クローラー -Crawler-

Machio

第1話 INTRODUCTION

 以下は物語中盤に位置するー さしさわりのない一幕


 二〇一八年七月下旬のひどく暑い日。開いた窓からは暑さを和らげる風よりも、蝉の音と強い日差しが容赦なく侵入して、部屋の中はさらに不快感を増していた。

 一人の美女と、二人の中年男、一人の青年が狭い、机の上にノートパソコン一台が置かれただけで、何もないような質素な洋室にいた。女が机の前に置かれた椅子に座っている。カーキ色のショートパンツから、長い素足をさらけだしていた。

 男三人は皆、板張りの床の上にあぐらを組んで、壁に背をもたれかけている。何もなくても六畳程度のせまい一室、同性の汗の匂いが近くで感じられる空間は、三人にとっては耐え難いものがあった。三人の男がこの一室に集った意味はなかった。互いがそれぞれ情報を得ようとして、その情報が集う場所(一人の女のいる場所)に、同時に集ってしまったのだ。そしてまた、互いを出し抜いて、女との仲を少しでも進展させようとしていた。

 痩躯で頬のこけた顔の中年男は、眼前の細くて長い足に劣情を自覚していた。

「さて」と女が話し始めた。「予定の時間まであと一時間ほど、もしかしたらもう少し早く来るかしれないから、外には出られないし、ここはやっぱり誰か、背筋が凍るような怖くて、粋な小話のひとつでもして、少しでもこの部屋を過ごしやすくして欲しいところだわ」

 男三人は無言。

「面白くない人達ね。そういうのを二つ三つストックしておくのが、男の嗜みってヤツよ」

「ああ、昔、俺が福岡の捜査一課にいた時の話だが、そりゃあひどい事件があってね」と少し太り気味だが、逞しい体躯の中年男が話し始めた。

「それ、あれだろ、ヤクザが混じった集団リンチ事件。何回も聞いたよ」と痩躯の男。

「僕も聞いた」と、二十代前半の青年は溜息をついて言った。

「わたしも。そういうのはむかつくだけだから今は聞きたくないの」

「じゃあどういう話がいいんだ?」

「もっと情緒のある話よ。怪談よ、奇譚よ。ぞくっとして、どこかほろっとする、ためになる話」

「なんだそりゃ、事件にそんなものはないよ。じめっとした、忌々しい話ばかりだ」と、笑って言った。

「じめっとでも、さらっとでもどっちでもいいよ。君が話せよ」頬のこけた顔の男が、顎をあげて女を促す。「そういうの、得意だろ?」

「どういう意味よ」

「いつも適当な話をでっちあげているじゃないか。感心するほどだよ」

「人を詐欺師みたいに言わないでよ、人聞きの悪い。…いいわ、わたしが話す。でもこれは作り話じゃないわよ。聞いた話でもない、わたしの過去の本当の話。だから話にオチは求めないで。本当の話に、そうまとまった結末が用意されることはないわ」

「いいから」と痩躯の男。

 三人はそれぞれ女に向き合った。三人は皆、この女に惚れている。この女との付き合いは中年男たちとはそれぞれおよそ十年に渡る。青年はそれに更に五年ほど追加される。男たちにとって、女はその美貌に加えて、長年の付き合いで知っていった様々な、説明の難しい、多彩な魅力を持っているのだ。

 女は一息ついてから、話し始めた。

「むかしむかしの約十五年前。わたしが高校生になったばかりの時から始まるお話。

その頃のわたしは、すでに整った美貌を形成していて、入学早々全学年の生徒から教師まで、男女問わずの憧憬、艶羨、嫉妬、岡焼きの対象となって、校内ではそりゃあもうはっきり言って事件になっていたわ」

「岡焼き?」と青年が問うように言った。

 女は無視して、「でもその時のわたしは、世の中の人々は九割方救いようのない馬鹿だって思っていたから、所謂中二病ってやつ…あれって中二で終わる人っている? 大体高一くらいまで続いて、その後人生がうまく行かない時に度々ぶり返すわよね。それこそ一生続くと思うわ。そんな風に思っていたことがついつい根が正直なもので態度に出まくっていたの。それに、ご存じの通りわたしは施設暮らしで、超貧乏だったから、下手に友達なんかつくって付き合いが生まれるのを避けていたのよね。それで、ひと月も経つと、まあかなりぼっち状態になったわ。学校内ではずっと軽々しく話しかけないで、って雰囲気で対応していたの。先生に対してもね。軽々しく当てないで、授業聞いていないんだからって感じで。ホントに授業で全然当たんなくなったわ。美人ってやっぱり恐れ多いものがあるのかしら」

