第16話 CHAPTER 5「Crawler PART 3」

 高藤たかとう有紀哉ゆきやとの、龍子にとって二回目の面会では、彼女はストレートジーンズとメンズサイズのベージュのシャツという、最初に会った時と比べて、随分とラフな格好だった。

 だらしないという意味ではない、モデルのようなプロポーションの彼女が着ていると、実際のその衣服の価値は解らないが、実にサマになっている。下ろした長い茶髪はウェーブがかかっていて、前回よりも柔らかい印象で、さらに若く、かつ色っぽく思えた。

 彼女に再会すると、晴れやかな気持ちと、逆に浮き足立つような気持ちとが同時に湧き上がった。初対面の時の華やかさだけが目立った印象は、彼女にどんな意図があったのだろうか、つくり話かと思われる自分語りをした後、まるで別物になっていた。怪、妖、ふたつのあやしさに彩られた美貌は、なんとも危険なものに思えたが、また面会に同行するという彼女の申し出を、徳山とくやまは断る事ができなかった。

 もちろん彼女が依頼人である有紀哉の雇用主、柴田しばたと、その柴田の旧知である故人、浅田あさだ渉香しょうかの代理人である事が一番の理由だが、それだけではない事を徳山は自覚していた。変わり者だという印象だけで一度の出会いで終わらせるには、どうにも勿体ない、と思ってしまう程に、彼女に魅力を感じていたのだ。そんな思いは有紀哉と、それからそれぞれ後方に控えている、前回と同じ担当警察官達も同じなのかもしれない。

 有紀哉は相変わらず何も語ろうとせず、ほとんど下を向いたままで、彼女が語る〝前回からの続き〟を聞いていた。


 病院に運ばれてから何日経ったのか、まだ解っていなかったわ。ぼやけた視界には、ベッドの上のわたしを見つめる二人の男の姿があった。見知らぬ男達にわたしはどこか危機感を抱いて、意識がないふりをした。時折薄目を開けていたけれど、気づかれないよう気をつけながら、男達の言葉に耳を澄ました。

氷川ひかわさん、氷川龍子さん」と何度も名前を呼んで、意識があるか確かめていた。

「警察のものです、話を伺いたいのですが」、「何があったか覚えていらっしゃいますか」と呼びかけていた。なぜこの状況のわたしに話を聞きたいのだろうか、詳しく、という言葉が抜けていないか。また、なぜ記憶を失っていると思っているのだろうか。交際していた男に刺されたというのに、その男の名前が彼らの口から一度も発せられないのはなぜか。警察にはその認識が未だない、という事なのか。わたしは虚ろな中でも、精一杯頭を回転させていた。返事がない事に落胆したように、二人はハアァ、と溜息をついた。それはもう浮かない表情で、何度も交互に深い溜息を繰り返していたわ。

 一人が、「彼女も警察官ですから、説得できるんじゃないですか」と言った。もう一人が、「そんなのなんの保証もない。第一、先方が納得するはずがないだろう」と答えた。こう会話が続いた。「金で解決する方法だってあるじゃないですか」「それだって保証はない。このまま永遠に眠っちまってくれれば、どれほどいいか」これだけで予想つくわよね。

 徳山も有紀哉も、黙ったまま聞いていた。芝居がかった語り口なのに、二人とも、なぜか真に迫ったものを感じていた。

 警察、そしてわたしを刺した男の父親である政治家は、この傷害事件、いや殺人未遂事件を隠蔽するつもりだと解った。二人の警察官は政治家の息がかかった者、おそらく救急車と同時に、もしかしたらそれ以前にこの二人が呼ばれたはずよ。もちろん、係わっているのはこの二人だけではないでしょうけれど。

 その後も、何度か見知らぬ男達が病室を訪れた事があった。同様に意識がないふりをして、様子を探ったけれど、先の二人のように口をすべらせる者はいなかった。却って怖かったわね。どいつもこいつも殺し屋に思えた。夜は足音が聞こえる度に目覚め、気が休まらなかった。身体は少しずつ回復していっても、逆に精神はどんどん病んでいったわ。点滴を変える看護師でさえ疑いの目で見ていた。意識を完全に取り戻した後も、医者相手でも何も語らず、面会は全て断った。もっとも知人が訪れる事は一切なかった。

