第19話 CHAPTER 6「Your reach PART 2」
「まず、あなたの犯行を示す要素として、犯行当日にあなたのアリバイがない。十八時終業の後、いつもなら残業するあなたが、この日ばかりは会社に願った上で、すぐに退社している。職場から犯行現場への犯行時刻までの移動は可能。現場はあなたの生活圏内ね。職場からも、アパートからも、そしてあなたが数か月前まで暮らしていた光翼園からも近い。歩いて三十分から四十分程度。これらの事から、あなたの犯行とした場合、計画性が考えられる。すると動機としては、被害者の…
そうね、例えば、施設で暮していた時から一方的に知っていて、ずっと横恋慕していたとかね、中学生の女の子相手に。ある日近くを歩いていたら、彼氏と思われる男と彼女が連れ添っているところを見かけてしまった。二人ともいい服を着て、何不自由なく楽しそうに、いちゃいちゃしている姿。それに比べて自分はみすぼらしい格好で、毎日したくない仕事をして、それでも生きるのに必死な生活。ほのかな恋心は嫉妬と劣等感に塗りつぶされて、理不尽な恨み、怒りへと変わっていった。空いた時間に彼女をストーキングし、調べ上げたライフサイクルから彼女が一人で、
でもあなたは怒りもせず、ただ黙っている。あなたの心の奥底を探って、また被害者との隠された関係性なんかがあるのか調べ上げ、本当の動機を引き出す、なんてマネをしている時間はないわ。だから私は、あなたは犯人じゃない、あなたは真犯人を庇っているんだけれど、本当はずっと迷いがあって、自分を犠牲にできるほどに覚悟が決まらないでいる、と考えた。あなたは、本当は助けてほしいと思っている、と決めつける事にしたわ。
庇うとしたら、相手は誰かしら? 親兄弟、恋人、恩人なんかが妥当よね。あなたにとって恩人と言うと
あなたについて職員だけでなく、子供達も警察にいろいろと聞かれたらしいわ。そう親しくしていた人はいなかったようね。過去に校内暴力や指導員相手に傷害事件を起こした事があったせいで、暴力的と言う印象が強く、やや怖がられていたようだわ。そのせいで警察もあなたの容疑を素直に認めてしまっているのかも知れない。それでも、高校三年生の頃からは落ち着いてきていた。園長さんの知り合いだった浅田さんがあなたを気にかけて、卒業や、就職のためのお世話をしてくれたと聞いています。そのおかげというわけね。
施設にいる児童の中で、問題行動のひとつやふたつ、みっつよっつ、それくらい起こしてしまう子がいるのは仕方ないわ。そう皆が簡単に良い子に育つわけがない。親に捨てられているんだもの、傷つかない訳がないでしょう。わたしだって覚えがあるわ。
もちろん
「ああ、はい、ええと・・・
「ありがとう、続けるわね。今読み上げた名前の四人、みんな光翼園で暮らす児童達よ。一年以上前から施設にいるから、あなたも知っているはずよね。それぞれ厳しい境遇のようね。梶山君は小学生の時から施設に入っているわ。施設ではあなたより先輩って事よね。父親からの虐待を受けていたらしいわ。女の子の、えっと、増﨑さんはシングルマザーだった母親が病気で亡くなって、三年前に入所。父親や他の親族は彼女を引き取ってくれなかったようね。嘉瀬君も経済的に困窮した母親から五年前に預けられて、その後一度も引き取られることがないまま、大島君も片親、父親が服役中ですってね。
さて、どうしてこの四人の名を挙げたのか、あなたはまだ黙秘する? ・・・するのね、じゃあ、お話ししましょう。わたしと徳山さんはきのう光翼園に赴いて、午後から夜遅くまでの間、ずっと取り調べを行ったの。かなり迷惑をかけたでしょうけれど、それでも職員、児童を含めた老若男女全て、わたしのような美女と、膝を突き付けて話す機会をむざむざ逸する事はしなかったわ。
問題児と見なされている子達は他にもいたけれど、中でもこの四人を取り上げたのは、普段一緒にいる事が多く、事件のあった日の犯行時刻に、施設内に梶山君と大島君はいなかったと思われるから。なぜ思われるのか、普段なら犯行時刻の午後七時、前後を入れて午後六時から八時の間に、中高生の児童が施設の外に出ているのはめずらしい事じゃない。部活をやっている子だっているし、規則を破って夜遊びをする子達だっているからね。でも事件の日に、いつも高校生二人と一緒に外に出ている事が多い増﨑さんと嘉瀬君は、施設内でめずらしく決められた時間に夕食を取っている中で、梶山君と大島君が自室にいる事を周囲に話していた。でも、職員にはその時間帯に、実際に二人の姿を見たとはっきり言える者はいない。児童達は、そのほとんどが覚えていないと言っているのよね。そうなると、逆に中学生二人の証言は不自然に思えてくる。それと疑う理由がもうひとつ、増﨑さんは被害者と同じ中学校に通っている。他にもう一人、同じ中学校に通っている子がいるけれど、梶山君達のグループに属していないので、さしあたって除外するわ。