 聞いている三人は無言だった。この女は親しい相手には人を食ったような物言いをして、自分が美人であることを殊更に主張するのだが、それがしょっちゅうの事なので、対して、もはや呆れるそぶりを見せる事も、笑顔でたしなめることにも飽き飽きしていた。もしもこの場で他に女の事を良く知らない者がいたとしても、放っておく事だろう。

 女は少し沈黙してから続けた。「そんなこんなでゴールデンウィークを施設内で過ごし、六月に入った頃になると、さすがのわたしも後悔し始めたの。マジで三年間このまま過ごすのかと。部活にも入らなかったから、もちろん他のクラスにも友達はいない。女子たちからは嫌われても、なんだかんだで男の子たちは話しかけてくると思っていたのよ。でも、意外となかったわ。たぶん、わたしと関わる事で他の女子に嫌われるのを恐れていたのね」

 刑事課にいたという男が思った。これで、彼女が自画自賛できるような容貌でなかったならば、単なる〝痛い女〟で終わりだがどうだろう。十五年前の彼女は知らないが、十年前の姿は覚えている。今とそう変わらない、誰もが目を奪われる程の美女だった。アーモンド形の大きい二重の瞳と、まっすぐ通った丁度いい高さの鼻、薄めの唇、バランスよく整っているが特長のない、化粧次第で大人びたり、かわいらしくなったりとイメージが変わるような顔だ。しかし、百七十センチ程の女にしては長身、そして八頭身のプロポーション、足の長さが他の者と違い過ぎた。礼服のスカート姿が、膝丈のはずなのに、膝下が長すぎてミニスカートのように見えたことを覚えている。

「雨が降っていたある日、わたしはある授業の教科書からノートまで一切合財忘れ去って来ていて、いっその事、机の上に筆箱すら置かない状況で、教壇に立つ男性教師と睨み合いを繰り広げていたわ。教師は真っ赤になった、腹に据えかねたような表情をしていて、わたしの方は、それまでのキャラがあるもんだから、顔を下げてすまなさそうにしている訳にもいかず、必死で冷淡な表情を浮かべていたの。そして、教師が今にも声を張り上げようとしていた時、わたしの右隣の席にいた女の子が、自分の机と椅子を動かして、わたしの席にくっつけて来たのよ。それで、机と机の境目に自分の教科書を広げて置いて、一緒に使おう、ノートは他の教科のものを使って、と話しかけてきたの。わたしは表情を変えない様に気をつけたけれど、内心はほっとして、黙ったまま従ったわ。教師や他のクラスメイトも同様、黙ったままだった。その女の子は、わたしの生涯の親友となったの。名前は宮田みやたさやか。それまでは、その存在を意識したこともなかった」

 青年が訝しむような表情で「そんな人がいたの、始めて聞いた」と言った。

「そうだった?」

「一体どこが怪談なんだよ」と頬のこけた男。

「まだじゃないの。 それから、わたしは高校生になって初めてできた友達とお喋りしたり、お昼ご飯を一緒に食べたり、学校で嫌いなやつの悪口を一緒に言ったり、楽しい日々を過ごした。最初はずっと二人だけだったけれど、二学期からはもうひとり、あべこちゃんという友達が増えたの」

「あべこちゃん?」と青年が、他でも聞いたことのない名前に反応した。

 頬のこけた男は、「その名前が気になるな~」と唸った。

「さやかさんは身体が弱くて、よく学校を休みがちだったから、二人の時は寂しい日もあったけれど、あべこちゃんが加わって三人になってからは、一人ぼっちになる事も少なくなって、わたしは十分だった。友達って本当に仲良いのが少しいてくれれば良いって思っていたから。さやかさんもあべこちゃんも、他に仲の良い友達がいるふうではなかったけれど、見た目はかわいいし、成績も悪くなかったから、卑屈なところはなかった」

 女はまた一息ついて、「そうなると、周りの目が変わってくるのね。それに、その頃にはわたしが施設暮らしという話はどこからかみんなに知れ渡っていたので、取っつき難さの理由を勝手に慮って、好意的に捉えた人たちが次々と私に話しかけてきた。それでもわたしは二人の他に仲の良い友達はつくらなかった。二人もそうだったの」