 そうして、リハビリの説明を受けた日、わたしは病院を脱走したのよ。

 その後は、彼女が看護師のロッカーから着替えを拝借して変装した事や、玄関前に控えていた怪しげな男達の監視をかいくぐって、病院を抜け出した状況の詳細が語られたが、その描写は映画やドラマで観た事があるような、逆にリアリティを欠いたものに思えた。そして陰謀の魔の手から逃れた彼女は行方を眩ませて、結果警察官を罷免、今も隠匿生活を送っているという顛末には、こうして留置所の面会室でそのような話を堂々としている姿と大きく乖離していて、とても事実とは思えなかった。が、冗談めかす事もなく、自信満々に悠々と話す龍子の姿に、徳山も有紀哉も、そして2人の警察官も途中で否定したり、遮る事もできず、黙って聞き終えた。

 有紀哉は龍子から問われていた犯行の動機〝十五歳の女子中学生に重傷を負わせた理由、嘘でもいいから納得させられるだけの説明〟をする事はできなかった。できないのか、しないのかは解らない。しかし自首しておいて一切の黙秘、というのは筋が通らない。連日の長く、厳しい尋問にひたすら黙って耐えているという状況について、何かを少しでも語ってしまうと、それが原因となって、犯行の自供が嘘だとばれてしまうと思っているのではないか? 徳山と龍子は、可能性として有紀哉が誰かを庇っているのかもしれない、という考えを共有していた。

 警察の捜査については、有紀哉の自宅である賃貸アパートの一室で家宅捜索が行われたが、被害者との接点らしきものは見当たらない。犯行時の衣服については、被害者の証言に照らして該当するものは発見されたが、そもそも黒い上着にジーンズ、汚れた白のスニーカー等、誰が持っていてもおかしくないもので、血の付着もなく、証拠とするには乏しいものだった。

 被害者は犯人の顔を見ておらず、また他に目撃証言も得られていない現状においては、自分がやった、と自供している事だけが重要な証拠と見なされ、起訴されるかもしれない。

 留置所の勾留期限はあと三日、それまでに有紀哉の犯行を否定できる証拠や証言、本人の否認がなければ、いくら証拠がなくとも不起訴となる可能性は薄い。重傷を負った、未成年の被害者がいるのだ。おそらく家庭裁判所へ送致されて観護措置、つまりは勾留延長となるのではないか。離れた少年鑑別所へ移送されてしまって、それでも有紀哉が黙秘を続けたとしたら、いずれ依頼主の柴田も諦めてしまうかもしれない。また、自首している被疑者がいる中では、警察もそう熱心に捜査をしてくれないかも。かといって、自分に何ができるのだろう・・・徳山は悩んだ。示談交渉は被害者がまだ入院治療中である故、また被害者の両親が面会を強く拒否をしている中、一向に進められないでいる。そもそも有紀哉が犯人だと確定した訳ではないのに、示談を求めるのも早急だ。弁護士とはいっても、普段は中小企業の商取引の立会や、契約書の作成等を主にしている自分が、いくら親しい付き合いのある相手からの依頼だったとはいえ、安易に引き受けるべきではなかったのだろう。傷害事件を取り扱っている事にやや高揚感を抱きつつも、それを大きく超える無力感があった。

 龍子を伴っての二度目の面会を終えた後、前回には約束があると言って断られたお茶の誘いを、今度は笑顔で応じてくれて、駅近くにあったカフェに入った。その場での相談で、龍子が調査に協力してくれる事となった時、徳山は舞い上がった気持ちになった。自分の娘でもおかしくない年頃の、美しく、妖しくて怪しい女性が、大いに頼もしく思えた。

