ」
「オッケーなんですね、石平さん的に?」
「オッケーというか、諦めというか。どうせ創られるんだろうからな」
人工知能人間の身体は使い回される。ボディのデータは流用される。この世に存在する同機種は一体のみに限るという、かつてのミッキーマウスのような制約はあるものの、複製自体は禁じられていない。つまりは現有機体が廃棄処分された場合には、あらたに同じ容姿のヒューマノイドロボットが創られるということだ。
「どうせ創られるとか、そういうのはさておき、石平さんの気持ち的にどうなんですか? やっぱり嫌ですか?」
「……複雑だな。前だったら嫌と即答しただろうけど、桜木とのことがあって……今はちょっと答えに困る。これっきり明里の姿が見られなくなるのは寂しい……とも思わなくもないしな」
「姿だけ森木東さんでも中身は別人なんですよ?」
「それは誰より俺が分かっているさ。姿形がまったく同じ桜木を見ても明里だと感じることは一瞬だってなかったからな。言動がまるで違ったからってのもあるけど」
「写真や動画のデータじゃなく、実際に動く姿を目の前で見ることができるっていう点で、複製されてもよいかもと? リアル視覚媒体というか、目の保養というか?」
「目の保養って言い方はやめろよ。なにやら違う意味に聞こえるじゃねえか」
「中身だけでなく外見にも愛着というか情が湧くものなんですね、人間って。それじゃあ私が森木東さんの身体を手に入れたら、もうちょっと石平さんに優しく扱ってもらえたりして? けっこうありかもですね、それ?」
「……人間って、って。お前も人間だろうが」
そう言えば人工知能人間のシリアルナンバーは人格に対して採番されている。実態を持たないスマホの精霊たちと同様の管理体系で、森木東明里はXRS0709179、桜木綾はXRS10022015といった風に。同じ身体でもそれぞれに識別コードが異なる。おそらく俺が知らないだけでボディの側にも別の体系の番号が付与されているはずだ。たとえばBODY002025Fとかなんとか。人工知能人間は一足先に『肉体と精神』『人格と人体』、それぞれを別々に管理される存在になっているのかもしれない。そして人間は『それぞれ』に対して『それぞれ』の思い入れを持つのかもしれない。
「本気で考えてみようかな、ボディチェンジ」
「そりゃあ無理だろう。人間の脳からは人格を抽出できないんだから」
「今は『まだ』ですよ。そのうち解決しそうじゃないですか。それも近いうちに」
「……さらっと怖いことを言うなよ」
「えっ、怖いですか? 意外です。なんでですか?」
「それが実現したなら不老不死まで実現しちまうからな。誰が嬉しいんだよ、そんなの? アニメに出てくる大富豪とか権力者とかの悪そうな奴らぐらいのもんだろ? 少なくとも俺には不要だ。俺は天寿をまっとうし、適当なところで死にてえからな」
「そんなこと言わず、ずっと生きていきましょうよ。身体を乗り換えてでも」
身体をいくらでも乗り換えられる、ということにメリットはあろう。人体が養殖できるとなれば尚さらだ。病気や怪我で不自由しなくて済むようになる。しかし悪用されるデメリットも大きい。車の乗り捨てならまだしも身体を乗り捨てられてしまっては犯罪者の追跡難易度が大幅に跳ね上がる。なにより賛否両論あろう、不老不死だ。身体を乗り換え続ければ、いつまでも若い身体で生きられることになる。あるいは人体だけでなく人格にも寿命があるというのなら話は別なのだろうけれど。
あらためて考えてみると『人間の脳から人格データを抽出する』という行為はつくづく禁忌なのだと俺は思う。人体の持つセキュリティが進歩し続ける技術に負けないでくれることを願うばかりだ。少なくとも俺が死ぬまでは。なにより四〇年以上もかけて形成してきた価値観を今さらひっくり返され、新世界をイチから歩かされるというのは面倒でならない。俺は未だに脳の拡張をしていないような人間だ。新しいものへの適応が苦手なオッサン病に罹患しているのだ。
「ころころと身体を変えられちゃあ、血の繋がりって言うのか、家族の定義? その辺りが曖昧になるだろう? スマホで精いっぱいな俺じゃあ、そんな世界はついていけねえよ」
「あたらしい世界への適応ってことですか? そこは私が手取り足取りフォローしますから大丈夫ですよ、心配しなくても。ていうか、なんか楽しそうじゃないですか? あたらしいことって?」
変化を楽しめるのは若さゆえの特権なのかもしれない。俺にはもうそんな気概はない。仕事にしても事務処理用のシステムが少しバージョンアップされるたび、入力方法がわからなくなって後輩に助けてもらっている始末なのだ。気がつけば自然と俺もブランコを揺らしていた。隣の香菜と違い、座ったままで少しだけ。視界がゆらゆらと上下する。風はすっかり止んでいるけれど頬にあたる空気は冷たい。今年の冬も寒くなりそうだ。
「それに……可哀想じゃないですか?」
「可哀想?」
思ってもみなかった花澤木香菜の言葉に俺は思わずブランコを止めた。香菜はいきおいよく立ち漕ぎしたまま前方を見据えている。
「ヒューマノイドロボットはずっと生きていくんですよ? 一緒にいた人間が死んだ後も、ずっと。勝手に創られて、勝手に遺されて……って、酷くないですか? それなら責任をもって、創った側も付き合うのが筋だと思いません?」