「うんうん、それで?」と元刑事課の男が言ったが、彼はもうどうでもいい話だと内心思っていた。興味がある風を装っているのは、女に嫌われたくないだけなのだ。頬のこけた男は反対に、話に飽きたような、薄ら笑いの表情を浮かべていた。彼の方は、却って女の気を引くにはやや嫌われるところがある方が良い、と思っている。

「でも二年に進級して、わたし達はそれぞれ別のクラスに別れたの。隣のクラスですらなく、合同授業でも同じ教室にはならなかった。私を嫌った教師たちの陰謀だと思ったわ。わたしはまたひとりぼっちになる事を恐れて、話しかけてくれる子たちには優しく対応して、勉強も運動も頑張って成績をあげて、自分でお弁当をつくって披露したり、施設の子達にあげるためと言って編み物をしたりと、完璧に作り上げて行った。黄金時代よ。一年初期とはほぼ別人になっていたわ。さんざん男の子からも告白されて、わたしを嫌う子も多くいたけれど、それ以上に味方ができていった。けれど、後になって思ったの。心から話していて楽しいって思える、本当の友達はいなかったなって」

「さやかさんと、あべこちゃんは?」と青年が問うた。

「たまに、校内で出会うと少し話すって感じになっていたの。特にさやかさんとはほとんど会えなかった。わたしは携帯電話も持っていなかったから。クラス替えの後しばらくは、何度もクラスに会いに行ったけれど、いつもいなかった。その後いつか廊下で会ったときに、ほんの少しだけ立ち話をして、その時、友達がたくさんできたようで良かったね、と笑顔で言われたの。それは二人の仲が疎遠になったからって嫌味で言われた訳じゃなくて、本気でそう思ってくれているように感じたの。わたしはもっとさやかさんと話したいと言ったけれど、またね、と言って去って行ってしまった」

 段々と、女の話し方は芝居がかってきた。つくり話のようで、本当の話も少し交じっているようだな、と頬のこけた男は思っていた。

「三年生になって、わたしは色々と悩んでいたの。ほとんどの友達が進学するから、進学をあきらめていたわたしは何の仕事をするべきか、何がしたいのか一人考え込んでいた。今更なのに、帰る家がいずれ無くなる事、親も兄弟も誰一人自分には寄るべき人がいない事が、怖くなってきていた。その時付き合っていた彼氏がいたんだけれど、勉強にやっきになっている姿に苛ついて、もう一刻も早く別れたくなっていたの」

 青年はその頃の彼女の様子を知っている。黙ったままそれを思い返した。

「わたしはさやかさんと話したいと思って、でもこれまで家に行った事も、電話をかけた事もなかったから、彼女のクラスに会いに行くしかなかった。確かに三年のクラス替えの時に確認したはずのクラスに行って、尋ねたのだけれど・・・」

「尋ねたけれど?」元刑事課の男が言った後も尚、少しためてから彼女は言った。

「いなかったの。それどころか、そのクラスの誰に聞いても、彼女を知っている人はいなかった」

「そう来たか」頬のこけた男が言った。「そういうパターンね。学校を休みがちって言ったろう、つまりはそういうオチだ」

「どういうオチだよ。病気で死んだってことか?」と、元刑事課の男。

「それじゃ怪談にならないだろ。その前の廊下で会った時にはすでに、ってやつだ」

「オチは無いと言ったでしょ。それにパターンって何よ。これは事実、わたしの過去の話、そう言ったでしょ」女はきつく言った。

「まあ、続きを聞こう」と、元刑事課の男。

「いくつか他のクラスにも尋ねたけれど、彼女を知っている人はいなかった。でもおかしいじゃない? 茶々入れ中年の言う様に、彼女が病気であって、死んだとしたら、却って校内で有名になっているはずでしょ? 全校集会とかで必ず発表されたはずでしょう」

「そりゃそうだ」と元刑事課の男が、頬のこけた男に向って言った。

「だから、そういうところに詰めの甘さがある、つくり話だと言っているんだよ」

「全校生徒、全教師に彼女の事を聞いた訳じゃない。そこでわたしは、必ず彼女の事を知っているはずの子に会いに行った」

 あべこちゃん、と、青年と元刑事課の男が同時に言った。どんな子か全く知らないのにその名前の由来が気になる(まさか本名じゃないだろう)という理由だけで、男達の間で人気キャラクターとなっていた。

