第27話
「──どうかしましたか、石平さん?」
「いや、なんでもない。ちょっとな」
「せっかく私がお見舞いにきているんですから呆けないでくださいよ」
「……呆けもするだろう。あのな、香菜……お前、二時間前にも来たばっかりだよな?」
「トイレのお世話にはそれくらいの間隔で来ないと困るでしょう? 石平さんはお腹に穴が空いているんですから」
「そういうのは看護師さんを呼ぶから、お前は気にしなくていいんだよ。あれから二ヶ月、もうすっかり塞がっているしな」
デジャヴ。去年もこれに近いやりとりを彼女とした気がする。もはや一年のうち病院のベッドの上にいる時間のほうが長いのではないか。こここそが俺の真のホームなのではないか。冬眠の穴倉とはよくぞ言ったものである。
貫通射創。穿透創。猫安の放った弾丸は俺の身体にそれを穿った。左の腹を背の向こうまで貫通していたのだ。銃弾が体内に残らなかったため、鉛中毒を引き起こす心配はないらしい。とはいえ、銃撃の際の腹膜貫通による腹部臓器損傷により、俺は緊急開腹手術を余儀なくされた。不幸中の幸いであったのは消化管出血は認められず、循環動態は安定、腹膜刺激症状を伴わなかったことだろう。さらには空けられた穴も己で覗いてみる限りには銃弾より小さく見えた。一般的には人体に入った銃弾は弾道上の組織を挫滅させながら運動エネルギーの減衰分を放射状に発散して周囲の組織を圧排するため、銃弾の直径よりも大きな一過性空隙を形成する。見事に貫通されたことで運動エネルギーが上手く外に抜けたのか、はたまた創縁が挫滅されて入口が塞がって見えているだけで内部には大きな穴が空いているのか。それとも医療技術の進歩によるおかげか。もしかすると幸運によるものなのかもしれない。ともあれ俺は生きている。リハビリまで含めれば全治は一年。その医療期間の半分、半年以上は病院のベッドに括られる入院生活になるらしいけれど。
「そうやって楽観してはいけませんよ。銃で撃たれた場合でも普通だったら半年もかからずに復帰できるんです。それが全治一年だなんて、よっぽど酷い状況なんですからね。わかってます?」
「普通だったら……って、銃で撃たれた場合の相場なんて知らねえよ」
そもそも重篤な状況と認識しているのなら落ち着いて寝かせておいてほしいものだ。しかしそれを許してくれないのが花澤木香菜である。とはいえ、今回も彼女は俺の命の恩人の一人である。だからあまり邪険には扱えない。そしてもう一人が、たったいま病室のドアを空けた同期の宮前野だ。
「よう。調子はどうだ、石田『さん』?」
「石平さんは誰かさんの顔を見ると傷が痛むそうです。さっさとお帰りください」
「……香菜ちゃん、相変わらず厳しいな。石平からもなんとか言ってやってくれよ」
「そいつは仕方ねえだろ? お前は天下の裏切者なんだし」
まさかあの警告が本物だったとは。トランスヒューマニズム教団信者の繋がりからか、猫安は事前に情報を得ていたのだろう。己から疑いの目を逸らすために選んだ相手、宮前野守が教団を脅かすスパイであると。実際に我が同期は公安の人間で内部調査のために捜査一課に潜入していたのである。
「っで、どうだったんだ? ゼロの番犬殿?」
「石平、お前まで勘弁してくれよ。俺はお前と違って、ただの小間使いだって」
あれから驚いたことが二つある。
一つは同期の宮前野守が公安警察官であると知ったこと。しかも噂に名高く、サクラやチヨダなどと呼ばれる、あの『ゼロ』で、密かにその名を馳せた男であった。警察庁、警備局、警備企画課の情報第二担当理事官、通称『裏理事官』が統括するゼロは、スパイの獲得や運営などの協力者獲得工作を一手に取り仕切る極秘の中央指揮命令センターだ。見た目はパグとフレンチブルドッグの中間のような顔をしていながら、宮前野はそこで『番犬』の異名を誇った実力者だった。香菜からの依頼を受けて俺を助けるため、消防関連を招集する際に所属を明かざるをえず、そのせいで今や秘密を守れぬ者として公安からも裏切者扱いされている行く先のない休職者である。
