第26話 CHAPTER 8「She never dies PART 1」

 掛井かけい武人たけひとは予算審議会を終えて、夜遅くに議員宿舎に帰った。熱いシャワーを浴びた後、下着姿のまま冷蔵庫から缶ビールを一缶取り出すと、喉に放り込むように飲んだ。大きなげっぷを三度続けて出して、リビングにあるソファに腰かけた。

 八十平米程の3LDK、平凡な間取り、家賃は月十二万、都内の一等地であるから、破格の安さなのは解っている。しかし地元ならば、十二万も払えばもっと広い所に住める。それなのに、この建物は住んでいるだけで批判の対象になる。首を吊った奴だっているし、妻も寄りつかん。何も好き好んで住んでいる訳じゃないんだぞ。

 献金疑惑に加えて国会の延長、さらに氷川龍子の事で悩まされて、掛井は疲労困憊となっていた。今この場、この半裸の状態では、来年に任期を終えたら引退しようか、という気持ちが大きく勝っていた。

 弱気を祓うために、またビールを流し込んだ。顔がみるみる赤くなった。

「いかんな」そう呟いて、目をぱちぱちとさせて、突き出た腹をさらに前に出し、だらしなくソファにもたれかけながら、リモコンでテレビを点けた。少しザッピングすると、否応もなく注意を引く映像が映し出された。画面には息子、あきらの姿があった。

 まわりにいるリポーター達と比べて頭一つ分背が高く、背筋がまっすぐ伸びた立ち姿。顎元がすっきりとした男前だが、上下ともに瞼の大きいギョロ目が父親とそっくりで、人によっては嫌悪感を抱きそうな顔だ。

「私は現在、秘書の身でございますので、そういった内容について語る資格を持っておりません」

「ご自身は、政治家になるお考えでしょうか?」と、画面外の男性リポーターの声。

「まだわかりません。勉強中であります」

「もしも父親、お父さんである掛井武人氏が受託収賄罪に問われる事になった場合ですね、ご自身の進退にも影響があるとお考えでしょうか?」

 暁は少し苦笑いを浮かべた。「ですから、進退も何も、わたしはまだ一介の秘書でございますので」

「ご自身は、お父上の疑惑についてどのようにお考えでしょうか?」と、違う男の声。

「私は、事実ではないと考えております」

 1~2秒の間、カメラを正面に見つめて、暁は力強く答えた。その表情を捕えるべく、周囲からはいくつものフラッシュが焚かれて、点滅を押さえたるため、画面は少し薄暗くなった。映像は収録されたもので、場所はどこかわからないが屋外で、おそらく本日の昼間に撮影されたものであろう。

「バカが、ぬけぬけとカメラの前に出おって」

 画面上の暁は尚も続けた。

「掛井家は武家の出身です。一人の罪は一家、一族の罪となります。私も父もその覚悟でこれまで公人としての務めを果たして参りました。そういった考え、覚悟を持った人間が、個人の利益の為に献金を受領すると言う事はありえない、そう考えております」

「個人の利益の為ではない、とおっしゃいましたが、それはどういったお考えですか?」

「はい?」

「それは、政治資金収支報告書への記載漏れの可能性をおっしゃっているのですか?」

「しかしねえ、疑惑は二十年近く前に遡るものもある、って言うじゃないですか」とまた別のリポーターの声がする。

「それは、今どのような証言や証拠が出ているのか、その信憑性がどうであるのか、私には解りかねますので。すみません、仕事がありますので」と、暁は歩み始めた。

「もしも、検察が動き出したら、国政進出は辞退されるのでしょうか?」

「罪が事実であれば、私も腹を切る所存です」

「今後出馬はしない、という意味ですか?」

「申し訳ございません、仕事がありますので」

 ひと言、もうひと言だけお願いします、との言葉に背を向けて去る暁の姿を最後に映像は終わり、スタジオに立つ若い男性キャスターの姿に画面が切り替わった。

 掛井はテレビを消して、頭を掻いた。「馬鹿もんが…誰のせいで苦労していると思っているんだ」 一族の罪だと? 幾つになっても親にたかってばかりだ。息子の将来のために、何が何でも疑惑をぬぐい取れ、あいつはそう要求しているのだ。

