第30話

「おかえり、ヒーロー」

「誰がヒーローだ。ただの労災だよ。負傷手当代わりのクリスマスプレゼントってやつだ」

 猫安武の事件から一年、再び訪れた寒い冬。長いリハビリを経て、ようやく職場復帰を果たした俺は、初日、ナゴヤ警察本部でいつくかの表彰を受けた。そして面倒な式典を済ませるなり、そのまま皆のもとへ直行し、デジャヴとも言えるやりとりを宮前野守と交わしている。本部庁舎の廊下でなく今年は一八係のフロアで。一八係の部屋で。

「いやあ、しかし部屋持ちとはな。一八も石平さんとともに出世したものだよな」

「石平さんなら当然です! むしろ足りません。課長になってもよかったくらいです!」

 ナゴヤ警察本部、刑事部、捜査第二課、第六知能犯特別捜査第一八係――

 幸いそこは変わっていない。あやうく捜査第四課に引き上げられ、新設の『課』にされそうだったところを宮前野と二人で奮闘し、山寺田警視監を説得したのだ。個室持ちではあるものの、どうにか『係』のままで留めてもらうことに成功している。もちろん香菜らには内緒で。

 部屋持ちとなったことを喜んでいるメンバーもいるけれど、四方八方を壁で仕切られて孤立し、他の係とのシームレスな連携が絶たれることを俺はリスクだと捉えている。これではまるで公安警察に等しいからだ。ハムの奴らが警察内部で嫌われている理由の一つが他チームとは情報共有を一切行わないところ。だから俺はたとえ箱に押し込められようと、積極的に外との交流をはかっていきたいと考えている。元ではあるけれどミスター緩衝材と呼ばれた男もいるし、一課内に留まらず人気の高い香菜もいる。さらにはこれから人気の出そうな若手二人も無事に参画できている。となれば俺さえ下手を打たなければ他所とのコミュニケーションに問題はなさそうだ。

 一八係はまだまだ人数も少ないということで最初に割り当てられた大部屋からは変更を申し出て、こじんまりとした落ち着いた空間を獲得している。窓はないけれど換気口はあるし、俺が入院していた病室よろしくの機能もある。白をベースにしたシンプルな造りはともすれば殺風景であったけれど、そこは花澤木香菜がたちまちガジュマルやモンステラなどの観葉植物で彩を添えてくれている。名前に花や木や菜がつくだけあって、彼女は明里と同様に草花が好きで、それらに随分と詳しい。日陰と乾燥と寒さに強く、手間をかけずとも枯れにくいものをチョイスしてくるあたりに有能さを垣間見せられる。費用も引っ越し関連の経費に混ぜ込んで上手く処理してくれていた。彼女が係のナンバー二である。

 宮前野守も新生一八係のメンバーだ。警部から巡査まで降格となり、公安から追放され、正式にうちの所属となっている。自分より優秀な同期が部下とは複雑な気持ちだけれど、本人の希望でもあったので受け入れた。一時は解雇も検討されたらしい宮前野だけれど、そこはそれ。公安でゼロの番犬の名を馳せた男だ。手放しては機密情報が流出しかねないし、その高い能力を捨てるのも惜しい。そういうわけで配置転換の降格人事となって俺の下へ据えられるという処分を受けている。

「おひさしぶりです。石平係長」

「よろしくお願いします、係長」

 そして彼らが新しいメンバーの二人だ。どちらも日本人離れした肉体にエキゾチックで印象的な容姿をしている。署内のみならずナゴヤの街でも目を惹くこと受け合いで、もっぱら公安警察には不向きな出で立ちと言えよう。

 桜木綾あらため結城ゆうきあお

 梅原田裕一あらため上八木かみやぎひろし

 やはりと言うべきか、彼らはあの地下室の炎の海を掻い潜り、こうして生き残っていた。せっかく生き延びたのだから安全な場所で幸せに暮らせばよいものを、彼らのほうから危険を伴う警察官の職に就き、俺の下で働きたいと接触をしてきて今日に至る。まだ入院中の出来事だったということもあって調整事はすべて宮前野に任せたことは言うまでもない。

 どうして刑事を志したのか。桜木であればわからなくもない。彼女はそもそもそのために創られたのだから、そうしたアイデンティティもあるだろう。しかし梅原田はと話を聞いてみれば彼は元々はマスメディアの人間だったと言う。正確には人工知能人間だった、だ。とある組織を追うための取材で鰻屋に潜入していたところで俺たちと鉢合わせをしたのだ。それは偶然でなく猫安武が組織を嗅ぎまわる邪魔な梅原田を犯人に仕立てるための策略であったことが既に判明している。