さらにもうひとつ、重要な情報が職員から得られたわ。事件前日の午前中にあなた、光翼園を訪れていたらしいわね。あいにく職員はその時留守にしていて、あなたは玄関に箱いっぱいに入れたいろんなお菓子を置いて帰ったのよね。小学生の児童が一人、あなたの姿を見ていたらしいわ。
さあ、ここからはわたしの想像した物語よ。当っているかいないかは別にして、まずは聞いて頂戴な。登場人物をもう一度、わたしの主観を加えて整理しましょう。
梶山くん・・・グループの年長、言動から察するところ、所謂不良、問題児。学校や施設で、暴力をふるった事が数回確認されている、と聞いたわ。施設内では嫌っている子が多数いるけれど、まあ、ボス的立場といったところかしらね。
大島くん・・・身体は梶山君より大きくて、力もありそうだけれど、好んでナンバー2の位置にいる様子。この子も柄が悪いわね。この二人は、有紀哉くんが施設を出てから、さらに問題行動が増えているらしいわ。あなたの事を怖がっていたのかもしれないわね。
増﨑七海さん・・・制服のシャツの胸元やスカート丈がはしたないレベルのギャル。かわいらしい顔をしているけれど、まあビッチね。
嘉瀬くん・・・パシリ。最年少だから仕方ないわ。
九重さん・・・被害者。七海さんと同じ学校に通う。美人で優等生。
そしてあなた、高藤由紀哉くん。
七海さんは中学生のくせに化粧も派手で、素行も学業成績もあまり良くない。男関係が派手で十中八九、非処女。同じ学校に通う同級生、九重亜千佳さんは成績優秀の上に、美人で優しく、皆に慕われる人気者。普段言葉を交わす事はないけれど、ふたりの仲が良いはずがない。思春期のさなか、七海さんは、九重さんを見かけては、コンプレックスに苦しむ日々を送っていた。
梶山くん達は普段から、七海さんの九重さんに対する数々の悪口を聞いていた。自分を、養護施設の子を憐れんだ目で見る、お高くとまっている、頭がいいと自分で思っている、本当はバカ、キモイ、髪型が変、足が太い、鼻の穴が角ばっている、そりゃあもう色々と、他人の悪口なんていくらでも出てくる。
あ、九重さんの容姿、わたしは知らないわ。だからこれは勝手に言っているだけだからね。いつかぶん殴ってやりたい、なんて言葉に、男子は俺がやってやろうか、いっそ犯してやろうか、なんて、冗談交じりで返していた。
養護施設では、思春期の男女が一緒に暮らしているわけだから、当然仲が深まる事も多いのよね。性的な関係が生じるのも当然。わたしが暮していた施設もね、今そんな事で問題が生じているみたいなのよね。中学生の女の子と高校生の男の子ができちゃって、それで女の子と同級生の男子二人との仲が悪くなったみたいで、施設内の空気が、険悪になる事が多くなったみたいなのよね。つまりはただの嫉妬が原因なんでしょうけれど、過度な仲間意識が反転すると、色々とめんどくさいのよね。
話を戻して、光翼園の四人についても、同様の関係があると見えたわ。梶山くんと七海さんには過去に肉体関係がありそう。でも恋人関係というわけではない。大島くんとも関係があったけれど、その事を二人とも梶山くんには内緒にしている。嘉瀬くんもまた七海さんに気があるけれど、年長者の前ではその想いを隠している。でも七海さんにはバレバレ。年長者の二人がいずれ施設から出て行ってしまえば、自分にお鉢が回るなんて思っている。七海さんを取りあう歪な四角関係で、このグループは成り立っているのよ。当然、皆が七海さんの気を引こうとする。七海さんが好むものを愛して、嫌うものを憎む。七海さんが嫌う九重さんを、話した事もないくせに、三人は心底憎むようになっていった。
ある時、七海さんが九重さんを憎む決定的な事が起こる。なんでもいいわ、そうね、実は本当に好きな男の子が同じ学校にいて、その子と九重さんが仲良くなってしまったとか。いえ、もっとくだらない事かもしれない。実は七海さんは九重さんと親しくなりたい、と思っていて、何か用事をつくって話しかけたところ、無視されたとかね。
