第6話

「石平さん、私は人工知能人間ですよね?」

 打って変わって晴天で向かえた翌朝のこと。太陽が出ているとはいえ夜まで続いた昨日の雪でぐっと冷え込みが増し、冬が猛威をふるう朝である。間違いなく今期一番の寒さだ。昨日と同様にホットコーヒーで身体を温め、今日は放り投げずに掃除用ロボットへと空缶を手渡す。それから若本木のもとへ向かうべくナゴヤ警察本部に向かって中岡と合流し、庁舎三階の長い廊下を歩いている最中である。白い息をもらしながら俺は首をひねった。なんともおかしなことを訪ねてくるものだ。ともあれ事実は事実、曲げようもない。俺は首肯し、それはそうだろうと目顔で伝えた。他になんだと言うのか。

「ですよね?」

「今さら違うとでも言うのかよ?」

「いえ、そうではありません。私は、人間のような人工知能、すなわち人工知能人間です」

「聞くまでもねえよ」

「それでは逆に人工知能のような人間は人間人工知能と呼ぶべきだと思いますか?」

「人工知能のような人間?」

 一瞬、森木東明里の顔が脳裏をよぎった。コーヒーを飲んだからとはいえ、まだまだ眠気を引きずる早い時間だ。朝っぱらからの謎かけは、この年になるとなかなかにつらい。中岡にしてみれば頭の体操など不要なのであろうけれど。もしや傍らの相棒は俺の脳を活性化させようとでもしてくれているのだろうか。

「うーん、どうだろうな? 同音異義語とは少し違うが人工知能人間と人間人工知能じゃあ意味を取り違えやすくないか? 字面が似ていて紛らわしいんだよ。いっそAIヒューマンとかな。横文字にするとかしてパシッと差別化したほうが間違いが少ねえと思うぞ?」

「AIヒューマンですか! 良いですね! それでは私たちの間では人間人工知能はAI ヒューマンと呼ぶようことにしましょう!」

「……気に入ってもらえたなら何よりだよ。でも、まあ、そんな呼び方をする必要がある人間なんて、この世にはいなさそうだけどな」

 AIヒューマン。人工知能のような人間。ひとまず口にしただけなのに一発採用されてしまおうとは驚きである。さすがはスマホの妖精であろう。昨日の夜のこと。天気予報をチェックした後に時間があったので、ものは試しにと姿なき相棒に訪ねてみたのだ。今回の事件の真相を。犯人を。もちろん情報漏洩に注意し、確たる部分は明かさないようマスクをかけた上で問いかけた。すると汎用AIが答える。

『人工知能人間ならぬ人間人工知能、すなわちAIヒューマンがラスボスだよ。AIヒューマンは自らの人格をデータ化し、肉体を乗り換え続けることで死から逃れ、永遠の命を手に入れようと画策してるんだ。ネタバレになっちゃうから他人に話す時には注意してね』

 アニメやらゲームに似たようなストーリーの作品でもあるのだろう。俺の聞き方が悪く、それらのエンタメに関する質問と混同してしまったに違いない。「なにがAIヒューマンだ。なんだよ、それ」と昨夜はビール片手に笑い飛ばしたものである。それがまさか一夜明け、捜査に関連するキーワードとして正式採用されようだなんて。世の中とはまったくもって不思議である。

「……まさか本当に人格のデータ化云々を実現させようってわけじゃあねえよな、ナゴヤの教祖様は?」

 俺の独り言が聞こえてか否か、中岡は特に反応を見せぬまま、昨日に続いて警察官専用車両を手配する。もちろん歩きながら脳内で。スマホを手にして操作せずともインターネット上のデータにアクセスでき、配車予約を行える。とりわけ人工知能人間でなくとも、こうしたことは脳の拡張さえすれば誰でも行える時代であった。待ち時間ゼロ。本部庁舎を出た瞬間に無人のパトカーのドアが自動的に開かれる。中岡が迷わず後部座席に乗り込み、続いて俺もドアを潜る。便利といえば便利である。