 龍子と徳山の調査活動は、お茶を飲んだ後すぐに行われた。龍子の後日の予定が不透明な事と、有紀哉の勾留期限、つまり起訴となる恐れへのリミットが迫っているからだ。

 徳山は携帯電話で急遽連絡を取り、先方が帰宅する夕方に会うアポイントを取った。

 電車とタクシーを乗り継ぎ、二時間弱かけて、都心から遠く離れた県境近くの町にある、古くて大きな木造建築の家にたどり着いた。

 出迎えてくれた徳山と同年代の女性に、畳敷きの広い居間に通されて、しばらくの間女性と相談をした。面会を願った相手は彼女の義理の息子だ。彼女は息子がすでに警察とも話をしている事と、半年後に高校受験を控えている事を説明し、くれぐれも刺激しないよう二人に請うた。

 それから養母に伴われて、十五歳の少年が居間にあらわれた。

 丁寧におじぎをした少年は、半袖の白ワイシャツと黒い学生ズボンの格好、細身、色白で、まだ子供っぽい、あどけない顔をしていた。彼の名前は大代おおしろ和真かずま、養子となる前の名は高藤たかとう和真、有紀哉の血を分けた弟だ。

 有紀哉が九歳、和馬が四歳の頃に二人の、共に二十代だった両親は離婚。母親に引き取られたが、行方を眩ませた父親からの養育費は当然支払われず、生活は困窮を極めて、母親は次第にネグレクトになっていった。有紀哉は中学生になってから非行の傾向が現れ、校内暴力、また母親に対しての家庭内暴力も引き起こすようになっていった。

 有紀哉が十五歳の時、母親は二人の息子をおいたまま自宅に戻らなかった。二人は児童養護施設に引き取られ、一年間を同じ施設内で暮すが、その後遠縁にあたる大代夫妻が和馬を引き取る事になった。

 和馬の養母は、和馬を連れて来る前に、二人一緒に引き取る事ができなかった事を悔いる発言を繰り返した。金銭的な問題があった事と、校内暴力と家庭内暴力の前歴を持つ男子高校生の面倒を見る自信がなかった事を、涙ぐみながら語る姿に、徳山も龍子も同情の念を禁じ得なかった。

 和馬は徳山に尋ねられ、警察にどんな事を聞かれて、話したかを説明した。過去に有紀哉が母親に対して一度だけ、暴力をふるったのは事実だった。しかしそれは、和馬が学校の授業で使う画材を買うために、母親の財布からお金を勝手に持ち出した際に、何度も頬を叩かれていたのをかばった時の事だった。自分は兄から、何度もけんかをして、泣かされた事もあったけれど、けがをする程の暴力を受けた事はなかったと、警察に説明したと話した。そして、兄は理由もなく女の子に暴力をふるうような人ではない事、自分だけが養父母に引き取られる事になった時には、ひとつの恨み言も言わずに、実の両親の事も、自分の事も一旦忘れてしまって、生まれ変わった気持ちで元気に生きろ、と言ってくれた事を、おそらく警察に話した時も同じだったろう、真っ赤になった目を擦りながら話してくれた。

 徳山と龍子は、もしも有紀哉が誰かを庇っているとしたら、と考え、彼にとって唯一の肉親と言える和馬の存在に注視したわけだが、的外れだったという落胆と同時に、辛い心境にいるいたいけな少年に、仮にも疑いの目を向けていた事を恥ずかしく思った。龍子は何度もごめんね、と繰り返したが、かといって軽々しく有紀哉の無罪を信じる、と言ってあげる事もできない。ただ和馬が話す有紀哉の人となりを聞いただけで、面会を終えた。

 帰りの電車の中で、ボックスシートに向かい合って座る二人は、無駄足になった事をお互いに詫びた。冷静に考えれば、もともと和馬を疑うには無理があった。和馬が暮らす場所と事件現場とはかなり距離が離れていて、犯行時刻である月曜日の午後七時は、彼が学校を終えて移動したとすると、かなり難しい。未確認だが、学校を早退したり、帰宅が遅かったり等、犯行時のアリバイがなかったとしたら、とうに警察が取り調べを行っている事だろう。第一、被害者との接点の有無も知らないのだ。和馬が警察に問われた内容に、和馬自身のアリバイや被害者との接点の確認がなかったのなら、それを疑う根拠がもともとないのだ。あまりにも情報を持っていない内に、思い付きで行動してしまった二人は、一気に頭を冷やされた気持ちになった。