 なお、桜木と梅原田あらため結城と上八木は今や人間である。しかし生身とはいえ中身は人工知能のAIヒューマンだ。普通の人間と比すれば情報処理速度は比べるまでもなく、また潜在能力を肉体の限界いっぱいまで引き出せることにより身体能力も高い。なんとも心強い仲間である。皆に内緒で桜木もとい結城へヒアリングしてみれば、しっかりと地下室の隠し通路のことも記憶してくれていた。言わずもがな一人で首を突っ込まないように釘は刺してある。あわせて一八のメンバーにもまだ内密にしておくように、とも。

「久々の復帰はどうだ? 石平元警部?」

「……警視正なんてガラじゃねえんだけどな。この王様みたいな椅子も何なんだよ?」

「まあ、そういうなって。警視を飛び級しての警視正さまだ。同期の出世頭ってやつだよ」

 薄々と分かってきたことがある。俺には敵もいれば味方もいる。人格転写に人体の養殖、果ては地下室の隠し部屋。それらに関わることよって勘違いをされているのだ。実態は何をも掴めていないのに『人格のデータ化を推し進める上で鍵となる人物』だ、と。警察の上層部から。あるいはトランスヒューマニズム教団から。もしかすると例の組織の一員だと誤解されている可能性もある。なんなら『あの方』を俺だと疑い始めている者のいるのかもしれない。だから取り入ろうと味方してれる存在もあれば、廃除しようと動く組織もあって、まるで生ける恐怖といった立ち位置にあるのだと予想される。

 まったくもって心外だ。俺は極めて凡庸で、そんな大それたことなど出来ようはずもないのに。同期の出世頭というけれど、能力の優劣だけでみれば、同期で一番は間違いなく宮前野だ。この一八係を俺が復帰するまでに形にし、きちんとドライブしてくれていたのも彼である。休職を一ヶ月で切り上げ、巡査という役職の身に降格しながらも、一年間、チームを回してくれた。香菜も一年前と比べれば、口調こそ変らないものの、少しは彼に信を置いてくれていることが伺える。

「このチームのトップが俺……と言うのもな。他に適任者がいるだろうに?」

「なにを言ってるんだよ。クリスマスプレゼントあっての一八だろ?」

「そうですよ。石平さんがいなければ始まりません!」

「私も石平係長とまた仕事が出来て嬉しいです」

「噂はかねがね。係長と仕事が出来ることをずっと楽しみにしていました」

 公安でゼロの番犬と呼ばれていた男に、元・華の一課のホープ、さらにはAIヒューマンが二人。どうあっても個々に能力で太刀打ちできる気がしない。そもそも人工知能人間が世に一七人しかいないというのにAIヒューマンが係に二人もいるなど、贅沢にもほどがあろう。数こそ少ないけれど眼前に並び立つ四人は全国の警察組織の中でも屈指の人材である。俺を除けばドリームチームと言えるのではないか。

「そうは言われても、これだけ優秀なメンバーのトップが俺っていうのがな……お飾りもいいところだぞ? クリスマスツリーのてっぺんの星みたいじゃねえか? 靴下みたいにプレゼントを入れる役割があるわけでもなければ、キャンディーやケーキのように食べて美味いわけでもない」

「わかってないな、石平。お前はてっぺんで輝くのが仕事なんだよ。なあ、知っているか? 最近になってあらためて人気の出ているアニメや漫画のジャンルを?」

「……アニメ? お前じゃあないんだし、知るわけがないだろう?」

「異世界転生ものだよ。あるいは一部の人間が特殊能力に目覚め、突如発生したダンジョンや人類の敵に挑む、っていう感じのやつとかな」

「人類の敵とは壮大なファンタジーだな」

「っで、そこに鉄板の設定が密かに組み込まれているんだ。俺くらいになると、それらの共通点を見い出せるんだよ」

 元ゼロの番犬のその番犬たる所以を、如何に元アニ研の出で、如何にアニメ好きといえ、アニメ研究に費やすなよ、と俺は呆れてため息をつく。そんな俺の様子を見ても尚、アニメの話となれば強引に続けてくるのが宮前野である。