もう一つは、あの日、俺が運び出された直後、あの地下室で大きな爆発が起こったこと。再び火の海となった人体養殖場は、特殊な炎でも用いられたのか、今度はすべてが焼き尽くされるまで鎮火することができなかったそうだ。そうしてすべてが灰燼に帰した。宮前野も、香菜も、勘のよい二人である。口にせずとも察しているであろう。証拠隠滅だ、と。そうでもなければ、あまりにタイミングが良すぎる。宮前野ではない何者か、真の裏切者が、教団信者の人間が、あるいは例の組織の人間が、警察内部に潜んでいるのだ。それも大勢も。きっと上層部の人間だって含まれているに違いない。
「……変わらないよ。収穫なし、だ。お前に言われて何度も生存者を探してもらってるが、ゼロだ。一人も見つけられていない。生存者どころか人体を発見できていないんだ。その痕跡すらな。養殖されていた人体も、身元を特定できたという水槽におさめられていた人間たちも、すべて焼かれてしまった。すべてが真っ黒な灰になるどころか綺麗さっぱり消えちまったんだ。現代の技術でも人体だったものと特定できないくらいに焼かれてな。文字通りの焼失だよ。見つけられたものといえば水槽の破片と二体のヒューマロイドロボットの残骸だけ。あらたな発見は今日もなかった」
見つかった人工知能人間の破片からは識別コードが確認でき、それぞれXFW04012005の梅原田裕一とXRS10022015の桜木綾と特定できたそうだ。二体とも既に廃棄扱いとされている。けれども俺は必ずしもそうだと思っていない。俺だけしか知らないことだけれど、あの二人は身体を乗り換えている。ロボットでなく生身となった梅原田と桜木が凄まじかったと聞く爆炎の中を脱出できたか否かは定かでない。けれども若本木規夫の例もある。人工知能は人体の潜在能力を極限まで引き出せるのだ。老人の若本木でさえ俺が手も足も出ないほどだったのだから、若く力強い肉体を手に入れた二人なら、あるいは警察の目を掻い潜って脱出に成功しているかもしれない。
ふと、『肉体と精神』『人体と人格』について考えさせられる。中岡は言っていた。ヒューマノイドロボットは二つで一人なのだと。人工知能とロボットで人工知能人間なのだと。俺という存在の場合はどうなのだろう。マイナンバーという個人を特定するシリアルナンバーは、肉体と精神、どちらに紐づけられているのか。今や人工知能という形で人格を生成でき、さらにはロボットのボディだけでなく人体の養殖も可能な時代だ。俺が手にするスマートフォンにだって製造番号が印字されている。同形状の機体を量産できるものは、警察車両にしろ、掃除用ロボットにしろ、ドローンにしろ、すべて同様だろう。しかし容器が製造番号レベルで同じであったとしても、中身が違った場合、それは同じものと呼べるだろうか。スマホだって初期化され、別人の好みでアプリをインストールされたなら、それはもう己のものと思えないだろう。肉体と精神、人体と人格。それぞれに一意となる番号を採番し、それの組合せで個人を特定する時代が訪れようとしているのかもしれない。
「まったく役に立たないわね、ハムの連中は。お得意の公安捜査で、この結果なの? もう二ヶ月も経っているのに?」
「……返す言葉もないよ、香菜ちゃん」
「いっそのこと担当を捜査一課か二課に移しちゃえば? ボンレスハムより少しはマシになると思うけど?」
「それもね、機密がどうとか……いろいろあってさ。まあ、そのあたりはお偉方が決めることだから。末端は命令に従うまでだよ。なにより俺は休職中だしね、石平さんと一緒で」
ハムとは公安警察を指す。公安の『公』の字がカタカナのハとムで構成されているから『ハム』なのだそうだ。人間が人体と人格で構成されているのと似る。ハとムにバラすと何のことなのか分からなくなる。隠語の場合は分からなくすることこそが目的だから問題ないのだけれど、人間の場合は個人が誰なのか不確かになってもらっては困ってしまう。
「それとな、石平、もう一度確認するんだが隠し通路なんて本当にあったのか? 夢や幻じゃなく?」
「石平さんが嘘をつくわけないじゃない。どうせハムが見つけた上で隠してるんでしょ」
