第5話 5

 石室に居合わせた方々が驚きの声をあげている。


「……い、いまのって……」


 石室に響くざわめきの中、わたしはたった今見た光景が理解できずに、呆然と呟いた。


「……ミ、ミィナ、よね?」


 立ち尽くすわたしに、最初に声をかけてくれたのは姫様だった。


 その顔には驚きの色が強く表れていて、わたしは首を傾げる。


「はい、姫様」


 わたしはそう応えて――見上げていたはずの姫様のお顔が、いつもより低いのに気づく。


「え? あれ?」


 この春にドロレス様が新調してくれた制服の袖はボタンが飛んでしまっていて。


 くるぶし丈のスカートの裾も、いまは膝よりやや下になっている。


 ――背が伸びていた。


「――えええっ!?」


 思わずわたしは驚きの声をあげた。


「ミィナ、鏡を御覧なさい」


 姫様にそう言われて、わたしは慌ててエプロンから、いつでも姫様の身だしなみを整えられるようにと忍ばせている手鏡を取り出す。


 髪が銀色になっていた。


 しかも肩口で切り揃えていたはずのそれは、長く背中まで伸びている。


 そして、瞳の色もまた変わっていて。


 深い深い青――あの白い女の子が放ったような、透き通った青になっていた。


「――な、なにが起きたんですか!?」


 状況が理解できずに、わたしは助けを求めるように周囲の魔道士達を見た。


「――神器を見せなさい!」


 と、そこへティア様が進み出て来て、わたしが握り締めたままだった珠を覗き込む。


 淡く虹色に光る珠の中心に、模様が――わたしが知らない文字が浮かんでいた。


「……戦斗騎……それもマルチロール型ですって?

 ――……そもそもなんでこの娘が……」


 ティア様はそこに浮かんだ文字が読めたようで、親指の爪を噛んでブツブツと呟き、それからキッとわたしを睨みつけた。


「――ティアよ、なにが起こった? 余にもわかるように説明せよ」


 王様がそう訊ねて。


 ティア様はわずかに躊躇うように、周囲に視線を彷徨わせた。


 ――それから。


「……この娘が、勇者に選定されました」


 石室がどよめいた。


「――姫様付きの侍女がなぜ?」


「――あの者は平民だろう?」


 誰もが口々に疑問を口にする中、わたしだけは……それがなぜなのか、理解できてしまっていた。


 ――ああ、やっぱり……


 そういう想いが強かったと思う。


 やっぱりわたしは、二年前に失敗したとされる、勇者召喚でこの世界に喚ばれたんだ。


 だから、勇者の素養を調べる神器が反応した。


 身長が伸びたり、髪や目の色が変わった理由はこの時はよくわからなかったけど、小説やマンガでよくある勇者覚醒とか、そういうものなんだろうと思った。


 ……どうしよう。わたしも異世界から来たと正直に話すべきなの?


 思考がうまく纏まらなくて、「どうしよう」ばかりがグルグルと頭の中を駆け巡る。





 結論から言えば……この時点ではもう、わたしがなにを言ったところで取り返しが付かなかったんだと思う。


 例えこの時に、正直に召喚された事を言っていたとしても、結局は……





「――なぜその者が? 勇者は異世界から召喚されるものではないのか?」


 王様が再びティア様に問いかけると、石室内が静まり返る。


「……わかりません。確かなのは、選定の神器がこの娘を勇者と認めたという事だけ」


「……ふむ」


 ティア様の言葉に、王様がわたしを見据えて鼻を鳴らした。


「その方、エレノーラの侍女であったな?

 そなた自身に心当たりは?」


 わたしは思わずその場に跪き、こうべを垂れた。


「お、恐れながら……」


 言葉にできたのはそこまでで。


 喉の奥が張り付いたように、続く言葉が出てこない。


 ――わたしも以前、召喚された者です。


 そう言ったとして、信じてもらえるだろうか?


 ――なぜ名乗り出なかった?


 そう訊ねられた時、わたしには答えられる言葉がない。


 わたしだけが罰せられるだけなら良い。


 でも……もし、『春の彩』のみんなや、ノリス様まで罰せられる事になったら?


