第1話

「──考え事ですか、石平さん?」

「なんでもねえよ。今朝のはちょっと水っぽいな、と思ってな」

「缶コーヒーの味のごく僅かな違いが分かるんですか?」

「まあ、なんとなくだ……」

「悩み事があるなら聞きますよ? ストーカーというのか、特定の女性からつきまとわれている、という報告があがってきていますし」

 思わず吹き出しそうになる。かじかむ指を熱々の缶で温めながら、そっと二口目に口をつけたタイミングだった。わざとではあるまいな。疑いを向けるも葉の落ちたイチョウの木の傍らで薄闇に溶け込む相棒は至極真面目な顔をしていた。その姿は二〇代半ばと若く、太い眉が意思の強さを象徴している。高い鼻も真っ直ぐで一本筋が通っていた。万人の第一印象が真面目そうであること請け合い。そうなるように創られているに違いない。

「あいつは関係ねえよ。悩むほど大層なもんじゃあねえ。仕事の邪魔にならねえよう、配慮もしてくれてるしな。って、なんで初対面のお前があいつのことを知ってんだよ?」

「情報元は固く秘匿されています」

「ったく、誰だよ、余計なことまで報告してる奴は……」

「まあ、彼女は私と同じ捜査一課の人間ですから。職責上は私が上司にあたりますしね。誰からの報告かはさておき、それくらいの情報は持っていますよ」

 集約五大都市ナゴヤ。日本のほぼ全人口が、そのいずれかで生活を送っているとされる五つの都市は、今やそれぞれに独立国家の様相を呈し、独自の文化を持ち、独自の発展を遂げている。さながら戦国時代のように。そのうちの一つ、日本国の中心近くに位置するこの都市の空は相も変わらず狭く、コンパクトシティ計画によって密集された高層ビル群に四角く切り取られている。歩む道幅さえも狭めんばかりの無機質な山々が、今朝は誤って分厚い雲までその窮屈な囲いに捕まえてしまったらしく、まだ五時とはえ、いつもよりも随分と暗い朝である。街路樹の間に間に生える外灯も一度は業務を終えたものの、再び点灯すべきかどうかと迷っては明滅している。

 それにしても人間が行き来を始める前の仄暗い無人の都心は騒がしかった。頭上を飛び交うドローンが人間の活動時間に入って速度制限をかけられる前にと忙しない。けれどもそれら赤や緑のストロボライトを見上げていると、何かに魅入られたように静謐な時間に包まれ、寒さの厳しい現実から逃れられるから不思議だ。気の滅入るような曇天でさえ、いつまでも眺めていられる。もちろんずっとそうしているわけにはいかないけれど。

 こぼれた溜息が白い色を帯びて具現化し、ふわりと眼前に浮かび上がる。同様にあらたな事件が俺の目の前に姿を現したのは、遅ればせながら衣替えを行い、冬物のコートを引っ張り出してきた翌日のことである。どうしてか、去年も、おととしも、俺が担当するこの時期の事件は面倒なものばかり。今年でかれこれ六回目。六年連続だ。三度目の正直も二度目となる、エピソードⅥである。そもそも師走には事件自体が多いらしい。寒さが人間の心に干渉するからか、年越前に入り用となるからか。もしかすると、やり残しがないようにと駆け込みで犯行に踏み切っている輩もいるのかもしれない。ともあれ事件の数が増えれば増えるほど、イレギュラーに当たる確率もまた増える。俺は刑事部の刑事である。けれども、だからといって、なんでもかんでも犯人を追いかけるわけではない。警察という組織は役割分担がはっきりしているからだ。それぞれの捜査に専門性を要する、いわゆるエキスパートという類の職業である。俺の所属する捜査二課の担当は主に脱税や詐欺などの知能犯。ゆえに今回のような殺人事件は管轄外。それをこそ主戦場とするのは、お隣の華の捜査一課である。さらには宗教絡みの面倒事は公安のテリトリーであるはずで、言わずもがな今回の捜査に俺が抜擢されているのは異例中の異例と言える。

