第7話 8
「みんなが笑っていられる世界……それって、すごく良いなぁ……」
ヒノエ様の過去から現代まで続く物語とその夢――いいえ、理想を知ってわたしは知らず呟いていた。
思い出すのは、この世界に来たばかりの――<春の彩>での日々。
日々の暮らしは決して裕福ではなかったけれど、下町のみんなはささやかな事に幸せを見出して、みんなが笑っていた。
「――フン。とはいえ、人の欲とは再現がないからな。
妾ができる事は、せいぜい人が人らしく暮らせるように努める事くらいだ」
照れ隠しのように顔を逸らして腕組みするヒノエ様に、四公のみんなは苦笑する。
その人が人らしく暮らせるというのが、どれほど難しい事か……今のわたしはよく知っている。
勇者になってからの三年で、アーガス王国のあちこちを旅して。
わたしは人々の様々な哀しみを見て来た。
あの頃はわたし自身が精一杯で、言われるがままに任務を果たす事しかできなかったけど、ひょっとしたらもっともっとできる事があったのかもしれない。
――なんで! なんでもっと早く来てくれなかったのっ!? アンタが遅かった所為でウチの人があ……!!
侵災被害に遭った村――旦那さんを亡くした奥さんの嘆きが蘇る。
あの時、わたしはただ頭を下げる事しかできなくて。
逃げ出すようにして村を去った。
――ううん。実際、村から逃げ出したんだ。
哀しみに暮れる村人達に詰られるのがイヤで。
イヤな事から逃げたんだ。
ただ任務を終えて終わりじゃなくて――奥さんを励ますとか、復興を手伝うとかもっと色々できる事はあったのに……
わたしはヒノエ様を見る。
長い長い――わたしには想像する事すら難しい長い時を生きて来たヒノエ様は、わたしなんかとは比べ物にならないほどの絶望と哀しみを、きっと数え切れないほど乗り越えてきたんだろう。
それでもなお、ご自身の望みより人々の幸せを願ってらっしゃる。
遥か大昔に失った、仲間達の子孫だからという理由もあるかもしれない。
でも、そんな義務感だけで数千年もの時を費やせるものじゃないでしょう?
……わたしはたった三年で、『勇者』という義務感に圧し潰されそうになったもの……
わたしとヒノエ様を比べるのがそもそも間違いかもしれないけれど――
「……わたしも、なにかできる事をしたい……」
「あん? 言っとくけど、なにを言おうとおまえを戦には連れて行かんからな?」
ヒノエ様はまるで先手を打つように顔をしかめる。
セイヤくんとの戦うなら、同じ勇者であるわたしをぶつけた方が、トヨア皇国への被害が少なくなるのはわかっていらっしゃるでしょうに……
「あくまでこの戦はトヨアとアーガスのケンカだ。この星の人類同士の間で行われるべきものなのよ」
「でも、セイヤくんは異世界人ですよ?」
わたしの言葉に、ヒノエ様は親指で自分を指差す。
「だからこそ、妾が出るのだろうが!
