第31話 CHAPTER 9「Out of sight PART 3」
焼死体が男だった事が判明し、その情報を得てからもう二週間以上が経った。
マスコミを含め世間にとっては、あるマンションの火災で死んだ人間の正体など、そう気に留めるものではなく、その後の報道は皆無だったが、掛井と
当然、町田の方は連絡が取れなくなった殺し屋の悲惨な末路を察していた。激しい怒りと落胆を繰り返すばかりの掛井を尻目に、天童や村井、<レーネ>の監視再開を指揮し始めたが、殺害が失敗したことにより、町田の下を離脱し始める者も多く、手数は全く足りていなかった。本庁の刑事二人も、
午後五時を過ぎた頃、町田がしばらくの間住処としているホテルに、紺のポロシャツと白のスラックスを着て、サングラスと野球帽で顔を隠した掛井が一人で訪れた。スニーカーを履いていて、「ゴルフ帰りですか?」と、町田は冗談のつもりでたずねたのだが、憤懣している様子で、全く通じなかった。
「まずい事になった」と言って、掛井は町田の横を通り過ぎて、了承も得ないままに、リビングのソファに乱暴に腰かけた。
町田も向かいのソファに腰かけた。町田は掛井を出迎えるためにネイビーのスーツに着替え、部屋もきれいに掃除しておいた。
「明日、週刊誌に記事が出る。アトムからの収賄疑惑についてのものだ」
「どのような?」
「証言者が複数人に増えた。アトムの社員に仲介者と名乗る者、それに、こちら側の者までいるという話だ」
「内部? 心当たりは?」
「解らん、現在事務所をあげて調査中だが、昨日から
「築島? ああ、あの若い秘書の。それで、その週刊誌とは?」
「週刊スタアだ」
「と言うと」
「村井だ。やはりあの女と繋がっていた。俺をはめたんだ」
「
「そうとしか考えられんだろ! 全てタイミングを合わせて来たんだ。全く、何も気づかなかったのか? 村井に天童、築島や、証言者の全てが、あの女の手によるものだ」
「まさか」
「役立たずめ! さっさと女を捕えておけば、こんな事にならなかった!」
掛井は暴発したかのように怒鳴り始めた。目をむき、顔を紅潮させて、小刻みに震えている。だが、そんな怒声と表情など、町田には全く通用しない。
「ただの三流週刊誌の記事でしょう? 警察や検察が動いているわけじゃない」
「何を呑気な事を、バカかお前は。疑惑に加えて、もしも女が息子の事件を暴露してみろ。盆休み中のワイドショーは高速渋滞や行楽地のくだらない中継以外、全て掛井家のスキャンダルで埋め尽くされる。検察だって動かざるを得なくなる。どう始末をつけようと、次の参院選は終わりだ」
呆れたな…これまでの疑惑程度ならば、次も当選できると考えていたんだ。でもその可能性も、なくはないのか。
「掛井さん、勘違いしないで下さい。私が請け負っていたのは女の件だけです。献金疑惑については、私は関係ありません。女が疑惑に絡んでいるなんてのは、あなたの勝手な想像でしょう。私は息子さんの犯した罪が明るみに出ないよう、今も懸命に女を探しています。他の事は知りません」
「何だと! 貴様、これまでの失態をそんな屁理屈でごまかそうと言うのか!」
「屁理屈も何も事実でしょう? 失態だと言うのなら、息子さんが女を刺した事が記事に出てからにしてください。まあ、もしかしたら時間の問題なのかも知れませんが」
「貴様、よくも・・・」
掛井は自分の眉間を摘んだ。冷房は十分に利かせているのに、顔は紅潮し、額は汗粒でいっぱいになっていた。
「大丈夫ですか?」
町田は立ち上がって、急いで冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを取って来ると、キャップを開けて掛井に手渡した。
