第3話 CHAPTER 1: Straight to hell PART 2

「すみません、私、埼玉県警の天童てんどうと申します」

 "はい!" と慌てた様子で若い女性警察官が立ち上がった。総合案内と書かれた卓上プレートが置かれたカウンターから出て足早に天童の傍まで来ると、深く頭を下げた。

 天童もまた軽く会釈して言った。「本日、署長さんからお電話を頂いたのですが」

「はい、伺っております。どうもお疲れ様です。すぐにご案内致します」女性警官は緊張しているような面持ちで先導を始めた。コーナーにさしかかる度に進行方向を示すために振り返り、細やかな応対をしてくれているが、顔を見ようとしない。天童は、自分はそんなに怖い顔をしているのかな、と思った。自分では、柔和な顔とは言えないけれど、傷跡などがあるわけでもないし、決して怖い顔とも思えない。普段から人と接する時はなるべく笑顔で愛想よく、特に女性には嫌われないよう丁寧な態度を心掛けているつもりだが、やはり刑事なんかを十五年以上もやっていると、人相が悪くなって来ているのか。それとも単に中年男の被害妄想なのか。

 エレベーターで三階に上がって、少し歩くと木製のドアに署長室、とあった。女性警官がノックをして、中から "はい" という声がしてからドアを押し開けた。中に入ると黒革のソファに制服姿の、共に六十歳前後に見える男が二人座っている。テーブルを挟んでその向かいには蝶ネクタイとベストを着用した黒服姿の青年、井達喬史と黒のタイトミニワンピース姿の女、氷川龍子が同じくソファに座っていた。龍子は見せつけるように膝上からさらけ出した細長い素足を組んでいた。上半身は首元まで素肌を覆っているが、首の下から胸元にかけて紡錘形のスリットが入っていて、谷間をあらわにしていた。

 天童は制服姿の男たちの方を向いて、頭を下げた。「埼玉県警の天童と申します」

「これはこれは、遠いところをわざわざご足労頂きまして」と、二人の内、頭頂部の素肌が透けて見えるほどの薄毛の男が立ち上って言った。もう一人の男も立ち上った。

「署長の高坂こうさかです」と薄毛の男が言って、天童と名刺を交換した。次いで、「警務課の星崎ほしざきです」ともう一人の男も同じく名刺を交換した。

 星崎がさっきまで自分が座っていた席に座るよう天童を促し、女性警察官にパイプ椅子を一脚持ってくるよう指示すると、すぐ近くに会議室等があるのだろう、三十秒と経たずに持ってきた。星崎が座って、一人だけ腰の位置が少し高めの状態になった。

「新しいお茶をお持ちして」と笑顔で高坂が女性警官に言った。

「はい」と笑顔で返す。緊張が解けたような笑顔だ。きっとこの署長の女性署員からの評判は悪くないのだろう。決して男前ではないが、目尻が下がった恵比須顔をしていて、ほっとさせる雰囲気を持っている。

「改めまして、本日は急なお呼び立てに応じて頂きまして、ありがとうございます」と高坂は隣の天童に頭を下げた。

「いえ、とんでもない。こちらこそ、私の知り合いが無茶な事をしでかしたようで」

 龍子と喬史はちらりと、顔を見合わせた。

「大体のお話は、星崎の方から電話で説明させて頂いているかと」

「はい、伺っております。が、これは私自身の問題ですが、ちょっとまだ要領が得られていないところがございまして」

「ええ、それは私どもの方でも」と星崎が言った。「このお嬢さんのお話が、とてもその、私どもでは本当にそんな事をしたのでしょうか、という・・・」

「ええ、解ります。彼女はちょっと変わり者のところがございまして」

「あら、久しぶりに会ったというのに随分なご挨拶をされたわ」と龍子は言った。

「久しぶりだね~、龍子ちゃん。もう一年以上は経ってるよな」

「そうね、お忙しそうで何より」

「それで、なんでそんな派手な格好しているんだ?」

「お嫌いかしら」

「いいや、なんでも似合うね、でもちょっと化粧が濃いんじゃないか?」

 龍子の顔は目、鼻、口がバランスよく配置されたまぎれもない美人だが、例えば吸い込まれるような瞳やぷっくりしたセクシーな唇といった強い印象を与える要素がない、普通に美人、と矛盾した表現をしてしまう顔だ。最も似顔絵にしづらいタイプだ。