いつもなら冗談交じりに話していた悪口が、真剣みを帯びてくる。ひどい目に合わせてやる、という言葉に、方法の具体性が含まれてくる。後ろから頭を殴ってやる、背中を蹴とばしてやる、くらいの事は実際に行えるのではないか、その辺で行われているいじめと変わらない、学校でも、社会でも、家庭でも、子供も大人も、いじめなんてどこにでもある、大した事じゃない。四人は光翼園で、秘かにそんな話をしていた。具体的な計画を練っていたの。同じ学校に通う同級生のライフサイクルくらい、調べる事はできるでしょう。九重さんが通う塾、一人になる時、人気の少ない帰り道、実際に何度か下見くらいしていたかも知れない。襲うのは高校生の二人、一人が見張りで、一人が襲う。中学生の二人はもしも疑われた場合の、アリバイ工作を行う。
その計画を不意に聞いてしまった。休日に、少ない給料から差し入れのお菓子をいっぱい買って、人知れず光翼園を訪れたあなた、有紀哉くんが。誰にも会わず、黙ったまま帰ってしまったあなたは、時間が経ってから悩んだ。最初はどうせ冗談だと思った。下手に騒ぎ立てて、自分と、いつも忙しい施設の職員に面倒事を増やす必要もない。自分には関係ない事だ、と。しかし、もし本当に事件が起きたなら、止めなかった自分に責任があるのではないか。今からでも、光翼園に電話した方がいいのではないか。一晩あれこれ考えている間に朝が来て、仕事が始まった。計画が行われるのは今日の午後七時、時間がない。自分が止めるしかない、自分が現場に行って、もしも梶山と大島がいたならば、腕ずくでも押さえつける。誰もいなければ、しばらく見張ってから立ち去ればいい。その後は折を見て、施設の職員に相談してみよう。そう考えながら、仕事を終えた。
普通ならば三十分で行ける場所、しかし会話の内容からでは、そう正確な場所を割り出す事は難しい。希望的観測も含めると八割方冗談だと思っていたあなたは、実際に現場で犯行に及ぼうとする二人の姿を、犯行時刻までに見つける事はできなかった。聞こえてくるざわめき、救急車やパトカーのサイレン。遅かった、最悪の事態が起きた。救急車で運ばれる九重さんの姿、周囲に聞き込みをする警察官の姿の前に、あなたは現場を走り去る梶山と大島の姿を見たかしら?
無力感に苛まれた。光翼園に行って二人を問い詰めるか、いっそ警察に届けるか。どうするにしても、おそらく二人は逮捕される、中学生二人だってただではすまない。犯行を止められなかった自分にだって、大きな責任がある。そうだ、自分が止めていたら、何も起きなかった。親に捨てられた、何も持っていない四人の子供が、これ以上は失わないようにするためには、自分一人が責任を取るしかない。犠牲になるしかない。そう考えた」
「違う! 俺がやったと、何度も言ってるだろう! 何を好き勝手な話をしてやがる! 誰でも良かったんだ、俺はいつも頭に来てるんだ! 何不自由なく、当たり前のように服をとっ替えて、好きなものを買って、食って、バカみたいにスマホを持ってはしゃいでいるガキどもの姿に。いつもぶん殴ってやりたいと思っている。泣き叫ぶまで顔面を踏みつけてやりたいと思っている。それの何が悪い! 何でも与えてもらっているくせに、いつも何かに文句をつけている奴らばかりだろうが。俺たちみたいなのがいるから、幸福を感じられるんだろうが! たまには痛い目に合うくらいの事があって、丁度いいくらいだ。
クソッ、俺達には何もないぞ、親なんかいらない! こっちから願い下げだ! その分の金をよこせ、気兼ねなく眠れる住処をよこせよ、うまいもんを食わせろよ。できねえだろうが、クソッ、頭にくる! なんでこんなみじめな思いをしなけりゃならないんだ。
どうでもいいだろうが、俺なんかが逮捕されようが、例え死刑になろうが、どうせその方が安心するんだろうが。好きにしやがれ!」
怒鳴って、それからひきつるような呻き声をあげてから、有紀哉は泣きじゃくった。
溢れ出た涙と鼻水が、固めていた顔のパーツをぐちゃぐちゃに崩している姿は、胸をひどく締めつけた。龍子は、自分も涙が溢れ出そうになっている事に気づいて、堪えるために一旦、口をしっかりと結んだ。
これまでと同じ男性担当官達は、激高した有紀哉を収めようと立ち上がっていたが、徳山に制されて、そのまま動きを止めていた。数十秒が経って、多少有紀哉の気が静まったことを確認すると、再び着席した。
龍子は落ち着いて、涙声にならないよう気をつけながら、ゆっくりと話し始めた。