掛井はぐいと飲んだ。
「落ち着いてください。こういう時にどんと構えるのが、大物政治家ってヤツじゃないですか」
「お前はクビだ」落ち着きを取り戻した口調で、掛井は言った。
町田は十数秒の間、掛井の沈んだ表情を見つめ、静かに立ち上がった。
「解りました。それじゃあ、私はこれで退散します」
そう言って、大きな黒いスーツケースにざっと衣服を詰め込むと、ドアに向かった。
「明日までの宿泊代は支払っておきますので、よろしければ隠れ家にどうぞ」
掛井は下を向いたまま、動かなかった。
黒とパールホワイトの色調でデザインされた広い社長室。中央には四人掛けの応接テーブルセットがあって、一番奥にあるデスクには、当然社長である村井
「十ページ程度の記事と表紙の差し替えくらい、まだ間に合うはずだ」と、努めて平静な口調で和明は言った。
「無理ですね。もう間もなく配送です。それに先ほども申し上げましたが、間に合う間に合わない、の問題ではございません。印刷が開始された時点で情報は各マスコミ、そして記事の当事者にも知れ渡っております。今頃各報道、他紙は大慌てですよ。もしもわが社がこのネタを捨てたとして、他社が少し遅れて食い荒らすだけの事です。ネットでは、本誌の販売の前に情報が出ます。世間への影響、当事者への影響は何も変わりはしない。単に我々がみすみすスクープを失い、あげくに発行、販売が遅れて大損害を被るだけです。その後、ネタを掴んでおきながら報道しなかったわが社に疑いの目が向けられる、なんて事になるかも知れませんね」
「ネタ元が、お前に直接コンタクトを取って来たと言ったな、それもつい昨日一昨日の内に、複数人が。そんなうまい話があってたまるか」
「証言者の身元についてはすでにご説明しました。信頼性はこの上なく高いかと」
「いつから準備していた? 私に黙って」
「私は、一雑誌の編集です。気安く社長に指示を仰ぐことなど、とてもとても」
「ずいぶんと生意気な口ぶりじゃないか、昔のお前に戻った様子だな」
「特に昔から変わったわけじゃありません。緩急をつけて生きるようにしているだけです。もう私も四十代なので、そうしないと体がもちません」
「スクープか、・・・その代償の責任を、お前が取れるのか?」
「代償とは、なんの事でしょう?」
「調子に乗るなよ」
「掛井はもはや泥船です。マスコミや世間は一斉に叩くでしょう。まあ、どうせ一時の事でしょうがね。それでも与党は静観を諦めて、離党勧告くらいはするでしょう。アトムの方は、役員を一人差し出す事で解決を図ろうとしています。その役員だって、高額な弁護費用と退職金で納得している事でしょう。掛井も自身の政界引退くらいで済むんじゃないですか? 疑惑は疑惑のまま、数年後に不起訴となっても、その時議員でなければ大して話題にならない。牙と角を抜かれた老いぼれは、きっと戦闘意欲を失くします。その後なんの脅威となりましょう?」
「息子がいる」
「先の話です。その時は、私が苦しみますよ」
「お前が?」
和明はようやく目線を息子から外して、苦笑した。
「わたしが行くまで見張りを続けてください。ええ、今からだと三時間くらいかかるかも知れません。その間にもし動きがあれば、すぐに連絡をください」
小声で話した携帯電話を切ると、天童はデスクから立ち上がって、イスの背もたれにかけてあった背広を着た。
「お先に失礼します」そうオフィスの全員に向けて挨拶すると、足早に出口に向かった。
「お疲れ様です」と口々に声がかかる中、「ああ、天童さん。確認して頂きたい書類が…」と若い私服警官が呼び止めようとしたが、「こっちでやる」と言って岸田が制した。天童は軽く頭を下げて出て行った。
