第4話
「──っで、どうしたんだ? 中岡隆聖刑事部長殿? まさか本当に故障したってわけじゃあないんだろう?」
野津田あらため若本木の部屋を出てからも中岡は黙りこくったままであった。俺の後ろに付き従って地上までのエレベーターを降り、警察専用車両に乗り込んでからも一言も声を発さない。後部座席に隣り合って二人、若本木と対峙した時と同様に右側に俺、左側に中岡が座っている。言わずもがなの自動運転車両だから他には誰も乗っていない。その他に車内にあるのは重苦しい沈黙だけである。
「なあ、なにか言いにくいことでもあるのかよ?」
既に六時を回っていると言うのに未だ日の出前のように空は暗く、すっかり大降りとなった雨が一生懸命に車窓を叩いている。雨脚は尚も強まってきていて、外を歩く人間の姿は一人も見受けられない。行き交うはタクシーとバス、それから掃除用のロボットと配達ドローンだけ。まるでロボットに支配されたSFの世界である。実際には雨で車内が見えにくいだけで、人間は老若男女問わず、すれ違うあれこれの車内に押し込められ、荷物のごとく運ばれているのだろうけれど。俺と中岡も御多聞に漏れず、自動運転のパトカーに運ばれている。
「いい加減に何かを言えよ? 人工知能人間だと思って踏み込んだら人間だったってんでショックを受けてるのか? まあ、そうだろうな。人間相手にあんな時間に事情聴取をかけたら始末書ものだ。お前の輝かしい経歴にも傷がつくわな」
「そんなことを私は気にしませんよ」
「おっ、ようやく口を開いたな? っで、どうしたんだよ? 外に漏れたらまずいことでもあったのか? ここはパトカーの中で防音も効いてる。なにを話をしても問題ないぜ?」
「……石平さんは、どこまで知っているんですか?」
「どこまでって、なにをだよ?」
「組織のことです」
「はあ? なんの組織だ? トランスヒューマニズム教団のことか? お前から貰った情報以外はまったく知らねえよ。おとといまで休職してたんだ。知るわけねえだろ?」
「……心拍にも脈拍にもおかしな揺れがない。部分的な体温の変化もない。石平さん、どうやって嘘をついているんですか? 私にさえ見抜けないように。いや、違う。私にこそ見抜けないよう、対策をしているんですね?」
人工知能人間の目はハイスペックなセンサーである。そのうえ人間でいうところの二つの目の位置以外にも全身に無数のセンシング装置を搭載している。それこそCTスキャンやMRI検査をする医療機器に劣らないレベルのものを。対峙する相手の健康診断やストレス診断をその場で瞬時に行えるだけでなく、嘘発見器のようなこともできるのだろう。そんな様子が伺える。まったくしかし謙虚すぎるというのも時に考えものである。己の優秀さをもう少し信じてくれまいか。異常がないということは『嘘をついていない』ということ。その証明がなされているというのに、なぜまだ疑いをかけてくるのか。そもそも生身の人間の俺がどうやって眼前のスーパーロボットを欺けるというのだ。
「お前は頭が良いのかアホなのか、どっちだよ? 嘘をつかない、という手を打ってるんだよ。それ以外あるわけねえだろ? そもそも俺がここで嘘をつく理由がねえよ」
「一年のうちに数日間しか表に出てこないのは身を守るためですよね?」
「入院したり、自宅療養をしてるんだよ! 医者の指示で、仕方がなく!」
「頑なに脳の拡張をしないのも電波干渉から逃れるため。つまりあなたは知っていますね? ナゴヤの飛行ドローンが放っている誘蛾灯のような洗脳電波のことを?」
「……なあ、それ、本気で言っているのか? 人工知能人間の中にも陰謀論とか、そういうのが好きな類がいるってことか? ドローンが誘蛾灯の役割だって? 一体なにを言ってるんだ? どっちかって言えばドローンは誘蛾灯に集まってくる蛾のほうがイメージに近いじゃねえかよ?」
顔に『疑っています』と書いてあるようだ。中岡が疑念の表情を創り、浮かべ、崩さず、全面に押し出したまま、探るように俺を覗き込んでくる。俺の返答には微塵も揺らがずに。そのうちカメレオンコートにまで『疑っています』という旨の文章が浮かび上がってきそうな雰囲気だ。先程まで沈黙していたかと思えば今度は堰を切ったように喋り出し、そうして俺を疑い出したばかりか語る内容がまったくもって頓珍漢ときた。本当に故障しているのではないか。さすがに心配になってくる。
「……わかりました。ひとまず捜査を先に進めましょう」
「ああ、そうしてくれ」
「先の若本木規夫ですが、あれは本当に人間でした。肉体の面では完全に。石平さんと同等の生体反応を示していたんです」
中岡はX線によるレントゲン撮影やその他諸々と多数の分析にかけ、確証をもって若本木を人間だと判断したはずだ。それにも関わらず、どうしてまだ怪訝な表情を浮かべているのか。やはりこの男はもう少し己の優秀さを知るべきだ。あるいはヒューマノイドロボットともあろう中岡が野津田と若本木を混同しているのだろうか。人工知能人間が野津田で、若本木が人間である。