 天童が良く知っていた龍子は、化粧はほどほどのナチュラルメイクで、清潔感のある、大人の女性に好まれる美人モデルといった容貌だった。この場の姿は、明るめの茶髪ロングは以前に会った時と同じだが、毛先がくるくると巻き髪になっていて、長いつけ睫に上下を縁取ったアイライン、グロスが塗られた唇が少し下品に見える。格好と言い、化粧と言い、まるでキャバ嬢だ。とは言っても美人は美人だ、顔はふつうの美人と言っても、プロポーションがそれこそモデル顔負けで、背が高く、足が長い。胸は適度な大きさなのだが、腰が細くて実際のサイズよりも大きく見えている。

 ノックがして、さっきの女性警官がお盆に冷たい緑茶を入れたガラスの茶碗を、五個乗せて入ってきた。丁寧に配膳しながら先に出されていた湯呑をお盆にのせていく。彼女は度々龍子に目を配らせた。その表情はほんの少し口を空けて、目を真ん丸に開いていた。天童はその様子に笑いが込みあげてくるのを我慢した。

「どうぞ」と高坂が言った。

 天童はお茶を一口飲んで、高坂と星崎に軽く一瞥してから言った。「彼女は以前警察官をしておりました」

 ほ~っ、と、まだ部屋を出ていなかった女性警官もふくめて感心したように発した。

「訳あって彼女は数年前に退職しているのですが、まあ、私とはその時からの知り合いでございまして、今回の話を聞いて、その、まだ彼女に元警察官としての責任感なんかがあって行った事なのかな、なんて私は思っているのですが」

「そんな風に受け取ってもらえるなんて、感謝感激だわ」と龍子。

「龍子ちゃん、俺はまだちょっと今回の事、良く解っていないんだ。できれば君から改めて説明してもらえないかな」

「ああ、そうしてもらった方が良いと思います。私ももう一度お聞きして、整理して調書をつくりたいと思っておりまして」と星崎が龍子にお願いするように言った。

「龍子さんの説明が解り難いんだよ。いろいろ主観を入れ替えるから、聞いている方は現実感がなくなっちゃうんだよ」と喬史。

「そうなの? できるだけ面白く聞いて頂こうと思ったのだけれど」

「私も、ぜひもう一度お聞きしたいですね」と笑いながら高坂が言った。

 天童が合わせるように笑顔になって、「頼むよ、龍子ちゃん」

「わかりました」龍子は左手の人差し指と中指をそろえて、自分の唇にそっと触れた。それから軽く鼻を鳴らして言った。「それでは皆様、改めまして丁寧にお話しします」

 

「始まりは三か月ほど前、わたしが聞いたある相談だったわ。相談元はわたしが以前に勤めていた先の元同僚の、いわゆるキャバクラ嬢。彼女もまた勤め先をころころと変えるところがあって、今はここ柏市の、とあるお店で働いているわ。高級クラブ等とは違って、狭い、安い、けばい、と三拍子そろった庶民的なお店で接待するお客の中には、なかなかに社会不適合と思われるようなキャラクターを持つ人々も多くいるという事は、わたしも覚えがあるところ。わたしは彼女からある男の話を聞いた。

 男が来店し始めたのはおよそ三か月前、つまり今から半年ほど前、それから月に三、四程度来店しては、ほとんど毎回彼女を指名しているの。彼女は庶民的なお店にはめずらしいほどの美人だから一番の人気があって、他に指名が入った時は、男の席につけない時も多くあったのだけれど、そんな時の男は露骨に機嫌が悪くなって、時折店内で怒鳴るような事があったらしいわ。

 そんなふうだから、男に接客するのを怖がる子達ばかりになって、仕方なく彼女が優先的に席に着くようにしていた。男はいわゆる悪羅悪羅オラオラ系ってやつで、あれってゲイ用語らしいわよ。短髪で色黒、体格は少し太り気味だけれど長身で筋肉質、店内では腕の太さを見せつけるためによく上着を脱いでいた。彼は機嫌が悪い時と、それから良い時も、お酒が過度に入ると決まってこう話していたの。〝俺は人を殺したことがある〟と、刑務所にいた、っていう話ではなくてよ。

 そんな事を話す男は、稀にだけれどこれまでもいない事はなかったし、男は店内では常に人を威圧するような態度を取っているから、誰も本気で信じてはいなかったけれど、元同僚の彼女は何度も男に応対して、何度も同じ話を聞いている内に本当の事なんじゃないか、と思い、日々恐怖を募らせて行ったの。 警察に相談したところで酔っ払いの与太話と相手にされないかもしれないし、下手に取り調べされたりして、それが男に刺激を与え、却って彼女に被害が及ぶ事態になりかねない。そう思った彼女は、元警察官だったわたしに相談をしたの。