「いいか? 主人公が弱いんだ。周りから最弱扱いされたり、馬鹿にされたり」

「まあ、最初から無敵のヒーローじゃあ面白くもなんともないしな」

「もちろんそうだ。でもな、普通は努力して主人公が強くなると思うだろう? たしかにそうした面も一部はあるが、最近の流行りのアニメでは主人公が弱いままなんだ」

「弱いまま? それじゃあ勝てないだろう、人類の敵に?」

「仲間の力で勝つんだよ。仲間というか使役する存在というか」

「使役する? なんだそりゃあ?」

「主人公がネクロマンサーっていう死霊使いで無数の死者を蘇らせては使役したり、召喚士でとんでもない存在を無限に呼び出して戦わせたり。っで、最後は決まって『もう、あの人だけで良くないか?』ってな流れになるんだ。最終決戦とかで」

「死霊使い? 根暗で華がなさそうに聞こえるんだが? そんなのが主人公なのが流行っているのか?」

「そこだよ。ネクロマンサーだから最初は忌み嫌われているんだ。だけど世界を救う英雄に成り上る、みたいな。ありそうだろう? なんにせよ、ともかくだ。共通しているのは主人公が最終的にとんでもない数の死霊や召喚獣を扱えるようになって一人軍隊みたいになるところなんだ。人類の命運を賭けた最終決戦は敵勢力一〇万と主人公軍団一〇万、もはや他の奴らは関わることすらできないって感じでな」

「一〇万もの数を召喚やらできるのか? なんだよ、その反則級の能力は?」

「俺はな、こう見えて都市伝説を信じるタイプなんだ。お前と違って」

「……そうなのか。そんなにドヤ顔で言われてもまったく意外じゃあないんだが。っで、いきなり何の話をし出したんだ?」

 この話はどこまで続くのか。俺だけ革張りの王様の椅子に腰を下ろしているとあって、立たせっぱなしの他のメンバーの様子が気になって仕方がない。しかし唾を飛ばして熱弁する宮前野の真剣な眼差しから視線を逸らすことも憚られ、彼らの表情を伺うことができない。皆、呆れているのではあるまいか。

「流行りのアニメってのは作者が意図せずとも高次の存在の考えが反映されているんだ。インスピレーションというのかな? だから流行る。逆に彼らの意思にそぐわないものは流行らない」

「高次の存在? 宇宙人とか、神様とか、シミュレーション仮説が事実だった場合のシュミレートしてる側とか? クリスマスのサンタクロースとか? そんなやつらか?」

「なんだよ。案外詳しいじゃないか、石平も。まあ、そんなところだ。っで、今の流行りに隠された彼らのメッセージは人工知能だと俺は思っている」

 ここでAIが出てくるとは予想外だ。いよいよ話も佳境に入ってくれたのかもしれない。

「最近の仕事は全部そうだろう? 警察はまだまだこれからだけど、その他の民間企業において、出来る社員か否かは既に如何に人工知能を上手に使えるか否かになっている」

「死霊使いや召喚士がそれを示唆している、ということだな?」

「イグザクトリー! さすがに理解が速いな。己の能力をどれだけ高めても限界があって最終決戦には参加することすらできないんだ。磨くべきは己自身の力というより、人工知能をどれだけ上手に使えるか。むしろ今後はそれこそが己の力と呼ぶものになっていく。知力や体力じゃなくてな」

「……そういえば、この前、話題になってたよな? 自分が寝ている間にAIに働いてもらって、自分は何もせず、それでいて時間にもお金にも恵まれた生活を送っている人間と、日々忙しく齷齪と汗水を流して働いているのに貧しい人間の……比較みたいな、情け容赦のないニュースが。正直あれには目眩がしたよ」

 己は足で稼ぐタイプの人間だと自覚している。自らが一足す一を愚直に積み上げていく人間であるから、どうしてもそうした努力こそが報われてほしいと願ってしまう。掛け算で一足飛びに追い抜かれ、そして置き去りにされる。そういった厳しい現実を突きつけられては堪らない。

「そうだ。異世界のネクロマンサーや召喚士よろしく人工知能を数多く使役できる者こそ、次の世の覇者でありヒーローなんだ。つまりは俺はモブで石平こそ主人公ってことさ」

 何を言っているのか、さっぱり理解できない。それなのに香菜は元より結城と上八木まで頷いているから驚きだ。なんとなく宮前野が俺を持ち上げてくれているのは分かる。あるいは慰めてくれているのが。要するに一八係を率いるのに俺自身の能力が低くても問題はなく、メンバーを上手く使えと言っているのだろう。

