第4話 わたしの大事な、お姫様との出会い

第4話 1

 かすかな気配と、暖かな日差しを感じて、わたしは目覚め――


「――ッ!?」


 長年の経験から、そのまま跳ね起きて気配から遠ざろうと身体を跳ばす。


 右手は聖剣を求めたけれど――いつもなら握り締めて眠っているはずのそれはどこにもない。


 柔らかな絨毯が敷かれた床に着地して、わたしの目はようやく周囲を認識する。


「……あ、あれ?」


 品の良い調度品で整えられた客室。


 わたしが眠っていたのは、これまでの人生で一度も経験した事のないほどにふかふかのベッドで。


「――あ、ミィナ様。おはようございますっス~。ずいぶん奇抜な寝起きっスね!」


 バルコニーに続く大窓のカーテンを留めていたリーシャさんが、苦笑いを浮かべて挨拶してくる。


「おはよう、ございます?

 ……え、あ……そっか……」


 寝ぼけていた頭がようやく活動を始めて、昨夜の事を思い出す。


 ヒノエ様と一緒に夕食を取った後、眠気を覚えたわたしはこの客間に通されて、そのまま眠ってしまったんだ。


「これは……その……」


 恥ずかしさに顔が赤くなってしまう。


 視線を彷徨わせると、聖剣はベッドの脇に立てかけられていた。


 あれを手放して眠るなんて――眠れたなんて、いつ振りだろう。


「あー、わかりますよ。あーしもトヨアに連れて来られてすぐの頃はそうだったんで」


 カーテンをまとめ終え、ガラス張りの大窓を開く。


 風が吹き込んで、朝の冷たい――けれど爽やかな澄んだ香りが室内を満たしていく。


「……リーシャさんも?」


「もうっ! ミィナ様。昨夜も言ったっスけど、ミィナ様は陛下のお客人なんスから、あーしの事は呼び捨てにしてくださいっス」


 と、リーシャさん――リーシャは、人差し指を立てて、可愛らしく片目を瞑って見せた。


 そういえばこの部屋に通されて、お茶を出された時にそんな事を言われた気がする。


「……えっと、リーシャ……も、そうだったって?」


「ままま、身支度しながらお話ししましょう」


 リーシャはわたしのそばまでやって来て手を引き、ベッドに座らせた。


 カートが目の前に運ばれてきて、その上に載せられた洗面器に、リーシャはポットからお湯を注ぎ込む。


「ささ、どーぞ!」


 促されるままに顔を洗って顔を上げると、リーシャが慣れた手付きでタオルで顔を拭いてくれる。


 それからわたしは化粧台に座らされ、髪を梳かされる。


 誰かにこうされるのは、本当に久しぶりで。


 『春の彩』の朝を――マウリおばさんの優しい手付きを思い出して、ちょっとだけ涙が出そうになった。


「……あーし、孤児だったんスよ」


「――えっ?」


「あ、動いちゃダメっスよ!」


 ガッチリ左手で頭を掴まれて振り向けなかったから、わたしは鏡に映るリーシャの顔を覗き込んだ。


 鏡の中の彼女は、目を細めて懐かしむようではあるけれど、悲しむような色は見て取れなくて、わたしは安堵する。


 わたしの髪をゆっくりと、丁寧に櫛づけながら……リーシャが話し始める。


「セルディア帝国って知ってるっスか?」


「ええ。西の……ソラス湾の向こうにある国よね?」


 侍女をしていた時に、姫様に教えてもらった事がある。


 アーガス王国の倍近い国土を持った古い国。


 そして――


「ほら、あの国ってヒト属至上主義を掲げてたじゃないスか?」


 わたしは重々しくうなずく。


 姫様に教わった時もショックだった。


 アーガス王国も王族がヒト属だから、ヒト属が優遇されているところはあったけど、それ以外の種属――わたしがアーガス国内で会った事があるのは、獣属だけだけど――は、ヒト属と変わらない生活を送っていた。


 けれど彼の国では、ヒト属以外の種属は奴隷階級とされていたそうで……


 わたし自身、下町の市場で獣属の行商人さん達に仲良くしてもらっていたから、姫様からセルディア帝国の話を聞かされた時は、暗い気持ちになったんだ。


「あーしの母親は、トヨア皇国の片田舎であの国の奴隷商に拐われたらしいんスよね」


 そう語る彼女に暗い雰囲気はなく、ただ事実を淡々と告げる。


「女衒に買われて娼婦にされて。ある日、あーしを身籠って産んでくれた後、肥立ちが悪くて、そのままポックリだったらしいっス」


 生まれたばかりのリーシャは、そのままスラムのゴミ捨場に捨てられたらしい。


「そこをたまたま通りかかった酔っぱらいの爺様が、なんの気まぐれかあーしを拾ってくれましてね。

 無職でその日暮らしのロクデナシだったスけど、五つになるまで育ててくれて、スラムでの生き方を教えてくれたのには感謝してるっス」


 ニヤリと笑うリーシャの表情には、やはり陰はない。


 リーシャの育て親は、リーシャが五歳になる頃、酔っ払い同士のケンカに巻き込まれて、頭を打って亡くなったそうだ。


 ――壮絶すぎる人生……


 だというのに、リーシャは明るく、優しくて。


 この三年ちょっとで、すべてに――この世界のすべてに絶望しかけていたわたしとは大違いだ。


「そこから一年ちょっと、スラムで暮らしてたんスけどね」


 度重なる国民のかどわかし事件が、ついにヒノエ様の耳に入り、トヨア皇国が国家としてセルディア帝国に抗議を入れ、外交と軍事の両方から圧力をかけたらしい。


 同時に拐われたトヨア皇国の民を解放する為、ヒノエ様直属の諜報組織がセルディアに潜入して。


「そうしてあーしは<影>の長、シャドウ様に出会ったんス!」


 そう告げるリーシャは、頬を桜色に染め、目元をわずかに潤ませていた。


 侍女としてお城に勤めていた時に、同僚のお姉さん達が騎士達に向けていたような表情。


 そのシャドウという人は、誘拐の被害者であるリーシャのお母さんを捜索する中で、その子供であるリーシャの存在を知って、捜してくれたそうだ。


 ああ、彼女もまた、救われて、そして生まれ変わったんだね……


 ――それと……


「リーシャは、そのシャドウ様の事が好きなんだ?」


「ちょ――ミィナ様っ! なに言ってるんスかっ!?

 あ、あーしなんかに好かれたら、シャドウ様に迷惑っス!

 あーしはただ、あの方に憧れてるだけというか……」


 顔を真っ赤に染めながら、ごにょごにょと言い淀むリーシャは可愛らしかった。


「と、とにかく! そんなワケで!」


 強引に話題を切り替えようとするのも可愛く感じて、わたしは思わず噴き出してしまう。


「あーしも、この国に連れて来てもらったばかりの頃は、自分の置かれてる環境が信じられなかったり、さっきのミィナ様みたいに気配に敏感になってたって話っス!

 だから、ミィナ様の気持ちは良くわかりますよって話っス!」


 リーシャは顔を赤くしたまま、わたしの髪を梳かし終えて、そう締め括った。

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