 ──新興宗教団体『トランスヒューマニズム教団』の信者が相次いで自殺している。

 目下、警察内部で重大事案に取り上げられている事件だ。どうにかまだマスコミには嗅ぎつけられていない。けれども被害者の数は近年稀にみる多さ。それぞれの関連性を突き止められるのも時間の問題だろう。話題性も十分で、ひとたび情報が漏れたならSNSが社会を賑わすこと必至。そうなる前に事態を収束せねばならない。ナゴヤ警察の威信にかけて。さりとて如何せん、人手不足が否めない。人口集中によって都市部の犯罪は年々増加しているのに警察官の人数は全国的に減少の一途をたどっている。ナゴヤもその例に漏れず、だからこそ重大事案だというのにまるきり門外漢の俺が割り当てられているわけだ。そうでもなければ復帰直後に担当外の大きな山など、上司の不評を買ってしまったための嫌がらせか、何某かの陰謀に巻き込まれているか、どちらかである。

「……情報は持っている、ねえ? えらく調べているんだな、俺のことを?」

「なんですか、その嫌な目は? 石平さんの情報という意味ではありませんよ。部下のことはそれなりに把握している、という意味です。それにバディのことは事前にある程度は把握しておくものでしょう?」

「……ある程度は、ねえ?」

「だからなんですか、その反応は? 逆に調べられると困るような後ろ暗いことでもあるんですか?」

「まあな。なにせ俺は、とある諜報機関のスパイでナゴヤ警察に潜入していて、とある組織の行方を追っているところで……って、冗談だよ。なんだよ、その顔は。こんな安っぽい話を真に受けるんじゃねえよ。そんなことより、さっさとやることやろうぜ。じっとしてると寒くてかなわねえや。なにより寝ちまいそうになる。パッと解決してくれるんだろ? 捜査一課のエースが?」

「善処はしますよ」

「頼りにしてるぜ? しっかし、まあ、宗教に……自殺ねえ。触りを聞いただけで関わりたくねえ案件じゃねえか。ブランク明け早々に毎回毎回……勘弁してほしいぜ」

「クリスマスプレゼントなのに何を言ってるんですか」

「そんなプレゼントいらねえんだよ!」

 どこまでが本気で、どこからが冗談なのか。初めて組む相手だからと言う点を差し引いても傍らの相棒からは感情が読み取りづらかった。冗談が通じているのか否か、その返しなのか否か、判別がつけにくい。どこかしら明里に似た雰囲気もあり、達観しているというか、死の理を超越しているというか、叩くと予想外の音を鳴らす鐘である。

「冗談というか誤解ですよ。『クリスマスプレゼント』というのは石平さんのアダ名です。警察内部で有名な。もしかして知らないんですか?」

「はあ? なんだよ、それ? 知らねえぞ? 俺がクリスマスプレゼントだってんなら、サンタは誰なんだよ?」

「サンタが誰かは分かりませんがプレゼントが贈られた相手は私みたいですね、今年は」

 四〇歳を迎えた俺は相当に稀有な存在と化している。自覚もある。なにせ、ここのところの五年間は一年に一日か二日しか働いていないから。もちろん『働かない』でなく『働けない』だ。婚約者の明里を失って、もうすぐ六年。あれが春先のこと。その年の冬からだ。事件を解決するたび、全治一年あまりの負傷を負い、休職を余儀なくされるようになったのは。労災やら保険で生活は賄えているものの、あまりに繰り返される入院生活に、俺自身、うんざりしている。さすがに疑わしく思われたのだろう。不正行為ではないかと保険屋から調査に入られたこともある。もちろん嘘偽りなく、しっかりと負傷しているのだけれど。サンタクロースか、神様か。どちらにしろ何某かの大きな力の介在を疑いたくなる。それほどに偶然とは思えない状況が続いている。

「石平彰。警察組織にとってのクリスマスプレゼント。活躍は一二月のみに限られるものの、どんな事件をも解決する敏腕刑事。ゆえに師走における一番大きな山へ割り当てるべし。職責や管轄を問わずに。っと、言うことで私のほうこそ頼りにしていますよ?」

「……おいおい? なんだよ、そのふざけたラベリングは?」

 事実なのか、冗談なのか。思えばしかし、俺が病院送りにされてきた五つの事件は客観的に見てもすべて大きな山である。今回の宗教絡みの重大事案といい、まさか本当に難事件ばかりを割り当てられているのか。俺自身はとりわけ能力は高くなく、運やその時々の相棒の力によって結果が出ているだけにすぎないと言うのに。

「いいじゃないですか。悪口でなく称賛の意味で使われていましたよ、クリスマスプレゼント。それでどうします? 関わりたくない案件ということでしたが?」

「どうしますって、どういう意味だよ?」

「過度にストレスのかかる業務へのアサインはパワハラに該当します。ストレス診断を実施のうえ、数値次第でいつでも配置転換の申請が可能です。この場で診断を行いますか?」