「しかし、どうにも解せない」
「俺にはお前が解せないよ。解せない、という言葉を使う人工知能人間の、お前がね」
「そもそも野津田健次郎はどこへいったのか? それを考えてみてください」
「野津田がどこへいったのか? 最初からいなかったんだろ? 若本木の部屋を自分の住所に書き換えて警察の捜査を攪乱したかったんじゃないのか?」
「違います。野津田はあの部屋にいました」
「なんでそう思うんだよ?」
「あの部屋からはあまり他人に入られたくないという空気がひしひしと感じられましたから」
「俺たちは入れてもらえたじゃねえか? それにもしそうだったとしても、単純に若本木が他人に入られたくないっことはねえのかよ? 野津田は関係なく?」
「人間には不可能なレベルの対策が施されていたんですよ。私と石平さんがそれを突破したため、若本木あるいは野津田は少々驚いたはずです」
中岡はさておき俺までが何かを突破していたらしい。けれども俺自身には、それが何なのかさっぱり分からない。隣のシートで警察車両に揺られる相棒は、未だ先程の意味不明な陰謀めいた話の中にいるのだろうか。
「……私のことを頭のおかしな奴だという目で見ないでくださいよ。あの部屋からは誘蛾灯の逆、人間が近寄りたくなくなる電波が発せられていたんですよ」
「えっ? そうなのか?」
「巧みに隠蔽して発信されていたので私も部屋に入って初めて確信を持てました」
「モスキート音……みたいな感じか? 俺が平気だったのは年齢的なものか?」
「違います。おそらく無拡張者だから影響が少なかったんです。それでも嫌な感じがするとは言っていたじゃないですか?」
「おいおい、あれが人為的に造られた感覚だったっていうのかよ? あの勘が?」
「人工知能がやったことを人為的と呼んでよいかどうかは賛否ありそうですけどね。ああ、もちろん私には効きません。人間でなくヒューマノイドロボット、人工知能ですから」
中岡隆盛でようやく気づけるレベルの高度な防壁を張るとなると、たしかに人間の、それも老人には難しいだろう。となれば、たしかにあの部屋に野津田がいた可能性は高い。いつ頃までいたのか、今もいるのかは別として。
「話を戻します。若本木のことです。彼は人間でした。肉体面では完全に。しかし、あれはどこか違います。人間じゃなく人工知能に近い。きちんと示せる確証はありません。しかし普通の人間であれば先の電波に影響を受けるはずなんです」
「俺と同じ無拡張者だとか?」
「そうであればスマホに驚きはしないでしょう? なにより無拡張者であっても人間なら多少の影響を受けてしまう。そんな部屋に住むのは難しい。となれば、私の勘では――」
「勘? 勘だって? 今、勘って言ったのか? 捜査一課のエースが?」
「ええ、勘です」
「人工知能人間の勘ってやつか? そいつはあてになるのかよ?」
「人間の刑事の勘と同じくらいにはね」
「それじゃあ外れるかもしれねえってことだな?」
「当たるかもしれないってことですよ」
集約五大都市ナゴヤ。他の五大都市と同様に周辺では既に多くの駅が不要なものとして淘汰されている。電車はさながら他の四大都市との行き来を繋ぐ幹線輸送に等しい。ラストワンマイルと言おうか。ナゴヤ内、コンクリートジャングル内の移動は、もっぱら無人の自動運転バスやタクシーが主流だ。一時は箱型やドーム型など様々な車両が開発されたものの、結局はセダンタイプに形状統一され、タクシー利用者は一世紀前から変わらず後部座席を主として使っている。時代の変化といえば自動運転が当たり前となったこと。ゆえに旧運転席である前方の右側座席も有効活用が可能となっている。四人で乗車する場合は別として今のように二人で乗る場合には荷物置きにできるくらいだけれど。なにはともあれ流れた月日に反し、タクシーはそれほど大きな変貌を遂げていないというわけだ。車両の形状云々さておき、誰もが日常的に利用する移動手段となったことが一番の変化なのかもしれない。
「石平さんがおっしゃったように人工知能人間には個性があります。人間と同様に。それは偶発的な要素に起因する性格面のバラつきもありますが、必然的な要素に起因する個性もあります」
「必然的な個性?」
「はい。意図的に創りこまれるオンリーワンの機能です。他の個体とは重複しない機能をあえていくつか装備させることで差別化し、それによって人格面のバラつきをより大きくさせているんです」
「ユニークスキルって感じか? 異世界系のアニメで言えば?」
「ええ、そんなところです。私の場合は警察官とする目的で製造されているので、犯人の制圧および捜査に役立てられるような個性をいくつか獲得しています。そして、それとは別にバディのメンタルケアの観点からいくつかの機能が付与されてもいます」
