閑話 わたくしにできる事

閑話 1

「――こんばんわ。お邪魔しますよ、エレノーラ殿下……」


 昨晩と同じく、彼はわたくしの部屋に音もなく現れたわ。


 この離宮に移ってから三年。


 名目上は警護という建前で付けられた近衛達は、実質はわたくしを監視する為のティアの息がかかった者達で、この三年というもの、わたくしは外に出る事はおろか、手紙を出す事すら許可されなかった。


 当然、わたくしを訊ねる客人もいやしない。


 城に居た時は、暇を見つけては行っていた武術鍛錬も禁じられて、できる事といえば読書と、こっそり行う魔道の鍛錬くらいだったわ。


 サティリア教会の修道女の方が、まだ運動していると思えるような生活ね。


 離宮の片隅にある尖塔の最上階。


 そこがわたくしの居室。


 監禁されているわけではないのだけれど、ティアの息のかかった者ばかりのこの離宮で、普通の部屋で暮らすような危険は犯せなかったのよ。


 この部屋ならば、狭い螺旋階段を登って来なければならないから、に敵の数を絞れるから。


 図書室までの階段の上り下りも良い運動になるわね。


 そんな世捨て人のような、外界から隔絶された生活を送っていたわたくしの元に、彼が現れたのは昨晩の事――


 お世辞にも、良い出会いと呼べるものではなかったわね……




 そろそろ寝ようかと本を閉じ、ランプ代わりの小型晶明を落とそうとした時の事だったわ。


 窓も開けていないのに風を感じて振り返ると、そこに彼が立っていた。


 黒い身体にツルリとした無貌の顔。


 額には二本の角が伸びていて、すぐに彼が天間山脈の向こうに住まうという魔属なのだとわかったわ。


「――こんばんわ。深夜の訪問をお詫びします。エレノーラ殿下」


 口もないのに、そう発せられたのは低い男声で。


 彼は紳士然とした仕草で胸に手を当てて会釈した。


「――魔属っ!? どうやってここへ!?」


「――おおぉおおっ!?」


 有無を言わせず放った拳。


 魔属は驚愕の声をあげながらも、流れるようにそれを受け流すと、敵意がない事を示すように両手を挙げつつ部屋の隅へと距離を取った。


「……なるほど。我が聖女様が崇拝するわけですな……」


 独白のように呟かれた言葉。


「――は?」


 意味がわからず、わたくしは首を傾げたわ。


「いや、こちらの事です。

 それより話を聞いてくださいませんか?」


「深夜に勝手に侵入して来て名乗りもしない人の言葉を聞けと?」


「おっと、これはしたり。失礼しました。

 ――拙者、トヨア皇国ヒノエ帝直属の配下、シャドウと申す者」


「――魔王のっ!?」


 思わず俗称で呼んでしまったけれど、シャドウは特に気分を害した様子はなかった。


 トヨア皇国は魔属の国。


 それはヒト属の国の共通認識となっているわ。


 だからこそ、その皇たるヒノエ帝は魔属の王――魔王と呼ばれている。


 その直属の配下を名乗るシャドウが、ただの魔属であるはずがない。


 わたしは拳を握って身構えたまま、晶明に照らし出されたシャドウを見据える。


 大昔の戦史――まだアーガス王国が興るより以前の戦国時代の戦史に、魔王直属の配下として四公と呼ばれる存在が載っていたのを思い出す。


 大陸の覇権を求めたとある国が、魔境の森を切り拓いてトヨア皇国に攻め入った事があるのだとか。


 そこに待ち構えていたのが四公だったという。


 ――まるで侵攻ルートを見通しているかのように、的確に兵を配置、指揮をする静寂のヤシマ。


 ――大規模な雷精魔法を喚起して、騎士を焼き尽くしたという雷光のアリア。


 ――たった一人で騎馬大隊を退けたという暴風のハヤセ。


 ――無数の兵騎軍を指揮して歩兵を蹴散らしたという、幻影のケイ。


 一騎当千ともいうべき彼らの前に、侵略国は敗退を余儀なくされ、軍が壊滅状態になった隙を突かれて、周辺国家に呑み込まれていったのだとか。


 それ以来、魔属の領域――トヨア皇国は不可侵という暗黙の了解ができあがっていた。


 つい十年ほど前、セルディア帝国がその禁を破って、魔属を奴隷化していたそうだけど、あの時はトヨア皇国の宰相が出向いて、外交圧力をかけたそうね。