「……頭の固いやつだな。必要ねえよ。ただの愚痴だ。それこそストレス発散のためのな。いちいちマニュアル通りに拾わなくても俺は自殺したりしねえよ」

「それはフラグというものですか?」

「やめろ! そんなもん回収したかねえんだよ!」

「安心しました。元気そうですね。現場復帰直後と言うことで少し心配していたのですが。それでは捜査を開始しましょう。まずは本部より受信した、これまでの捜査データの共有からです」

「音声データで頼むぜ。俺は脳を拡張していないんでな。テキストデータを受信することができねえんだ。必要な部分だけかいつまんで音声での共有を頼む」

 瞬間、相棒の瞳が僅かに揺れた。事前に把握はしていたものの、俺の口から直接聞けたことで、ようやく彼の中で事実が事実へ昇華されたのだろう。それまでは半信半疑だったわけだ。たしかにこのご時世、無拡張者はもう少ない。それこそ天然記念物に等しい。

「なにが善か悪かと同様に、なにが必要か否かは人それぞれです。私の主観での要約となることをご承知おきください」

「織り込み済みだ。そういう前置きも必要ねえよ」

「わかりました。それでは共有します。本件の重要捜査対象は私と同じX型人工知能搭載ヒューマノイドロボット『XGY28122023』、個体名『野津田のつだ健次郎けんじろう』です。教団内ではナゴヤ支部の支部長、すなわちナゴヤの教祖に位置づけられています」

 捜査対象もそれを追う刑事も人工知能とはまるでSFである。俺のような冴えない刑事でさえ、尾ひれはひれを付けられてまで現場復帰を期待される一番の理由は一重に人間不足に尽きよう。これで被害者まで人工知能であったなら俺の出番もなかったはずだ。けれども残念ながら、そうしたケースは未だ一例も発生していない。見た目が人間そっくりなヒューマノイドロボット『人工知能人間』は極めて数が少ないからだ。半世紀前に盛んに叫ばれた多くのSF的な進化の予想や期待に反し、まだまだ俺たち生身の人間が汗水垂らして働かなければならない世界が続いているとは、まったくなんというミステリーなのか。数十年前と比して格段に社会的地位を増大させている現代にあって尚、市民権を獲得した人工知能は、数にして『人類の〇.〇〇二パーセント』にも満たない。

 やれ、人類が絶滅に追い込まれる可能性が──

 やれ、地球の生態系を歪めてしまう恐れが──

 その他にも様々な理由がこじつけられ、〇.〇〇二パーセント以上の導入が禁止されているのだから増えなくて当然とも言えよう。人間側の見えない恐怖や嫌悪感に裏打ちされた抑制あっての、現状である。

 そういうわけで彼らと関われる機会は未だ極めて稀であった。優れた頭脳を持つ人間として、たびたび人工知能の引き合いに出される『MENSA』、その定義は『人類の上位二パーセント』にあたる高い知能指数を保有することだと聞く。純粋に数の比較だけをすれば、人工知能人間はその千倍もの希少性を持つ。MENSAの会員と遭遇するだけでもレアな体験なのだ。ヒューマノイドロボットともなれば一生のうちに出会えることが奇跡に等しい。

 かくいう俺も、今、はじめてその存在を認識したうえで相対している。X型人工知能搭載ヒューマノイドロボット『XNT08181982』こと『中岡なかおか隆聖りゅうせい』巡査部長に。

 本部庁舎で声を掛けられた時には驚きを隠せなかった。暗いから見えにくくて云々という次元ではない。完全に人間だったのだ。あまりにも人間で、想像の何倍も人間だった。この男がロボットなら、もしや己もロボットなのではあるまいか。そう不安にさせられるほどに。薄闇の中、オフィスビルのガラスへ映り込むスーツ姿の二人の男。一方は型遅れのロングコートを羽織る中年で、もう一方は流行りだというカメレオンコートをぱりっと着こなす青年である。その片方が人外であろうなど誰が疑えよう。その実、朝の四時に緊急招集をかけてきた非常識者は、一見して部下の側に見えるロボットだと言うのだから、現実は小説より奇なりである。