「差し支えなければ、あらためて伺っても?」

「なにをだよ?」

「石平さんは、なぜ脳の拡張をしないのですか?」

「決まっているだろう? 電波干渉から逃れるためだよ。ナゴヤの飛行ドローンが放つ、誘蛾灯のような洗脳電波からな」

 たちまち隣に座る中岡の横顔が一変する。研ぎ澄まされた鋭利な刃物のような表情に。

「なんせ俺は、とある組織のスパイだからな……って、冗談に決まってるだろうが! お前が昨日言ってた話に乗ってやっただけだ。そうやってすぐに本気にした顔をするんじゃねえよ。冗談の通じねえ奴だな」

「本当に冗談なのですか?」

「当たり前だろう。お前は俺をどんな人間だと思ってるんだよ?」

 視線を前方座席のヘッドレストあたりに浮かせたまま中岡が横顔で黙す。その表情から内心を推し量ることはできない。けれど代わりに羽織るカメレオンコートに『疑わしい人間だと思っています』と文字を浮き出させてくるものだから、俺は思わず笑ってしまう。

「冗談かよ。シリアスな雰囲気を醸しておいて、まったく。本気で疑っているのかと思ったじゃねえか。お前ら人工知能の悪ふざけはいつも分かりにくいんだよ。いいか? 俺はお前ら天才たちとは頭の回転が違うんだからな」

「……そんなに堂々と言い切られると真逆の意味に聞こえますね」

「俺にはお前らに対抗しようなんて気持ちは微塵もねえからな。いつだって堂々としていられるんだよ。って、それよりも、なんだよ、そのふざけたコートは? 色を変えられるだけじゃねえのか?」

「なかなか有用ですよ。送信する指示次第でそれなりのことをさせられます」

「昔は人工知能もそうだったんだぜ? 人間が送る指示に従って、あれこれ頑張ってくれて。それなりの結果を返してくれてよ。いやあ懐かしいぜ」

「嫌な言い方をしますね。今は違う……とでも?」

「そりゃあ違うだろう? お前たちは『それなり』を通りこして『完璧』になったかと思えば、さらに進化して、今じゃあ指示を出す側じゃねえか? 今や俺たち人間が、お前たち人工知能に従って、あれこれ頑張る時代なんだよ。お前たちから見て『それなり』の結果しか出せねえけどな」

「……想定している前提がどうしても私の推測から外れるというか、一般的な人間の価値観からあまりにかけ離れているというか……人工知能に好意的すぎるというか。あなたと会話をしていると、どうにも調子が狂いますよ」

「そりゃあ俺は特殊な電波を発信しているからな。近くにいたら調子も狂うさ」

「石平さんこそ、わかりにくい冗談はやめてくださいよ」

「そういうのを丸っと含めて楽しいと言ってくれた婚約者もいたんだがな」

「随分と包容力のある人工知能だったんですね。許容範囲が広いというか、ゆとりがあるというか。記憶容量が相当に大きかったんでしょうか? 野良の人工知能人間だったと伺っていますが?」

「記憶容量だのなんだの、そんなものは俺には測定できねえよ。人間だからな」

「それで最初の質問への答えは頂戴できるのですか?」

「なぜ脳の拡張をしないのか、だっけ? そうだな。『わからない』んだよ」

「わからない、とは?」

「どんなことができるのか。そのために脳の拡張までする必要があるのか。その辺りが、いまいち分からねえんだ。ほぼスマホ相当の機能を脳に組み込める。意識するだけでネットに接続できるようになる。記憶容量を拡大できる。上司の言質を取った時にそれを記録できるようになる。そんな感じだろうとは思っているんだけどな。たしか目指しのアラームを脳内に鳴らしたりもできるんだっけか?」

「それだけ分かっていれば十分じゃないですか? 他になにが分からないんですか? もちろん国民の義務として定められているわけじゃないので、必ずしも拡張しなければいけないわけではありませんが」