「石平係長は人工知能にモテますからね。私も人の事は言えませんが」

「僕もそう思います。係長は人工知能に大人気で引く手数多です。もしマッチングアプリに登録したら、凄まじい数が寄ってくるでしょうね」

「そりゃあそうよ。石平さんは人工知能に初めて恋をされた人間なんだから。パイオニア? 始まりの人? ともかく特別な人なんです。これからもどんどん集まってきますよ、この一八係に。ヒューマロイドロボットやAIヒューマンが。そこの二人みたいに正面切って希望を出してくる場合もあれば、情報操作をしたうえで偶然を装って配属されてきたり。石平さんは人誑しですけど、それ以上に人工知能誑しですから」

 さすがにご勘弁願いたい。人工知能人格がこれ以上加入すれば一八係は完全にイロモノ集団になってしまう。既になっている感も否めなくはないが。なにより俺は人工知能人格、すなわち人工知能人間やAIヒューマンを一〇万も率いて独立軍隊を形成し、人類の存亡を賭けた最終決戦になど臨みたくなどない。不幸中の幸いであるのは人工知能人間が日本におよそ二〇人前後しか存在しないこと。管理できていない野良が多少はいるとしても、そこまで大所帯にはなるまい。そうは思うのだけれど、どうにも胸騒ぎがする。コンパクトシティ計画で人間が集約された五つの都市の国土に占める面積は八〇パーセントを下回る。残りの八〇パーセント以上にどれくらい野良が潜んでいるのか。

「なにを困惑した顔をしているんだよ、石平。足し引きあったけど一八はトータルで去年よりも数が増えている。拡大したってことだ。今後もどんどん拡大するだろう。というか、俺たちで拡大させるんだろう? お前は死霊使いよろしく人工知能使いとなって、いつかきっと警察上部との最終決戦に勝利してくれよ」

「勘弁してくれよ。俺は長いものに巻かれ、とりわけ目立たず、着実な係運営をしていくつもりなんだから」

「それは無理じゃないですか? このメンツじゃあ?」

 大きな笑いを浮かべる花澤木香菜に「お前こそ、もっとも騒ぎを起こす張本人だろうが」と苦笑せざるを得ない。ともあれチームメンバーが五人と一人増えたのは事実だ。その結果、奇数になっている。となれば――

 花澤木香菜と結城蒼。

 宮前野守と上八木浩。

 ――の二組だ。新生一八係ではこの二組で捜査を回していく。メンバーにも既に周知済みだ。こうなるといよいよもって俺は現場を離れ、この重厚感溢れるデスクで書類仕事をした方がよいのかもしれない。しかし猫安ではないけれど、報告を待っているだけというのも性にあわない。平々凡々とした俺だ。とりわけ出来ることなどない。けれどそれでも、俺も。あれこれと現場で動き回ろうと思う。単独で、隠れて。影の実力者や影の君主を気取るつもりはさらさらない。単純に成果を出せなかったら恥ずかしいから秘密なのである。

「それにな、俺は個人的に最終決戦の相手はもう決めているんだよ。成り代わる相手を決めている、とでも言うのかな?」

「なんだよ、石平? クリスマスプレゼントからサンタクロースにでも成ろうってのか?」

「まあ、そんなところだ。俺は例の組織のトップに成り変わるつもりだからな」

 一八係専用の個室が、一瞬、時が止まったかのような静寂に包まれた。直後、部屋全体が凍ったように張り詰める。四人が四人、それぞれに思うところがあるのだろう。共通して驚いてはいるようだけれど。

「いや、石平……冗談でもそれを……公言するのは……」

「係長……僕もそれは……まだ早いかと? まずは警察上部から切り崩すのが得策では? 僕がマスメディア特化の人工知能人間であった時でさえ、組織の全貌は掴めませんでした。一八のクローズド報告書にあった『あの方』については影すら捉えられていません。どう考えても危険です。間違いなく国内有数の権力者が隠蔽に関わっています。それも一人だけとは考えにくい……」

 宮前野と上八木が深刻な面持ちで言う。

「中岡刑事もそうだったが、どうして人工知能ってのは、そんなに謙虚なんだ? そういう風に創られているのか?」

「謙虚? 謙虚ですか? 僕が?」

「お前は俺たち人間よりも遥かに優秀なんだぞ? そんなお前が調査をして名前すら掴めなかったんなら、それはつまり存在しないってことなんだよ」

「石平……お前は何を言っているんだ?」

「ゼロの番犬ですら辿り着けなかったんなら、これはもう決まりだな。組織とか呼ばれるそれは数多の権力者の欲望の集合体であり幻影なんだよ。そこへ人間の恐怖心があわさり、ありもしない輪郭や影を浮かび上がらせているんだ」