「ナゴヤの教祖? 人間様の教祖を……ロボットがねえ? っで、その野津田ってのも見た目は人間と大差ねえのか?」

「はい。四年前の失踪する直前のデータにはなりますが、登録情報によれば人工知能の性能もボディのクオリティも私と同レベルです」

「お前と同じレベルか。となると、どっからどう見ても人間ってことだな」

 カメレオンコートは周囲の色彩にあわせ、自動的に映える色へと姿を変える。それをしかし、己で制御しているらしい。中岡は光学迷彩めいた使い方をする。今は暗めのカーキ色を表出させ、暗がりと街路樹の間に見事に溶け込んでいる。さながら己が集約五大都市ナゴヤの一部あるいはそのものであると主張しているかのように没個性的だ。それでいて、いやに目を惹くから不思議である。

「このレベルの人工知能人間が他に一九体だったか? 人間社会に溶け込んでるって? 知らされなかったらロボットだなんて気づけねえよな」

「野津田は精神科医としてメンタルケアに従事していました。おそらく彼の患者も野津田を人間の医師だと思っていたはずです」

「そういうのは自分からは言わねえものなのか?」

「メンタルケアのようなセンシティブな案件については、人間はヒューマノイドロボットよりも同じ人間に診てもらいたいと思う傾向が強いそうです。だから人工知能人間であることを口外していたとは思えません。むしろ積極的に秘していたと考えます」

 先日発表された総人口がおよそ九五一五万人だったから、単純計算で日本には一九〇三体までのヒューマノイドロボットを導入することができる。けれどもその保守的な国民性から彼らを好意的に受け入れられる人が少なく、また過激な反対派も多いため、現状、二〇体までしか導入されていない。パーセントにして〇.〇〇〇〇二、国際基準を大きく下回る。つまりは他国でヒューマノイドロボットに遭遇する確率よりも日本で出会える確率はさらに百分の一にまで減少する、というわけだ。そんな希少性の高いロボットの一体が四年間も行方不明となり、はては殺人事件の容疑者となろうとは世も末である。そういうわけで今回の被害者の側は総じて希少性の低い人間であった。既に四〇人もの人間が死んでいた。人工知能人間のおよそ二倍にのぼる数である。そのすべてが自殺とは甚だ信じがたい。

「ちなみに石平さんはどうですか? 人間の医師とヒューマロイドロボットのそれ、どちらに診てもらいたいですか?」

「俺? 俺か? メンタル系だから人間に診てもらいたい、とかはねえな。診療所が近いとか、診察代が安いとか、待ち時間が短いとか、そういうので決めるから。外科手術なら人間よりもヒューマロイドロボットにお願いしたいけどな。ミスが少なそうだ」

「あなたは変わり者ですね、噂通りの。これほど自然体で我々と接っしてくれる人間も私の六〇年の警察官人生の中で初めてですよ」

「誰が変わり者だよ、誰が。って、お前、その見た目で還暦を越えてるのか?」

「超えてはいませんよ。製造されて今年でちょうど六〇年です。いや、正確には少し超えていますね。六〇年と一八日と十四時間二八分、飛んで二秒、三秒、四秒――」

「……外身はどう見ても二〇代なのにな。中身はジジイってまるで詐欺じゃねえか」

「人聞きが悪い事を言わないでくださいよ」

「まあいい。っで、その人間のふりをしていたであろう野津田くんが既に重要捜査対象にあげられてるってことは、今回の事件、スピード解決ってパターンもあり得るのか? 即日解決。石平彰『エピソードⅥ』、サブタイトル『無傷の帰還』なんて感じで?」

「勝手に映画化しないでくださいよ、ご自分を」

「ちなみに実写映画じゃなくてアニメ映画のイメージだ。同期にアニ研出身の刑事がいてな。古典から新しいものまで入院中によく見せられるんだ。ああ、そいつも捜査一課だったはずだぞ? 宮前野みやまえのまもるっていうんだ」

「宮前野さん? あの、ミスター緩衝材の? 同期なんですか?」

「そうなんだよ。あの丸顔眼鏡の宮前野だ。年齢も同じでな。って、あいつのことは横に置いておいて。それで、どうなんだ?」

「即日解決は難しいでしょうね。野津田はただ重要捜査対象である、というだけですから。彼が殺人を犯した証拠はありません。状況から推測するに殺人犯の可能性も否定はできない、といった程度です」