「さっき言ったように、彼女と話すことも少なくなっていたのだけれど、彼女の存在は確かだった。校内ですぐに出会えて、さやかさんの話をしたの。あべこちゃんは、やはりさやかさんを知っていた。もちろんわたしを加えて三人で過ごした一年生の時の日々を、きちんと記憶していたわ」

 男三人はそれぞれ困惑した表情を表した。

 女の芝居がかったような話し方は、少しずつ程度を増していった。

「つまりは、校内でわたしとあべこちゃんだけがさやかさんの存在を認識している、とその時考えたの。さやかさんは、わたし達の妄想……友達を求めていたわたしが生みだした架空の存在。三人が楽しくお喋りしていた姿は、周りからは二人だけで話している姿に見えていたんじゃないか、あべこちゃんと友達になる前は、わたしは実は一人で話していたんじゃないか、って。二学期になっても親しい友達ができないで不安でいたあべこちゃんには、わたしと同様にさやかさんの姿が見えたんじゃないかって…。いやあ!って叫んだわ。気持ち悪い!って。でもそこまで盛り上がって話していたのだけれど、あべこちゃんはそんなはずないって、彼女は自分以外にもわたしとさやかさんが話しているのを見ていて、気になっていた子は何人もいたし、あべこちゃん自身、クラスに他にも親しい友達はたくさんいたと言うの。それはちょっとショックだったわ」

「そうなると、あべこちゃんの存在も疑わしくなる」と頬のこけた男が薄ら笑いを浮かべて言った。「彼女もまた君の妄想だったとか?」

「どうしてもオチが欲しいようだけれど、先に言っておくわ。話の結末にあなたが納得するとは思えないわ。そこは早目に諦めておいて頂戴」

 いつしか蝉の鳴く音は静まっていた。太陽に厚い雲が覆いかかっていって、窓から差し込む光線は、大分弱くなっていった。

「さっきも言ったけれど、全校生徒、全教師に彼女の事を尋ねたわけじゃない。わたしは職員室に行って、さやかさんの担任の先生は誰なのか尋ねた。最初に聞いたわたしの三年生の時のクラス担任は知らなかった。そして次に聞いた、一年時の担任教師は自分のクラスの生徒だったはずのさやかさんの事を覚えていない、知らない様子だった。わたしはとても腹立たしい気持ちになった。でも一人、彼女を知っている教師がいたの。わたしとさやかさんが仲良くなるきっかけとなった、男性教師だった」

 ああ、と元刑事課の男が頷いてから言った。「教科書を見せてくれた時の奴ね」

「わたしはさやかさんのクラスと、住所と電話番号を尋ねたの。男性教師は全て教えてくれた。さやかさんは二年生になってから、病気のせいで学校に来られない日がずっと増えてしまい、三年生になった後しばらくして一旦休学する事になった、って。わたしはそこで初めて知った」

 なるほど、と頬のこけた男は心の中で納得したが、それでも細部については色々と省略されているから、疑問の出てくる話だと思った。しかし、これ以上話の腰を折るような事を言うと、彼女は本気で自分に嫌気を感じ始めるだろう。

「まだ終わらないわよ」と、場を引き締めるように強めの口調で言ってから、彼女は続けた。「わたしはさやかさんの家に電話をかけてみた。けれど、一向に誰も出ないし、留守電にも繋がらなかった。さやかさんが入院しているのかも、それで家は普段は仕事や看病で留守にしている事が多いのかも、って思った。でも、もう一度教師に病院名を聞きに行くのも躊躇したの。だって、お互い良い印象のない相手だからね。それで、学校が終わってから直接家に行ってみる事にした。あべこちゃんを誘おうかと思ったのだけれど、まずは自分だけで確かめてみたかった。彼女の家は学校からそう遠くなかったわ。お見舞いという口実のためのお花を途中で買って、徒歩だけで三十分くらいで着いた。一軒家が立ち並んでいて、それぞれ玄関の前に車一台分の駐車スペース、低い柵と門があって、インターホンと表札がかけてあった。住所のとおりに宮田の表札を見つけられたの。インターホンに出た女の人に、わたしはさやかさんの友達である事を伝えて、家の中に入れてもらった。女の人はさやかさんのお母さんで、お父さんもいらっしゃった。そこからの細かいやりとりは省いて結論を言うと、さやかさんはすでにこの世の人ではなかった」