「私が、警察や検察になんらコネを持っていないせいで、意味のない馬鹿なマネをしました」と、徳山が溜息交じりで言った。

「でも、有紀哉君の人柄を改めて確認できたことは、無駄じゃなかったと思います」

 神妙な面持ちで語る龍子の様子は、最初に出会った時の真面目で清楚なイメージに戻っていた。窓に向けた瞳に流れる街の灯が映って、その美しさは神秘的でさえあった。

「やっぱり、色々と辛い目にあってきたようね、かわいそうに」と、窓を向いたまま、ひとり言を呟くように龍子は言った。和馬が話す有紀哉のイメージからは、理由はさておき、とても中学生の女の子を背後から襲うような真似をするとは思えない。しかし、それはあくまでもたった2回、合計にしてほんの一時間ほどの面会と、三年以上離れて暮らしている実弟の話す内容によるものなので、どうにも覚束ない。和馬はああ言ったが、実のところ、いくら遠縁とは言っても弟だけが引き取られて、自分は施設に置いて行かれたとしたら、屈折した思いを抱かずにはいられないだろう。高校生はそれほど大人ではない。

 ずっと親がいない自分はどうだっただろうか? 小学生の時は友達が多かった、中学生で思いっきりひねくれて友達を無くし、高校生で開き直って人気者になって、男子も女子も侍らせた。どの年代でも血縁者がいない寂寞感、不安感、不自由なく生きる周囲への羨望、嫉妬、それらに対抗するための忌避、白眼視、それらから逃れる事はできなかったし、今もずっと続いている。世間を憎む、恨む気持ちは程度こそ違っても、施設出身者にはあって然りだろう。だからと言って、皆が犯罪をおかす訳ではない。

「あの、氷川さんは・・・でしょうか」

「はい? ごめんなさい、なんです?」

 遠慮がちに徳山が話しかけている様子に気づいた。

「いや、氷川さんはどういったご事情で、養護施設に入られたんでしょうか?」

「わたしですか?」

「いやもちろん、さしつかえなければ、ですけれど…」

 祈るように両手を組み合わせて、焦った様子の徳山に、龍子は微笑んで見せて、「いいですよ」と明るく答えた。くだらなくて、終わりのない方向へ進み始めた思考を止めてくれてありがとう、と心の中で礼を言った。

「わたしは、物心ついた時にはすでに施設で暮していました。捨て子です。これは、以前にお話しましたわね」

「ええ、それはお聞きしました。その後本当のご両親には…」

「親は今も解らないんです。拾われた後、全国の産婦人科病院の記録を調べてもらったらしいんですが、該当するものは見つからなかったんです。おそらく自力出産で、出産届は出されていないと思われます」

「ええ~、そうなんですか」見知らぬ龍子の親に対して、徳山は苦い顔をした。

「でもね、見つかんなくてホントに良かったなって思います。だってもし見つかったとして、その親の元に無理やりにでも返されていたら、その後どんな目にあってたろう、って怖くなりますもの。夜明け前の神社に捨てられていたらしいんですけれど、冬で、しかもその日は雨が降っていて、クーハンって言う、赤ちゃんを入れるかご、それに入れたまま軒下に置いておかれて、発見された時にはびしょびしょに濡れていて、もう少しで肺炎を引き起こして死んでいたかもしれなかったらしいの。そんなひどい事をした親に、少しも会ってみたいなんて思わない。事情なんて知りたくもないんです」

「そうですか。…すみません、嫌な事を聞いて」

「いいえ、それはもうどうでもいいんですよ。わたしを見つけてくれた人は、近所の一人暮らしのおじいちゃんで、もうその方は亡くなっているんですけれど、役所に届けてくれて、それから浅田さんが経営する養護施設に入れてもらえたんです。だから、自分にとっては浅田さんが親代わりで、施設の子供たちが、まあ、兄弟ですね」

「そうですか、じゃあ氷川と言う名前は」

「本当の名前は解りません、あったのかどうかも。氷川と言う姓は、捨てられていた神社の名前です。そこは竜神様を祭っているので、龍子という名前に。いつか本当の親が現れた時、気づくようヒントにでもしようとしたのでしょうか。ありがた迷惑な名前です」