 現在、ヒトの国とトヨア皇国は民間の商売取引は行われているものの、国が干渉する事はないわ。


 ヘタに関わって、なにが魔王の逆鱗に触れるかわからないのだもの。


 だから、わたくしも王女でありながら、魔属を見るのは初めて。


 本で読んだ通りの、無貌の顔と黒い皮膚持っていたから、そうだと気づけただけ。


 目の前のシャドウがどれほど強力な魔属かはわからないけれど、魔王の直属の配下という言葉と、わたくしの拳をなんなくかわしてみせた事から、侮るべきではないと思ったわ。


「……魔属がいったい、なんの用?」


 わたくしの元に魔属が現れる理由がわからなくて、油断なくシャドウを見据えた訊ねる。


「……ふむ。そう訊ねるという事は、殿下は知らされていないのですな?」


「なんの事!?」


 もったいぶるシャドウに、わたくしはイラつきを覚える。


「いえね、この度、貴国――アーガス王国が我が神……ヒノエ帝に勇者を刺客として放ちまして……」


「え……?」


 言葉の意味が理解できずに、わたくしはひどく間抜けた声をあげてしまったわ。


「ど、どちらの!? 勇者はふたり居るでしょう!?」


「女性の方、ですな」


 さらりと告げられたシャドウの言葉に、目の前が真っ暗になる。


「そんな……ミィナ……」


 アーリーに基礎を叩き込まれ、わたくしと共に鍛えたあの子は騎士並みの強さを持っていたわ。


 勇者に選定されたのだから、さらに強くなっているかもしれない。


 でも、それはヒト属としての強さよ!


 戦史に謳われるような、慮外の強さを持った魔属の――その王を倒すだなんて、無理に決まってる!


 唇を噛み締め、わたくしはシャドウを睨んだわ。


「……ミィナはどうなったの?」


「我が神に敗れましたよ。

 ヒノエ帝はそれはもうご立腹でして。即日、アーガス王国に宣戦布告なさいました。

 ――三日前の事です」


 今すぐ目の前の魔属を八つ裂きにしてやりたい想いが湧き上がる。


「ああああぁぁぁぁ――――っ!!」


 全力を込めた拳を、けれどシャドウは再び事もなさげに受け流した。


 上体が泳いで壁に拳が突き刺さり、組まれたレンガがガラガラと音を立てて崩れ落ちる。


 こいつを殺したところで、あの子が帰って来るわけじゃない。


 勝てるとも思えないけれど、あの子の仇を討つ為に――せめて魔属に一矢報いてやりたかった。


 ――魔王直属の配下だというコイツは、その贄にちょうど良い!


「ちょっとちょっと! まだ話は――っ!?」


 砕けたレンガを放り投げると同時に床を蹴る。


 シャドウがレンガを避けた方向に先回りして、わたくしは掬い上げるように脚をしならせて蹴りを放ったわ。


 ――直撃!


 足の甲に確かにヤツのアバラを数本折り砕いた感触があったわ。


 さして広くもない部屋を飛んで壁に叩きつけられたシャドウは、脇腹を抑えながらこちらに無貌の顔を向けてくる。


「――ぐぅっ!? クッソ! アイラ氏のがまだ話を聞いてくれるぞ!?」


 唸るように毒づいた彼の足元から、虹色の燐光が立ち上り始める。


「今日は興奮して話にならないようだ。出直すとしよう」


 彼の姿が薄れ始めた。


「――転移魔法!?」


 神器クラスの魔道器でもなければ実現できない魔道を喚起するシャドウに、わたくしは驚愕する。


「――待ちなさいっ! ミィナはどうなったの!?」


「殿下が騒いだ所為で、人が来たようだ」


 確かにドアの向こうから、階段を登ってくる複数の足音が響いてくる。


「また明日。今度は冷静に話を聞いてくれる事を願いますよ」


 そう言い残し、シャドウの黒い身体は虹色の燐光になり、やがてそれも霧散した。


「……ミィナ……」


 魔王と戦ったのだとしたら、生きているわけがない。


 それでも……万が一の奇跡に縋りたかった。


「お願いよ、ミィナ……無事でいて……」


 シャドウが消えた空間を睨みながら、わたくしはあの子の名前を呟くしかできなかったわ……

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