第34話 FINAL CHAPTER 「Detour to heaven PART 2」
やはり掛井家は地元では相当顔が利くのだろう。すぐに別室が、それも百人は収容可能な一室が用意された。もっとも、単に空いている部屋を宛てがわれただけで、広間の中央に会議用の木目の長テーブル二台をくっ付けて、向かい合わせでパイプ椅子が三脚ずつ(合計六脚)配置されているだけのものだ。
入室してすぐに暁はスマホの電源を切ること、さらに隠しマイク等がないか手荷物と衣服を調べさせる事を要求したが、龍子と喬史はスマホの電源を切って机の上に置くことと、手荷物(龍子はハンドバッグ、喬史は何も持っていない)の確認のみ従った。着衣の検査については、暁に触れられる事を嫌った龍子は断固拒否し、喬史のみ従った。暁は会話の内容によっては、後ほど女性による検査を行うことを龍子に約束させた。
暁もまた、二人に自分のスマホの電源を切る様子を見せてから、テーブルの上に置いた。
「まずははっきりさせておきたい。さっき君は、僕が君を刺したと言ったが、それはどういう事だ。単に嘘で僕を貶めようというのか、それとも、君は自殺をした自責と、それによる逃亡生活を送った事で精神が病んでしまって、そういう妄想をつくりあげてしまったという事なのか?」
真に迫ったような話しぶり。龍子は慎重に、冷静に努めて「続けて」と言った。
「君には辛いだろうが、改めて真実を突き付ける事にしよう。僕のマンションで、僕は君に別れ話を切り出した。君との交際は、親に認めてもらうことができなかったんだ。仕方がなかった。僕には立場があった。自分の気持ちだけで物事を決められる自由はなく、周囲の事を考える責任があったんだ。もちろん、君への気持ちに嘘偽りはなかった。深く愛していたんだ。だから君が解ってくれるよう、誠意を以て説明したつもりだった。だが君はひどく動揺して、錯乱し始めた。キッチンに走って行って、ナイフを手に取った。僕を刺そうとしたんだ。僕は何度か君が振り回したナイフを躱した。何度も僕を殺してやると言った。しかし男の力には敵わない事を悟った君は、今度は自分が死んでやると言って、ナイフを持ったまま外へ出て行こうとしたんだ。僕はナイフを奪おうと玄関先に向かう君を追ったんだが、君は僕につかまれた瞬間に自分の腹を刺したんだ。僕は即座にナイフを抜いて、傷口を抑えた。一緒に血塗れになりながら、僕は救急車を呼んだんだ。壮絶だったよ。もし少しでも処置が遅れていたならば、君は死んでいたんだ」
暁は淀みなく、ほぼ一気に語った。語る表情は、おそらく自分では一番の男前に見えるように作っているのだろう。眉尻がきりりと上がり、口は大きく動いて力強さを演出していた。だが、時折大きく見開かれる目が病的に見えて、かなり気持ち悪かった。
「わたしが…随分とやばい女に仕上がっているようね。まあ、その話はすでに何度も聞いているのだけれど、多少描写が加えられていたわね」
「龍子、事実なんだ」
「あなた、一体誰に話しているの? この場にはあなたとわたし、それとこの喬史君だけ。真実を知っているのはわたしとあなただけなのよ。この期に及んで、どうしてそんなにカッコつけるのかしら。あなた、この子にいい人だと思われたいの?」
龍子は左隣に座る喬史に顔を向けて言った。「喬史君、この人あなたの好み?」
喬史は全力で首を左右に振った。
「意味ないわよ。他にモニターしている人がいるの? それとも今更自分に言い聞かしているの?」
「君が意図していることが解らないな」
「いいわ。それなら今度はわたし側の真実を話しましょう。あなたのマンションで別れ話をしたのは本当。先日くたばったあなたの父親が、わたしとの交際を認めなかったというのも本当。あなたがすでに別の女性との婚約を控えていた事もこの際加えておくわ。
ここからが違う。あなたはわたしに婚約は断ると話した。父親に逆らって、今の奥様、財閥家令嬢との婚約は断るつもりだと話した。だから自分と結婚しよう、とね」
暁は余裕ぶった笑顔を作った。
「わたしは断った。身を引いたのよ、と言ってあげたいところだけど、もうそんな遠慮をする気はなくなったわ。あの日よりずっと前から、あなたとは別れるつもりでいたのよ。あの頃のわたしはお金と地位に執着する事に飽き始めていたから、あなたに魅力は感じなくなっていた。具体的な理由は別にないのよ。ただ単に、社会人になってから数年経って、二十代半ばになって生じた生理的なものだと思っている。
とにかく、あなたとうまく別れる方法をずっと考えていたから、まさしく渡りに船、大海の浮き木ってやつよ。だって、あなた嫉妬深くて、プライドの塊のような人じゃない。こちらから一方的に別れを切り出したら、それこそ怒り狂うんじゃないかと思っていたのよ。まさか刺されるとは思っていなかったけれど」
「嘘をつくんじゃない!」怒ったように暁が大声をあげた。
「さっきあなたの話を黙って聞いてあげたのだから、今度はあなたが最後まで聞いて頂戴。それができないなら、政治家なんてなっちゃダメよ」
暁は呆れたそぶりでため息をついて、小さく首をふった。