 テレビのリモコンの隣に置いてあった携帯電話が鳴った。着信番号を確かめると、慌てて電話に出た。

「もしもし」

「町田です。今、大丈夫ですか?」

「私一人だ」

「女のねぐらが解りましたよ」

 掛井は言葉を詰まらせる事で返事した。

「意外と早かったでしょう、 どうします? さらうか、それともやる・・か」


 職場のデスクで捜査資料をPC画面に映し出しながらも、天童てんどうはその資料に全く関係のない事を、もう一時間以上も動きを止めて考えていた。

 龍子りゅうこに電話をかけられないまま丸二日が経過した。なぜ電話をかけないのか、自分でも解らなかった。龍子と掛井暁との間に何があったのか、二村にむら岳人たけひとをどうするつもりなのか。なにか不安を感じているのだ。龍子の口から答えを聞く事に、自分の覚悟が決まらないでいる。龍子の事を覚えている署内の人間には、粗方話を聞いてみた。掛井暁と付き合っていた噂がある。病気で長期入院し、そのまま退職した。何の病気か、どの病院に入院していたのかは誰も知らないし、署内の記録にはない。龍子はそれが嘘だと過去に話した。しかし病気が嘘なのか、入院していたのが嘘なのか、入院が原因で退職したのが嘘なのか…何かがあった事は間違いない。村井や喬史はおそらく知っているのに、なぜ龍子は俺には教えてくれないのだ。俺が警察官だから…。

 恥ずかしい・・・と答えた龍子の顔を思い出した。

 掛井暁は本庁勤務だった。当時の東京の住処、掛井が係わる病院、龍子が欠勤を始めた日、その日、または前日に起きた事件、どうしてこの程度の事に気づかなかった? 本気で彼女の過去を知ろうとしたのか? 怖がっていたんじゃないのか?

「天童さん」 いつの間にか左隣に立っていた岸田きしだが、少し背をかがめて話しかけた。天童が立ち上がろうとするのを肩に手を置いて制し、声量を下げて続けた。

「本庁から天童さんにお客さんが来ています」

「本庁から?」天童も合わせて小さい声で話した。

「三課長の戸谷とたに警視です。心当たりは?」

「ございません、どういった用件でしょうか?」

「わかりません、しかし、実は一週間程前にも本庁の、その時は真壁まかべさんという人から天童さんについての問い合わせがあったんです」

「その方も存じ上げていないのですが」

「そうですか、まあ天童さんの事ですから変な話ではないでしょう。もしかしたら本庁勤務を打診されるのかも」

「まさか」と天童は苦笑した。

「いえいえ、あなたにはどうか出世してもらいたい。私は本気でそう思っております」

 顔は恐いが(人の事は言えないが)態度は常に礼儀正しく柔和な岸田に、天童はあなたこそ出世すべきだ、と本気で思った。

「それじゃあ第三会議室にお通ししますので、先に行っておいてもらえますか?」

「はい」 本庁からの差し金か…。


 署内でもっとも狭い会議室だが、それでも二人だけで話すには空間が余り過ぎる。コの字に配置された長机の一角に寄って座り、挨拶を交わした。

 濃紺のスーツ、格子柄のブラウンのネクタイをしっかり絞めて、緊張した面持ちで話す戸谷警視の様子は、何か覚悟を決めている様子に見えた。

「お忙しい身でいらっしゃるでしょうから、早速本題に入りましょう」と、張り詰めた表情で戸谷が言った。

「はい」 天童はお互い感情的にならないよう、いつものように穏やかに接する事にした。

「天童さんのお知り合いの、ある女性の事についてです。私どもは、ある方のご依頼でその女性の行方を捜しております。過去に、そのある方と女性との間にトラブルが生じまして、その件を解決するためです。もちろん、彼女に何か危害を加える、不利益を及ぼす考えではございません。きちんと話し合って、お互いが納得する形で収まるよう、私が責任を持つ考えでおります」

「なぜ戸谷さんがそのような事を請け負っておられるのですか?」

「すみません、それにお答えする事はできません。しかし、ある方とは、高い地位におられる方です。そこをご推量頂きたいと思います」

「なるほど …納得する形とは、具体的には?」

「おそらく金銭によるものになるかと」

「しかし、それを彼女が拒んだ場合は?」

「そこは誠意を以て、粘り強く交渉する意向です」

「それでも彼女が納得しない場合は?」

 戸谷は、話す内容を頭の中で推敲しているかのように三十秒ほど黙り込んでから、落ち着いた口調で話し始めた。

「交渉に応じるつもりがないのなら、彼女はとうに行動を起こしているはずです。つまりは今の所、彼女にも交渉の意向があるという事です。その内容は、主に金額である以外に何か想像がつきますでしょうか? それは別にしても、まずはお互いが平和的な解決を望む事に、同意する事が大切です。平和的にと言う部分について、私や天童さんのような警察官が監督として間に入る事で、交渉を円滑に進める事ができるかと思うのですが」

「なるほど、同感ですね。…しかし、となると私の方もそのトラブルがどういった内容なのか、詳しく把握しておく必要があると思うのですが。何しろ、警察官ですから」

「・・・すみません、今の段階では、私からお話しする事はできません」

 知らないのか? それとも知らないふりか? そう思っているのだろう。しかし、あなたは知っている、という事は露呈したぞ。

「そうですか、しかし、私も平和的に解決する事を強く望んでおります。その点は戸谷さんと同じです」

「熟考をお願いします。うまく事が進んだ場合は、きっと天童さんにとっても有益となる事と思います」

「承知致しました」


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