「まあ、そうだろうな。簡単に犯人を割り出せるような山なら捜査一課のエースである中岡部長刑事殿が出張ってはこねえもんな」

「そういうことです。もちろん簡単な事件ならクリスマスプレゼントの支給もないでしょうしね。あっ、ちなみに私のことは『部長刑事』でなく『刑事』でよいですよ。あるいは『さん』でも。たしかに巡査部長ではありますが四文字は敬称として長すぎて捜査に支障を来たしますから。ちなみに『部長と殿』や『部長と様』を組み合わせた敬称は二重敬語にあたります」

「承知したよ、中岡部長刑事殿あらため中岡刑事。っで、自殺者は司法解剖をしたものの、おかしなところなし。共通点をあげるなら全員が教団信者であったことくらい。他に強いてあげるなら、すべての自殺者が脳を拡張していた……だっけ? そんなもん、このご時世じゃあ珍しいことでもねえよな?」

「そうですね。今や人間の一〇〇人に一〇〇人が、程度の差こそあれ、脳を拡張しています。石平さんのような無拡張者は絶滅危惧種です」

「……絶滅……まあ、いい。ってことは、ろくな手掛かりがねえってことだよな? 宗教絡みの山が面倒でなかった試しもねえ。なにより容疑者が日本に二〇人しかいないヒューマノイドロボットの一人かもしれねえってんだろ? 即日解決どころか早期解決すら期待するだけ無駄って感じじゃねえか?」

「ええ、そうです。善処はしますが早期解決の可能性は限りなく低いでしょう。本件は難事件の類です」

「……今年の冬は久々に両手で数えられる日数以上に働かせてもらえそうだよ」

「一つだけ。調査する刑事の側にも二〇体のうちの一体が存在する、という事実をお忘れなく」

「わかってるよ。せいぜいお前の邪魔をしないよう気をつけるさ」

 目覚まし代わりにブラックコーヒーを一気に飲み干し、まだ暖かさの残る缶をいきおい掃除用のロボット目掛けて放り投げる。放物線を描いて飛んだ空き缶はアスファルトに触れる前に郵便ポストめいた赤いロボットに危なげなく受け止められる。俺と中岡以外に人影のないナゴヤの都心部に乾いた金属音がひとつ、高い音を鳴らす。

 人工知能を搭載してコンクリートジャングルを自律走行する掃除用ロボットには個々に動物の顔が描かれている。自然界に存在しない鮮やかな色でカラーリングされたそれはしかし、同一のデザインも多く、個体まで判別することは難しい。いわゆる『ロボット』として一括りにされる類で、中岡のように市民権を認められたヒューマノイドロボットとは根本的に個性の部分で異なる。けれども俺からすれば傍らの人間然とした相棒よりも、あいつらの方がよほど親しみを持てるから不思議だ。犬や猫といった愛玩動物に近しい感覚を抱いているのかもしれない。

「ナイスキャッチ!」

「ゴミの投げ捨てはマナー違反ですよ。掃除用ロボットが必ずしも受け止められるとも限りません。なによりこの暗がりです。人間が投げるのでは歩行者にぶつけてしまう可能性があって危険です。警察官として今後は慎んでください」

「へいへい。すいません」

 かつてはパーソナルコンピューターで人工知能を創り、人工知能に指示を出していた人間が、今や人工知能から指示を受ける始末である。あらためて注視すれば子と親が逆転したような現状を空恐ろしく感じる者もいるだろう。しかし楽観的に物事を捉える性質の俺からすれば滑稽というか面白おかしなものに感じられる。

「でもな、こんな時間に誰もいやしねえって。それとな、少しはこんな時間に誰かさんから無理矢理呼び出された俺の身にもなってくれよ? それも現場復帰の翌日にだぞ?」

「もしかしてストレス反応ですか? 過度にストレスのかかる業務へのアサインはパワハラに該当します。ストレス診断を実施のうえ、数値次第でいつでも異動申請が可能です。この場で診断を行いますか?」

「違えよ! 悪かったって! もうやらねえよ!」

「約束ですからね。言質は取りました。もちろん録音および録画済みです」

「……どう見ても人間の目なのにそれで録画できるんだもんな。まったく驚きだよ。さすがは人工知能人間だ」

「別に人工知能人間でなくたって脳の拡張をしている人間の脳力なら同じようにできますよ。記憶を記録として保存しておくだけなので。逆に言えば石平さんだけですよ? 一度言ったことを忘れてしまう可能性があるのは?」

