第7話 CHAPTER 2: Looking down from the bottom PART 3

 〈Curasion (クラシオン)〉と流れるような筆記体の店名が印刷された、ステンレス製のプレートがドアに貼られていた。黒いタイル外壁のRC構造ビル一階フロアの半分が、その店の敷地のようだ。

 まだ夕方前だが、この店の営業時間は午後0時~とある。店内に入るとすぐにレジカウンターがあって、人はいない。カウンターテーブルに置かれた呼び鈴を鳴らして、少し待たされた後、多くが白髪だが、毛量が多い年配の男が応対に現れた。いらっしゃいませ、と丁寧な挨拶の後、絨毯が敷かれた通路を少し歩いて、店内に案内された。

 五十平米程度の広さ、白いタイルの床面、革張りの黒いソファ、黒いテーブル、奥にバーカウンターがある。一階であるため、店内が外から見えないよう、窓が全てボードで塞がれているので、やや窮屈な感じがする。天井の高さも二メートル六十~七十センチくらいだろう。きれいにしてはいるが、装飾も簡素で、やはり高級店とは大きく違う。

 他に客はいなかった。隅のボックス席に案内されて座ると、バーカウンターの席に並んで座っていた二人の女が近寄ってきて、まずは立ったまま挨拶した。いいですか? との問いに承諾を示すと、二人は両脇に座って自己紹介した。

「アマネです」「ナオです」

 そう言ってそれぞれ名刺を差し出した。良く聞く源氏名だ。赤い花柄のドレスを着たアマネと薄いピンクのフリルドレスのナオ、二人とも三十代半ばくらいに見える。顔はまあ…失礼な言いようだと思うが普通だ、丁寧な化粧をしていて、嫌な感じはしない。ナオの方は少し体形も崩れてきているようなのが、二の腕のたるみでわかった。とても店の外にあった立て看板に描かれた、華奢な女の子のイラストからはイメージできない。

 ひとしきり、昼間の飲酒を楽しんだ。職務中だが、これはまあ仕事と考えよう。二人のキャバ嬢の応対は良く、下品にならないよう気を付けて言葉を交わしていると、親しみを感じてくれたようで、二人は共に子供を持つ母親であることを話してくれた。きっと正午から午後六時くらいまでが彼女たちの勤務時間なのだろう。きっとそれほど収入も良くないのだろうが、客の少ない、ひょっとしたら何も仕事がない状況がほとんどでも、二人を雇ってあげているこの店に親近感を覚えた。

 この店で当たってほしいな、と思った。先週から時間ができればわざわざ足を運び、この辺りのキャバクラを巡り歩いているが、単に聞き込みをするだけでは、却って警戒されて時間がかかり、やり難い場合が多かった。そこでお金を使う事にしたのだが、財布の中身は限界が近い。管轄外な上、正式な捜査でもないのだから、当然経費になるわけもない。

「ちょっと聞きたいことがあるんだけど」そう言って、少しお尻を上げて、ズボンの後ろポケットから一枚の用紙を取り出した。何度も取り出してはしまっているから、折り目がくたくたになっていた。用紙の中央には若い女とのツーショットの画像が印刷されていた。

 用紙を受け取って、「画質粗いね」とアマネが言った。

「昔の携帯から印刷したものだから」

 ナオが覗き込む。「あ、でも美人、かわいい!」

「この隣の人、お客さん? わ~、細いね」とアマネが湧いたように言った。

「彼女も君たちと同じキャバ嬢なんだけどね、最近この辺に来ていた事はなかったかな、もしくは彼女を知っている人がいないかな?」もうこの二人が知らない事は解った。

「う~ん、じゃあお客さんとかに聞いた方が良くないかな」アマネが言った。

「昔の彼女を探しているの?」とナオが少し低いトーンで言った。やめときなさい、と続けて言いそうな感じだった。

「いや、そんなんじゃないよ」・・・そんなんじゃあるか、でも、DV夫が逃げた妻を探しているなんて思われてはまずい、と天童てんどうは自分の人相を鑑みた。

「実は私、警察のものです」そう言って手帳を取り出して見せた。

 少し沈黙があって、「あ~、っぽいよね」とアマネが笑って言った。

 半袖シャツにくたびれたベージュのチノパン、すり減った革靴、いくら地方だと言っても、キャバクラ店に始めて来る格好にしては地味すぎるのかも、少なくともお金を持っている風には見えないな、と天童は自嘲した。

「店長呼んできますね」とナオが席を立った。

「すみません」と頭を下げて、ビールを一口飲んだ。

 アマネが歯茎を出した笑顔で、じろじろと天童を見ていた。やがて、さっき店内に案内してくれた年配の男がやって来た。

「警察の方がどんな御用で…」 男は立とうとした天童を留めた。

「すみません、お忙しいところ」(皮肉になってしまったかな)

「さっきこのお二人にもお聞きしたんですけれど、彼女の事を知りませんか?」アマネから用紙を手渡してもらって、それを立ったままの店長に差し出した。

「名前は氷川龍子といいます」

 店長はしばらく用紙を見つめて、天童に返した。

「すみませんが、警察手帳をご提示願えますか?」

「ああ、すみません」天童はまた手帳を取り出して、開いて見せた。

 店長は腰をかがめ、顔を寄せてじっとそれを見つめた。顔の角度を変えて、ホログラムの写真をしっかり確認している。

 手帳をしまいながら、「何かご存知ですか?」と問うた。

「私は良くは知りません、しかし、彼女を良く知る人がここで働いています」

「会わせて頂けますか」

「彼女は今日七時に出勤の予定です」

 十中八九、龍子の元同僚だというキャバクラ嬢だ、と天童は思った。彼女の信じられないような話が、実は本当だったという事はこれまでもあった。

「まだ、大分時間がありますよ」と店長が言った。

「他にも聞きたいことがあるんですが」

「まあ、他のお客さんが来ない内なら・・・」

「ありがとうございます」

「何か、ご注文されますか?」と店長が笑顔で言うと、また隣に戻っていたナオがメニューを差し出した。

「じゃあ、少しだけ」

 天童はメニューをめくりながら、手帳を出す時に机の上に置いた用紙にふと目をやった。まだ二十二歳だった龍子と、三十四歳だった天童が並んで、腕を組んで二人とも笑顔で立っている。自分は今よりも八キロほど痩せていて、顔も幾分か精悍に見えるけれど、お世辞にも美男子とは言えない。龍子は今とそう変わらないけれど、先日会った時とは髪の色と化粧が違っていて、格好はスキニージーンズに七分袖のニットシャツ、ずっと清楚なお嬢さんに見える。自分には過ぎた美貌をもった女だ。並んで立っている姿を見ると、とても自分と同じ人種とは思えない。今だったらもはや異星人だな、天童はそう思った。

 こんな女と、一時だったけれども、付き合っていた時があった。デートをして、キスをして、セックスをした。別れた後もよく一緒に食事をして、楽しく会話をした。この過去の記憶だけで十分なのだが・・・。せっかく再会できた事だし、がんばってみるか。

 少し酒がまわってきて、天童は良い気分になった。

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