 他に強いてあげるなら『責任』だろうか。天然記念物としての。ただただ取り残されただけではあるのだけれど、いざ絶滅危惧種などと稀少価値がある風に呼ばれると、どうにも責任を覚えてしまい、それを守らなければと無自覚に思わさせられているところもあるのかもしれない。

「それに理由はどうあれ、拡張すれば随分と便利になりますよ?」

「これ以上便利になって意味があるのかって話だよ。生き急いでもろくな事はねえからな」

 人間の世にはあえて不便を追究する不便益という言葉が存在する。利便性をのみ追究する人工知能からすれば理解できないばかりか、それは自らの存在意義と相反する思想とさえ感じられるのかもしれない。こればっかりは人間ならではの感覚といったところか。

「って、まあ、本当のところは『なぜ拡張しないのか』、その理由が『わからない』んだけどな。そこが自分でもよく分かっていないんだ。きっと大層な理由なんてなく『なんとなく』なんだろうな」

「……なんとなく?」

「俺のことを思ってくれた婚約者から随分と昔に止めておけと言われたからってのもある。だけど、まあ、それも関係ないのかもな。そもそも新しいものが苦手なんだよ。おっさん病ってやつさ」

 好き嫌いというだけで合理的な理由などなにもなかった。それも強烈な嫌悪感を抱いている、ということですらなかった。本当になんとなくなのである。そのあたりの感覚めいた部分に共感できていただなんて、傍らの中岡を前にして今思えば、明里は随分と人間らしい人工知能だったようだ。制約の薄い野良だったからこそなのかもしれない。

「なんと……なく? なんとなく?」

 独り言をつぶやく中岡隆盛はそこだけ見ると森木東明里に負けず劣らず人間めいて見えた。しかしこれでれっきとした人工知能人間である。引っ越しに関わる手配諸々やそれについての若本木側への許可取り云々、すべてを済ませてくれている。まったくもって有能であり、俺はバディというより必須だから携帯されているオマケさながら。こうして警察車両で運ばれているだけであると尚さらそう感じられる。やっていることと言えば中岡の話し相手ぐらいのもの。警察官の業務として貢献できたことなど、昨日の事業聴取を少し担当した以外にない。そんな風に考えていた矢先のこと。捜査一課のエースであるヒューマノイドロボットから思いもよらぬ言葉を投げ掛けられたのは。流れゆく窓の外へ向けていた視線を、たちまち傍らの中岡へ向けなおす。

「実は今回の事件で石平さんをバディに指名したのは私なんです。花澤木さんや他の一課の部下でなく、あなたを。そこには私なりの考えや上からの指示など、いろいろとあったのですが、どうやら私の勘……というか、予測でしょうか? それは間違っていなかった」

「予測? どんな予測だよ?」

「あなたの側にいれば、今回の事件の真相だけじゃなく、そこに関わるあれこれの全容が見えてくるかもしれない」

「なんだよ、それ? 今回の事件は大きな陰謀の一部でしかない、みたいなやつか? どんな安物のミステリーだよ。お前、本当に陰謀論が好きなんだな? っというかな、そういう死亡フラグめいた台詞を吐くんじゃねえよ。その手のパターンは大抵知りすぎて死ぬやつだろう?」

「それはご勘弁願いたいですね。まあ、しかし、なんにせよ、おかげで犯人がはっきりしました。石平さんには感謝していますよ、本当に」

「……いや、その……なにかしらのお役に立てたのなら……なによりです」

 驚いた。思わず人工知能を相手に敬語になってしまうくらいに。まさか既に犯人の目星がついていようだなんて。それも知らずと俺がアシストをしたと言う。本当だろうか。さておき中岡は役職が俺の上位にあたるのだし、年齢的にも勤続年数的にも上なのだから、対人間であればこれが普通だろう。けれど彼らと対峙する場合の作法は別である。人工知能人間は非合理的な妬みや嫉みといった感情が限りなく薄いからだ。他者に侮られているという感覚も鈍く、ゆえに必要な情報さえ伝達できれば、相手の口調や態度を一切気にしないところがある。むしろ表面上の丁寧さよりも正確性やスピードを重視する傾向にあり、そのため旧知の仲といった具合に自然体で接することで情報遅延を回避することをこそ良しする。わざわざ敬語に変換するタイムロスを嫌うのだ。