 彼女は、お互いの近況報告という形で電話をかけて来てくれたのだけれども、二時間に及ぶ会話の後半はその男の事で埋め尽くされたわ。男は三十三歳。およそ半年前に引越してきて、建設や内装工事を請け負っている会社の契約社員をしている。これは後になって調べあげた情報。彼女の話では男は自分の職業をはっきり明かさず、まるでヤクザであるかのように振る舞っていたらしいわ。詳細を語る事はなかったけれども、〝昔の女をぶっ殺してやった〟〝一発ぶん殴ってやったら、それだけで死んじまった〟〝捕まるような間抜けじゃあない〟〝俺を怒らせるなよ〟といった発言が何度も繰り返されて、テーブルを蹴る、グラスを割る、首を掴まれるといった事まであったらしくて、彼女はもうお店を辞める、という事まで考えていたわ」

「店側は何をしているんだ」と天童が口を挟んだ。

「お店にはいわゆるケツ持ちはいない。店長は目立たず地味な経営をして行きたいみたいで、ヤクザと警察を避けているの。店員も普通の人達ばかり。ただ頭を下げるばかりだったそうよ。わたしは、彼女は親しい友人でもあるし、何か助けになれれば、と思ったけれども、この時はまだ男が、自身が言うように実際に殺人を犯しているとは考えていなかった。それはいくら何でも非現実的だろう、と考えていたのよね」

 龍子は少し間を空けて、天童と二人の警官、未だ部屋を出て行かずにずっと龍子の話を聞いている女性警官の顔それぞれに目線を順番に向けて、それから話を続けた。

「でもそれはわたしが今の生活の中では、殺人というものに触れる機会が少ないから錯覚しているだけで、世の中では怨恨、営利、快楽といった目的で、それに動機のない事故だってそう、あらゆる殺人が毎日のように起きている。ただ見過ごしているだけでは、それは何時でもすんなりと日常エリアに侵入してくるのよ。わたしは元警察官だというのに、その事を忘れかけていた。わたしは男の事を調べてみる事にした。携帯電話の番号は男自身が彼女に教えていたので、ツイッターやLINEで検索してみたのだけれど、本人のものと思われるものは見つからなかった。IDやアカウントを聞き出す事は、彼女は男に気があると勘違いされるのが嫌だと言ったし、そもそも利用していない可能性だって高い。三時間くらいパソコンをいじっていただけなのだけれど、わたしはすぐにめんどくさくなったのよね。そこで・・・わたしは決めてかかる事にしたの。男は実際に人、女を殺し、身を隠すように引っ越してきた。死体は発見されていて、事件は発覚しているが物的証拠や確固たる目撃証言は今のところない、つまり男は容疑者として手配されていない。男は人を殺した事について優位性を感じている。そうすると、調査の道筋は単純にできあがる。目指すゴールは決まったのだから」

 天童はぷっ、と噴き出した。「ごめん、続けて」

「彼の年齢、住所、本籍地、職場や引っ越してきた時期、転籍前の住所等を調べ上げて、あとはネットで色々と調べたわ。数々の未解決である殺人事件。その検証サイト。それに、人を殺した事がある、身を隠しているという事を匂わせている投稿。さすがにアドレスの記載はないけれどね。そこで・・・」龍子は隣に居る喬史に目配せをした。

 喬史はシャツの胸ポケットから折畳んでいた1枚のA4用紙を取り出して、机の上に広げた。

 龍子は用紙にプリントされていた内容と、それに多少情報を加えて読み上げた。

「平成十九年十一月七日水曜日、山梨県大月市で一人暮らしの短大生、戸川とがわ香澄かすみさん、当時二十歳が深夜、自宅近くの通りで殺害された。殺害方法はハンマー等で頭を殴ったものと見られている。事件現場近くの住人に死体が発見されたのは午前五時ごろ、犯行時刻は午前零時から一時と推測。犯行時の物音や悲鳴を聞いたという証言はなく、犯行はごく短時間で行われ、被害者は即死、もしくは気を失った後、間もなく死亡したものと思われる。容疑者の情報としては、犯行現場方向から駅方面に向かう道中に、二十から四十歳くらいの男の姿の目撃情報が数件あるが、特定には至っていない。被害者の交友関係からも有力な容疑者は挙がらず、凶器の発見もないまま。通り魔的な犯行と思われる。

この事件に関する有力な情報提供者には、捜査特別報奨金三百万円が支払われる」


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