第23話
マスクをつけているところからして桜木と梅原田の二人は今は生身と考えるべきだろう。そうなるとロボットのように炎を搔きわけて進ことはできない。この三人でどうやってここから出たものか。階段周辺は相も変わらずどころか、益々と火の海を広げている。
「ありがとうございます。石平係長なら信じてくれると信じていました」
「悠長に構えてもいられない状況だからな。今は、即断即決、行動あるのみ。生きて帰ることが最優先だ。これだけの火や煙をどうするか。なにか案はあるか?」
「慌てなくても火についてはおそらく、もう大丈──」
突如発情したかのごとく梅原田が駆け出した。桜木の言葉を遮ってはタックルを喰らわせ、彼女を担ぎ上げるなり暗がりへ攫っていく。天然ものの人体、身元特定できた人間が格納されている側の水槽の影へ。まだ一つも砕かれていないそちらの岸は、養殖人体側の岸と異なり、いくつもの水槽が生えている。仄暗い青色の影に身を潜めた二人はその格好も相まって、どうにもいかがわしいことを始めたようにしか見えない。
直後、どこからか水を噴出する音が聞こえてきた。隠し部屋だからか、この地下室にスプリンクラーの類はない。あればとうに作動していよう。となれば助けが来たに違いない。火の海を突き抜けて梅原田がここまで辿り着いているのだ。生身ゆえに炎の壁に阻まれていたとしても花澤木香菜と猫安のおやっさんが表までは駆けつけているのである。
瞬く間に黒煙が反転し、白煙へと姿を変えた。距離があるから定かではないけれど、階段の上から消火剤が撒かれているようだ。火の海がたちまち縮小していく。放水の音も明確に聞こえ出し、燃え盛る炎が嘘のように鎮火していく。科学の進歩様々である。
「……ったく。よう? 誰か生きているか?」
消化が一段落した雰囲気を感じ取って階段の側へと歩を進めれば、見慣れた影がひょっこりと顔を覗かせる。一八係の仲間、猫安のおやっさんが降りてきていた。
「おやっさん!」
「止まれ! それ以上近づくんじゃねえ!」
「……おやっさん?」
猫安が階段を降りながら俺に銃口を向けてくる。直後、己が不審者丸出しの黒いマスクをつけていることに気づく。これだけ厳重な全頭マスクに覆われていては声で俺だと判断するのも難しかろう。慌てて外そうとするもベテラン刑事に即座にすべての行動を制されてしまう。
「両手を上げろ! 上げたら動くな!」
「……おやっさん。俺だ。石平だ」
「たしかにこの地下室は圏外で電波が届かねえな……」
一体なにを言い出すのか。ともあれ、ここが圏外であることに今になって気がついた。そういえば地下に降りる前に一報は入れたものの、その後は一度もスマホに触っていない。暗黙的に桜木へ連絡役を任せたつもりでいたけれど、ここは電波障壁を展開されたがごとく外界から遮断されており、彼女にしても地上へ連絡できていなかったということか。
「ただし、そりゃあ地上からだったり衛星からの話に限ってのことだ。そうだろう? 同じ地下室の中にいりゃあローカル通信くらいはできる。っで、だ。石平の捜査端末の反応はそっちの奥からしてるんだが? お前は一体誰なんだ?」
悪寒が走り、息を呑んだ。コートだ。カメレオンコートのポケットにスマホをしまったまま桜木に渡してしまったのだ。まずい。思えば梅原田裕一の当初の背恰好は俺と大差なかったはずである。
「石平は殺して捨ててあるのか? その奥に? どうなんだ、梅原田?」
「……おやっさん、俺だ。俺が石平だ。石平彰。マスクを外させてくれ。そうすればわかる。信用できないなら、おやっさんが取ってくれて構わない」
「俺を自分の間合いに引き込むつもりか? そうは問屋が卸さねえぜ。銃があるだけ、遠間なら、こっちが有利だ。お前らみたいな化け物相手に誰が不用意に近づくかよ」
間違いない。完全に人工知能人間だと勘違いされている。そのうえよりにもよって、こんな時に限って花澤木香菜が現れない。彼女のことだ。消防関係へ連絡を取って消火活動の手配をした後始末をしたり、その他諸々を行っているのだろう。自ら買って出ることで猫安のおやっさんが危険がありそうな地下の捜査から香菜を遠ざけた可能性もある。けれども今こそ彼女の直感が必要であった。香菜ならばたとえマスク越しでも俺が石平彰だと気づいてくれる。そんな確信がある。猫安と距離を詰めぬまま己が石平と証明するには香菜を呼んでもらうのが最善だ。しかしここが圏外となれば話は変わってくる。彼女を呼ぶのにおやっさんが地上に出なければならず、その隙に逃走しようとしていると疑われてしまう。そうなると残る手段はこれしかない。