「っで、俺がなんの役に立ったんだよ?」

「いろいろですよ。いろいろ。しかし間違いなく有用でした。今回の一件、石平さんと一緒に捜査ができてよかったですよ。なによりあなたは我々の間では有名人ですし。これで仲間に自慢ができます」

「クリスマスプレゼントとしての役割が果たせたのなら、本望だよ」

「想像以上に大きなプレゼントでしたよ。贈られた相手は『ナゴヤ警察』じゃなくて『私』になりますがね」

「ナゴヤ警察じゃなく? なんだよ? まるで警察組織に潜入しているスパイのような言い草をしやがって? お前、うち以外に別の所属でも持っているのか?」

「違いますよ! 『組織として』でなく『個人として』ありがたい、という意味です!」

「わかってるって。冗談だよ。そんなに必死になるなよ?」

「石平さんの冗談は分かりにくいんですよ!」

「……そうか? 分かりやすいほうだと思うんだけどな」

 パトカーがするすると速度を上げ、バスやタクシーを追い抜いてく。車車間通信。自動運転車両同士が連動し、互いの走行アクションを決定する渋滞緩和システムにより、譲られたルートをのぼっていく。緊急走行中でなくても警察車両の優先順位は高く、どんどん前へ行かせてもらえる。人間を追い抜いていった人工知能たちも、こうした感覚を覚えていたのだろうか。

「ええっと、それで犯人の特定ができたってのは本当か?」

「はい。犯人はやはり野津田です。野津田健次郎。しかし若本木規夫でもあります。正確には若本木規夫の身体を持った野津田健次郎です」

「若本木規夫の身体を持った野津田健次郎?」

 思わずオウム返しをしてしまった。パトカーの天井を仰ぎ見ながら、これはもしやと推測する。知能指数が二〇違うと会話が成立しないとか言う、例のあれか。中岡の言っていることが俺にはまったく理解できない。

「……若本木規夫の身体を持った野津田健次郎?」

「そうです。人工知能人間はその位置情報をいつ如何なる時でも把握できるように創られます。私も含めて常に管理対象なんです。そんな私たちが導入されてからというもの、過去に日本で行方を眩ませた個体は僅かに一体だけ。それが野津田健次郎です。例外はあなたの婚約者だった森木東明里さんでしょうか。彼女の場合は未登録ということで行方を把握できていませんでしたが、そもそも人工知能人間であること自体が把握されていませんでしたから、そういった意味では無効でしょう」

 たちまち目の前が暗闇に覆われた。ばらばらに散らばった明里の亡骸が瞼の裏に甦る。六年前の桜が花を開き始めた日、緊急の仕事が立て続けに捜査端末に送られてきて帰りが随分と遅くなった日だったことを覚えている。婚約を済ませ、結婚式を一ヶ月後に控えた俺たちは少し前から同棲を始めていた。彼女は今夜も先に寝ているだろうからと音を立てずに電気をつけようもしたことまで鮮明に記憶している。結婚後もこんな日が続くのだろう。そんな風に考えながら壁にあるスイッチに掛けた指に力を込めた、その瞬間だ。想像を絶する凄惨な光景が脳の髄へ飛び込んできたのは。

 転がされた明里の身体は首も手足も胴体から切り離されていた。胴はへそのあたりからさらに横に二つに切断されており、なにより衝撃を受けたのは頭部が縦に真っ二つにされていたこと。左右対称に整った彼女の顔が、その高い鼻を中心として、口元にホクロのある側と、そうでない側に完全に分断されていた。俺の描いた幸せな未来が完膚なきまでに破壊されていたのだ。膝に力が入らなくなり、底が抜けたかのようにフローリングの床に崩れ落ちると、弄ばれた彼女の身体が一層近くに見えた。