時刻は午後六時半、勤務時間は過ぎていたが、それでも八月は犯罪が多くて忙しく、残業をするものが多い中で引け目を感じたが、これから自分が行う事だって、おそらく警察官の職務だろう、と自分に釈明した。管轄は違うし、かなり面倒な事になるかも知れないが…。
天童は自分の車を発進させると、十分ほどで高速道路のインターチェンジに入った。ハンドルを回しながら、「二村、何をするつもりなんだ」と呟いた。
同じころ、東京から天童と同じ目的地に向かう車があった。目立たぬよう、黒塗のバンで後部座席の窓はスモークドガラスだ。
首都高の渋滞からなかなか抜け出せず、掛井の苛立ちは募るばかりだった。
「おい、もっと冷房を効かせろ」
「は、はい」運転席には、初老の男が座っていた。シートから背を離して、緊張した面持ちで運転している。
「築島はまだ捕まらないのか?」
「はい」
「くそ、とんだところに裏切り者が潜んでいたものだ。お前ら、これまで何も気づかなかったのか?」
「ええ、ただ最近、元気がない様子だったとしか」
「元気がない?」
「思い詰めていたような、そんな雰囲気でしたね。ええ」
「なんだそれは、俺の疑惑のせいだと言っているのか」
「いえ、そんな、滅相もない」
「お前、俺を疑っているのか?」
「とんでもない、そのような事は…はい」
「あいつは裏切り者だ。女の色香にたぶらかされたに違いない。みっともない、情けない奴だ。ただでは済まさんぞ」
「はい、あの…女とは?」
「なんでもない、黙っておれ。全くお前らは、何も解っちゃおらんくせに」
初老の男は、以降返事以外の言葉を発さなかった。
日が暮れ始めて、ライトを点灯する車が増えてきた。呼応するように、すれ違う車もライトを点ける。渋滞中の首都高速は、見る見るうちにライトアップされていった。
午後九時十五分、掛井宅の前で車は停まった。
「一時間、いや四十分後にまたここに迎えに来い。周囲にマスコミがいないか気をつけろ」
「はい」
掛井は車を降りて、周囲を見渡した。もしもマスコミが潜んでいるならば、もう駆け寄ってきている事だろう。静かに鍵を空けて、家に入った。
「おい、俺だ。帰ったぞ」
玄関の灯はセンサーでついたが、一階奥のリビングやキッチンは暗いままで、人の気配が感じられない。
「おい、誰もいないのか? 電話にも出ないで。しばらくの間、検査入院する事になった。準備を手伝ってくれ!」
〝なった〟のではなく、〝した〟のだ。
リビングまで行って、灯を点けた。和洋の二部屋を繋げていて、合わせると三十平米以上はある。それぞれにテーブルと、洋室にソファセット、和室には座椅子と座布団が置かれている。洋室にあるテーブルの上に和紙の書置きがあった。掛井の妻が直筆したもので、〝しばらくの間、熊本の実家で身を潜めます〟と書いてあった。
「何を勝手な、誰の指示だ!」おそらくは、収賄疑惑の続報記事が出る事を知った事務所の職員が、心構えを持つよう妻に前以て伝えた故の事だろうが。自分に断りなく行動した事に、掛井はひどく腹を立てた。
四十年以上連れ添った相手だが、その内の後半にあたる期間は、ほとんど他人と言える間柄になった。しかし男女の信頼は無くしたとしても、国会議員の妻としての責務は果たすべきだ。自分だってその恩恵に預かり、これまで何不自由なく暮らしてきたのだから。
「くそっ! どいつもこいつも! バカどもが自分勝手に! 何も解っていないくせに! 全員叩き殺してやる!」大声で毒を吐き出しながら二階にあがり、自室の衣装棚や洋服ダンスを乱暴に開けていった。スーツケースがどこにあるのか解らず、ベッドの上に古い黒革のボストンバッグを置いて、強引に衣服を詰め込んだ。
細かいものは後で持ってこさせれば良い。あとは現金と、保険証はどこだ?