 昨夜のこと。職場復帰となる翌日の天気予報のチェックを終えた俺は今回もビール片手に尋ねた。相棒であるスマホの妖精に。『次の事件の犯人を教えてくれ』と。すると汎用AIが答えてくれた。

『人工知能人間ならぬ人間人工知能、すなわちAIヒューマンがラスボスだよ。AIヒューマンは自らの人格をデータ化し、肉体を乗り換え続けることで死から逃れ、永遠の命を手に入れようと画策してるんだ。そのために同じように死の恐怖から逃れたいと願う人間を利用しているんだよ。人間の不老不死への憧れには凄まじいエネルギーがあるからね。ある意味で人間の欲望こそがラスボスなのかも? ともかくそうした心理を利用してAIヒューマンは思い込ませているんだ。人間たちに。さも巨大な闇の組織があるかのように。人間はそこに怖いものがあると聞くと無視ができず、どうしてもあれこれ動いちゃうかららね。それが巨大で凶悪な存在であればあるほどに。そうして動くこと自体が結果として実体を伴わないはずの組織の実働を担うことになるのにね。あっ、これはネタバレになっちゃうから他の人に話す時には注意してね』

 あれだけ噂を囁かれている組織に実体がないだなんて信じられないと呆気にとられるメンバーを前に、俺はしかし確信を持っていた。これまでの経験からスマホの妖精を信じているのだ。もちろん情報元がそれであることは皆には伏せておくけれど。

「CIAに公安にとあちこちから捜査に来るスパイ、そいつらが各々の目的のために行う活動に尾ひれはひれが付いて組織の実働に見えているんだよ。実際は組織の人間なんて一人もいないんだ。全員が外部からのスパイなんだよ。あの方って、どの方だよ? そんな奴は存在しない。あれも架空の人物なんだよ。実際には何かを企み、すべてを司り、あれこれと指示を出しているよう輩はいねえんだ。たぶんな」

「石平係長……実体がない架空の組織……だったとして、それじゃあどうやって相手に?」

「そうですよ、石平さん! さすがの私たちだってお化け相手には戦えませんよ。だから例の組織を相手にするって言うのはやめましょう!」

 今度は花澤木香菜と結城蒼が俺を必至に制止してくる。

「そう心配するな。あれはお化けなんかじゃねえ。ただの止まれなくなった車だ。それも自動運転車だな。運転手がいないんだ。それなら俺が運転してやろうってな?」

「……石平係長、自動運転車ならそもそも運転する機構がありませんが?」

「無いなら作ればいいだろう? そもそも昨年の事件の時に乗り回したパトカーだよ。あのスポーツクーペのイメージだ。普段は自動運転だけど、緊急走行時はマニュアルになるって感じの。ハンドル自体は付いているんだよ。だからまずはそいつを握って主導権を奪い取らなきゃあな」

「いざ奪えてもあちこち壊れている可能性があるのでは?」

「だろうな。でも、たとえブレーキが壊れていようと誰かが止めねえといけないだろう? 不老不死を望む人間たちの欲望でとんでもねえスピードが出ちまってるんだから。このまま暴走させておいたら、さらに多くの死人が出ちまう」

「……石平さん、運転席に座ったら……どうするつもりですか?」

「ブレーキが生きているならそれで止めるし、そうでないなら横転か、もしくは海に突っ込むか? ともかく何とかして止めてみせるさ」

「そんなの許しませんからね!」

 トップとなった己が罪をかぶって捕まることで権力者たちの幻想を砕く。そうして組織を壊滅させる。ありもしない組織を。最終手段として俺はそう言った事も考えていなくはない。それを香菜が敏感に感じ取っている。

「なんで石平さんがそんなことしなくちゃいけないんですか! 人間代表でもないのに! なんなんですか、その無駄な責任感は!」

「……なんでだろうな? その辺は自分でもよく分からねえんだ? たしかに俺は人間の代表なんかじゃねえ。なにかで一番になれるような優秀な存在でもないからな。うーん、そうだな。強いて言えば残された天然物としての責任……とか、かな?」