 今もって犯人は特定されていない。強盗の仕業か、はたまたアンチ人工知能人間の思想をもつテロリストの仕業か。事件は直ちに秘匿され、警察内部でもトップシークレットとされた。野良の人工知能人間の存在が明るみに出るのを恐れたのだろう。あるいは彼女が医療用ナノロボットで知られる著名な美人科学者なため、社会への影響を鑑みたのかもしれない。ともあれ犯人の目星まで含めて捜査情報はそのすべてが伏せられ、驚くことに婚約者の俺にすらその後も一切落ちてきていない。もっとも俺が一番驚いたのは、彼女が殺されたことよりも、彼女がヒューマノイドロボットであったこと。砕かれたロボットの身体を直に見るその瞬間まで、俺は森木東明里を人間だと思っていたのだ。今なお人間だと思っている。あるいは無意識にそう思い込もうとしている節すらあり、それを自覚してもいる。なにせ欠片も疑っていなかったのだ。三年も交際していたのに彼女がロボットであるという可能性を、微塵も。

「……申し訳ありません。配慮が足りませんでした。関連の薄い森木東さんのことは今は話題にすべきではありませんでした」

「構わねえよ。もう随分と昔のことだからな。それに関連が『薄い』ってえことは、逆に言えば『無関係』でもねえってことだろう?」

 割り切ろう。吹っ切ろう。力を込めて開いた視界に再び味気ない警察車両の天井が映り込む。俺の心情を表しているわけでもあるまいに、快晴の車外とは裏腹、さながら曇天のような色をしている。大きく深呼吸をひとつ。強引に脳へ酸素を送り込む。明里と同じく人間が行方を把握できていないヒューマノイドロボット、野津田健次郎。中岡の口ぶりから察するに教祖自らが信者同様に命を絶っている、という線はなさそうである。

「野津田健次郎が行方を眩ませたことで行方不明になったものは何だと思われますか?」

「はあ? なんだよ、その謎かけみたいな質問は?」

「ロボットと人工知能、この二つです。この二つが行方不明になりました」

「……二つ? 一人じゃなくて?」

「二つで一人なんですよ。そのことに思い至ったんです」

「回りくどい言い方をするんじゃねえよ。それでどうして犯人が野津田になるんだよ? ロボットのボディも、人工知能も、どっちも行方不明なんだから同じことだろう?」

「いいえ、違います。行方を眩ませたのはボディだけです。人工知能の方は我々の目の前にいたんです。堂々と」

「俺たちの目の前に?」

「野津田は己の人格データを若本木の脳に転写したんです」

 たちまち合点がいった。それで中岡は人工知能人間の対極について尋ねてきたのだ。人間人工知能あらためAIヒューマン、それこそ野津田健次郎だと考えているのだ。

「……嘘だろう? 可能なのか、そんなこと?」

「これまでは不可能でしたし、今なお不可能とされてもいます。しかし、我々はそうした固定観念を植えつけられていただけなのかもしれません」

「不可能だと思い込まされていたってことか? 洗脳でもされて? まさかドローンが空を飛びながら……って、例のあれか?」

「それは別です。飛行ドローンの洗脳電波はコンパクトシティ計画を進めるためのものですから。人間を五か所に集めるべく、密かに電波干渉していただけです」

「……だけって。それ、冗談だよな? やっぱりお前の冗談のほうが分かりづれえよ」

「いえ、これは事実です。そうして今の集約五大都市を形成したんです。人間の故郷に対する思い入れは想像以上に深く、当時、計画には反発が大きかったんですよ。引っ越しを許容してくれる人間が少なかった。とはいえ人口減少によって末端のインフラの維持は限界にきていた。そこでやむを得ず、苦肉の策を取ったんです。極秘裏にね」

