第20話 CHAPTER 6「Your reach PART 3」

 〈光翼園〉での聞き込み調査には、龍子と徳山の他に、村井むらいという中年の男が同行した。

 徳山が手渡された名刺には、【株式会社幸田こうだ出版 週間スタア 編集部 編集長】との肩書があった。国内有数の大手出版会社だが、書籍名についてはほんの二、三度読んだ事がある程度のものだ。氷川龍子の知り合いで、記者経験が豊富なので聞き込みに協力してもらうのだ、と紹介された。高級そうな、おそらく海外ブランドのグレーのポロシャツにネイビーのパンツ、赤茶色の革靴、有名な北欧系ブランドの腕時計が、大企業の社員という事を証明している。龍子と親しげな様子に徳山は最初不快感があったが、人相に反して人当たりは良く、道中のタクシー内でお互いの仕事内容を話し合う間に、警戒感は薄れていった。

 東京で長年、大手出版社の雑誌記者としての経験を積んだ村井は、少なくとも関東圏内には他のマスコミ関係者や警察内部に多くの情報網を持っていて、この傷害事件についても、それらのひとつを通じて知り得たものがある、と話した。

 その内容は、彼(高藤由紀哉の名前は、タクシー内ではあげないよう、三人は注意していた)の名前や素性は漏らされていないが、被疑者である少年が犯行時刻近くに、犯行現場近辺にいた事を証明する防犯カメラの記録がある、というものだった。犯行現場そのものを映したものではないが、被疑者が動機や犯行の詳細を語らないとしても、犯行自体を認めている以上は、起訴するのにかなり重要な証拠となり得る。被疑者が未成年であり、有罪が確定しているわけではないので、報道は今のところ自粛されている。しかし、マスコミ関係者に事件を知る者がいないわけじゃない。起訴されてしまえば、事件の報道は解禁とされるかもしれない。そうなると、例え後に真犯人が判明したとしてももう遅い。報道では名前が隠されても、どこからか情報は漏れ出して、彼の名前や職場、住んでいる場所はネット上に晒されてしまう。村井はそう懸念し、もちろん自分がこの件を仕事のネタにすることはあり得ない、と最後に付け加えた。

 調査は事件とは関係なく、児童養護施設のルポルタージュ記事のための取材、という形式で行われた。本当の事は園長にのみ、事前に説明していた。しかし最近に警察の聴取があった施設内では、その関連を疑うものも多く、職員は最初からそのつもりで取材を受けた。だが園長からの制限の指示もなく、一向に高藤由紀哉の名前が出ない取材内容に、次第に疑いは減っていった。

 児童への取材は、学校から帰った順に執り行ったが、なかなか素直に応じてくれる者はなく、途中から職員達によって半ば強制的に行われた。席を設けての取材が終わった後も、龍子と村井は児童達に繰り返し何度も話しかけていた。最初は警戒感を露わにする子も多かったが、芸能人やプロスポーツ選手との係わりを持つ村井の豊富な話題にいたく興味を持つ子や、とても記者とは思えない格好(白のベアトップにストライプリボンのサロペット、コルクのウエッジサンダル。巻き髪を下ろして、派手目の化粧にゴールドのピアス)をした龍子の美貌と雰囲気に魅了されて、自ら話題を持って近づいてくる子も多くいて、ほとんど全ての児童、職員と話をすることができた。

 四人の内、梶山と大島の高校生二人については、彼らの帰宅が夜遅かった事と非協力的だった態度のせいもあるが、本人との会話からは、ほとんど有益な情報を得る事ができなかった。しかし二人の事は、周囲からの情報が十分すぎるほどにあった。この施設の中に暴行傷害事件の犯人がいるとしたら、真っ先に疑惑を持たれる存在だった。

 増﨑七海は、今思うと、ほとんど自供していたようなものだった。龍子の色気に吸い寄せられていたかのように、合わせると二時間以上龍子と話していた。夕食を終えた頃には、二人は自分の嫌いなタイプを言い合って、意気投合しているように見えた。もちろん龍子はそういうふりをしていたのだが。(多分そう思うのだが) その会話の中で、七海は自ら九重さんに対する憎悪を吐露し、施設内で自分を好きな男子が大勢いる事、その子達が、自分が望むことは何だってする事を自慢げに語った。彼女の危機意識は低かった。自分は実行犯ではないため、ほとんど無関係とでも思っていたのだろうか。

 全ての話を元に勝手に予想した物語をつくりあげた龍子は、裏も取らないままにその日の夜に仕掛けた。職員達に調査の本意を説明して、梶山、大島、七海の三人からスマホを取り上げ、契約している携帯電話会社のクラウドから、動画をダウンロードする事を願った。クラウドは各携帯電話会社が行っている、スマホ本体やSIМカード、SDカードに記録される各種設定、アプリデータやアドレス、カメラで撮影した写真、動画等を定期的にインターネットを通じ、携帯電話会社のサーバに保管するサービスだ。スマホが水没や破損で故障した時に、様々なデータまで失わないようにするため、多くの人が利用している。