「梶山くんと大島くんが九重さんを襲ったのは、七海さんを喜ばせるため。想定以上の危害を与えてしまったんでしょうけれど、それはおそらく梶山くん自身の問題ね。それはまた、別の話になるから置いておいて。…犯行現場にいなかった七海さんは、殴られて、蹴られて、うずくまり、恐怖に怯えた九重さんの姿を、実際に見る事はなかった。それじゃあ彼女は満足しないはず。だから、彼らは証拠のために撮影した。
わたしが施設で暮していた頃は、携帯電話なんて持たせてもらえなかった。すごいわね、嘉瀬くん以外の三人がスマホを持っているなんて。その動画を見て、七海さんは喜んだのかしら、引いたのかしら。それは知らないけれど、三人は動画を共有した。ところが有紀哉くんが罪を被って自首した事から、思っていた以上に事件の捜査が身近に及んだ。警察が聴取のために光翼園を訪れる。有紀哉くんが身代わりに逮捕された理由が解らない、不安が募る。三人はスマホから動画を削除し、素知らぬふりをする事にした」
段々と、くせが戻って来た。やや攻撃的な口調、高域にふれた声。
「でも、そこは愚かなガキ共の軽い骨、設定を変えないまま動画を数日間共有した事で、動画はクラウドにしっかりと保存されていた。疑いようのない、確固たる証拠の存在を突き付けられた四人は、今それぞれ施設の職員や指導員たちから自首するように説得を受けている。結果は決まっている、単に時間の問題よ」
「…しかし、どうして」と、徳山が発した。一旦言葉を止めて、左隣に座る龍子の方をちらりと見た。龍子はじっと有紀哉の方を向いたまま、唇をむず痒いかのように細かく動かしていて、目は潤んでいた。
「どうしてそこまでするんだい。そりゃあ、私なんかが理解できる事じゃないのかもしれないけれど。君はしっかりと仕事をして、自立していたじゃないか。柴田さんや、浅田さんの助力に応えて、真面目で正しい社会人としての一歩を踏み出していたのに。そりゃあ裕福とはいかないだろうけれど、幸不幸なんて、周りと比較していたら切りがない。まだ若いし、長い人生でチャンスだってあるだろう。いくら同じ施設で暮した、兄弟同然の子達だったとしても、そのために自分の人生をダメにしてしまうなんて、私が説教できる筋合いじゃないけれど、でも、亡くなった浅田さんがどう思うか・・・」
徳山もまた、涙が出そうなのを堪えた。
「すみません」と、落ち着きを取り戻した有紀哉が呟いた。
「いや、こちらこそすまん、勝手な事を言って」
龍子が、音を出さないように深呼吸してから、話し始めた。涙腺はきっちりと閉めた。
「徳山さんの言う通り、あなたは考えが足らなかったと思うわ。素直に、大人たちに相談するべきだったのよ。信用できない、頼りにならない大人もたくさんいるけれどね」
有紀哉には、施設暮らしの時代に指導員に対して暴力をふるった過去があった。詳細は知らないが、もしもこの事がなければ、こんな事態にはなっていなかったのかもしれない。
「事件が起きてしまってからは、あなたは単純に衝動で動いてしまったのよ。大して親しくもないけれど、親に捨てられたかわいそうな子供たちを守ってあげたい、それだけがあなたの思考を支配してしまったの。浅田さんが、おかあさんがあなたにしてくれたように、あなたは四人を助けたかった。尊敬するわ。馬鹿だけれど、頭が下がる」
「すみません、面倒をかけて …ありがとうございます」
「いえ、なんか恥ずかしいわ、あなたを見ていると自分が。まだ十九歳でしょう? 子供のくせに、手を伸ばし過ぎよ。今は自分の事で精一杯でしょうに。わたしなんて・・・
いや、子供に何を話そうとしてるの、もういいわ」龍子は両手で顔を隠した。
数十秒の間があって、徳山が代わりに話した。
「まだ事件の詳細がはっきりしたわけじゃないが、四人は然るべき処置を受け、君もまた、隠匿の責任を負わなければならない。被害者への謝罪と説明も必須だ。もちろん、光翼園の人達と、それから私も協力するつもりだ。君が職を失わないよう、柴田さんにもきちんと説明しないと。なに、彼の事はよく知っている、クビになるような事はないと断言できるよ。だが四人の子供たちは、もしかしたら高校生の二人は退学になるかもしれない。彼らへの、その後のフォローが重要だ。とても難しくて、大変な仕事だ。それでだね、有紀哉君。できれば君にも手を貸してもらいたい、そう考えているんだが…」
事前相談で有紀哉に最後に話そう、と決めていた内容だ。一番いいところを徳山に奪われた。
「はい、俺にできる事があれば」と、有紀哉は力なくだが、はっきりと答えた。
龍子は顔を覆った両手を、離せないままでいた。
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