第19話

 鰻料理専門店の『卯なか富士』は平日の夜や休日は空きがなく、予約でいっぱいであることで有名だ。味はもとより全席個室で仕切りもしっかりしているとあって、ナゴヤ有数の人気店である。単価を高めに設定することで客席数をギリギリまで増やしたり、回転率を上げることばかりを意識する必要がなくなった名店は内外装ともに和風でとても落ち着きがある。個室一つ一つが広々としており、この四人部屋の存在感ある木製テーブルも、八人で座って尚、余裕がありそうな大きさだ。眼前の桜木綾のボディよりも頑強そうである。現実には彼女に勝って硬さと粘り強さを両立できている素材など世に少ないけれど。

「とりあえず、うな重の特上を四つ、夕飯時の一八時に。他に今からは、ええっと、まだ一五時前か? それぞれが適当に頼むってことでいいかい?」

 三人が同時に首肯し、猫安のおやっさんの提案が満場一致で採択される。俺の左隣に香菜が座り、香菜の対面がおやっさん。すなわち、おやっさんの左隣かつ俺の正面が桜木である。手早く注文を済ませた猫安のおやっさんが店員が下がったのを見計らって口を開く。

「桜木刑……ああっと、桜木さん、悪いんだけど教えてくれや」

「なんでしょう、猫安さん?」

 個室とはいえ会話が漏れないとは限らないのだから安易に『刑事』や『巡査』などといった単語を使って自分たちが警察官であることを晒すべきではない。桜木はこの場にいる誰に教えられるでもなく、おやっさんのことを『さん付け』に切り替えていた。学習能力が高いのか。それとも元より知識があったのか。

「お前さんたち、食べる必要はあるのかい?」

「エネルギー補給という意味ではありません。私たちは一年に一度の定期メンテナンスの際にバッテリーを最大まで充電しますが、太陽光諸々で自家発電もしているため十年間充電しなくてもバッテリー切れは起こさないと言われています」

「そうなると人間のふりをするってえ以外に食べる必要はねえってことかい?」

「いいえ。人間を知る、という意味で食事は必須です」

「なるほどな。食欲でなく知識欲を満たすために食べるわけか。それじゃあアンパンは想定通り四ついるってことになるな」

 性格なのだろう。この手の質問は俺にはしにくいところがある。しかし今後はチームの一員として桜木にも一緒に張り込みをしてもらう場合もあろう。すなわち確認必須のポイントだ。年の功もあってか、嫌味なく、こうしたセンシティブな部分に斬り込める猫安がいてくれて本当に助かった。

「では、逆に私から質問しても?」

「ああ、もちろんだ」

「人間は見た目に対し、どの程度こだわりますか? 外見がまったく同じで中身が違った場合、コミュニケーションになにかしらの影響は生じますか?」

 大上段から真っ直ぐに刀を振り下ろされた感覚だ。いきなり核心に斬り込まれ、猫安のおやっさんすら言葉を詰まらせる。なによりこれは俺が回答しなければいけない質問だろう。そうだというのに花澤木香菜が最初に口を開くから始末に追えない。

「決まってるじゃない。外見なんて関係ないわよ。まったく影響しないわ」

「花澤木さんはそういうタイプなのですね? しかし、このあたりは個人差があるところだと思います。石平さんはどうですか?」

「石平さんも私と一緒です!」

 俺の代わりとばかりに香菜が答える。なぜか噛みつくように前のめりな姿勢で。けれど桜木はそれを完全に黙殺し、目顔で俺へ回答を迫ってくる。俺の元婚約者の森木東明里と寸分違わぬ顔をして。

「……まあ、なにも思わないわけじゃあない。だが、とりわけ仕事に影響はないな」

「では、プライベートでは?」

「プライベート? 仕事でなく?」

「はい。たとえば、私、桜木綾が、石平彰さんへ真剣に愛の告白を申し出た場合、外見を理由にお断りされる可能性はありますか? それとも純粋に中身だけで判断してもらえるのでしょうか?」

 あらたな人口知能人間の桜木綾はあるいは侍の思考を学習させて作られたのだろうか。一切の迷いなく日本刀を翻し、再び核心に斬り込んでくる。驚きのあまりか今こそ出番だと言うのに花澤木香菜が絶句して言葉を発さない。時間を稼いでくれない。それどころか香菜まで『これは聞いてみたい内容だ』と瞳に浮かばせている。考えがまとまらない中、やむなく俺はそれを正直に伝える。

「……わからないな。『外見は関係ない』と答えるのが模範解答なんだろうけど。しかしな、確率は三〇パーセントだろうとか、お前たちのように正確に数字で算出することはできないし、なによりケースバイケースだからな。時と場合によっても回答が変わるだろう。だから『たとえば』で聞かれてもわからないよ。実際にそうした状況になってみないとな。ただ……まあ、少なくとも、影響は……ある、だろうな」