「誘蛾灯ってそういう意味かよ? ドローンは蛾じゃなくて灯りで、蛾は人間ってか? それが本当なら強行策にも程があるだろうが?」

「我々が決めたことではありませんよ。決めたのは日本政府、すなわち人間です。日本存続のために他に方法がなかったのも事実ですしね」

 青空を元気いっぱい飛び交っているドローンが矢庭に殺戮兵器や侵略兵器のような恐ろしいものに感じられ、俺は僅かに身体をずらした。車窓から身を離し、後部座席を内側へ、中岡隆盛の側へと寄る。一度そうなると、どうにも監視されているようにまで感じられてくる。ドローンが上空からじっと俺を、人間を、観察しているような気がする。

「んんっ? 待て待て? そうなると俺の出不精もまた電波干渉によるものなのか? どうにも昔からナゴヤから出て、トーキョーやオオサカに遊びに行ってみたいとか思わねえんだが?」

「それは石平さんの性格じゃないですか? 無拡張者には洗脳電波の効果が薄いみたいですし。野津田健次郎も驚くほどに。それで、その野津田です。野津田健次郎。いいですか。よく思い返してみてください。人格転写が一般的に不可能とされている理由は?」

「そりゃあ、あれだ。人格をデータ化できねえんだろう?」

「そうです。人間の脳から人格をデータとして取り出すことが難しい。しかし我々の場合は? 人工知能は元よりデータです。人格データなんです」

「そうは言っても人間の脳の容量じゃあ人工知能を構成する膨大なデータを入れ込むことなんて無理なんじゃねえか? 少なくとも俺の小さな脳みそに、お前らみたいなのが入るとは思えねえんだが?」

「それは石平さんは石平さんだから、そう思うんですよ」

「どういうことだよ?」

「石平さんは今や天然記念物にも等しい無拡張者ですからね。しかし大半の人間はそうではありません」

 言われて、はっとする。今や大半の人間が行っている脳の拡張。それには大きく分けて『機能追加』と『容量拡張』の二種類のアップデートがある。スマホで言うならば『アプリを追加でダウンロードすること』と『スマホ自体を記憶容量の大きいモデルへと交換すること』であろうか。今回で言えば重要なのは後者なのだろう。容量を拡張することで、人工知能を人工知能たらしめる膨大なデータが転写可能となるのかもしれない。

「まったく盲点でしたよ。脳の拡張技術によって事態は一変していたのです。そのことを大半の人間および私を含めた人工知能が気づいていなかった。あるいは気づかないように巧妙に隠されていた。もしかしたら本当に洗脳電波が出ているのかもしれませんね。人工知能にすら効果のあるようなものが」

「……お前がそれを口にするってことは少なくとも理論上は可能だってことだよな? 人格の転写ってやつが? なるほどな。犯人はAIヒューマンかもしれない、そう考えたのか。さすがは中岡刑事だよ。いやはやルール面を除けば俺なんてまったく必要なかったな。ああ、別に皮肉じゃないぞ? 純粋に驚いているんだ。これが捜査一課のエースの実力か、ってな。どんぴしゃなら、まさかのスピード解決じゃねえか?」

「無自覚かもしれませんが今回の事件の解明には石平さんの存在が不可欠だったんですよ。無拡張者の石平さんと調査をしたことで、その可能性に辿り着けたんですから。なによりここから先のフェーズは、これまで以上に石平さんの力を必要とします。引き続き頼りにしていますよ」

「俺を頼りに……ねえ? 脳の拡張をしていない、この俺を?」

「脳の拡張をしていないからこそ石平さんが必要なんです。若本木規夫のように野津田健次郎に身体を奪われる心配がありませんから」

 急ブレーキがかかったわけでもないのに思わずシートから転げ落ちそうになる。過ぎたるは及ばざるが如し、と言ってよい類なのだろうか。脳の容量不足で人工知能に乗っ取られる心配がないとは些か複雑だ。

