第17話 CHAPTER 5「Crawler PART 4」

 午後十一時、〈レーネ〉店内に残っている客数は随分と少ない。広いフロアだから、余計にがらんとしている。龍子が落語を披露した週末のイベント時と、とても同じ店だとは思えない。そのせいか、客もキャバ嬢もどこか活気がない様子に見えた。

 店内にざっと目をやってから、フロアの奥に進んで、片側の扉が開かれたままのバックヤードに入って行った。厨房を抜けて通路を奥に進んで行くと、従業員控室の横を通った。ドアは閉まっているが、キャバ嬢や黒服の会話が漏れ出ていた。盛り上がっている様子で、ご法度だと思うが、キャバ嬢を口説いているかのような会話が聞こえた。

 一人のアイラインが濃いキャバ嬢が、すれ違う時に軽く会釈してくれた。

「あの、すみません」と、天童てんどうは声をかけた。

「はい?」

「井達君はいますか? メイク室にいると店長さんから聞いたんですが、こっちですか?」と、身体を向けている方向を指差した。

「いだち? ああ、喬史君ね、メイク室はこっちですよ。ついて来て」と手招きした。

 さっき通った控室の向かいに細い通路があって、すぐ左にドアが開かれたままの部屋があった。天童はキャバ嬢の後を付いて部屋に入った。

 換気扇があるが、小窓ひとつない六畳くらいの広さの部屋、両壁に大きな鏡が貼ってあって、向けて四脚ずつ、合計八脚の不揃いのイス、鏡の下に、壁につけて置かれた長机の上には箱詰めのコットンや紙おしぼりがいくつも置かれていて、それら以外に、化粧品やポーチがいくつか出しっぱなしで放置されていた。蛍光灯が普通のものより明るく、壁も机も白いので、鏡に映る顔は光り輝いているように見える。キャバ嬢達はここで自信をつけてから仕事に励むのだろうか。一番奥にあるイスの隣で、しゃがみ込んで、壁を向いている井達喬史の後ろ姿を見つけた。

「ごゆっくり」と言って、自分のポーチを手に取ったキャバ嬢が部屋を出て行った。

「どうも」と答える声に反応し、喬史が振り向いた。

「ああ、…どうも」

「やあ」

「龍子さんは、今日は休むって」

「ああ、店長に聞いたよ。何してるんだ?」

「キャストさんが、自宅のお気に入りのイスを持ちこんじゃって、その時に壁にぶつけて、穴を開けちゃいましてね」

 喬史の横にあるイスは黒い革製で、他のものと比べて大きく、重そうに見える。

「それで直しているんです」

 床の上には、奥に見える壁の穴に対しては大き過ぎるロール巻の壁紙、プロが使うようなパテヘラの他に、サンドペーパーや大きなカッター、ローラー等が取り揃えられていた。

「なんか、手馴れている感じがするな」

「ええ、まあ、色々な仕事をしてきましたから」

「へえ」

「僕になんか用ですか?」

「うん、なかなか龍子ちゃんと会えないから、そう何度もここへ足を運ぶ余裕もないし、君からもお願いしてくれないかな。連絡先を教えてくれるように」

「いいですけれど、聞いてくれるかどうかは…」

「明日は龍子ちゃん、来るのかな?」

「わかんないです。今日だっていきなり休む、って言ってきたので」

「そうか、うん・・・」天童は少し落ち込んだふうに、顔を伏せた。

「俺、迷惑がられているのか? 会わないほうがいいのかな?」

 見かねたように喬史は立ち上がって、「いや、あの…」と声をかけた。

「龍子ちゃん、俺を嫌ってるんじゃない?」

「いや、違うと思いますよ。多分、天童さんを巻き込む事になりそうなのを、まだ気兼ねしているようなので…」

「だよな、嫌っているのなら、そもそも俺を呼び出すようなマネなんてしなかっただろうし」

 すぐに上げた天童の表情に、喬史は心中で舌打ちをした。

「何に巻き込まれるんだ。どうなるって言うんだ。村井むらいさんも随分警戒していた様子だったが、理由を教えてくれなきゃ気をつけようがない。一応今日だって尾行を疑いながらここまで来たけれどね、誰がなんの理由で俺をつけるんだ?」

「龍子さんが危険だからです」

「それがどういう事なのかを教えてほしいんだよ。一体、俺がついていない間に、龍子に何があったんだ」

 めずらしく、怒りを滲ませているように聞こえた。

掛井かけい議員、掛井あきらが関係しているんだろ、何があったんだ」

「テレビ観ました?」

「ああ、昼飯食ってる時にな。何食ったか覚えてないよ」

「天童さんは、今も龍子さんの事が好きなんですか?」

「ああ」

「つい最近、再会したばかりのくせに?」

 ぐっ、と天童は口を詰まらせた。龍子の方から連絡を絶っていたんだ、と言い返しそうになったが、瞬時にみっともない、と判断して口を閉じたのだ。

「やけぼっくいに火がついた、ってヤツですか? …やけぼっくいって何ですか?」

「焼けた木の棒杭ぼうくいの事だよ。棒と杭の文字でぼっくい。炭化すると、火が付きやすくなるから、って、…何の話だよもう」

「火は長持ちしそうですか?」

「………ああ」

「そうですか、龍子さんには話しておきます」そう言って、喬史は再びしゃがんだ。

「頼むよ。ああそれから、例の、十年前の大月市での女子大生殺害事件、こちらで当時の捜査資料を色々と調べてみたよ。その話もしたい、って伝えておいてくれ」

「解りました」

 天童は部屋を出ようとしたが、すぐに振り返って喬史の背に向って言った。

「喬史君、君は、龍子ちゃんと同じ養護施設で暮らしていたんだよな。龍子ちゃんの事が好きなのか?」

「ええ、好きです」喬史は背を向けたまま。

「施設で一緒に暮していた時からか?」

「…そうです」

「龍子ちゃんとは、施設を出た後も付き合いがあったのかい?」

「いえ」

「じゃあ再会したのは?」

「五年程前です」

「つまり、君が施設を出てから三年程経った後だよな、それまでは、一体何をしていたんだい?」 (龍子のいないところで)という言葉は付け加えなかった。

 喬史からの返事はなかった。…これ以上は大人気ないな。

 メイク室の外では、三人のキャバ嬢と二人の黒服の男が、壁に背を張り付けて、漏れ出ていた天童と喬史の会話に、耳をそばだてていた。

 濃いアイラインのキャバ嬢が感心するように呟いた。「さすが龍子さん、うらやましいわ」

 他の四人が同意するように頷いた。

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