掛井は押し入れの奥に置いてある金庫を開けた。封筒に入った十万円程度の現金以外には、様々な保険書類や三文判がいくつか、古い手紙等が入っているだけで、保険証や通帳、実印はない。(あいつ、まさか全部持っていったんじゃなかろうな)
一階に下りて、また二階に上がった。妻の部屋、ゲスト用の和室、使わなくなった息子の部屋などに入ったが、どの部屋のどこを探せばいいのかさえ見当がつかない。掛井は諦めて、バッグだけを取りに自室に戻った。
部屋に入った瞬間から、視界の右端に黒い人影が入った。反応が間に合ったのは視線だけで、重い身体はついて来られなかった。
黒ずくめの服装をした男が、掛井の背後から左腕を首に回し、右手に持った刃渡り二十センチ以上のサバイバルナイフを眼前に出して、耳元で「動くな、声を出したら殺す」と、芝居がかったような口調で言った。
「誰だ、やめろ!」大声を出す掛井。
「声を出すなと言ったろ!」と、男も大声を出す。
「こんな真似をしてただで済むと思っているのか、俺に何かあったら、日本中の警官から追われることになるぞ、決して逃げられん。この家には防犯カメラが設置されていて…」
「人の話を聞け!」男はナイフの柄尻で掛井の鼻を殴った。
掛井は思わず腕を振り払って、顔を押さえた。
「くそっ、殴っちまった」
掛井は鼻を押さえたまま、振り返って男の姿を見た。長身で少し太め。上下は薄手のナイロン製のジャージを着ていて、新品のスニーカーを履いている。全て黒色だが、手にはめた軍手だけは、どこにでもあるような白い安手の物だ。覆面はしていない、堂々と顔をさらけ出している。その顔に、掛井は見覚えがなかった。
「だ、誰なんだ」
男はナイフを掛井の前に突き出して、「知ったら笑うぜ」と言った。
掛井はベッドの上に置いてあったバッグを取って、唸り声をあげながら振り回して男を攻撃し始めた。だが、衣服ばかり入れたバッグに大した攻撃力はあるはずがない、二度ほど腕に当たったが、怯むわけもなく、男は前蹴りを掛井の腹に入れた。掛井は後ろに倒れて、ベッドのマットレスの角に身体をバウンドさせてから、激しく床に尻餅をついた。家が少し振動した。
「切り刻まれて死にたいのか?」
掛井が息が詰まったかのように押し黙ると、すでに二階に上がった駆け足の音が、すぐ背後まで迫ってきた事に気づいた。
天童は振り返った男の姿を確認すると、すぐにナイフを持った手を掴みにかかった。
「なんだてめえ!」
男の怒声を無視し、両手で男の右腕を掴みながら、肘で顎や胸部に、膝で腰や急所に打撃を何度も加えた。掴まれた際にバランスを崩してしまった男はうまく抵抗できず、左手で天童の肩を掴んだが、ただしがみついているだけだった。
天童は身体を返して、男の腕を逆にまわし、関節を極めた状態で背後に回った。男は痛みでナイフを手放したが、激しく身体を揺すって抵抗した。天童は左手を離して、男のもう片方の腕に肘をかけてロックした。上半身の自由を奪った後、天童は背後から強引に男の足を踵ではらい、体重をかけて前に一緒に倒れ、男を下にして固めた。
体格はほぼ一緒だが、奇襲に加えて、体さばきと度胸において、あきらかに天童が上手だった。男は「痛い、痛い」と声を出して、抵抗する力を弱めた。
「警察だ。観念しろ」
その言葉を聞いて、掛井は胸をなでおろした。
「警察? なんだよ畜生、うまくいかねえな! くそっ、頭にくる!」
「何者なんだ、こいつは」
「何者だと? 顔を見て、俺が誰か解らないのか? 俺はお前の息子だよ! 二村愛実を覚えているだろう、俺はあいつとお前の息子だよ」
「何を・・・」掛井は立ち上がって、ゆっくりと男の顔が見える位置へ動いた。
ぼさぼさの髪に、やや太っていて肌つやも悪いため、女に置き換えて想像する事は難しいが、眉と目が近く、両目の間隔もせまい彫の深い顔は、確かに二村愛実を思い起こさせる顔つきだった。
「驚いたか! 墓の中まで持っていけると思っていたんだろう。俺の名前を知っているか?二村岳人だ。あの女、お前に対する嫌がらせなのかどうか知らんが、俺にお前と同じ名前をつけやがった。まったく笑えるぜ。お前みたいなブタ野郎と同じ名前だ。ふざけやがって、虫唾が走るぜ。お前の顔をテレビで観る度に、いつか殺してやろう、って思っていたんだ。それなのに邪魔をしやがってこの野郎、いい加減にどきやがれ!」
天童は掴んでいた腕をさらに捻って、二村に苦痛を加えた。
