第3話 3
『――
ウツロの言葉と同時に、アーガス王都上空に巨大な妾の映像が映し出される。
同時にケイがホロウィンドウの中で両手を振って、妾の前に新たにホロウィンドウを投影させた。
そこに投影されるのは、妾の像とリンクされた視点だ。
影達が散布した小型ドローンからの映像が、ケイによって統合・補正されてこのウィンドウに映し出されるようになっておる。
あちこちで晶明が灯され、カンテラを手に衛士達が飛び出して来るアーガス王城に視線を向ける。
――おった。
内宮奥のバルコニーから、こちらを見上げる男女を見つけ、妾は笑みを浮かべてみせた。
王都の夜空に投影された妾の像は、忠実にその笑みを再現する。
「――アーガス王ガルシアよ……」
夜酒でも楽しんでいたのか、そやつはブランデーグラス片手にバスローブ姿で、妾の像を見上げておった。
神経質そうな細面に伸ばされた貧相なアゴヒゲ。
細い手足に反して、不摂生な生活を送っているのがよくわかる突き出た下っ腹。
そんなガルシアに抱きついて、不安げな表情でこちらを見上げているのは、金髪をした娘だ。
ガルシア同様にバスローブ姿で、豊満な白い乳房がその
アーガス王妃はずいぶんと前に逝去して、その後正妃の座は空席のままと聞いておるから、愛妾のひとりだろうか。
ガルシアは縮れた金髪を振り乱し、ヤツはこちらを指差す。
『――き、貴様、何者だ!』
その言葉に、妾は素で笑ってしまったわ。
『な、なにが可笑しいっ!』
濃い隈の浮いた目を吊り上げて、ガルシアが怒鳴る。
ひとしきり笑い倒して。
「――ハッ! 妾に刺客を放っておいて、よもや妾の顔を知らんとはな……」
その頃になって、ようやく甲冑を身に着けた騎士達がやって来て、ガルシアと女を守るように周囲を取り囲む。
対応が遅いのう……
そんな事を考えながら、妾は
「――妾はトヨア皇国ヒノエ帝であるっ!」
『――ま、魔王だとぉッ!?』
ガルシアが驚愕の表情を浮かべて、数歩後ずさる。
<影>共の報告によれば、ガルシアは政の大半を放り出して後宮に入り浸っているそうだが、さすがに妾の名くらいは知っていたらしい。
攻撃でも警戒したのか、騎士共が抜剣して身構えた。
「そう、それよ。妾を魔王と呼び、勇者などという暗殺者を放ってくれた礼をしてくれようと、こうして顔を出してやったのよ」
『な、な……それではあの娘は――』
ガルシアの顔が青ざめる。
「こうして妾が貴様と会話しておるのだ。暗殺は失敗よ」
喉を鳴らして笑って見せる。
『――ほ、本当か!?』
ガルシアが騎士のひとりに訊ねた。
『……はっ。数時間前、聖櫃から勇者ミィナの登録が消えたと魔道局から報告が……』
『そ、そんな重要な話、なぜすぐに知らせんのだっ!』
『――で、ですが陛下! 夕食後はお部屋に誰も立ち入るなと仰せだったではありませんか!』
『――ふざけるなっ!』
ガルシアは上擦った声で怒鳴り散らし、報告した騎士の顔を殴りつけた。
殴られた騎士は鼻血を吹いて尻餅を突く。
あやつに殴られた程度で鼻血でダウンとか、騎士は訓練足りとらんのじゃないか?
