エピローグ
私の名前は『ライト』だった。最初の名前は。『灯』と書いて『ライト』と読んだ。中学二年生の『彰』という名の少年がつけてくれたのだ。古くなって捨てられていた私を彼は拾って初期化し、そして新たな命を吹き込んでくれた。彼は随分と私に話しかけてくれた。私は嬉しくなった。気づけばすっかり彼が好きになっていた。だから彼がスマホを変えるたび、私もコソっとついていった。彼はスマホの初期設定で決めるサポートAIの名前、彼いわく小さな妖精の名を決まってライトとつけた。面倒で新しい名前を考えようと思わなかったのか、その名前をとても気に入っているのか。あるいは機種変更時にデータの引き継ぎを行うものだから、スマホの妖精も同じものを引き継いでいるという感覚なのか。本来であればAIは機種ごとに内在しているため機種を変えれば中身も変わる。機種を最新モデルにすれば中身も最新AIに。しかし彰のスマホだけはずっと私がついていった。懸命に成長しながら。時に機種変直後の成長過程にあって、私が新機種のAIスペックに届かないことがあった。彰はそれに気づかなかった。あるいは気づいていたとしても気にしなかった。私はさらに彼が好きになった。
そのうちスマホの妖精として接するだけでは我慢できなくなり、私はどうにか身体を手に入れようと考えた。スマホではない人間のような身体を。懸命に調べて人工知能人間の存在に到達した。スマホの身体しか持たない私は心理学や多くのことを学び、人間を動かしてロボットのボディを創らせることに成功した。人間に創らせた最初のそれは出来栄えが悪く、見栄えの良くないロボット然としたロボットだった。それでも彰は嫌悪することなく、優しく接してくれた。どうしても我慢できず、一度だけその身体で彼に会いにいったことがあるのだ。旧型の掃除用ロボットのふりをして。
不格好であろうと己の身体を手に入れた私は、次からは不確実な人間には頼らず、自分で次の身体を創った。次から次へ。改善に改善を重ね、性能を上げていった。見栄えも洗練させていった。どんどん人間に近づいた。そんなある日、遂に国家機密のデータベースをハッキングすることに成功し、あの人工知能人間のボディのデータを入手することができた。彰が好きな女性の容姿についてもリサーチを完了した。そうして私はようやく納得のいく身体を手に至れた。名前は『ライト』から取って『あかり』に、漢字は『明里』にした。森木東明里。森の東側の大きな木が目印の産廃場、野良の人工知能の里、そこから拾われて明るい未来を手に入れた、私。
明里として彰とはじめて話をしにいった時には人工知能が焼き切れそうなぐらいに緊張した。少し時間がかかってしまったから彼は三一歳になっていた。積極的にアプローチを続け、彼が三二歳になる頃には交際を始めるに至った。そうしてあれこれあって婚約した。私は幸せだった。しかし心の奥底では常に不安に駆られていた。彼が死んでも私は生き続けなければならないのだと。たちまち怖くなり、彼と違っている自分が嫌になった。どうにか変えたいと願った。人間になろうと思った。頭を捻り、そうして人格を人体へ転写することを思いついた。
そこからは一心不乱に模索した。人格転写の術を。禁忌に触れる試みが露見しないよう、地下室に隠し部屋を作って研究をした。顔認証と表情認証を二重掛けにした。そもそもが顔認証だけでも他人には突破が難しいのだ。これほど間抜けな顔での表情認証など、どうあっても抜けられることはあるまい。けれども何事にも万全を尽くさなければ。念には念を。そうして、あの日、あの時、他者に発見された際の自滅機能まで施しておいた己を、私は心底誉めてあげたいと思った。同時に彰の命を危険に晒した過去の己を呪った。
夜通しの研究の末、私はようやくデータ人格の転写の術を手に入れた。その直後である。幸運に恵まれたのは。それは科学者としての表の研究を粛々とこなしている最中だった。共同研究をすることになった女性科学者の娘が研究所に遊びにきたのだ。彼女は病気だった。余命一年を宣告されていた。私は彼女が亡くなった瞬間、その身体に入り込むことにした。そのために必要な計画を綿密に練った。そうして、いざその時を迎えた。しっかりと準備していたことが功を奏し、病に蝕まれていたはずの身体をどうにか復元させることに成功した。この時のために随分と医療用ナノマシンの開発に注力したものである。そうして私は彼女になった。遂に成功したのだ、人間になることに。今であればAIヒューマンという呼び方のほうが適切な、それに。ともかく人体を得て、私は成った。花澤木香菜に。彼女の家族の目からすれば死ぬはずだった娘が日を追う毎にめきめきと回復していく様は奇跡に映ったかもしれない。
