第25話 CHAPTER 7「Lights below PART 4」

 翌日は朝から、梅雨明け以降初めての大雨となった。道路を打ちつける雨音と、タイヤが路面の水をすくう音、側溝の蓋を揺らす程の激しい流れが、行き交う人々から言葉と表情を奪っている。

 車の屋根から伝わる雨音に思考を阻害されて、多賀はただ運転席から見る景色だけに意識をわずかに残していた。傘をさした天童が、すぐ向かいに駐車しておいた自分の車(古い白色の普通乗用車)を横切って、まっすぐこちらに向かって来る。助手席のドアを開いて乗り込んでくる彼を、多賀はただ黙って待ち構えた。

「雨の中、お疲れ様です」と、穏やかに天童が話しかけた。

「どうも、お疲れ様です」

「お名前は?」

「多賀まこと 巡査長です」

「所属は?」

「調布警察署、生活安全課です」

「どうしてこんな所に? 生活安全課が私に何か用ですか?」

「天童警視こそ、どうして千葉に? 何の捜査をされているのでしょうか?」

「こちらが質問しているのですがね、答えてもらえませんか?」

「すみません、上司の命令ですので」

「私の尾行がですか? 上司と言うのはそちらの課長でいらっしゃいますか?」

「上司です。上司の階級は天童警視と同じでありますので」

「調布警察署は関係ない、という意味ですか?」

「これ以上は、すみません」

 天童は少し笑みを浮かべた。「氷川龍子を追う理由は何ですかね、教えて頂けませんか?」

 多賀は朦朧としていた緊張と感情が、ようやく作動し始めた事を感じた。

「何も知らないんですよ。くだらない探り合いはやめにしましょう。私は上司の命令に従っているだけなんです。警察官なんてそんなもんでしょう。私はただの下っ端ですから、自分で判断する事なんか許されていませんから。あんた、キャリアさんなんですから、うちの署長でもなんでも苦情を言えばいいじゃないですか、そうすれば私もこんな仕事からは解放されるんですよ。まったく、馬鹿馬鹿しい」

 開き直ったかのような態度に少し呆気に取られながらも、天童は態度を崩さず、穏やかに話した。「お互い、何も知らないという事ですか。仕方ない、それじゃあなたの言う通り、署長とお話しましょう」天童は内ポケットから携帯を取り出した。

「はいはい、わかりましたよ。退散しますので、車から降りてください」

「次、見かける事があったら、直ちに電話しますので。あなた以外でもね、そこのところ、上司の方によろしく伝えておいてください」

「・・・ああ」

 天童が車を降りると、多賀の苛立ちを正確に表現した激しいエンジン音を鳴らして、車は走り去った。天童はすんでのところで、水しぶきをかわした。

 天童は腕時計を確認した。午後五時。もう少し時間をつぶせば、彼女と話すことができるかもしれない。

 一台の白いワンボックスカーが天童の横を通った。天童の車を避けて、さっき訪れていた三階建てのビルの前で停車すると、運転席以外のドアが開いて、三人の作業着を着た男達が車から降りた。後部座席から出てきた男の姿に天童は気づいた。若い男の方も天童の姿に気づいた。

 井達いだち喬史は天童に軽く会釈すると、薄汚れた青いリュックを背負って、他の二人と共に建物に入っていった。


 午後六時を少し過ぎたころ、天童はキャバクラ店〈クラシオン〉を訪れた。店内に入ると、天童の姿をすぐに見つけた二人が、笑顔で駆け寄ってきた。

「あら~、また来てくれたの?」とアマネが、「今日もお仕事ですか~、それともわたし達に会いにいてくれたんですか~」とナオが、プニプニとした腕を天童の腕に絡ませてきた。

 二人とも肩と膝上からの足を露出させた、アマネが黒の、ナオが以前会った時と同じようなピンクのミニドレスを着ていた。

「ええ、お二人に会いに来ました。でもその前に、もしくは後でもいいのですが、またハルさんと少しお話させて頂きたいのですが」

「ああ、ハルさんならさっき来たわ、今着替えているから、少し待ってて」とアマネが先導して、席に案内してくれた。「今日は雨だし、お客さんも少ないと思うから、先にお話できると思うよ」

 十分間程二人と話した。二人はおそらく、自分が仕事のためにハルに話を聞きに来たのだと推察し、アルコール類の注文を要求しなかった。二人の子供についての話をふると、本当に嬉しそうにしゃべり続けて、間をもたせてくれた。天童はこのお店がもしも浦和にあったなら、度々通いたいと思えるほどに、二人の気遣いに感謝した。