「それはネガティブな影響ですか?」

「……なにをもってマイナスとするかにもよるが、俺から見てまったく同じ好感度の女が二人いたとして、ありがたくも二人同時に告白をしてもらえたとするならば、まあ……そうだな。元婚約者と同じ顔をしている方は避けるだろうな」

「リスク回避というわけですね? それも現時点でなにか支障を来しているわけではないと言うのに? 今後なにかが起こるかもしれないから? それは私に取って実にネガティブで深刻な影響ですね」

「……かといって数値化できるものでもないからな。特定の誰かから見て、好感度や距離感がまったく同じ人間なんて、この世に二人といない。だから、さっきの俺のたとえ話は実際には起こり得ないケースなんだ」

「先ほどのケースが現実的でないとしてもリスクと捉えられて回避されるのであれば、外見によって私が不利であるという事実は代わりはないです。なにかしら類似のケースが現実で発生するかもしれないですし。だから私に取ってマイナスはマイナスです。それを超えるだけのプラスをアピールできれば交際に至れるのかもしれませんけれど、他の人よりそのハードルが高いということになりますからね」

 早く料理が運ばれてこないものか。しかし名店の料理というものは総じて作り置きでなく、注文してから個々に作られる。コーヒーひとつ取っても豆からの挽きたて淹れたてとなる。すなわち運ばれてくるまでに時間がかかる。

「石平さん、ありがとうございました。おかげで現状と己の立ち位置が把握できました。ご回答の内容を踏まえ、今後、一八係として行動していきます」

「……ああ、よろしく頼む」

 今後の行動とはなんなのか。再び香菜が噛みつきそうな言葉がチョイスされ、鰻の肝ならぬ俺の肝が冷える。しかし香菜はといえば桜木の言葉が聞こえなかったのか、そんなことよりもとばかり突拍子もない質問をかぶせてくる。

「逆に、です。逆にですよ、石平さん。中身が一緒で外見が別だったら、どうですか?」

「なんだそれ? どういう状況なんだよ?」

「お付き合いしていた相手が急に見た目だけ別人になっちゃったとか、そういうやつです」

「ぶつかった拍子に中身が入れ替わるとか、漫画やドラマでよくあるやつか? そんなこと実際には、ありえ──」

 不意に若本木規夫への野津田健次郎の人格転写が思い出される。今の時代であれば、あながち『ありえない』とも言い切れないのかもしれない。香菜の問いも先の事件を踏まえてのものだろう。もし人工知能であった森木東明里の人格データが他の肉体に宿ったなら。

「──なくもない……のか? いや、それは考えたことも……なかったな」

 そこでようやく注文した品の第一陣が到着する。コーヒー二つと炭酸水が二つ、くりから、うざく、それから鰻の骨のせんべい。メニューにないポテトフライとえびせんも特別に作ってもらえた。猫安のおやっさんが常連客だからだろう。四人とも昼食は済ませているから夕飯までの繋ぎはこれで十分だった。逆にいま食べすぎてしまっては、せっかくの鰻も満腹で味が落ちて感じられてしまう。

 ふと目をやれば、相も変わらず卯なか富士では注文受けも料理の配膳も人間が担当していた。ロボットを使わないことでプライバシーの保護を重視し、あわせて細やかで暖かみのあるサービスを提供しようと言うのだ。注文はインターネットで。配膳はロボットで。それが主流の現代において随分とコストをかけている。さすがは高級店と言えよう。拡張脳あるいはスマートフォンから小さな妖精経由で注文を送ると自律走行ロボットが料理を運んできてくれるのが一般的であるのに対し、先ほど注文を取りにきてくれた女性とは別の若い男が配膳をしている。少なくとも人件費を二人分は余分にかけていることになる。さながら養殖と天然でいえば後者に似た性質のサービスである。

 その細身の配膳役が第一陣の品をテーブルのうえに並べ終えた後で尋ねてくる。彫りの浅い薄めの顔で若者らしく眉毛が細く整えられている。耳が大きく、顎が細く、頭部の輪郭は逆三角形を思わせた。厨房に出入りするために必要だからだろうか。全身に清潔感が漂っている。白の和帽子と白衣から和の趣きが感じられる。

「すいません。ご注文時に確認を忘れてしまいました。一八時のうな重ですが、天然ものと養殖とどちらの鰻でご用意いたしましょう?」

「養殖で」

 反射的に答えていた。いつぞや明里に教えてもらった知識を思い出したのだ。香菜はといえば特に考える様子もなく「私も同じで」と俺に追随した。そのまま「すいません、ちょっとトイレに行ってきます」と言って立ち上がる。猫安のおやっさんは天然とも養殖とも答えず、ゆっくりと首を傾げる。