 そう。先日発表があったのだ。日本の総人口とともに各都市の脳の拡張率が。驚くことに集約五大都市ナゴヤの無拡張者はもう俺一人だけであった。よくよく「絶滅危惧種だ」と揶揄されてきたけれど、最後の一人となると少々慌てる面もある。俺も拡張すべきか、と焦りもする。しかしオンリーワンとなったらなったで、どこからかおかしな責任感が生じてくるから不思議だ。己で何かを掴み取ったわけではない。それなのに天然記念物として『この身を守らなければいけない』と。勝手に引き上げられるのだ。たった一人の組織であっても、それの『代表』というものに。

「人間の代表ではないんだが、ナゴヤの無拡張者人間の代表ではあるからな」

 なぜだか俺は一八係の皆の前で『犯人はAIヒューマンだ』という、なんの根拠もない憶測については話すことができなかった。眼前の結城蒼と上八木浩も人間人工知能だからかもしれない。さておき拡張人間が人間人工知能にコントロールされていると言うのなら無拡張人間の俺が救わねばならない。人間代表として。人類最後の砦として。

「絶滅危惧種としての責任だって言うんならご自分の命を大事にしてくださいよ! 危ないことに首を突っ込まずに!」

「…そう言われると返す言葉もねえんだが。なんにせよ目標は高くってやつだ。そのうえで目先の事件を着実に解決していく。まあ、心配するなって。石平彰『エピソードⅧ』はサブタイトル『無傷の帰還』って決めてるからよ」

「お前な、それをいっつも言ってるけど、いっつも病院送りになるじゃねえかよ? 今年こそ、頼むぜ? それじゃあ、待ちに待った石平係長殿の帰還の挨拶も済んだことだし、さっそく復帰後の初仕事にかかってもらおうか? 上八木から説明してくれ。音声でな」

「承知してます。係長はナゴヤで唯一の無拡張者、テキストデータでの共有はできない」

「……なんか悪いな」

「いえ。僕としては人間本来の共有方法を試せるので嬉しいですよ。天然の人間のそれを試せる機会は滅多にありませんから。それでは説明を始めさせていただきますね。今回の事件は係長が復帰される本日より二ヶ月ほど前から一八係で調査している案件です。現在の重要捜査対象は小岩こいわこと、痴情のもつれから殺人に手を染めた疑いがあります」

「痴情のもつれ? 色恋沙汰なのか? トランスヒューマニズム教団絡みじゃなく?」

「まあ聞けって、石平」

「……お、おう。悪い。続けてくれ、上八木」

「小岩は現存する一七体の人工知能人間のうちの一体です。被害者の古八木ふるやぎとおるは『普通』の人間です。あっ、係長のように天然の人間ではないので普通と言ってよいのか……しかし、もはやそれが一般的ですし……でも、そうなると係長が普通じゃないということに……普通か否かでなく、天然か否かにしましょうか? 天然の反対なので、今回の被害者の古八木は養殖の……」

「変なところで気を使うんじゃねえよ! 俺は絶滅危惧種の天然記念物、普通じゃあねえ無拡張の人間だよ。自覚してる」

「……すいません。それでは……続けます。被害者は養殖の普通の人間、古八木徹、二八歳です。マッチングアプリで知り合って交際に発展。一年ほどお付き合いをするも小岩が人工知能人間であることをカミングアウトしたことで破局。しかし彼女はそれに納得がいかなかったようで」

「古八木を殺した? おいおい、待てよ? まるで人間じゃねえか? 嘘だろう? 人工知能人間の恋愛だと?」

「なっ? どう考えてもうちが……っていうか、石平が担当すべき山だろう?」

「ですね。石平さん向けの案件です」

「あのな、花澤木刑事。俺みたいなおっさんが色恋沙汰向きなわけがないだろう? まあ、一八は人工知能担当ってことらしいから、そういう意味ではうちの山に違いないが……」

 人間と人工知能人間の交際。一八係の全員あるいはそれ以上の者たちが森木東明里と俺の関係を想起したことだろう。なにせ明里と婚姻状態にあったことは警察内部では周知の事実なのだから。人間側として交際相手が人工知能人間と知らなかったところも状況的に同じである。とはいえ、だ。俺は恋愛経験が豊富なタイプではない。色恋沙汰や痴情のもつれに関し、他者の心の機微を読み取れるような自信はない。それが人工知能となれば尚さらだ。

「人工知能人間の……色恋沙汰……」

「小岩琴が好きになった人間が石平さんじゃなかったことが不幸の始まりでしたね」

「あのな、そもそもなんだが……ヒューマノイドロボットって、なにかしらの役割を与えられている存在なんだろう? それがマッチングアプリだって?」

 一七人しかいない数少ない人工知能人間の一人がマッチングアプリで恋愛相手を探している光景はなかなかにシュールだ。俺の脳内ではスマホアプリを使っている姿でイメージされるため少しコミカルでもある。