 再び、蝉が鳴きはじめた。女は座ったまま手を伸ばし、静かに窓を閉めて邪魔な音を遮ってから、さらに話を続けた。

「家に入れてもらってすぐに、さやかさんのお父さんとお母さんの雰囲気、様子に異様な感覚があったわ。そして玄関からすぐにあった部屋の戸が開かれていて、彼女の遺影が飾られた仏壇が見えた。わたしはその後ずっと現実感のないままご両親と少しお話をして、彼女の遺影に手を合わせて帰った。彼女は中学の頃からずっと病気で、高校でも何度か入院して、一年留年して、友達もほとんどいないままなのに、それでも学校に通おうとしていた。それで、自殺をした。十年も前に」

「なんで自殺を?」と、元刑事課の男が言った。

「そっち?」思わず頬のこけた男が反応した。「ひっかかるのは十年ってところだろ。絶対嘘話じゃないか」

 女は落ち着いた様子で、「わたしは何度も本当の話と言っているじゃないの。そしてこの不快な暑さを少しでも和らげる話をする体で始まったのよ。つまりは怪談って事じゃない。あなただってさっきそういう予測をしていたじゃないの。今更幽霊が出てくる展開になって否定的な、しかも嘘だ、という陳腐な感想を持ち出してくるなんて、なんて見下げ果てた男かしら」と男を諫めて、さらに続けた。「まあ、いろいろとつっこみたいところはあるでしょうけれど、まだまだ続くお話をさせて頂戴な。十年というずれについて、違和感を持ったのはわたし以前にさやかさんのご両親だったわ。それはそうよね、高校生の制服を着た普通の、いやさ美少女が、十年も前に亡くなった娘の友達だ、と言って訪れたのだもの。わたしはさっき言ったように不思議な空間に放り込まれた感覚になって、現実感を失っていたのだけれど、取り乱したりはせずに、事態を受け入れたの。わたしが学校で何度も出会っていたさやかさんは幽霊か何かであるという事をね。きっとほら、わたしの年代って、世にも奇妙な世代だから・・・」

 今でもちょくちょく新作を放送しているテレビドラマの事は、わたしより十以上年上のこの中年達でも知っているはずよね。さっき突っ込まないように言ったのはわたし自身だから、ここで不満な様子を見せるのはさすがに傍若無人よね、と女は思った。

「わたしはご両親には自分が子供のころ病弱で入院していて、同じ病院にいたさやかさんと知り合ってよく遊んだり、お話したりしていたと話して、最近になってあの時のお姉さん、つまりさやかさんが亡くなっていたことを、彼女が通っていた高校に入学して知ったのだと、あまりにも適当な説明をしたの。以前にさやかさん・・・の幽霊から、彼女は幼少の頃から入退院を繰り返していたと聞いていたからね。ご両親は私の話を信じてくださって、私が元気でいる事を喜んでくれた。今思い返しても胸が痛むわ。

 それからわたしは家に帰って、よく考えた。さやかさんが幽霊、又は死んだ後でもある特定の人には視認できる(死んでいるだけに)何かしらの超自然的な存在であるとして、何か問題あるのかって」

「そりゃ問題あるだろう」と元刑事課の男。「だって幽霊なんかに会っていた、っていうのなら、そりゃあ大変じゃないか」そう言って、また意味もなく笑い声をあげた。

 その様子を見て、頬のこけた男は、自分より二つほど年上なだけのこの男に対して、いつもこいつは、どこかずれた反応をするよな、と思った。よくこんなのが刑事なんて職業をしているな、と。改めて女の方に向きなおして「特定の人って、君とあべこちゃんと、いけ好かない教師の事か」と問うた。

「いけ好かないって思っていたのは教師の方よね、わたしが勝手につっぱっていたのだから。彼には彼の人生において、様々な事情があったでしょうね。あべこちゃんもそう、それに、わたしが知っているさやかさんを知っている人がそれだけって事で、実際は他にもたくさんいるのかも知れない」