「それでもあなたはわたしに執着して、話はずいぶん長引いたわ。二時間を超えた辺りで、なんとあなたは婚約を進める上で、わたしとの関係も続けたいという意向を話し始めたの。つまりわたしを愛人にしようとした。さすがにうんざりしてしまったわたしは、あなたをたっぷりと罵倒してあげた。はっきりと、具体的にあなたへの嫌悪感を説明してあげたわ。するとあなたは、今度はわたしの過去の男関係を責め始めた。驚いたわ、色々と名前や職業まで調べ上げていて、心底気持ち悪く思った。あなたという人間と関係を持った自分を、死ぬほどおぞましく感じた。それであなたが名前を挙げた、いいえそれ以外も含めた私の過去の男達の中に、あくまで一部だけれど、あなたなんかよりずっと優れた男達が、た~くさんいた事を思い出したの。まるで天啓のように、あなたの怒り狂った真っ赤な顔の後ろに、色んな男達との思い出が浮かび上がったわ」
「一体何人いたの?」と、喬史が冷ややかに突っ込んだ。
「うるさい、茶々を入れないで。そうなったら、こんな男の家にいつまでもいられない、と思うのは当然よね。
「馬鹿な話だ、説得力も何もない」
声をおさえているが、明らかに暁は怒っている。
「さっきも言ったけれど、真実がどうかはわたしとあなただけが知っている。どちらが本当か、あなたは解っているのよ。説得力だの何だの、あなたがなぜいちいち評価をするの?」
「こっちが本当だ!」
「あなたの話では、わたしが嫉妬に狂ったイタイ自殺未遂者、わたしの話ではあなたが同じく嫉妬に狂った殺人未遂犯というわけね」
「どちらが本当か、判断するのは裁判官だ。勝てると思っているのか?」
「どうして第三者に判断されなきゃならないの? 何度も言っているでしょう? 真実はわたしとあなたが知っている。罰されるべき人間がどちらか、わたしとあなただけは、はっきりと解っているのよ。警察も検察も裁判所も、どれもこれも必要ないわ」
暁は言葉に詰まった。(この女、何をするつもりだ)
龍子の言葉は単なる脅しと思えるが、隣にいる男共々、得体のしれない迫力がある。この女が、もしも父の死に関わっているとしたら・・・。
「違うね」暁は精一杯、言葉を絞り出した。「司法が決めるんだ。君の妄想だという事を、捜査資料がすべて証明してくれる」
「関係ないと言っているのにしつこいわね。わたしから職と身分を奪っておきながら、法に従えというの? あなたとわたしの本当の両親だけは、そんな事を言う資格はないと思わない? ・・・ああ、じゃあ説明してくれる? 捜査資料とさっきのあなたの話に、一部齟齬があったわ。五年の間に、おそらくあなたの独りよがりな妄想で、徐々に細部を作り上げていったせいだと思うのだけれど」
「何だと?」
「捜査資料には、証拠となった果物ナイフのグリップには、わたしの指紋だけが付いていたとあった。でも、さっきあなたは、わたしのお腹に刺さったナイフを抜いた、と言った。なら、なぜあなたの指紋はナイフについていないの?」
「・・・そんな事は言っていない」
「言ったわ」
「ナイフは血で濡れて、指紋は消えたんだ」
「わたしの指紋の付着があった、と記録されている。さっき言ったでしょう、バカね。
わたしが自分で刺したとするならば、先に触ったわたしの指紋だけが残されて、その後触ったあなたの指紋は残っていない、なんて事があると思うの?」
「覚えていない、記憶違いかも知れん」
「そうね、記憶違いよ。あなたはわたしを刺した後、父親に助けを求めただけで、後は何もやっていない。ナイフを抜いたのも嘘、当然傷口を押さえたのも嘘、救急車を呼んだのも嘘。自分で自分に嘘をついているの。ナイフは刺さったまま、救急車を呼んだのも、指紋の偽装をしたのも、事件を隠蔽したのも、わたしの口を塞ごうとしたのも全部他人任せ。あなたは一人では何もできなかった。そして、そんな卑劣で無能な自分を認めることができない。だから勝手にストーリーを妄想し、それを本当の事だと思い込もうとしている。最初は捜査資料に基づいたストーリーだった。しかし五年の間に自分の都合の良いものに、誰に話すわけでもないくせに、自分で納得するために、どんどん肉付けをして変えていった。嘘は止めるものがいないと、どんどんエスカレートして行く」
「違う!」
「調子に乗って自分からべらべらとしゃべっておいて、嘘がばれると記憶にない、ですって? まるで三流政治家じゃない、先が思いやられるわ」
「違う!」
「クソみたいな悪党だと、自分で思わない?」
暁は顔を紅潮させて、目の周りに皺を集めた。
「むかつく女だ! こんな下劣な女だったとは!」
つい三十分ほど前とはまるで違う。他者を威圧しようとする、不遜な態度。
「父親そっくりね、血管が切れるわよ」
「貴様!」
声を荒げて、暁は机の上を両拳で叩いて立ち上がった。龍子は驚いたが、それは机を叩いた事に対してではなく、その直後に隣に座っている喬史が両手で机を力いっぱい前に押して、机のヘリを腹にぶつけられた暁が後ろにひっくり返った事に対してだった。
思わず悲鳴かつ歓喜の声を上げそうになったが、なんとか口を手で押えて、一拍をおいてから、「やり過ぎよ」と冷静な口調で言った。
暁はこの状況が信じられない、といった表情で、椅子と共に床に寝転がっていた。
龍子はその姿に笑いそうになるのを堪えた。尚も立ち上がれない程にショックを受けている様子の暁に、さらに込み上げてきたが、必死で耐えた。
「そ、それじゃあ交渉決裂という事で、これで失礼するわ」そう言って立ち上がり、二人は部屋を出て行った。
まあ、このまま無事に帰れるとは思っていないが・・・
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