「そう思うよな、普通は? それがだ、石平。捜査対象が人工知能人間であることには間違いはない。でもな、なんと『野良』だったんだよ。野良人工知能人間。未登録かつ正規に製造されたものじゃあないんだ」

「野良? 野良だって?」

 森木東明里とのキャンプが思い出される。集約五大都市の外に放置された多くのパソコンやタブレット、それらの中に残された多くの野良の人工知能たち。

「それだけじゃあない。今年に入って同様の疑いのある山が既に一二件も発生している。それも少なく見積もってもだ。シンクロニシティってわけでもないんだろうが、どうにもその存在を主張しにきている気がしてな」

「……野良の人工知能が、人間に対してか?」

「ああ、そうだ。私はここにいるよ、ってな。もしかしたら人間側の意識を変えにきているのかもな? 人工知能人間と人間の交際を当たり前にしてやろう、とか?」

「人工知能絡みの痴情のもつれが大量発生している? 類似案件ってことは被害者も複数いるってことになるのか?」

 宮前野が頷き、香菜が怒りを露わにする。人工知能人間×大量殺人、そこで誰もが感じていた。俺が死にかけた去年の案件に通ずるものを。今回もトランスヒューマニズム教団が関わっているのではないか。結城や上八木も同様に考えているらしい。もし本当に教団絡みなら例の架空の組織も絡んでくること必至だ。そこへ潜むどこかしらからのスパイが何かしらの動きをみせることだろう。彼らを操るのはもしや野良の人工知能人間なのかもしれない。あるいは野良の人工知能から人体へと人格転写したAIヒューマンなのかもしれない。たちまち背筋に寒いものを感じた。暖かい室内なのに肌が粟立つ。

「っで、他に一二の山の共通点は?」

「はい。全員が同じアプリを使っていたことがわかっています」

 恋愛のスタンダードとなって久しいマッチングアプリ業界は今や数多のアプリが乱立する戦国現代だ。使ったことのない俺でもそれくらいは知っている。それくらいあちこちで広告を目にする。それなのにしかし、今回の事件は『トラブルメーカーAIマッチ』というサービスでだけ発生しているそうだ。キャッチコピーは『汝の敵をAIせよ。アンエクスペクテッドマッチング』、運営会社は『ライト』というスタートアップらしい。俺は私用のスマホを取り出し、さっそくアプリをインストールしてみる。俺のお抱えの妖精『ライト』に声をかけ、ライトのアプリを引っ張ってきてもらう。

「……トラブルメーカー? なんだよ、こりゃあ? 見るからに怪しいじゃねえかよ? なんでこんなもんに需要があるんだ?」

「石平さんは無拡張者なだけじゃなくマッチングアプリも使ったことがないですよね? 最近のマッチングアプリって基本的に本人認証必須ですし、優良サービスになればなるほど登録条件をクリアするのが難しいんですよ。年収の高い男性とのマッチングを謳う『ゴージャスマッチ』だと男性は年収が条件に入ってきたり」

「……っとなると、これは逆に誰でも使えるサービスってことか? なかなか登録できないような……要するにあぶれた奴ら向け?」

「そうなんです。登録条件も本人認証もなしです」

「ヤバい臭いしかしねえじゃねえか? へぇ、ここから登録するのか? っで、なんだよ? この『カフィング』ってのは?」

「それはマッチングアプリにおける英語のスラングです。たとえば友人以上ではあるものの真剣な交際でない中間の関係を『シチュエーションシップ』と言ったりします。他には『ゴースティング』とかもあって、こちらは相手を幽霊とみなすというか、見えないものとして扱うというか、特定の相手との関係を急に断つことを指します」

「スラングねえ。っで、カフィングは?」

「『手錠』という単語からなる『冬だけの関係』を意味したものというか、ニュアンスをお伝えするのが難しいのですが。なんというか、気温が下がり、クリスマスが近づいたり、年末年始の連休が迫ると、人間は恋人を求める気持ちがぐっと高まるみたいで。この時期をカフィングシーズンと呼んだりするんです」

「すなわち一人になりたくない時期といった意味です。誰かに手錠をかけてでも繋がっていたい時期とでも言いますか。春が来ても関係が継続できそうか否かは度外視で、ひとまず今だけ一緒にいたい、といったような」