 なんか言い回しがややこしいな、頬のこけた男は頭をかいた。「どういう事だ?」

「まあ待って、先に続きを話すわ。わたしはあべこちゃんに顛末を話すかどうか迷っていたの。到底信じられない話だろうし、だからと言って彼女を連れて、またさやかさんのご両親に会わせるなんて真似もできない。学校でそんな風に考えていたら、あべこちゃんの方からわたしのクラスに会いに来てくれたの。わたしがさやかさんの家を訪れたころ、放課後の学校で、あべこちゃんはさやかさんに会ったと言うの」

 ええっ? と、ずっと黙ったままだった青年も含めて三人が反応した。

「二人は、お互いに元気にしているかというような、他愛のない話しかしなかったらしいわ。わたしがさやかさんは現実に存在しない、なんて思っているという事も話したらしいのだけれど、二人して大笑いしたらしいわ。笑顔で話すあべこちゃんの様子を見て、やっぱりわたしは、さやかさんの家での出来事を話さなかった」

「どうして?」と、刑事課の男。

「どうしてかしらね、ただ面倒くさくなってしまったのかも。解明するために、あべこちゃんやあの教師に説明して、さらに一年生の時の、さやかさんと一緒だったはずのクラスメイト全員に確かめて、さやかさんのご両親に、古株の先生に、教頭先生に、校長先生に色々と聞いて、クラス替えの名簿や十年前の学校資料を調べて、って。そんな事をして何になるの? って」

「気になるだろう? そのままにしておくなんて」と頬のこけた男が言った。

「事実の探求? ジャーナリストの村井むらいさんなら、そういう風に思って行動するのが当然となるのかしら」

「ジャーナリストだなんてやめてくれ、嫌味に聞こえる。第一、俺は幽霊話なんて信じていないから。それを暴いてやりたいと考えるだけだ」

「あらそう、でもこれはわたしの昔話。今、事実か嘘かを判断するのは、幽霊がいるかいないかじゃなく、わたしを信じるか信じないか、境界線はそこでしょう? 村井さんはわたしが事実だと言っている話を信じない?」

 頬のこけた男、村井は少し考えこんでから言った。「君はしょっちゅうでたらめな話をするじゃないか」

「つまりはわたしを信じていないのね、残念無念だわ」

「煙に巻いているように聞こえるぞ。幽霊話だとしてもディテールが不足しすぎている。さやかという子は自殺してしまって、なぜその、幽霊になって、化けて出てきたんだ。なんの恨みがあるって言うんだ」

「だからね、そんな事を確かめる気が起きなかったのよ。さやかさんが自殺した理由だってわからない。それを知っているのは他でもない本人、さやかさんだけでしょう。調べたところで誰かが予想しているだけの理由じゃないの。誰だって予想できるわ。病気は当然身体だけでなく、心にも大きな苦しみを伴っていたでしょう、友達が先に進学していって寂しかったでしょう、ひょっとしたらいじめがあったのかもしれない、心無い陰口を聞いてしまった事だってあったかもしれない、若くして重い病気を背負って生きている人というのは、健康な人がどんなに同情しようとしても、想像の及ばない辛い思いをしている事でしょうね。苦しみに耐えかねて、思い詰めて自殺してしまう人だっているでしょう。激しい怒り、妬み、恨みを抱いていたのかもしれない。それで、もしかしたら校内には彼女の呪いが今でも渦巻いているのかも知れない、って思ったわ。でも、わたしはそんなもの知らない。わたしにとってさやかさんは親切で、かわいくて、ちょっとお茶目な幽霊の友達なのよ。他で誰かれを呪い殺していようと構わないわ。それは呪われるだけの理由があるのでしょう」

「呪い殺された奴がいるのかよ」村井が言った。

「知らないわよ、調べてないもん。わたしはこう思っているの。さやかさんはわたしと同じく、少しの友達と楽しく学校生活を送りたいだけだったのよ。わたしやあべこちゃん、他にもきっと仲良くお喋りした友達がいるはず。あのわたしをいけ好かなく思っていた教師だって、何かの事情や出来事があって、さやかさんを見る事ができたのよ。さやかさんを望んだ人と、さやかさんが望んだ人が、その存在を認識できる関係になっているのよ、って。なにも恨みがないと幽霊になれない、なんて決まりがあるわけじゃないでしょう」

 村井は笑った。こんな馬鹿な話は初めてだ。どこぞの超自然科学の研究者やカタカナの名前の宗教家でも、もう少し言い訳めいた理屈でコーティングした話をするけれど、こんな投げっぱなしのオチのない話なんて・・・オチはないと最初から言われていたけれど。