息が止まった。揺れる香菜の横顔が明里のそれと重なったから。姿形が同じだった桜木綾とは微塵も重ならなかったのに。「お前……もしかして明里なのか?」と喉の奥から迫り上がってきた言葉をどうにか飲み込む。なぜだか思いを寄せてくれているらしき相手を元婚約者と重ねるのは失礼だと思ったから。しかし、なぜだろう。花澤木香菜は時おり森木東明里を思わせる。姿はまったく違う。平時の振る舞いも。けれど、ふとした拍子に、表情や仕草、言動が重なる瞬間がある。俺が無意識に共通点を探しているからだろうか。
「……責任か。それは考えたことがなかったな、しかし、そう言われると……たしかに。野良の人工知能にしろ、勝手に残してくるって言うのは人間の勝手だよな」
「野良の……人工知能?」
「いや、なんでもない」
そういえば『人が子を成すのは、いつか己が老い、そして死ぬから。その前提においての行為だ』という話を聞いた記憶がある。もしも身体を乗り換えることで不老不死が実現したなら、その世界では果たして親子とはどんなものになるのか。それこそ人工知能にシミュレーションしてもらいたい。また暇な時にでも小さな精霊に質問してみようか。
見上げれば冬を迎えるべく冷たい空気を逃がすまいと今日も空は分厚い雲に塞がれている。ここのところ、否、六年……いや、八年くらい前からだろうか。不意に見上げた時に空が曇っている日が多い気がする。春や夏を病院のベッドで過ごしている影響もあるのだろう。体感では随分と青空を覗いていない気がしている。影が動く気配がして顔をあげれば、俺と香菜を除いて無人だった公園が尚も無人を維持している。
「よう。ご苦労さん」
手を振り、声をかける。入ってきたのは掃除用ロボットだ。今は収集をお願いしたい缶も紙くずも持っていない。人間の役に立ちたいと近づいてくる彼らに仕事を与えてあげられなくて、少し申し訳ない気持ちになる。犬の絵の描かれたロボットは警備系の機能まで搭載されているらしく、警察官の制服を着せられていた。まさしく犬のおまわりさんだ。
「相変わらず変わったやつだな、お前は」
背後から聞き慣れた男の声がした。いつの間に現れたのか。遅れて宮前野が投げた空缶を掃除用ロボットがキャッチする乾いた音がひとつ鳴る。ほぼ同時に漏れ出したにんにくの臭いが屋外だと言うのに鼻先を掠める。
「相変わらずなのは、あんたでしょ? 宮前野『巡査』」
「……香菜ちゃんが手厳しいのも相変わらず……だね」
たまたま通りががったのか。あるいは俺が突然外出をし、さらには香菜まで追ってきたことで何某かのトラブルを心配してか。少なくとも俺の位置情報は把握しているであろう宮前野守がこじんまりとした公園の三人目の人間となる。
「っで、例の二人の様子はどうだ? 宮前野元警部?」
「分かっていたことだけど能力は問題ないよ。それ以外の面で、まあ、あれやこれやの調整事の問題はあるけど……」
「ということは問題なし、ってことだな?」
「石平……俺の話を聞いていたか?」
捜査一課への潜入捜査時にはミスター緩衝材の異名を誇っていた宮前野である。間違いなく内外で上手く話をつけてくれる。
「まあ、本人たちがどうしても石平係長のもとで働きたいって意気込んでるからな。大層な慕われようだよ。あれだけの能力があって、あれだけの熱量があると、上にもどうにも出来やしない。そもそも特殊すぎるしな。受入先は一八の他には考えられないだろう」
俺と働くことの何がよいのか。自分ではまったく分からない。あらたな部下二人のことを考えていると、いつぞやの中岡の問いが蘇ってくる。俺は眼前の小太りな同期と、隣でブランコに腰を下ろしたひと回り以上年下の同僚に尋ねてみる。
「なあ、俺って人間だよな?」
花澤木香菜も宮前野守も目を点にして固まった。どちらも「何を言っているんだ?」と顔に出ている。
「実は俺は人工知能でAIヒューマンだったとか? とっくに死んでいて……とか? なんなら前回の事件で撃たれた時に実は人格データを抽出されていて……とか?」
「……石平、アニメ以外でSFみたいな話をするなよ。ややこしい。お前はこうして生きているよ。人間としてな」
「そうですよ。今のところはまだ人間ですよ」
「いや、香菜……お前……今のところって……」
「私たちが死ぬまでには人間の脳からも人格データを抽出できるようになりますって。そうしたら永遠の愛っていうのもリアルに実現できちゃいますよ。私は死ぬのが怖いですからね。だから絶対に生き延びますし、もちろん石平さんを道連れにします」
「……ああっと、香菜ちゃん、石平はまだ療養中だしさ。怖がってるから、まあ、その辺で今日は許してあげてよ」
「別に私は怖がらせてなんか──」
「っで、AIヒューマンってなんなんだ? 石平?」
そういえば中岡隆盛と決めた捜査用語であって一般用語ではなかった。人工知能人間の反対を意味する造語だ。人工知能人間を単純に反転させると人間人工知能になるけれど、文字にすると意味を混同しやすそうだったので、それならばといっそ横文字にすることにで明確に差別化したのだ。人間のような人工知能で『人工知能人間』。対して人工知能のような人間で『AIヒューマン』だ。
「なるほど、AIヒューマンか。石平がネーミングしたにしては悪くないじゃないか。一八でも使っていこうぜ、それ?」
「賛成! さすがは石平さんの命名です!」
なんとなくスマホの精霊が名付けたのだと言い出しにくくなってしまった。俺が名付け親とされることで後々になって問題にならないものか。著作権とか諸々において。
「それじゃあ俺はそろそろ行くよ。邪魔したな、元警部」
「元警部はお前だろうが、宮前野巡査」
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