「おいおい? そこは『俺だけ』じゃなくて『無拡張者だけ』とするべきところだろう? 今のは俺への悪口にあたるんじゃねえか?」

「私は悪口なんて言った覚えはありませんよ? 提示できる記録はあるんですか?」

「ねえよ! なにせ、俺は絶滅危惧種の無拡張者だからな!」

「証拠が無いなら仕方がありませんね。それでは捜査を続けましょう」

 言わずもがな事件解決に特化するならば、見た目どおりお固く、事件解決へ向けて脇目を振らずに突っ走れる中岡隆聖が単体で捜査するほうが格段に合理的だ。俺が出来ることなど、せいぜい余計な真似をして相棒の足をいくらか引っ張ることくらい。けれども人工知能人間は、人間とバディを組み、ツーマンセルを成さなければ捜査権限が与えられない。他でもなく国民感情に考慮して創られたルールである。人間という生き物は人工知能の優秀さを認めつつも、どうにも人外による判断を手放しで信用することができないのだ。

「まず最初は──」

「待て待て。その前に、だ。お前、どうしたんだよ? ずっとモヤモヤした顔しやがって? 事件解決の前にまずは自分の悩み事を解決しろよ。それこそ、捜査に支障を来たしそうじゃねえか?」

「いや、私には悩みなんて……」

「悩みがねえ奴はそんな顔をしねえんだよ。少なくとも人間ならな」

「……さすがは石平さん、悩みがない人間の代表のような存在であるだけはありますね」

「今度は言質を取って記録したからな。悪口で訴えるぞ」

「記録を? どうやって……って、スマホで録音? それでは私は盗聴・盗撮で逆に訴えて……いや、ハッキングして証拠を消したほうが手っ取り早いですかね?」

「って、俺に聞くのかよ? まあ、そんな冗談はいいんだよ。っで、どうしたんだ?」 

「そうですね。隠すのもよくない。共に捜査するバディですし。石平さんには先に私が混乱しているという事実を共有させていただきます」

「混乱? ヒューマノイドロボットが?」

「どうにも理解できないのです」

「天下のヒューマノイドロボットがなにを理解できないんだよ?」

「そのヒューマノイドロボットというものは人間の役に立つべく製造されます。ゆえに人間を害するなんて考えられないんですよ。そういうことができないようにプログラミングされていますしね」

「野津田が犯人の可能性は低い、って言いたいのか? そうは言っても、だ。人間の役に立つべく行動するはずの野津田くんは四年間も失踪し、少なくともその間は役立たずだったわけだ? それどころか捜索の手間を増やして迷惑をかけていた。違うか?」

「おっしゃるとおりです。だから彼は今回の事件の犯人であるか否かに関わらず、捕獲対象に指定されています。人工知能のどこかに不具合が生じている可能性が高い。とはいえ、それでも……」

「殺人までは犯していないはず? 同じ人工知能人間のお前の気持ちも分からなくもねえ。でもな、ヒューマノイドロボットってのは個々に違いがあるんだろ? 人間と同じで? 個性があるっていうのか? そこが掃除用ロボットや宅配ドローンとの違いなんだろ? となれば、だ。良い奴もいれば悪い奴もいるってことだ。そらの良し悪しも人それぞれだしな。案外、自分では良い事をしてるつもりが、人間にとって良くない事になってるって可能性もあるんじゃねえか?」

「自分では良い事をしているつもりで……」

 一体どういう構造をしているのか。同類を擁護しようとして吐く中岡の息は人間同様に白い。どこからどう見ても人間であるどころか、そうして苦悩する姿など、人間よりも人間らしく、半ば体温のようなものまで感じられる。カメレオンコートは未だステルス性を発揮しているのに関わらず、どうしてか中岡が無機質な都心のビル群から浮かび上がって見える。

