閑話 2
「――こんばんわ。シャドウ」
昨晩を反省して、わたくしは椅子に座り直すと、彼にそう挨拶を返した。
「どうぞ、お掛けになって」
この部屋には椅子はわたくしが掛けているものしかないから、右手を伸ばして寝台に掛けるように勧める。
「今日は落ち着いてらっしゃるようでなにより。
――あの後はどう言い訳なさったので?」
目口のない顔だというのに、どこか哂われているような気がして、わたくしは肩を竦める。
「……虫が出たのよ」
「ほう?」
「黒くて大きな虫がね。しかも角があってテカテカしてるから、気色悪くて思わず暴れちゃった事にしたわ」
アレが好きな者などいないから、やって来た近衛はすぐに信じたわね。
日中、近くの街から職人が呼ばれて、崩れた壁も修復してもらった。
「まあ、拙者もアレは苦手ですな。触覚の動きがどうも……」
「あなた、その見た目で言う?」
大きくて黒くて角があってテカテカ。
わたくしはそのままの特徴を近衛に伝えたのよ?
多少は勘違いするように、誘導はしたけれど。
「なっ!? アレと一緒にはしないで欲しいでござるな!
この姿は我が神から賜った、隠密特化の化生なのでござるよ!」
と、シャドウは興奮気味に訴えたわ。
これが彼の素の口調なのだろうか。
「おっと、済みません。つい口調が乱れました。
……今日は話を聞いてもらえると思って良いのですね?」
「ええ。でもその前にひとつだけ。勇者――ミィナがどうなったか教えてもらえない?」
「ああ、それは丁度良いタイミングでした。
昨夜の件であなたを警戒させてしまったので、今日はあの方に助力を願っていたのです」
シャドウはなんでもない事のように肩を竦めて。
「少々用意が必要なのですが、立ち上がっても?」
「え、ええ」
わたくしが応じると、彼は寝台から立ち上がり、腰のポーチから黒色の棒を取り出した。
とてもポーチに収まるとは思えない長さのその棒は、いくつかに折り曲げられていて、シャドウが手首で振るうと節が連結されて六角形の輪となった。
「昨夜のように騒がれたくないので先にお伝えします。
これから我が聖女ミィナ様をお呼びしますが、決して大きな声を出さいませんよう」
「え? 呼ぶ? あの子を? そもそも聖女ってなに!?」
思わず取り乱すわたくしに、シャドウは平らな口元に人差し指を立てる。
「あ、ごめんなさい」
「拙者があれこれ言うより、あの方から直接伺った方が、あなたも信じられるでしょう?」
そう応えながら、シャドウは六角形の輪を床に起き、跪いた姿勢で右手で触れる。
「――目覚めてもたらせ。トランスポーター」
喚起詞を唄うということは、それもまた魔道器なのでしょうね。
トランスポーターと呼ばれたその魔道器は、シャドウの唄に喚起されてその表面に虹色の刻印を走らせたわ。
輪の内側に虹色の輝きが灯り、粒子となって立ち昇る。
そして、次の瞬間――虹色の粒子は人の形となって結ばれて。
「ああっ! ウソ……」
わたくしは思わず口元を手で覆ったわ。
かつては夜空を映したような黒髪は、最後に見た時と同じ月のような白銀になっていて、当時は肩口までしかなかったのだけれど、今は腰に届くまでになっていたわ。
背もまた、最後に見た時と同じく、いつも見ていたミィナより高くなっている。
わたくし付きになって、少しふっくらし始めていた頬は、けれど出会った時より痩せ細っている。
勇者選定の直後に、別れも告げずに城を出たから、勇者となったこの子を見るのは二度目。
でも、わたくしがこの子を――どんなに姿が変わったとしても、見間違えるはずがないわ!
燐光が晴れて、ミィナはゆっくりと目を開いたわ。
アーモンドを彷彿させていた瞳は、勇者選定で変貌を遂げて透き通るような青になっていたわ。
その青い目がわたくしを映して、ゆらりと涙に揺れた。
「……ひめさまだぁ……」
ミィナは震える声でわたくしを呼んで。
出会った時のままの、鈴を転がすような可愛らしい声色。
この声を、わたくしは聞き間違えたりしない。
間違いなくミィナだわ!
だから、わたくしは椅子を蹴って飛び出し、ミィナを強く抱き締めたわ。
「――あぁ、ミィナ! ミィナっ!!」
「姫様ぁっ!!」
ミィナもまた、わたくしをきつく抱き締め返してくれて。
花のようなミィナの香りが、ぱっと鼻をくすぐった。
「……拙者、しばし周囲を警戒してくるでござるよ」
と、シャドウは小さくそう告げると、現れた時と同様に音もなく姿をかき消したわ。
案外、空気が読める男みたいね。
そう感じながら、わたくしは大きくなったとはいえ頭ひとつ分小柄なミィナの顔を見下ろす。
「シャドウから話は聞いたわ。魔王に破れたのですってね……よく無事で……」
そう告げるわたくしに、けれどミィナは涙に濡れた顔に微笑みを浮かべたわ。
「違うんです。姫様。魔王とは――ヒノエ様とは戦ってないんです」
「え? でもおまえ、勇者として魔王討伐に派遣されたのでしょう? 囚われていたのではないの?」
「そんな! 囚われるどころかっ!」
ミィナは激しく首を横に振って、わたくしの言葉を否定したわ。
「わたしいま、トヨア皇国でヒノエ様のお客様として扱われてるんです!
勇者してた時より、よっぽど良い暮らしをさせてもらってて……」
「魔王の客!? いえ、それより勇者の時より良い生活って、おまえ、勇者として扱われてたのでしょう?」
父上達にそうさせる為に、わたくしは離宮に退いたのよ!?
大事なミィナに暴力を振るってまで!
「それがその……」
わたくしに仕えていた時にもよく見せていた、はにかむような微笑み。
困った時に見せるミィナのクセだわ。
「――話しなさい。そもそもそんな痩せ細って! ひどい扱いを受けていたのね? この三年でなにがあったのか、すべて話して聞かせなさい!」
ミィナの肩を掴んで視線を合わせてそう促すと。
「実は……」
そうして語られた内容に、わたくしは怒りの余り目の前が真っ赤に染まったわ。
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