「それがどうも、そうじゃなさそうでさ。俺も信じられなくて、休みで暇だから、あれこれ調べたり、情報収集してるんだけど……」
なんとも不思議な話である。どうにも俺が見た隠し通路の痕跡が見つけられないというのだ。あれほど大掛かりな仕掛けがそっくり見つからないことなどあるのだろうか。現時点で判明していることと言えば、地下室を構成する壁のすべてに電波を遮断する材質が練り込まれていたということのみ。あの部屋は地下にあるから圏外だったのではなく、あれと同じ部屋が地上に作られていたとしても、さながら電波障壁が張られているがごとく、外界からは隔離されるらしい。そのためだろうか。電磁波の波動としての性質を利用し、地中の構造を把握する地中レーダ探査まで無効化されてしまうそうなのだ。地下室内からだけでなく、地表から地中へ向けて放射する電磁波すら阻害されてしまうというのだから堪らない。まるでこうなることを予想していたようである。
「……見つからない、か。もしかすると……秘密が露見した際に使う、証拠隠滅用の……自爆装置に近いものを最初から組み込んで設計された地下室なのかもな」
「自爆装置? おいおい? それじゃあ、まるでアニメの世界じゃないか。それこそ石平さんのようなヒーローが活躍する作品の」
「二度目の爆発が証拠隠滅装置が起動されたため、だったら? 異様に火の回りが早く、しかもなぜだか消えにくい炎だったんだろう?」
「……マジかよ。あれは自爆装置による……いや、しかし、あり得るな。そもそも人体を養殖しようって奴らだ。それくらい仕掛けていても……。悪い、石平! また来るわ!」
どこが休職中なのか。宮前野がたるんだ下腹と眼鏡を揺すりながら慌ただしく走り去っていく。裏切者と揶揄しているのは気恥ずかしさもあってのこと。公安であるという身分を明かし、己のキャリアをふいにしてまで、俺の救助を優先してくれた。そんな宮前野を俺は誰より信頼している。
「まったく、ドアくらい締めていきなさいよ! ボンレスハム!」
そんな俺の友人はしかし、潜入捜査中のこととはいえ同じ釜の飯を食ってきたはずの花澤木香菜から、否、そうであるからこそ余計にか、二ヶ月経った今もなお辛辣に当たられている。裏切りを受けた捜査一課の元当事者としては許せない気持ちが強いのも分からなくはない。
「まあまあ。そうトゲトゲしてやるなよ、香菜」
「石平さん。そういうところも好きですけど、石平さんって、ちょっと抜けてますよね?」
「おいおい。俺に八つ当たりはやめろよ? それならしっかりと宮前野にあたってくれ」
「もしかして私が怒っているの、捜査一課へスパイとして潜入していたことだと思ってません?」
「んんっ? 違うのか?」
香菜は天を仰ぎ、大げさにため息をついて見せた。俺の反応を予想通りとばかり。なにも分かっていないのだなとばかり。
「私が怒っているのは石平さんをおとりに使ったことです。しかも、またこんな大怪我をさせて……」
「おとり? また?」
「なにを言っているんですか。ハムの管轄を考えてみてくださいよ。あいつらの捜査対象、絶対にトランスヒューマニズム教団じゃないですか。去年の野津田健次郎の事件から踊らさせられていたんですよ。今回だってもっと早く踏み込めたはずです。猫安を言い逃れできない状況で逮捕するため、石平さんが上手く使われたんですよ」
言われてみれば合点がいく。宗教絡みは公安の管轄と相場は決まっているのだ。警察内部に巣食う信者を殲滅すべく、なにかしらの情報からターゲットにあがった猫安武をマークしていたのか。俺と一緒に人工知能人間の捜査に参画させれば、どこかで尻尾を出すかもしれないと踏んで。
「そのくせ、せっかく生け捕りにした猫安に留置場で死なれるなんて、本当に大間抜けですよ。あいつら」
「生け捕りって……そんな鰻みたいに……」
「ともかく石平さんを危険な目にあわせた裏切者を私は絶対に許しません!」
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