「いつから選択式になったんだい? 前に来た時は、ああっと二ヶ月前くらいだったか? その時はすべて養殖と決まっていて選ぶようなことはなかったんだが? 天然の取り扱いも始めたのかい?」

「いつもご贔屓にしてくださり、ありがとうございます。そうなんです。先月より準備を始め、今月より天然ものと養殖をものをお客様に選んでいただけるようになったんです。とはいえ天然ものはご用意できる数が少ないので、一日に数組、早い者勝ちとなりますが。遅い時間にいらっしゃった際にはこれまで同様に養殖のみ、選択はできません」

「なるほど。こんなに早い時間に来ることは滅多にねえから、今後も俺は養殖一択ってことだな。ああ、今回も俺は養殖で頼むよ。いつもどおりな」

「はい。養殖のうな重が三人前ですね。そちらのお客様はどうされますか?」

 配膳役の男が残った桜木に問いかける。他の三人にあわせるだろうと予想したのだけれど、彼女は一人「天然もので」と答えた。

「天然ものの場合はメニューに記載の金額よりも少々お値段があがりますが、よろしいでしょうか?」

「かまいません。養殖のほうが美味しくて安いことは私も知っています。しかし問題はありません。それ以外の価値を求めての注文なので」

「それ以外の価値……ですか?」

「経験です。天然ものを食べたことがあると言えるようになりますし、均一化されていないバラつきのある味の一端を知ることもできます。その分だけお金を払う価値があると考えます」

「なるほど」とは言ったものの、彼は本当に理解できたのか。注文を繰り返して確認すると、その若い店員はさっと個室から姿を消した。俺が何かを言いたげに見えたのか、桜木がじっとこちらを見つめてくる。席を外していた香菜が戻ってくるなり、その視線に気づいて苛立ちを見せる。それを気にする風でもなく、続けて猫安のおやっさんの横顔を見つめる。

「んんっ? どうかしたのか、桜木さん?」

「猫安さんがこのお店を選んだ理由がわかりました」

「理由? そりゃあ、ここが個室で──」

「X型人工知能搭載ヒューマノイドロボット『XFW04012005』、個体名『梅原田裕一です、先ほどの男が」

 危うくカップを取り落としそうになる。思わぬ急展開にコーヒーが喉の変なところに入ってしまい、噎せる。たまらず「聞いていないぞ?」とおやっさんに視線で問えば「俺も知らなかった」と目顔で答えが返ってくる。奇跡や偶然の類とは俄かに信じられない。一体どうなっているのか。混乱する頭を抱えるも、まずは現状把握と情報整理が必要だ。

「……ああっと、桜木さん……その、君が気づいたということは相手も君が人工知能人間だと気づいた……ということか?」

「はい。間違いなく」

 さらなる問い掛けを続けようと前のめりになる俺を桜木綾が手で制止する。そして曲者が潜んでいないかを確認するかのように天井を見上げ、そのまま首を左右に振る。

「すいません、お話の途中で。しかし、これでもう大丈夫です。この個室がまるっと入るサイズで電波障壁を展開しました。少なくとも今後はこちらの会話が拾われることはありません」

 どうやら野津田健次郎のボディに搭載されていた電波障壁を展開する機能と同等のものを正面の桜木綾は使用できるようだ。どのみち梅原田にヒューマノイドロボットと知られたのなら、その能力を今さら隠す必要もないということか。

「そいつを、今、起動させたってことは、桜木刑事としても重要捜査対象をキャッチしたのは今の今だったというわけか?」

「はい。梅原田が配膳に来たところで、はじめて認識しました。入店時に店内をスキャンして人間とロボットの数は把握していたのですが、まさかヒューマノイドロボットがいるとは思いもよらず……」

「まあ、それもそうか。ちなみに対面する前は、さっきの人工知能人間をなんだと思っていたんだ?」

「スキャン結果から自律走行する配膳ロボットの一つと捉えていました。心音が鳴っていませんでしたし、呼吸もしていませんでしたから」

 スキャンで中身を見たらロボットで、肉眼で外見を確認したら人間だったというわけか。その実、ヒューマノイドロボットだったと言うのだから、まったくもって予想だにしない展開であろう。

「……ああっと、係長の身で悪いんだが……今日の午前は表彰式だったし、午後もあれこれバタバタしたまま……ここまで出てきていてな。みんなと違って俺だけ今回の事件について、あまりわかっていないんだ。まずは誰か情報共有してもらっていいか? 申し訳ないが……口頭でな」

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