聞かせただろう? 妾はこの星の外よりやって来た存在だ。いわば異世界人のようなもの! 異世界人の相手は異世界人がする――理屈には合ってるだろう?」
胸を張るヒノエ様に、アリアさんとヤシマさんがうなずき、ハヤセさんがわたしの肩に腕を回して耳打ちする。
「ああなったら、陛下はテコでも動かねえからな。諦めた方が良い」
「そりゃ、わたしもなにがなんでも戦に出たいわけじゃないですけど……」
「ああ。身内と争うなんて経験は、なるべくならしない方が良いんだ……」
そう告げるハヤセさんは、耳と目尻を落とした悲しげな表情を浮かべている。
そっか……ハヤセさんも、ヒノエ様と共にずっとこの星の人類を見守って来たんだ……
トヨア皇国を興す際には、きっとかつての友人達の子孫達と争う事にもなったんだよね。
その哀しみを知っているからこそ、ヒノエ様もハヤセさんもわたしを戦には参加させたくないんだろうね……
「ま、今日みたいに兵どもに稽古を付けてくれるのは大歓迎だがな!」
ふたりの想いを感じて顔をうつむかせるわたしを励ます為か、ハヤセさんはわたしの肩を叩いてニヤリと笑う。
ベアおじさんによく似た、男臭い笑い方。
「そうそう。いまのおまえに必要なのは、くたびれきった心と身体を癒やす事だ」
と、ヒノエ様もハヤセさんの反対側から肩に腕を回してきて笑う。
「そうしているうちに、本当に自分のやりたい事が見つかるだろうさ」
そう告げてわたしの頭を撫でるヒノエ様の手は、小さな女の子のものだというのに、マウリおばさんや――本当に小さな頃……まだお母さんが笑顔だった頃に褒めてくれた時の事を思い出させてくれて。
どうしよう。また泣いちゃいそうだ。
胸の奥がぽかぽか暖かくて、感情がうまく制御できない。
ぎゅっと目をつむって涙を隠し、洟をすする。
ヒノエ様は黙ったまま、わたしの頭を撫で続けてくれた。
しんみりした空気が流れ始めたところで。
「――そうそう、そういえば、僕もミィナ様にお手伝いして欲しい事があったんですよ」
と、ヤシマさんが手を打ち合わせて、不意にそう切り出した。
「おまえ、昔っから空気読めない子だよな……」
呆れたようにヒノエ様がジト目を向ける。
わたしは首を横に振った。
暗くなり始めた雰囲気を変えようという、ヤシマさんなりの気遣いなんだと思う。
「わたしにできる事なら、やらせてください!」
わたしの返事に、ヤシマさんは満足げにうなずいた。
「実は来る戦に備えて、現在、アーガスの貴族達に根回しをしておりましてね?」
先日ヒノエ様に話した、侍女時代のお話。
それを伝え聞いたヤシマさんは、アーガス貴族の中には現在の王城に不満を持っている貴族もいるのではないかと考えたそう。
そんな貴族達の中でも、特に地方領主へと使者を立てて交渉しているのだと、ヤシマさんは教えてくれた。
「あくまで出陣を見合わせるよう持ちかけているのですが、王城の体制に不満はあっても封領を持つ領主ですからね。
王に命じられたら、断る事は難しいそうで……」
「いまの王様だと、逆らったら領地ごと取り上げかねませんからね……」
「ええ。それを理由に交渉が膠着しているんです。
そこで僕は考えました。彼らに大義名分を与えてやろう、と」
前髪を掻き上げ、ヤシマさんはニヤリと笑う。
線の細い印象なのに、笑い方はヤシマさんによく似た男臭い笑みだった。
「ミィナ様、エレノーラ王女を助け出したくはありませんか?」
「へ?」
ずっと東の離宮に閉じ込められてる姫様。
勇者選定があったあの日、お別れも言えないまま離れ離れになってしまった、わたしの恩人――それを……助け出せる?
「国を乱すイカれた王を廃し、冷遇されとったその娘が国を立て直す――物語としては定番にして王道だな」
ヒノエ様がアゴを撫でながら黒い笑みを浮かべて。
「だからこそ、人の心を動かしやすい。そうでしょう?」
ヤシマさんもまた、そう応えて黒く微笑む。
「そこまで言うからには、もう段取りはできとるんだな?」
「ええ。ウツロ兄さんに頼んで、離宮に跳んでもらいました。ただ……」
そこまで言って、ヤシマさんは視線を宙に彷徨わせる。
「あの人、あの通りの性格と口調でしょう?
