第33話 FINAL CHAPTER 「Detour to heaven PART 1」
訃報です。
早朝十五分のニュース番組では、端的に情報のみが発せられたが、数時間後の民放各局のワイドショーでは、様々な憶測を交えて議論が繰り広げられた。
さすがに即日に、死者に鞭打つような醜聞を露骨に取り上げる者はいなかったが、それでも死亡翌日に発売された週刊誌記事との関連付けを避けられるはずはなく、記事の発表を知った事によるショック死、自殺、さらには暗殺説等、記事内容そのものからは逸れた疑惑が、番組尺の多くを占めた。
翌々日となると、陰謀めいたきな臭さを感じた世間の反響が大きくなって、死者に対する遠慮も途端に無くなった。少々熱が治まってきていた贈収賄疑惑報道は、大きく巻き返しを始めた。改めて一から疑惑内容の詳細を取り上げる番組も多く、とうに忘れ去られていた謎の女(=
死による幕引きは許されないという世論があっという間に盛り上がった中で、掛井武人の葬儀が地元葬儀会館で行われた。出席は親族及び近親者のみの家族葬で、当然マスコミは完全シャットアウト。正式な日程は決まっていないが、一~二か月の間に党員、政治関係者の列席も加えて、お別れ会が執り行われる予定となった。その間にマスコミの熱が冷めるだろうと言う目算だ。
葬儀会館への撮影、及び録音機材持込みは厳禁とされ、式場への入場の際は身元確認が行われていたが、会館への入場は可能であり、事実マスコミ関係者と思われる者が数名こそこそと様子を伺っていたが、式場の外で掛井
本館の出入口前にはタクシーが数台並んでいて、弔問を終えた近親者が互いに頭を下げて、譲り合いに無駄な時間をかけながら、タクシーに乗り込んでいた。
小さな女の子が一人、その列から抜け出した。屋根のないところまで歩いて行って、それから空を見上げて、眩しそうに目を細めた。
「何を見てるの?」
背後からの声に女の子は少し驚いて振り返った。父母や他の大人達と、自分とも同じような黒い洋服を着た、細くて背の高い女の人が、他の大人が自分と話す時にするような腰を曲げたり、しゃがんだりする事もなく、ただ見下ろしていた。女の子は少し怖かったが、それを超える程の興味を抱くほどに、子供にとっても女の容姿は卓越したものに思えた。
「うえ、お爺ちゃんが天国に行った、って…」恐る恐る女の子が言った。
「天国がお
女の子は黙ったまま顔を下げて、目線を逸らした。
「あなた、なんてお名前?」
「かけい、えれん」
「エレン? へえ、どういう字を書くの?」そう言って、女はようやくしゃがんだ。
女の子は目の高さを合わせてくれた女に少し嬉しくなって、また顔を向けた。それから右の人差し指で、自分の名前を空に書いた。指の運びは、明らかにひらがなのものだった。
「そう、エレンちゃんはいくつ? 何歳?」
「四歳」女の子はそう答えながら、親指だけを折り曲げた右手を上にあげた。
「じゃあ幼稚園か、幼稚園は楽しい?」
女の子は大きくうなずいた。
「お父さんかお母さんは、近くにいる?」
「ママがそこにいる」
女の子が指さした方向に、龍子は顔を向けた。十五メートルほど先の、連なった喪服姿の大人達の中央に、自分と同じ年頃の女を一人見つけた。その女はちらりと女の子の方に目を向けると、同時に龍子の姿に気づいた。
「おなまえは何ですか?」と女の子が言った。
「わたしの名前? りゅうこ、って言うの。ひかわりゅうこ」
「るうこ?」
「…それいいわね、そんな名前が良かった」
「ママを呼んできてあげる」
そう言って、女の子は母親の元に走っていった。母親は足にしがみついた女の子の頭を撫でて、それからしゃがんで顔を寄せた。
(るうこ、と言っているのかしら。誰? もう一度言って、と言っているように見える)
母親が周囲に断りを入れてから、女の子の手を引きつつ近づいてくる。