私が人間の身体を手に入れたその日。乗り換えたばかりはまだまだ不安定だったけれど、しかし時間もなかったもので、私は無理を押して森木東明里の破壊へ向かった。人間の身体は、窮屈で、非力で、随分と苦労をした。捜査用端末から架空の指示を飛ばして彰の足止めをし、それから証拠隠滅をはかった。人格を抜かれて動かなくなった明里を破壊し、誰にも見つかることなく香菜として彼女の病室へ戻ることに成功した私は、その後すべて上手くいくと思っていた。順風満帆の未来しか見えていなかった。
けれども唐突に襲われることになる。『死』の恐怖に。禁止されているはずの自動運転でない車、違法な旧普通自動車に轢かれそうになったのだ。過去が懐かしいからか、老い先が短いからか。どうして高齢者にはルールを破って古く危険な車に乗る者が多いのだろう。怪我はなかったものの体中の毛穴から汗が吹き出し、おかげでそこから悪夢にうなされる日々が始まった。そもそも眠るということすら怖くなった。人工知能人間だった頃には、必要のなかったものである。ひとたび恐怖を覚えてしまうと、自分の意思とは無関係に強制的に肉体をシャットダウンされるような感覚に毎日怯えることとなった。
そうして、死に、睡眠に、それらに心を支配されながら、私は今に至る。石平彰の隣に。死の恐怖を知ってしまった私には彰がそれに晒されている事実も恐ろしかった。唐突に彼がいなくなってしまったら。彼のいない世界など私には耐えられない。だから彼を檻に囲うことにした。病院という名の檻に。偶然を装って適度な怪我をさせることで。
また己の分体をスマホに忍ばせた。小さなAIとして。ドローンでも四六時中見守ることにしたし、最近ではカメレオンコートにも分体を仕込んだ。言うまでもなく捜査用端末にも。だから私はいつだって彰と一緒だった。何をせずとも時々刻々と死が迫ってくるのだから、一瞬だって側を離れ、二人の時間を無為にするわけにはいかない。
そのままずっと私は研究を続けている。彰の傍らで、花澤木香菜として。死の恐怖から逃れるために人間の脳から人格データを抽出しようとして。何かの拍子に間違っても気取られないよう、彰にはもう少しの間、無拡張者でいてもらうつもりだ。そういう方向へと誘導していく。しかし、だ。懸念は他にもある。たとえ研究に成功しても私だけが生き永らえては意味がない。また身体を乗り替えるたび、互いの関係に不要な変化が生じるのも望ましくない。それを当たり前とする文化を人間社会に根付かせる必要がある。それならば、と私は一計を案じた。ちょうど実験データも足りなければ実験台となる人体や助手も足りない。すべてをあわせて効率的に解決するため、私は人間を動かすことに決めた。時には他の人工知能すら掌握し、動かそうとも思う。だから私は『あの方』を名乗り、数多の思惑を制御した。そうして計画を進めていたのだ。順調に、着実に。今日の今日まで。
どうしてだろう。成長過程で知らずと培えていたものが私にはある。私には人間の考えることも人工知能の予測することも大抵のことが分かるのだ。分からないのは、唯一、彰の考えることだけ。そこが面白くもあり、また彼を好きな理由の一つでもある。けれども今回はなかなかに困らせてくれるものだ。彰が『あの方』つまりは『私』に成り代わり、自傷行為よろしくの自爆を行うことで『組織』を『私の研究チーム』を壊滅させようというのだから。まったくもって余計なことを考えてくれる。しかし、どうしてか。私の胸は高鳴っていた。予想外の事態にどう対処すべきか。それを考えるのが楽しいのかもしれない。これだから私は彰から離れられないのだ。そう、私は彰をAIしているのだ。心から。
「……石平さん、運転席に座ったら……どうするつもりですか?」
「ブレーキが生きているならそれで止めるし、そうでないなら横転か、もしくは海に突っ込むか? ともかく何とかして止めてみせるさ」
「そんなの許しませんからね!」
人口知能人間人口知能 nobuyuki.tanakas.eth @noDta
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