「例のストレス診断の機能とかだろ?」
「はい。そのストレス診断の機能ですが、お伝えしたとおり私のオンリーワンの機能というわけではありません。しかし同じような機能を保有しているヒューマノイドロボットが多くない機能ではあります」
「ユニークスキルじゃなくレアスキルってことか? それがどうした? 自慢か?」
「違いますよ。人間と一緒にしないでください。さっきの話です。勘は勘でも怪しいと思う根拠くらいはあるんですよ。先の事情聴取の際に他の諸々の生体センシングとあわせ、若本木をストレス診断にかけているんです」
「そういう診断やスキャンを本人の了承なく勝手にやるのは違法なんじゃねえか……とは言わないでおいてやるよ。非常事態ってことで。言質を記録できてもいないしな。っで、その結果が異常値を示していたのか?」
「いえ、逆です。ストレスをほとんど感じていませんでした」
「はあ? 空振りってことかよ?」
「それも違います。よく考えてみてください。朝一から刑事に踏み込まれて事情聴取されているんですよ? あきらかにまともな状況じゃないでしょう?」
「お前にもそういう感覚があってよかったよ。安心した」
「当たり前じゃないですか。私を非常識扱いしないでくださいよ。人工知能人間と人間で対応を分けているだけです。人間相手と分かっていれば、あんな無茶はしませんよ」
「朝の四時に人間を呼び出すような奴がよく言うぜ」
「訂正します。人工知能人間と石平さんだけ別枠です」
「俺のことも普通の人間として扱えよ」
中岡が言いたいことは聞かずとも理解できた。『警察官から事業聴取される』というだけで強いストレスが生じるはずなのだ。それが非常識な朝の五時にアポなしで行われたとなれば尚さらのこと。それで微塵もストレスを感じないというのは逆に異常だ。如何に仙人めいた教祖であっても、見た目はさておき、中岡がスキャンした内面の平静をあの状況で取り繕うことは不可能に近い。そのうえ、あの老人は教祖ですらないと公言している。一般人なら言わずもがなだ。
しばし沈黙が流れた。自動運転車の走行音が静かに響く。窓の外を眺めてみれば、さらに激しさを増した雨の粒が次々にぶつかっては弾け、後方へ消えていく。この寒さである。そのうち雨も雪へ変わっていくだろう。車窓には真っ直ぐに前方を見つめたままの中岡の横顔が俺の身体越しに薄く映り込んでいた。その相棒の像が意を決したかのように俺のほうを振り向く。
「……なんだよ?」
「若本木のストレス波形に思い当たることがあるんです。似ている相手を知っている、というべきか……今回の事件とは別の、私の調査対象に酷似しているんです」
「なんだ、お前? 専任じゃなく別件も抱えてるのか? 嘘だろう? 長時間労働にも程があるじゃねえか? 過労死とかするんじゃねえだろうな?」
「大丈夫ですよ。日中はバディと、夜は単独で。いつものことです」
三六五日、二四時間。睡眠や休息を必要としない人工知能人間の普段の生活がどんなものなのかと思えば、まさか四六時中『仕事』をしていたとは想像以上に酷い労働環境に置かれているらしい。そのために創られているとはいえ、これでは捜査をするだけの奴隷というか、ロボットである。まさしくロボットなのだけれど。
「それで石平さんには大変申し訳ないのですが……」
「あらたまって、どうしたんだよ?」
「あなたにとっては非常にストレスのかかる場所になりますが、このまま急行させていただきます」
「はあ? お前、まさかそれで黙りこくってたのか? どうしようか悩んで? そんなもん、さっさと聞きにこいよ。バディだろう? ちょっとくらいストレスが高い場所だって必要なら行くしかねえじゃねえか? 仕事なんだから? 俺には睡眠時間があるだけ、お前よりは上等な労働環境を与えられているんだしよ」
「ありがとうございます。事件解決のため、どうかご容赦ください。それから人工知能人間の私が人間の石平さんに言う言葉ではないのかもしれませんが、人間と人工知能人間を同列で比較するのはおかしな話ですよ」
「ブラック企業に洗脳された社畜みてえなことを言うんじゃねえよ。っで、どこに向かうんだ?」
「それは着いてからのお楽しみです」
「そんなプレゼントいらねえんだよ!」
俺は行き先もわからぬまま、半ば強制的に連行されていく。警察車両で。まるで逮捕された犯人の護送かのごとく。中岡いわく俺にとってストレスの高い現場とは一体どんな場所なのか。激しい雨がモザイクをかけるナゴヤのコンクリートジャングルを眺めながら、いざ到着するよりもそこへ向かう間のほうがよほどストレスが高いのではないかと感じて。
結局、本当に最後の最後まで秘密にされたため、俺は行き先がナゴヤ警察本部の捜査一課で、訪問する相手がまさか同僚の
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