「ああ、ハルさんが来たわ」とアマネが気づくと、

「ハルさん、こっち」とナオが彼女に呼びかけてくれた。

「じゃあ、わたし達はもう帰らなくちゃならないから」とアマネが言って、二人は立ち上がり、入れ替わるようにハルに席を譲った。

「じゃあ、また時間があったら来てね」とナオが笑顔を見せて、天童に頭を下げた。

「必ず」そう言って、天童は座ったままだが、彼女以上に深々と頭を下げた。

「お疲れさまでした」ハルもまた、二人に笑顔で頭を下げた。

 この職場の雰囲気は、きっと良いものなのだろう、と天童は思った。

「今日はどういったご用件で?」

 ハルは先日のものとはかなり装いが変わっていて、縦縞の、濃紺のスーツ姿だった。もちろんキャバ嬢なんだから、下はかなり際どいところまで丈が上がったミニのスカート、シャツも上着もピッチリとしたきつめのサイズで、ボディラインがはっきりわかるものだった。えんじ色のネクタイは幅広で、実年齢よりもはるかに若く、かわいらしい容貌のハルは、セクシーなОLというよりは、制服を着たアイドル歌手のように見えた。

「すみませんが、ちょっとまたお聞きしたいことがありまして」

「なんでしょう?」

「例の、二村武人の事なんですが、実は本日彼の職場を訪ねてみましてね。警察という事は伏せて、まあ、彼に直接会う事はしないで、職場の方にお話を聞こうとしたんですけれど…」

「はい」

「二村は五月末に退職しておりました」

 ハルは反応を示さなかった。

「ご存知なかったですか?」

「ええ、もちろん知りません。思えば、最近はずっとお店にも来ておりませんでしたし…」

「そうですか、それで自宅にも調べに行ってみたのですが、これが、どうやらすでに引っ越しているようで。生活の気配がないんです。まあ、後日きちんと調べてみますが」

「はあ」

「何も、ご存知ないですか?」

「ええ、何も知りませんねえ」

 かわいらしく困った表情を見せる。本当に若いアイドルのようで、どこか白々しくも見える。

「そうですか、職場の方々も知らないようでして、ただ、あなたや龍子ちゃんの言うように、いささか悪い性質を持った男だったようですね。辞めてくれてせいせいしたと、雇用主の方がおっしゃっていました」

「わたしも安心しました」

「いえ、まだ遠く離れたという確証はありませんから、あなたに強く執着しているとしたら、今後も危険です。しばらくの間は十分ご注意ください」

「そうですね、…天童さん、やはりいい方ですね、わざわざそれを言いに来てくれたの?」

「ええ、まあ。それと、先日龍子ちゃんから連絡先を教えてもらいました。これを報告するためにも来ました」

「そう、それは良かった」ハルは煌めくような笑顔を見せた。

「すぐに電話しましたか?」

「いえ、まだ」

「どうして? 何をやってるの」 途端に笑顔が消えた。

「いや、話す事をまとめようとしておりまして…」

「用事なんてなくてもいいのよ。女性から連絡先をもらったなら、その日の内に自分から連絡をしてください」

「すみません」

「中学生か」 彼女の怒った顔は、年齢相応に見えた。


 町田はここ二日ほどホテルからほとんど外に出る事なく、電話とネットからの情報を集めていた。衣服はTシャツと黒いジャージパンツ、裸足にスリッパ。食事はホテルのルームサービスと、コンビニで買ったパン、弁当で済ませ、辺りにゴミが入ったビニール袋が散らかっている。今日は朝から大雨のため、一歩も部屋から出ず、無精ひげを伸ばしたままだった。

 リビングルームのソファに腰かけた状態で、テーブル上にあるノートパソコンをマウスで操作しながら、左手にスマホを持って声高に話していた。

「そうか、やはりネット社会からは逃れられんな。ああ、今日のところは、女の自宅を突き止められればいい。それと、村井秀隆ひでたかの尾行も解除しよう。ご苦労さん」

 町田はスマホを切って、PC画面を見直した。画面にはSNSに、おそらく無断で投稿された静止画が映っていた。ライトに照らされた、正座する青い着物を着た美女の姿。

〝キャバクラに謎の美人落語家が登場!〟〝お美しい!〟〝誰この美人〟〝CGだろ?〟

〝落語は面白いの?〟〝画像の使用許可取ったのか?〟

 多量のコメントが続いていた。

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