 村井の横で、ほおお、と唸って、刑事は拍手を始めた。「いや~、良い話だな~」と感心したような口調で言った。

 これが良い話か? 村井は顔をしかめた。

「ありがとう、天童てんどうさんはわたしの話、信じてくれたの?」

「いや~、どうかな~、俺はね、刑事だから。その手の話を信じるわけにもいかないんだよなあ。でも、信じたいな~」

 こいつの感覚は理解し難いところが多いが、結局は俺とそう違いはない、と村井は思った。いかに惚れた女の気を引きたいと思ってはいても、この年になるまで仕事や生活で培ってきた己の信条を曲げる発言まではできない。こんな冗談のような話でも、割り切って話を合わせてやる事はできない。そういう頑固さを持っているのだ。

「何よ、これだけ事実だって言っているのに、わたしって信用がないのね」

 女は男達の中で唯一年下である、さっきからずっと黙ったままの青年に向かって言った。「喬史たかふみ君はどうなの? 信じる?」

 青年は腕を組んで、それから言った。「話は終わりなの? 続きは? あべこさんからさやかさんの話を聞いた後の…」

 女は答えた「もちろんあるわよ」

 男三人は改めて女に顔を向け、話を聞く態勢になった。

「わたしはさやかさんに会いたくて、その後何度も学校内を探した。一緒に下校したこともあったけれど、校門を出て一つ目の角でいつも別れていたから、さやかさんはもしかしたら、学校の中でしか会えないのかも知れないと思ったの。一度、夜の校舎に忍び込んで探した事もあったわ。でも会えなかった。わたしもその内諦めていった。進路も考えなくちゃいけなかったしね。それで…」

 時刻は夕刻を迎えているが、外の様子はまだ昼間のように明るい。

「みんなご存じの通り、わたしは警察官になる事を決めて、卒業を迎えたの。一年の頃とは違ってたくさんの友達に囲まれて、校庭で写真を撮っていた時、満開とまではいってなかったけれど、みんなが集まっていた桜の木の下に、さやかさんを見つけたの。

 わたしは自分の周りにいる友達がみんな消えたような感覚になって、まっすぐ、ゆっくりとさやかさんに向かって歩いて行った。さやかさんは笑顔でわたしをじっと待ってくれていて、わたしはすぐ傍まで近づいていって、それから逃がさない思いで抱きついたの。しっかりとさやかさんの感触を身体で確認した時、涙が溢れ出てきたわ。

 わたしはどうして今まで会ってくれなかったのか尋ねたわ。彼女は、自分がどういった存在なのかきちんと話してくれたわけではないけれど、もう龍子りゅうこちゃんは寂しくなさそうだったから、と言ったの。わたしは、さやかさんは自分が想像していた通りの存在だとその時思った。それから、さやかさんは卒業後もまた会えるよ、と言ってくれたわ」

 ふーん、と喬史は言った。「僕は、龍子さんが事実だと言うなら信じるけど」

 やれやれ、こいつはまだ若いからな。どんな場合でも、好きな女の味方でいる事が大事だと思っているのだろう、村井は溜息をついた。「じゃあ、君のその母校ってどこか教えてくれよ。君以外にもいっぱいさやかさんと会っている人がいるって言うのなら、その内の誰かがネットにひとつやふたつ、話を上げているかもな」

「村井さんはわたしが話すことは信じないくせに、ネットにあるなら信じると言うの?」

「そういう訳じゃないよ。君の話と共通するものが他にもあったなら、ネタになるかもしれない、って少し思っただけだ」

「もしもあったならば、それをわたしが見ていて、少し脚色して話したのかもしれないわよね」

「そりゃそうだがね。もともとこんな話を事実だなんて言って、ページに載せる事はありえないよ。いや、怪談でなくても、事件でもゴシップでもね、噂では、とか信頼できる情報筋によると、学者、研究者、ある関係者の弁によると、って事でな。書き手は自分で決して事実だなんて言わないよ。事実か嘘かは読み手が決めるんだ。信じたければ本当で、信じたくなければ嘘だ。ソースが多ければ多いほど信じたい奴は信じて、いや信じていなくても面白がるのさ。あのサイトで紹介されていた、この雑誌に載っていた、ってな。その元ネタが誰かひとりが言ったただのホラ話、なんてのは良くある事さ」