エレノーラ王女に警戒されてしまっているようで……」
「あ~……」
ヒノエ様も頬を掻きながら目を泳がせた。
「陛下が悪いんですよ? 思春期の多感な時期に、サブカルアーカイブやらご自身の創作物を与えたりするから……」
「だっておまえら、あたしの小説に見向きもしねえんだもん! あいつくらいだぞ? 喜んでくれたのは!
そりゃ、アーカイブへのアクセス権を全部丸投げしたのはアレだったけど、仕方ないだろ!? ヲタ話で盛り上がりたかったんだよ!」
「――陛下、お言葉が乱れておりますよ」
と、アリアさんが咳払いして注意する。
「……ヲタ話……ちぃちゃんもよく、マンガとかアニメとかの話をしてくれたなぁ」
思わず呟くと、ヒノエ様がぐるりと顔を回して、わたしに顔を寄せてきた。
「そう、おまえの話にちょいちょい出てくる、その『ちぃちゃん』とやら! もしそやつがここにおったなら、一晩中語り明かせる自信があるぞ」
興奮気味にそう言いながら、ふと気づいたようにヒノエ様はわたしの顔を見た。
「いや、ミィナよ。そういえばおまえも語れるクチだったな? どうだ、この後一緒に妾の特選アーカイブを――」
「陛下、まずはヤシマの件でしょう?」
再びアリアさんが咳払いして。
「……む、うむ。そうだったな。すまん、久々に語れそうな相手を見つけて取り乱した。
あ~、ウツロの頭がアレという話だったな」
「頭とまでは言いませんが、言動と見た目はアレですからね。今はそれが問題になっているのです」
ヒノエ様もそうだけど、ヤシマさんも結構ひどい。
「みなさんのお話でしか知りませんけど、そのウツロさんって人はそんなアレなんですか?」
ヒノエ様直属の諜報組織<影>の長にして、リーシャの憧れの人。
わたしはホロウィンドウの映像でしか知らないし、映っていたのは仮面を付けた姿だったけど、あの警備の厳重な後宮に侵入し、王様を傷つける事さえして見せた様は、まるで忍者みたいだった。
「……おい、陛下よ。ひょっとして教えてねえのか?」
ハヤセさんが不思議そうに首を傾げる。
「あ~、いろいろ面倒になると思って、ミィナには編集映像を観せたのよ……」
「結果としてもっと面倒になってるのが、陛下らしいですよね……」
アリアさんが頬に手を当ててため息。
「や、ウツロ兄さんの事は、君もよく知ってるでしょう?」
「――ホンット、空気の読めない子だよ! ヤシマ!」
ヒノエ様がビシリと閉じた扇でヤシマさんを指して、それからご自身の頭を掻きむしる。
「あ~、もう面倒だ。ほんっと、面倒! ミィナがあやつの事を良く思っとるようだから、バラさずにおいたが、もう面倒だ!
言い訳はアイツ自身にさせよう。そうしよう!」
パチリと指を鳴らせば、わたしの前にホロウィンドウが開いて。
『――む、我が神からですか。どうなさいましたか?』
そう告げて、ウィンドウの中で振り返った人物に、わたしは目を見開く。
「――シュバルツさんっ!?」
わたしの声に、彼は一瞬驚きの表情を見せたけれど、わたしの周囲にヒノエ様や四公のみんながいるのに気づいて、いつもの――最後に出会った時のような少し皮肉げな表情を浮かべて。
『――ご無沙汰しておりますね。我が聖女様』
そう告げると、彼は恭しく一礼して見せたのだった。
★――――――――――――――――――――――――――――――――――――★
ここまでが7話となります。
魔王様の過去話、いかがでしたでしょうか。
この世界の置かれた状況が、少しでも伝わればいいなぁと思っております。
裏テーマとしては、魔王様の壮絶な人生を垣間見て、傷ついていた勇者の心に再起のきっかけを与えるというものもあったり。
「面白い」「もっとやれ!」と思って頂けましたら、作者の励みになりますので、フォローや★をお願い致します。
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