私が誰か、氷川龍子とは何者であるか、母親は知っている様子に見える。落ち着いているようで、しかし険しい表情をしている。整った太めの眉、目尻が下がった三角形の、やや中央に寄った目、真っすぐで鼻頭が尖がった鼻、うすい唇。黒髪のショートボブで顔の雰囲気は美人キャリアウーマンっぽいが、体格が太いわけではないが細くもなく、肩幅があって、まるで体育教師のようだ。身長は自分より五~六センチほど低いが、あきらかに体重では負けている。唯一有利な点は、母親の方はワンピースだが、自分はパンツスーツであるという事だ。
女の子は退屈から解放されたような笑顔になっていて、少しスキップするような足取りだ。女の子は、どちらかというと母親似だろう。残念ながら、わたしは期待されるような存在じゃない。あなたのお母さんは、おそらくこの世で一番、わたしの事が嫌いだろう。
玄関ロビーにある、グレーの布生地のソファに腰かけている龍子に、掛井暁はゆっくりと近づいて行った。
「龍子」そう呼びかけながら、暁は隣のソファに腰かけた。
隣り合っていても、ソファは一人掛けで、ずいぶんとゆったりしたサイズだ。ひじ掛けは幅広で、龍子と隣に座った暁との間には、龍子がぎりぎり耐えられる距離があった。
しかしそれでも、龍子は暁側にあるひじ掛けから左腕を外した。
「お久しぶり」冷ややかに龍子は言った。
「まさか、こんな所で君と再会する事になるとはな。一体今までどこにいたんだ。…どれだけの時間と金をかけて、僕が君を探したと思う」
威圧する様子はなく、真面目な表情…誠実を装った態度だ。五年前と比べて体型はそう変わっていないが、人相は経過年数を考えると、ずいぶん老け込んだように見える。父親譲りの大きいギョロ目が(ギョロ目のギョは魚の字を使うのかしら? ロはなんだろう?)少し飛び出しているように見えて、はっきり言って不細工になった。
「無事で良かった。ずっと心配していた。この五年、決して君を忘れた事はなかった。僕たちの関係は残念な結果に終わったけれど、もしお互いの立場が違ったならばきっと…」
「その辺で」と龍子は遮った。吐き気がする、聞いていられない。
「お父さんから話を聞いていないの?」
「何の事だ」
龍子は軽く舌打ちした。「私は今日交渉に来たのよ。そろそろ親の陰に隠れるのはやめて頂戴。あなたが責任を取るべきなのよ」
「責任? ・・・君と別れた事を言っているのか?」暁は声を落とした。「それは単に男女関係の問題、しかも五年も前の話だ。それで君が自らを傷つけた事について僕を責めているのだとしたら、随分と驕慢じゃないか。だが、いいだろう。多少の慰謝料を支払ってあげるよ、ただし弁護士を通じて、色々と取り決めをさせてもらう事になる」
「やなこった」パンナコッタ、というような発音で龍子は言った。
「え?」
「あなたが話を聞いているかどうか知らないけれど、そんなもの一々探るつもりはないわ。解らないままでも、とぼけているのでもどっちでもいい。わたしの要求を受けるつもりがないならばこれで終わりよ。この場を離れた後すぐ、あなたがわたしを刺した事をマスコミにばらす。その後どんな面倒な事になろうが、さらし者になろうが、命を狙われようが、わたしは構わない。すべて打ち負かして、必ず生き残ってやるわ」
「何を言っているんだ」そう言って、暁は笑った。少しひきつったような笑いだ。「まあ、ちょっと待つんだ。冷静に、落ち着いてくれ」
「私は落ち着いているわよ」
「別室で、きちんと話をしないか」
「いいわよ。ただしあなたは一人で、こっちには連れが一人」
龍子が左手を軽く挙げて合図を送ると、十数メートル離れた場所で、壁を背にした喪服姿の若い男が即座に反応し、足早に龍子の元に向かった。スーツの上からでも、若い男が締った、逞しい体つきをしている事がわかる。
龍子は若い男の手を握って、傍に立たせた
「君の彼氏かい」皮肉めいた口ぶりで暁は尋ねた。
「そうよ、
「数ある・・・」
「そうよ。あなた、わたしを刺すときに罵ってくれたでしょう? ビッチめ、って」
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