「なるほど」と龍子。「村井さんは絶対嘘だと言うのね、喬史君は本当だと思ってくれていて、天童さんは信じたくても信じられない、でも信じたいと、…つまりこの場合発信者であるわたしは除いて、この話のこの場の信憑性は五十%というところね。幽霊話としてはなかなかの好成績と言っていいのかもしれないわね」

「むちゃくちゃな計算の仕方だな。まあ実際ネタにもならないな、今時怪談特集なんて流行らないし、第一この話、怖くない」

 ああ、と龍子は気づいたように言った。「ごめんなさい、まだ少し続きがあるの」

「桜の木の下で抱き合って終わり、じゃないわ。そりゃあ久しぶりなんだから、さやかさんと少し話をしたわよ。彼女はわたしに他に友達がたくさんできて、もう自分が必要じゃなくなったと思っていたから会わなくなった、って言ったの」

「うん、そりゃさっき聞いた」と村井。

「わたしはさやかさんが幽霊、又はそれに類似する超自然的な存在だと考えた時、もうほとんど彼女と会ってお話もしていなかったせいもあるけれど、なにか、彼女が凄く儚くて、美しくて、清らかで、崇高な、まるで聖母のような存在と錯覚していたのよね」

 ああ、なるほど。男三人皆が同じく思った。確かにそんなイメージを持っていたな。幽霊でも良い方のイメージ、映画でも小説でも、幽霊とか猛獣とか宇宙人とかって、大体害悪となって敵対するパターンと、凄く良い奴で友情や愛情を育むパターンがある。さやかさんは明らかに後者のパターンだ。龍子の話でも害を為す描写はなかったし。

「誤解していたの、彼女はもう自分のことなんて友達と思っていなかったでしょ、って言いだしたの。優しく微笑んでいたけれど、実はすっごく拗ねていたの。いつか前に出会った時にも同じ事を言われて、嫌味じゃなく、って思っていたのだけれど、完璧に嫌味だったのよ。考えてみたら二人で仲良く話していた時、一番盛り上がったのは学校で嫌いなやつの話をしている時だったって思いだしたわ。裏では割と人の好き嫌いが激しいタイプだったの。あべこちゃんの事も最初は良く思っていなかった、なんてぶっちゃけ始めた」

 ええ? 男達のさやかさんに対するイメージが壊れ始めた。

「わたしは焦ってしまって、そんな事ないよ、わたしはずっとさやかさんを一番の親友だと思っている、って言ったんだけれど、嘘ばっかり、ってそりゃあひがむひがむ。それもずっと笑顔でね。なんてめんどくさい幽霊なの、って思ったわ。わたしはじゃあ何故こうして会ってくれたの? 卒業式だから最後に、ってことなの?って尋ねたわ。

 さやかさんは言ったの。卒業後も会える、ってね。わたしに姿を見せたのは、わたしが卒業式前に彼氏と別れたからだって、自分以外の女友達はなんとか許せるけれど、彼氏は許せない、って言いだしたの」

 ええ? 男達のさやかさんに対する壊れたイメージが、また壊れた。

「わたし、ぞっとしたわ」

「オチあるじゃねえか」と村井が呟いた。

 あの、と喬史がおそるおそる言った。「最初に、さやかさんは生涯の友達、って言ってなかった?」

「そうよ、年に二、三回程度だけれど、今も会っているわ。高校の時の友達ってそんなものでしょ? 親しい方だと思うけれど。みんな、よろしければ会わせてあげましょうか?幽霊ならではのアドバイスとか、結構ためになる話をしてくれるわよ。 ただ彼女、男嫌いだから注意してね」

 いや、遠慮しとく…と、村井が答えようとした前に、インターホンが鳴った。

「来たわ」と言って、龍子は椅子から立ち上がった。は~い、と言って床に座っている中年の男達の間を、長い足が通り抜けていく。男達は皆、唾を飲み込んだ。

 玄関のドアを開けると、青い作業衣を着た男二人が頭を下げて言った。「こんにちは、エアコンと冷蔵庫の配達に参りました」

 良かった~、と龍子は喜んだ。「これで快適な暮らしが再開できるわ」


 十日前に、彼女がそれまで暮らしていたマンションが、火事で燃えた。


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