「ああ、なるほど」

「施設には他にも、親が亡くなったり、有紀哉君や和馬君のように育児放棄をして行方不明になったり、犯罪者だったりと、色んな事情の子供達がいました。親に関する辛い記憶がないわたしは、ある意味他の子達よりも楽な気持ちだったのかも知れませんね」

「いや、そんな事は…すみません」

 徳山はいたたまれない気持ちになった。何か話す事がないか、と探っている中、ふいに言葉に出してしまった事に後悔した。不幸な境遇の(不幸と思ってしまうのも失礼だろうか)、まだ二度しか会っていない相手に気安く尋ねる内容ではなかった。和馬の家に向かう道中では、有紀哉の事以外に男女や年齢差のギャップに託けた他愛ない世間話や、五十を過ぎて未婚の自身を卑下した自虐ネタで会話を弾ませていたが、帰りは調子が違っていた。留置所の面会室で聞いた彼女の過去と、つい先ほど聞いた過去は、共に壮絶であり、今は両方本当の話と思えた。幼いころから、それこそ生まれた時から生存の権利を脅かされている子供達は、遠い異国の地だけではなく、すぐ身近にも存在するのだ。もちろんテレビや新聞、ネットでその事は知っているのだが、今更ながら実感した自分を恥じた。

「疑ってます? わたしの事」

「いえ、とんでもない」徳山は追い打ちをかけられているような気分になった。

「嘘か本当かは今確かめようがないですし、どっちでもいいんじゃない? 色んな話があって、それはとりあえず、ただの物語だと思って、それについてどう思うか、どうするべきか、自分で決めればいいんですよ」

「なるほど」と言いつつ、徳山は龍子の意図するものは解らず、ただそう語った彼女の顔に見惚れた。

 龍子はまた窓の外の夜景に目をやって、思い返した。誰にも話したことのない記憶。

 龍子が十四歳、もっとも自我が強く、周囲に対して攻撃的だった頃。敢えてその時期を選んだのだろうか、何の前置きもなく浅田は龍子を自室に招き入れ、龍子が拾われた時の情景を話し出した。それは龍子を見つけた老人から、浅田が直接聞いたものだと言う。

 神社の軒下からかごが見つかったのは後の事。老人が赤子を見つけた場所は、境内から外に出た、道路の上だった。ベビー服は雨に濡れて、また泥まみれになりながら赤子は両手をついて、お腹を地面にこすりつけて這っていた。軒下からは、ゆうに五十メートルは離れていた。ぐずるような小さな泣き声をあげながら、咳を繰り返して、必死に手足を動かしてもがいていた。老人は涙ながらに説明してくれた。それを聞いていると、浅田もまた、むせる程に涙が溢れ出たのだ、と。

 浅田は龍子をあまりにもかわいそうに思って、自分の施設で育てる事を決めた、と話した。あなたをずっと育ててきたのは、憐みが理由であると、それが正直な気持ちであり、その思いについて何ら間違っているとは思わない、これからもずっとその思いを持ってあなたを育てる、と強弁するような言い方で話し、その後、軽く龍子を抱きしめた。

 なぜか、龍子は吹っ切れた思いになった。

 徳山の方に顔を向けて、龍子ははっきりした口調で話した。

「有紀哉君も、和馬君もいい子だと思うんですけれど、そう単純に信じる訳にはいかないわよね。でももう時間もないし、わたしは、わたしが信じられるものを頼りにして、彼が無実だという、誰かを庇っているという可能性に賭けてみます。そのためにもうひとつ、話を聞きに行きたいところがあります」

「どこです?」

「有紀哉君が入っていた児童養護施設です」

「ああ、確か光翼園こうよくえんといいましたね」

「誰かを庇うとしたら、親兄弟、恋人、親しい友人でしょう。全部揃っているかも」

「しかし、ならば警察も調べているでしょう」

「どうでしょうね」

「信じられるもの、と言うのは?」

「おかあさんよ」

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