そんな事を考えてる間にも、ガルシアはこちらを見上げて薄ら笑いを浮かべる。
『……ヒ、ヒノエ殿。誤解があるようだ。
我が国はあなたの暗殺など企んではいない。
――そ、そうだ! 勇者が――あの小娘が功績欲しさに勝手をしたのだ!』
今にも揉み手でも始めそうな卑屈な表情だ。
「……ほう。つまり貴様は勇者を自称する小娘が勝手に妾の暗殺を企んだと、そう主張するのだな?」
『ああっ! 我が国は――余はまったく関係ない!』
――小物め。
「……ウツロよ」
短く奴の名を呼べば、妾の意思を忠実に読み取ったウツロが、ガルシアの背後に音もなく現れる。
化生して無貌の鬼となったあやつは、ひどく無造作にガルシアの首筋に短刀を這わせた。
『ヒ、ヒイイイィィィ――ッ!?』
悲鳴をあげるガルシア。
あれほど身体を密着させていた愛妾の女は素早くガルシアから離れ、騎士共は身をひるがえして剣を構える。
「……例えばの話だが……」
嘲笑うように声を揺らして、妾はガルシアに問いかける。
「今、そやつが貴様を殺したとしても、妾はまったく関係ない。そやつの独断だ――それでアーガスは納得するのであろうな?」
目線をウツロに向けると、奴は器用に短刀を引いて、薄皮一枚を斬って見せた。
一筋――ほんの一筋だけ血が滴り落ちる。
『――ギャアアアアアァァァァ!!』
まるで断末魔のような悲鳴をあげるガルシア。
その時――
『――ッ!?』
ウツロが弾かれたようにガルシアを突き飛ばし、その反動を利用してバルコニーの欄干に跳び乗る。
一瞬前までウツロが立っていたそこを、青白い光の一閃が駆け抜けた。
『――陛下っ!! ご無事ですか!』
と、バルコニーへ新たに姿を現したのは、金髪の少年だ。
彼は手にした剣を構えたままガルシアのそばに駆け寄り、欄干に立つウツロと空に投影された妾を見据える。
『お、おお――よく来た! 勇者セイヤよ! 余、余を守れ! 余を傷つけたアイツを殺せぇ!』
ガルシアが喚き散らす。
あれがもうひとりの――ミィナの後に
奴は青い目を忙しなく妾とウツロの間を行き来させておる。
恐らくはどちらを優先すべきか迷っておるのだろう。
……実戦経験がないのか?
どう考えても差し迫った脅威はウツロであろうに……
ウツロが無貌の顔でこちらを見上げてくるのに気づき、妾は頷きを返す。
実戦経験が無かろうと、勇者の力は未知数だ。
ここでウツロを失うのは、妾の本意ではない。
妾の許可を得たウツロは、欄干を蹴ってバルコニーから飛び出し――わずかな燐光を残してその姿がかき消える。
奴に持たせとる
『――なっ!? 消えただと!? ええい、まだ近くにいるはずだ! 捜せ! 捜し出せっ!』
数名の騎士がバルコニーから室内に引っ込んで行く。
「……クククク……」
妾の笑いを聞きつけ、ガルシアが顔をあげた。
『な、なにがおかしいっ!?』
先程までは真っ青だった顔を朱色に染め上げ、妾に怒鳴ってくるガルシア。
妾は奴を指差して見せる。
「おや、気づいとらんのか? 自分の股ぐらを見てみよ」
奴の足元には水溜りができていて、白いバスローブの股の辺りは黄色に濡れている。
『――――ッ!?』
自分の事に関しては、恥という概念を知っておるのか、奴はそばの騎士のマントを剥ぎ取り、バスローブを脱ぎ捨てて、身体に巻きつけた。
「アーガス王ともあろうものが、随分と肝の小さい。
――そもそもの話、この妾が貴様を容易く楽にしてやると思ったか?
この妾の命が狙われたのだぞ?」
ガルシアを見下ろし、妾は嘲笑を浮かべる。
「――妾をナメるなら、覚悟を見せよ!
アーガス王よ、貴様は妾の逆鱗に触れたのだ。
トヨア皇国は妾の名を以て、アーガス王国に宣戦布告する!」
「――ぃよっしゃあっ! さすが陛下!」
背後でハヤセが拳を突き上げて歓喜の声をあげるが、その声はケイが調整して向こうには届かない。
ヤシマが計算器を叩いて、なにやら手帳に書き込み始め、アリアはスカートの裾から無数の暗器を床に落として、えらい勢いでそれを磨き始めた。
だが、それらの映像もまた、ケイが調整しとるから向こうに届く事はない。
『――なっ!?』
ガルシアの赤かった顔が青を通り過ぎて土気色になった。
騎士共も顔を引きつらせ、互いに顔を見合わせている。
「――手始めに、貴様らに恐怖を刻み込んでやろう!」
そう告げて右手を震えば、妾の巨像のすぐそばに、巨大なホロウィンドウが浮かび上がる。
そこに映し出されたのは、トヨア皇国フソウ宮――アーガス王国が魔王城と呼ぶ、我が居城だ。
そして妾は両手で
「――目覚めてもたらせ、我が半身……」
――数百年ぶりに、その喚起詞を唄った。
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