「奥に石平彰の死体は転がってはいないです。石平は俺ですからね。代わりにヒューマノイドロボットの梅原田裕一と桜木刑事の残骸があります。俺はこのまま後ろに下がるので、おやっさんももう少し奥まで着いてきてください。銃を向けたまま俺から距離を取って、で構いませんので」
「梅原田と桜木の? まさか……相討ちってことか?」
「……似たようなものです」
細かいことを説明するのは俺が石平だと証明できてからだ。そもそも梅原田や桜木が野津田よろしく人格転写で肉体を乗り換えたなど、この目で見ているはずの俺ですら半信半疑だ。この状況で猫安に適切に説明できる自信はない。不信感を招きかねない余計な話は一旦は割愛する。
真ん中を走る大きな通路をゆっくりと後退る。片側の岸は水槽の半分以上が砕け散り、養殖人体が散乱していた。対して対岸は階段に近い側の水槽のみ、いくつか炎に巻かれて熱で変形しているけれど、それでも割れたものは一つもなく、奥へ進めば未だに仄暗い青い光を放っている。俺が地下室へ踏み入った時と同様の厳かで静謐な様を保っている。
「……なんだ、この横道は?」
途中でおやっさんが桜木が発見した隠し通路に意識を向ける。なんだと聞かれても、それについては俺も桜木もわからない。
「隠し通路です。この隠し部屋の」
「隠し通路……だと? こんなものが?」
「どこかで誤ってスイッチを作動させたらしく、いきなり水槽が動いたんですよ。まあ、直後に火の海に襲われたもので奥の部屋はまだ調査できていませんが」
「隠し地下室の、隠し通路の、隠し部屋か……さて、なにが出てくることやら……」
さすがはベテラン刑事である。横目で一瞥しながらも、しかし俺からは一瞬たりとも視線を切らさない。銃口は未だ確実に俺へ向けられている。
「……おやっさん。そこです。その水槽のところに倒れているの、人間の身体じゃありません。よく見てください。そことそこです。炎で焼かれて皮膚の剥がれたヒューマノイドロボットが二人、倒れているのが見えるでしょう?」
両手を上げなら俺は顎で指し示す。暗室とはいえ、まったく見えないわけではない。映画館のように光量の小さな足元灯や壁面灯は配されているし、水槽から水族館のごとき青い光も漏れている。猫安のおやっさんが乏しい光量に苦戦しながらも目を細めて確認する。
「こいつは、確かに……」
「でしょう? 人工知能人間たちは、そこに倒れているとおり。つまりは俺が石平──」
重たく短い金属音が反響する。一瞬なにが起こったのか分からなかった。左の腹に焼けたような衝撃が走っていた。生温い液体が左足を伝ってくる。遅れて己に向けられた銃口から煙があがっていることに気づく。人生で二度目だ、銃で撃たれるのは。知覚するなり激烈な痛みに襲われ、膝から崩れ落ちた。固いコンクリートを転がり、のたうち回る。穴の空けられた水槽よろしく血が盛大に吹き出すことはなかったけれど、それでも赤い液体が俺の内側からとめどなく溢れてくる。血溜まりの中で芋虫のように悶えながらもマスクを外した。まさか致命傷ではあるまいな。そうだとしたら俺はここで終わってしまうことになる。一八係の仲間に誤解されるがままに撃たれて。
「……こいつは……冗談……たいな、嘘……じゃ……ない、みたい……だな」
「すべてが冗談みたいな嘘だったとしても今が幸せならそれでいいじゃない?」
そう言って笑った森木東明里は本当に人間らしく魅力的だった。あれほど愛嬌のある笑みは映画やドラマでもそうそうお目にかかれない。花澤木香菜の笑顔も元気で非の打ち所がないほど素晴らしいのだけれど、屈託なく笑う様としては常日頃が冷静沈着で切れ者の雰囲気を醸している明里のほうが一枚上だ。ギャップのレアさでプレミアがつく。俺が彼女へのプロポーズを決意したのは、その時だった。
「まあ、そうだな。どうせ人間いつかは死ぬんだ。今が楽しければ、それが一番だよな」
「そうね。忘れてしまいがちだけど、いつかは死ぬのよね。人間は……」
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