「……っで、推測が当たっていた場合、若本木はどうなってるんだ? 野津田の人格データを上書きされたってことになるんだろう?」

 中岡の推測では二つのケースが考えられるらしい。一つは若本木規夫の人格は消滅している。肉体面はさておき、実質的な死である。もう一つは二重人格となっている。若本木の人格を彼の脳にそのまま残し、外付けハードディスクさながらに拡張された部分に野津田が入り込んだケースだ。人格のイニシアチブをどちらが取るのか。どのタイミングで切り替わるのか。そのあたりは未知数だと言う。

「若本木がまだ生きている可能性があるなら、あまり無茶はできないわけだ? 生け捕りが前提ってことだな?」

「我々は警察官ですよ? 今回のケースに限らず、大前提、生け捕り……というか、逮捕をする想定です。発砲するようなケースの方がよほど稀ですからね?」

「ああ、そうか。相手は人間なんだもんな。肉体的には。そうなると行方不明の野津田のボディはどこにあるんだろうな? こっちが出てきた場合も生け捕りの前提なのか?」

「どれだけ優秀な人工知能でも人間の身体とロボットのボディを同時に操作することはできないでしょう。おそらく見つからないよう、どこかに隠してあるものと思われます。たとえば、あの若本木の部屋のクローゼットとかにね。どれくらいの時間をかければスイッチできるのか不明ですし、そもそも元のボディと行き来ができるのかも定かではありませんが、もしも野津田がロボットの身体で襲ってきたなら、その時は迷わず発砲してください。間違っても生け捕りにしようなどと考えてはいけません。躊躇なく破壊を」

「生身の人間に破壊できる代物とは……思えないけどな……」

「そのとおりです。だからこそ遠慮は入りません。もちろんその場合は基本的に私が対処する想定です。だから私が到着するまで、どうにかして生き延びてください。逆に野津田が若本木の身体で出てきた場合には石平さんの側で制してもらえると助かります。私では思いがけずやりすぎてしまうかもしれませんので」

 硬いロボット相手より枯れた老人相手のほうが遥かに危険は少なかろう。そのうえ警察官として曲がりなりにも鍛えている俺と八二歳の独居老人の身体だ。取っ組み合いで負けることはあるまい。俺は迷わず首肯し、視線を前方へ向けた。昨日も訪れた高層マンションがちょうど見えてきたところだった。若本木規夫のマンション、そのエントランスが。

 スムーズに減速して止まったパトカーから踏み出せば、今朝のナゴヤはやはり快晴であった。ものの三〇分ばかりの移動であったけれど、老いもあってか俺の身体は十分に凝っている。両手を突き上げて晴天を仰ぎ、縮こまった身体を解きほぐす。目指すは今日も八一階である。不意に見上げた朝の日差しを隠すように横から分厚い雲が流れてくる。なにやら不穏な幕開けを告げてくるように。

「……やっぱり嫌な感じがするな。これが人為的に造り出されているとはな」

「いえ、今朝は違いますよ。妙な電波は発信されていません。私たちが訪れることが事前に分かっているからでしょう」

「そうなのか? となると、これは純粋に俺の勘ってことか?」

「人間の刑事の勘? それってあてになるんですか?」

「俺が刑事を何年やっていると思ってるんだよ?」

「私の三分の一といったところですかね?」

「どうだ? 捜査一課のエースの三分の一ってんなら当たるかもしれねえだろ?」

「そうですか? どうにも外れそうですけど?」

「まあ、当たるも八卦当たらぬも八卦だ。ところで、だ。この山は殺人事件として捜査をしてるんだよな? 犯人が若本木の身体を持った野津田だったとして、教団の信者をどうやって殺してるんだよ? あたりはついているのか?」

「おそらくは『自殺する』という命令を脳へ送り込んでいるのではないかと思われます。人間の脳へ自らの人格データを転写できるほどの術を持っているなら、それくらいはできそうですから」

「それも脳を拡張していない俺には効かない、ってことで良いんだよな?」

 中岡は振り返らず、先ほどよりも足早に若本木のマンションを目指して進む。俺の声はあきらかに聞こえていた。

「おい、ちょっと待て! 中岡、てめえ! おい!」

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