 答えの出ない思考の迷宮を前に、視界一杯に広がった銀色の床がぐにゃりと歪んで見える。


 ――その時。


 カツリとヒールの音が響いて、姫様がわたしのすぐ横に立ったのがわかった。


「――お父様、この者はひょっとしたら勇者の血筋なのかもしれませんね」


 思わず顔をあげて、姫様を見上げた。


 姫様はわたしに一瞬視線を向けて、任せておけとでもいうように深く頷いて見せる。


「……どういう事だ?」


 不機嫌そうに王様は姫様に訊ねた。


「遠く西の国の歴史に、そういう記述があるのです。

 大昔に召喚された勇者の子孫が、後の世で勇者に選定されたそうで。

 この者は出自が孤児なのですが、神器が勇者と認めた以上、そういう事なのでは?」


 姫様のよく通る声が石室に響き、それは居合わせた人達に染み込んで行った。


 あちこちから納得を示す囁き声があがる。


「むしろ、喜ぶべきでは?

 我が国はこれで、二人の勇者を保有する事になるのですから」


 これには王様も納得したようで。


「……う、む。そうだな」


 そう呟いて、わたしを見据えた。


 そんな王様のそばに、ティア様が歩み寄る。


「――確かに、そう考えれば我が国にとっては、この者が勇者選定された事は有益でありましょう」


 王様の隣に立ち、ティア様はそう告げて笑みを浮かべた。


「ですが……エレノーラ様?

 あなたはその子が勇者の血筋と知って、おそばに置かれていたのですか?」


 含みを持たせた口調。


「……どういう意味ですか?」


「いえ、わたくし、ふと考えてしまったのですよ。

 もしやエレノーラ様は、この機会を狙っていたのでは、と」


 意味深に笑うティア様。


「ティアよ、どういう事だ?」


 王様に訊ねられて、ティア様は芝居がかった動作で王様にしなだれかかり、その表情を曇らせる。


「……陛下、わたくしの思い過ごしだと良いのですけれど……」


 そう前置きして、ティア様は語り始める。


 姫様はわたしが勇者の血筋だと、初めから知っていて囲い込んでいたのではないか。


 いずれ行われる勇者選定で、わたしを勇者とする為に。


「聞けばエレノーラ様は、第二騎士団とも交流を深めているそうですわね?

 勇者や騎士団、それほどまでに武を囲い込んで、なにをなさろうとしていたのかしら?」


 そこでティア様は言葉を途切れさせ、王様に抱きついた。


「――陛下、わたくしは不安なのです。

 もしやエレノーラ様は、わたくしと陛下の間に誕生するであろう御子に、その地位を脅かされるとお考えになり……いまのうちに陛下をお隠しになるのではないかと……」


「なっ――!?」


 王様が驚きの表情でティア様の顔を見つめた。


 ティア様のその目が――妖しく紅にきらめいて。


 ――直後、王様の顔が怒りに染まった。


「――エレノーラッ! 貴様、よもやそのような企てくわだてをッ!」


「……お父様、それはその女の言いがかりです。わたくしはそのような事、微塵も企んでは――」


 姫様は反論しようとしたけれど、激昂した王様はそれを遮って、さらに怒声で続けた。


「――黙れ! そもそもそなた、日頃からティアを虐げているそうではないか!

 余が知らんとでも思ったか!

 娘と思い、今までは捨て置いたが……そこまで大それた事を考えておるなら、容赦できん!」


 ここに来て、わたしの存在が姫様を窮地に立たせている……


 わたしは唇を噛んだ。


 ――とにかく姫様を助けなきゃ……


 その為に、わたしは自分の素性を明らかにする決意をして。


「――恐れながら!」


 そう叫んで、立ち上がろうとした。


「――お黙りなさい! ミィナ!」


 瞬間、姫様の叱責が飛んで、わたしの視界がグルリと縦に回る。


 背中に衝撃。


 次いで後頭部を強かに打ち付けて、眼の前が真っ赤に染まる。


 姫様に投げ飛ばされたんだと気づいたけれど、頭がくらくらして身動きひとつできなかった。


「……ご覧の通り、勇者といえど鍛えなければこの程度なのですよ?

 それで王座を狙っていると疑われるなど、甚だ不愉快です!」


 赤かった視界に白い粒が広がっていって……


「ですが、なにを訴えたところで、一度芽生えた疑いはお父様から晴れる事はないでしょう……」


 意識が遠のいて行く……


「ですから、わたくしは城を出ますわ。

 そうですわね……東の離宮――あの宮ならば、周辺の領はわたくしと親しい者はおりませんから、陛下もご安心できるのでは?

 それでもご不安でしたら、監視を付けるでもご自由になさったら良いわ」


 姫様のその言葉に、貴族達がざわめいた。


 薄れ行く意識の中で。


 姫様が倒れ込んだわたしに、顔を寄せるのがわかった。


「……ミィナ。こんな事に巻き込んでしまって、ごめんなさいね……」


 耳元で囁かれる、姫様の声。


 大好きな姫様の香りが、意識と共に遠のいて行く。


 それが――姫様の別れの言葉となった。

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