 児童のプライバシーを考慮しているのか、消極的な態度を見せる職員に、龍子は苛立った。明後日になって有紀哉が起訴されてしまうと、事態はかなり面倒な事になる。

 警察に報告すれば、いずれは同じ事になるのだろうが、クラウドに保存された画像や映像は、いつかは消去されてしまうかもしれない。事件が起きてから二十日以上経った、そう時間の余裕はないだろう。もっとも、三人がそれぞれ設定を変えて、クラウドに保存した動画をすでに消去している可能性もある。元々設定していない可能性だってある。そこはハッタリをかけるつもりだ。動画データの復元は簡単にできると言い、また三人ともお互いの設定を確かめ合ったのか、と自信満々に問うてやればいいのだ。

 龍子は帰り際、改めて嘉瀬君を加えた四人と、それぞれ個別に、端的に話した。クラウドに保存されていた動画を実際に観た、自首しなさい、と。もちろん嘘だ。そして職員には四人について今晩寝ずの監視をする事と、もしも相談を求められた時には優しい対応をする事を強く願った。龍子は職員達に嘘をつかせる事はしなかった。彼女はただ四人の児童達と、それが嘘だとわかっている職員達に〝動画を観た〟と断言して帰ったのだ。

 もしも予想が的外れなものだったなら、とんだ恥さらしになっただろう。あの三人は何を馬鹿な話をしていったのだ、と。笑い話だけでは済まされず、訴えられる可能性だってある。未成年を証拠もなく疑い、いたずらに動揺させて、精神的被害を与えた等と言われる。

 しかしそんな忠告に対して〝そんな事どうでもいい〟と言って笑い飛ばした彼女と、同調する村井の姿を見て、徳山は妙に強気になって、自分も共犯者になる事を受け入れた。

 正解だった。細かい部分については違う所も多くあるだろうが、本筋については、龍子自身が驚くほどに予想が当たっていた。本当に良かった。〈光翼園〉から徳山に連絡が入ったのは今、有紀哉との留置所での最後の面会を終えて、携帯電話が返却されてすぐ後の事だった。ついさっきまで、確たる証拠のないつくり話で有紀哉を騙し・・・いや、説得していたのだ。

 職員達が四人を連れてこれから警察に自首しに行く、と徳山から伝え聞いて、龍子は胸をなでおろした。途端、大きな疲労感が襲ってきた。

 なぜか敬礼して見送ってくれた担当官達に笑顔で会釈をして、外に出ると、留置所の敷地を囲む欅から蝉の鳴く声が聞こえた。まだうるさいと言う程ではないが、激しい気温の上昇と合わさって、疲労が上乗せされた。早く帰って、少し休憩を取っておかなければならない。ここ最近さぼりがちだったから、今夜は必ず仕事をして、少しはお金を稼いでおかないと。龍子は溜息を兼ねて、大きく息を吐いた。

「この後は、徳山さんにお任せしてよろしいでしょうか」

「ええ、もちろん。本当にありがとうございました。あなたのおかげで、有紀哉君も依頼人も、そして私も助かりました」

「いえ、徳山さんが真面目に、懸命に取り組んでくださったおかげです」

「私なんか、ただおろおろしていただけです。お恥ずかしい。せめてこの後は私が責任をもって処理致します。有紀哉君も被害者も、それから、光翼園の子供達についてもです」

「よろしくお願いします。それから、費用の事なんですが、もしも十分な…」

 徳山が右手をふって遮った。「よしてください。ここまで来て、お金の事なんかで仕事を放り出したりしません。必要経費だけで十分です。それくらいは、依頼人が払ってくれるでしょう」

「そうですか」(良かった)龍子は心の中で親指を立てた。

「タクシーを呼びましょうか?」

「いえ、駅まで歩きますわ」(今月ピンチなんです)

 会釈を交わした後、龍子は背を向けて歩き始めた。リズム良く肩を揺らしながら離れていく身体に向けて、徳山は思わず「あの、すみません」と、大声で呼びかけた。

 身体がこちらを向いた。美しい顔がこちらを向いた。良かった、声を出さなかったら、今後二度と見られる事はなかった、そう思った。徳山はゆっくり歩いて、龍子に近づいていった。貴重な鳥でも見つけたかのような、慎重な足取りだった。

「あの、もしよろしければ、今後も相談させて頂きたい事があるかもしれないので・・・連絡先を教えて頂けないでしょうか? いや、私みたいな年寄りが若い女性を相手に、さぞ迷惑に思われるでしょうが、決して邪な考えではございません。もしも、私の仕事が、弁護士が必要になる時がございましたら、その、腕の悪い弁護士ではございますが、お力になれる事がありましたら、あの…」

 額に汗が吹き出してきた。蝉の鳴く声が、強い日差しが、のぼせた頭を激しく打ちつけているようだ。しかし、今この想いを吐き出さないと、おそらく数日後から患う事になるのだ。実年となった人生の中で、それはよく解っている。

「いえ、邪な考えがないと言いましたが、それは嘘です。でも、いやらしい気持ちで言っているんじゃなく、かと言って交際を申し込んでいるという、そんな大それた事を望んでいるわけでもありません。とにかく、私があなたに言いたいのは、私は、あなたにその、

・・・そっこんなんです」

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