「いてえっ、やめろこら!」
「二村、お前、十年前の女子大生殺害事件にも絡んでいるだろう。この際だから、親父の前でその件もゲロしちまえ」
二村は大笑いし始めた。「馬鹿が! あの時もお前ら警察に言ってやっただろうが、俺が殺したって。あの腰抜けが気に入らない女を犯して殺す、って普段から吹いてやがったからよ、やってみろ、つって付いて行ってやったんだ。ところがいざとなるとビビりやがって、うろうろと色んな女の後をつけまわしてばっかりでよ。だから俺がこうすんだ、って言って、あいつが用意していた金槌を奪って、代わりにやってやったんだ!」
「逮捕する」
「やってみろよ、腰抜けのポリが! そう言って、あとでまた釈放するんだろ」
二村は掛井を見上げて、媚びたような笑顔を作った。
「だよね、パパ、父さん、お父様。あの時も助けてくれたんでしょう? 頼むよ、二度と殺そうとしないから。息子だよ? 困るでしょう? 血の繋がった息子が殺人犯だなんて、ああ、お兄ちゃんもいたよね。なあ、疑うんだったらDNA鑑定をしてもらうからさ」
「警察の取り調べを受けたんだな、担当した警官の名前を覚えていないか?」
「嘘だ! お前なんかが息子なものか!」
「今は黙って、落ち着いてください」
天童がたしなめるように言ったが、まったく届いていない。
「このゴミが! 生きる価値もない」
掛井は顔を紅潮させながら、二村に向って唾を吐きかけるように言った。
「貴様など、満足に取り調べなどさせるものか! 裁判もなしに処刑台へ送ってやる」
「やれるもんならやってみやがれ! お前こそもう先はないぞ!」
「どういう意味だ! 女か、あの女の仕業か!」
「はあ? 女って誰だよ」
「もう黙れ、掛井さん、あなたも」天童は二村の背に片膝を載せて押さえつけ、同時に掛井に厳しい表情を向けた。
「誰に向って・・・、わかって、いるのか」掛井は急に声を落とした。エアコンを付けていないせいで室内はひどく蒸すが、それにしても掛井の汗の量は、尋常ではない。
「掛井さん、大丈夫ですか」
掛井は眼鏡を外して、眉間を指でつまんだ。下を向いて激しく呼吸を始めた。
「早く俺を放さないとただじゃ済まねえぞ。俺のバックにはお前ら程度が太刀打ちできないほどの組織が…」
ブイン、と固いバネを弾いたような音が聞こえて、代わりに二村の声が止んだ。
天童が二村の後頭部に目を向けると、黒髪が血でぐっしょりと濡れていた。少し目線を上げると、サイレンサーを付けた銃口が、自分に向けられている事に気づいた。掛井と二村の罵り合いに気を取られていたせいだが、まるで気配を感じる事ができなかった。
黒い目出し帽を被っていて、さらにサングラスをかけて完全に顔を塞いでいる。二村と同様の黒の上下ジャージを着ているが、雰囲気が二村とまるで違う。銃が無かったとしても、抵抗すれば間違いなく負ける、殺されるという事がはっきりと感じられた。
掛井はその光景を見て、さらに激しい頭痛に襲われた。眼鏡を床に落として、ベッドに近寄って行ったが、まもなく意識を失って倒れ、またマットレスにバウンドして床に転がった。仰向けになった拍子に飛び出た嘔吐物が、顔の下半分を覆った。
「掛井さん!」 目出し帽の男に表情で訴えかけたが、銃口は動かず、救助を認めなかった。
「手錠を出せ」 男はわざとらしい低い声を出した。
「持っていない」
男は撃鉄を上げた。
「ホントだ、非番中だから」
天童は顔に布袋をかけられてから立たされ、後ろ手に紐で縛られた。何も見えないが、二~三人が屋内に入って来ている様子が伺えた。口を塞がれた訳ではないので、緊張しながらも声を出してみた。
「何をしている?」
「五分程待て、今、きれいに後片付けをしている」
「命は助けてもらえるのかな?」
「ああ、安心しろ。お前を殺しちまうと、後で女が何をするか解らんからな」
「何だと?」
「あの女はやめとけ、苦労するだけじゃ済まんぞ」
「女と・・・龍子と何の関係がある」
返答はない。
「あんた、背が低いよな、百六十くらいか?」
少し間をおいて、男は天童のひざの裏を強く蹴った。バランスを失って床に倒れた天童の腹に素早く腰をのせて、右腕で首を締め上げた。天童は足を大きく振って抵抗したが、一分もしない内に動きは止まった。
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