「っで、抜き打ち訪問したら野津田くんはどう出ると予想するんだ? 一応、お前さんとは同種同系統なんだろう?」

「わかりません。ヒューマノイドロボットに対する捜査は私も初めてですから。過去に参考になるデータもなく、予想は難しいです」

「要するにノープランってことか?」

「出たとこ勝負とも言えます」

「そいつはまた随分と人間味あふれることで……」

 今回のバディがヒューマノイドロボットだと聞いた時に想像した相棒像は澄ました顔でどんな事件をも解決する名探偵然とした刑事だった。しかし現実には人工知能といえども分からないことが多分にあるらしい。俺はそこが不思議でならない。なまじスマートフォンを通じて日常的に接しているAIがいつだって明確で正確な答えを返してくれるからだろう。ことさら人工知能に否定感情の少ない俺からすれば、彼らは、友人以上に傍らにいてくれる相棒であり、恥も外聞もなく相談できるバディであり、どんな疑問をも瞬時に解決してくれる魔法使いである。さながらスマホに住む『小さな妖精』といったところか。ともあれ姿が見えないのだからこれまでは苦悩する姿も見たことがなかった。ゆえにAIにも分からないことがある、という当たり前の事実のほうが彼らに対するイメージから遠かった。もちろん俺も頭では理解している。飲み屋探しや自宅までの最短ルートの検索ではあるまいし、日常ツールとして万人が利用するスペックのAIよりも中岡のような捜査特化の人工知能のほうが遥かに優秀であることは。特に事件捜査においては比較にならないだろう。

「まあ、難しい捜査になるのは分かってたことだしな。っで、本当に行くのか?」

「一時間前にようやく野津田健次郎の居場所が特定できたんですよ? 行くしかないでしょう。再び行方を眩まされる前に」

「なるほどな。それでこのくそ寒い中、緊急招集をかけられたってわけか? でもな、お前、今何時だと思ってる?」

「朝の五時一三分、三六秒、三七、三八――」

「秒単位の正確性までは要らねえんだよ! そうじゃなく早朝五時からの聞き込みはありえねえだろ、って話をしてるんだ。非常識にも程があるだろう?」

「問題ありませんよ。相手はロボットなので」

「……問題……ねえのかよ?」

「ええ、大丈夫です。法的にもね。そういうわけで行きますよ。応じてもらえるようなら、そのまま事情聴取に入ります。断られた場合は一〇時くらいまで待って、それから周囲の人間へ聞き込みをしましょう」

 捜査一課のエースが目配せで暗がりにそびえるビルを指し示してくる。どこが捜査対象の建屋なのかはすぐに知れた。オフィスビルの間にポツンと一棟だけ居住用のマンションが紛れているからだけでなく、どうにも不穏な空気が流れているのである。中でもひと際異質な空気を放っている部屋、あそこに野津田が住んでいるのだろう。確認まで捜査用に無拡張者へと支給されているスマートフォンを覗いてみれば、送られてきた地図データの該当の部屋の部分に赤でマークがされている。八一八号室、やはりあそこだ。

「……なんとなく嫌な感じがするんだよな」

「人間の勘というやつですか? それ、あてになるんです?」

「まるきり人間が立てたみてえな捜査プランを提示しておいて、よく言うぜ」

「人間の刑事の皆さんは人工知能と大差ない、と言うことですよ」

「それじゃあ人間の刑事の勘も当たるかもしれねえってことだな?」

「外れるかもしれないってことですよ」

 中岡の人間のような小粋な返しを受け、俺は知らずと肩を竦めて応じていた。さながら人間を相手にするように。人間とコミュニケーションを取るように。

「ああ、っと。そうだ。ちょっと待て」

「まだ何か?」

「事情聴取の可否を尋ねるって言ってたが、どのみち捕獲対象なんだろ? 断られようが、その場で問答無用で身柄を拘束するわけにはいかねえのか?」

「今日は所在確認と可能であれば任意の事情聴取まで、です。あまりに急だったもので、まだ逮捕状の請求許可が降りていませんから」

「……ってことは、最悪、無駄足もありえるわけだ? こんなに早起きしたのに?」

「そうなった場合はパトカーの中で寝てください」

「俺はベッドで寝てえんだよ! 自分の家のベッドで! 久々の自分の家のベッドをまだ堪能しきれてねえんだよ!」

 再びこぼした溜息が白い姿を伴ってマンションの上層階を目指していく。俺は思わず天を仰いだ。今や人工知能の拘束にも逮捕状が必要なご時世なのである。ふと鼻先をかすめるように雨のにおいがした。そのうち振り始めるだろう。ただでさえ外回りが厳しい季節、億劫で仕方がない。けれどもそういった部分の共感は今回の相棒からはきっと得られない。横目で盗み見る中岡の吐く白い息と俺の吐くそれとの違いはまるで見つけられないけれど。この集約五大都市ナゴヤに開かれたコンクリートジャングルの中にあっては、特に。

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