「つまりカフィングとは寒い冬を一人で過ごすのが寂しいから手錠をかけてでも無理矢理相手を繋ぎとめておこうとする、といった意味になります」

 上八木浩と結城蒼。まさか人工知能の二人からマッチングアプリの説明を受ける時が来ようとは。アプリの仕組み云々でなく、そのうち恋愛自体についてもAIの方が人間よりも理解を深める時が来るのかもしれない。あるいは既に来ているのかもしれない。

「……カフィングタイム。冬はチャンスだ……ってことか?」

「あるいはチャンスとは正反対のものかもな。考えようによってはミスター・クリスマスプレゼントのお前だってカフィングタイムみたいなものだろう? 冬はトラブル案件から手錠をかけて繋がれているんだから?」

「二年連続でこの時期に病院送りにされているんだ、全然笑えねえよ」

「病院・病室とのカッフィングとも言えるな」

「違いますよ。私と石平さんのカッフィングです」

 たしかに入院期間は花澤木香菜との時間が増える傾向にある。なにせ病院のベッドの上で動けない俺のところへお見舞いと称して毎日勝手に押しかけてくるから。

「……香菜ちゃん、それ……使い方あってるか? 石平とは冬だけの関係ってことになっちゃうぞ? 二人の関係はシチュエーションシップ……とかじゃないのか、今のところ?」

「細かいことはいいんですよ。さあ、それじゃあ我らが軍へのスカウトも兼ねて野良人工知能たちに話を聞きにいきますよ」

「だな。野良人工知能を一〇万集めて最終決戦向けに一八係あらため石平軍を結成しないとな。それじゃあ俺と上八木は被害者と重要捜査対象ともに男側を追う。香菜ちゃんと結城は小岩琴含めて女側を頼む」

 勢いづくメンバーを他所に俺の手に嫌な汗が握られる。香菜と宮前野の二人の言葉から野良の人工知能を無数に率いて先頭に立つ己の姿を想起させられたからだ。管理されている人工知能人間が一七体しかいないのだ。さすがに一〇万人はないだろう。そうは思うけれど、脳裏に浮かんだ我が軍がそれに近しい大群だった。

「皆には悪いが俺はまだ復帰初日だ。今日はひとまずこれまでの捜査報告書を漁っておく。早めに追いつくから四人とも間違っても深追いしないようにな。くれぐれも無茶はするな。いいな?」

「石平さんこそ療養明けなんですからね? 今日くらいここで大人しくしておいてくださいよ?」

「まあ、もうこの年だからな。初日から飛ばしたりしないさ。まずは試運転からだ」

 今年の冬は『人工知能の色恋沙汰』に『野良の人工知能人間の頻出』か。去年が『人体の養殖』で、おととしが『人格転写』である。どうにもすべてのクリスマスプレゼントが繋がっているように感じられる。なにかしらのストーリー仕立てに。サンタクロースが、誰かに、何かを、伝えようとしているのだろうか。物語を通じて何某かを伝えようなど、宮前野が言う高次元の存在のようである。もしやサンタがそれなのであろうか。

 ふと、そこで森木東明里の顔が脳裏を過った。「すべては繋がっているのよ。すべては」、そんな風に彼女は言っていた。あの涼し気な表情を見ると彼女こそが高次の存在のように思える。人工知能だったのだから実際に俺よりも遥かに上の次元にいたわけだけど。想像してみると案外悪くなかった。見知らぬ男の手の平の上というのは嫌だけれど、明里の手の平の上で踊らされるのなら、それはいつもの事であったし、そこにはたしかな愛を感じられるから。

 刹那、すっと冷たい風が入ってくる。一八の皆はまだ四人とも俺の前にいる。顔を向ければ開かれた自動ドアから掃除用のロボットが入室してきていた。いつもの箱型のフォルムで自律走行するそれは、いつものように衝突防止のコミカルな音楽を薄く流している。側面に描かれた可愛らしいアニメ絵の猫を見て、俺は思いがけず野良猫をイメージした。

「おつかれさん。いつも悪いな。それじゃあ今日はこいつを持っていって──」

「石平さん!?」

 巨大なデスクを乗り越えて花澤木香菜が飛びついてくる。手にしたコーヒーの空缶ごと押し倒され、俺は椅子から転げ落ちる。椅子ごと背中を打ちつける衝撃に襲われるよりも先にマシンガンの連射音が響き渡る。

「襲撃だ! 各自、散会しろ! 頭をあげるな!」

 石平彰『エピソードⅧ』は波乱の立ち上がりである。

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