「おお、勇者よ! 死んでしまうとは何事だ!」と王様に怒られ続け、必死で魔王城に辿り着いたわたしは、同情した魔王様に「世界の半分をやろう」と言われて、腹いせの為にうなずくことにした。

前森コウセイ

第1部 わたし、もう勇者じゃありませんから!

第1話 こうして、わたしは救われる

第1話 1

 重厚な大扉を前に、わたしは呼吸を整える。


 城門からここに辿り着くまでの間、わたしを阻む者はなく、身体は――万全とはいえないほどにくたびれ果てているものの、もう一戦――最後の戦いくらいはできると思いたい。


 そう、これが最後……


 この扉の向こうに、魔王がいるはず。


 それを討ち倒せば、この長く苦しかった、わたしの旅は終わる。


 これまでを思い出しそうになって、わたしは頭を振ってそれを打ち消した。


「……ダメよ、玲那れいな。今はそうじゃないでしょう……」


 あえて、もう誰にも呼ばれなくなった名前で自分に呼びかける。


 感傷に浸るのは今じゃない。


 すべてを終えてから。


 そうしたら……その時になってようやくわたしは、過去を振り返る事が赦されるはず。


 だから、今は進むの。


 自分を叱咤して、大扉を開け放つ。


 見た目とは裏腹に、ひどく軽い手応え。


 扉の向こうは、わたしを旅立たせたアーガス王国の謁見の間に負けずとも劣らない、豪華な造りになっていた。


 左右の壁には大きな窓が設けられ、アーガス王国では見られない透明度の高い硝子がはめられている。


 扉を抜けると石組みの床の上に真っ赤な絨毯が真っ直ぐに敷かれ、玉座までを飾り立てていた。


 その左右に設置された燭台までもが、芸術に疎いわたしから見ても素晴らしい調度品だとわかる代物で。


 それらの向こう――三段ほどの階段上の玉座に、魔王の姿はあった。


 窓から差し込む夕日を受けて、燃えるような赤を映した真っ白な髪。


 その夕日よりなお紅い、切れ長な目。


 女のわたしから見ても美しいと感じる、豊満で魅力的な曲線を描く身体のライン。


 歳は二十代半ばくらいだろうか。


 着物めいた衣装の裾には深いスリットが入れられていて、まるで脚線美を見せつけるように脚を組んで、肘掛けに頬杖を突いている。


 その魔王が――ゆっくりと視線をあげて、わたしを見る。


「……勇者ミィナか……」


 よく通るアルト。


 けれど、その声色はどこか物憂げで。


 お城で聞かされていたような、恐るべき侵略者――魔属の王とは、とてもじゃないけれど思えない。


「……あなたが魔王?」


 だから、わたしは思わずそう訊いていた。


 魔王はわたしを見つめたまま、組んだ脚を下ろして。


「そうだ。妾こそ、このトヨア皇国がおう、ヒノエ帝である!」


 それは先程までの憂いた声色とは打って変わって、その名乗りは玉座に治まるに相応しい、覇気に満ちたものだったわ。


 その圧倒的な威圧感に、わたしは反射的に腰の聖剣を抜き放っていた。


 ゆったりとした動作で立ち上がる魔王。


 そして……


「――勇者よ、ここまで辿り着いた事を褒めてやろう!」


 そう告げた魔王の背後に、虹色に輝く魔芒陣が描き出される。


 けれど、わたしは――


「……褒め……られた?」


 信じられなかった。


 頭を殴られたみたいな衝撃的な一言。


 それは思わず聖剣を取り落してしまうほどで。


 ――おお、勇者よ! 死んでしまうとは何事だ!


 玉座にふんぞり返って、そう怒鳴りつけてくる王様の顔が過ぎる。


 ――街を魔獣から守った? そんなもの勇者ならできて当然だろう?


 報奨金を投げ渡して来る、領主様の面倒臭そうな顔。


 ――なんで! なんでもっと早く来てくれなかったのっ!? アンタが遅かった所為でウチの人があ……!!


 侵災被害に遭った村――旦那さんを亡くした奥さんの嘆き。


 ――あなたは努力が足りないのよ……


 ダイニングテーブルに座り、深いため息と共にそう告げる……お母さんの後ろ姿。


 ずっとずっと……それこそ物心ついてからずっと、頑張ってきた――つもりでいた。


 けれど、わたしに向けられる言葉は、いつだってわたしの力不足を非難するもので。


 だからわたしはいつだって、それまで以上に歯を食いしばって頑張ってきた。


 ……泣いたらダメ。泣いたら、力不足を認める事になる。


 そう、自分に言い聞かせて……


 ――だというのに。


「……うそ、でしょう? なんであなたが……」


「む? んん!?」


 視界が涙で滲む。


 脚に力が入らない。


「――おい、勇者よ。どうした?」


 気づけば、わたしは赤絨毯の上に座り込んでいて。


「なんであなたが、そんな優しい言葉をくれるのよぉ……」


「――はぁ!? 優しい言葉? どれ? どれの事?」


 戸惑いの声をあげる魔王の背後で、魔芒陣が燐光となって霧散したのが見えた。


「敵なのに、なんでわたしを褒めるなんて真似……ううぅ」


 それ以上は言葉にならなかった。


 まるで、これまで溜まりに溜まった欲求を吐き出すように――迷子になった子供みたいに、わたしは大声で泣き始める。


「ええええぇぇぇぇ……

 きゅ、急に泣き出してどうした!? なにがあった!?」


 魔王が駆け寄ってきて、そう声をかけてきた。


 まったく警戒していない、無造作な行動。


「ああ、もうっ! 泣くなっ!

 おいっ! 誰かおらんか! 厳戒態勢は解除だ!」


 そう叫びながら、魔王はわたしを抱き締めて。


「……ふむ、そうか。辛かったのだろうなぁ……

 思えばおまえのような小娘が、一人で天間山脈を越えて旅して来たのだ。辛くないわけがないよなぁ……」


 優しい声音と共に背中を擦られて、わたしの涙はいよいよ止まらなくなる。


「おお、泣けなけ。今は泣くが良い。

 他の誰もが認めなくとも、この妾が認めてやる」


 力強い抱擁。


 そして、魔王は――ヒノエ様は……わたしがずっとずっと望み、けれど誰ひとりとしてくれる事のなかったその言葉を、わたしにくれた。


「よく、頑張ったのう……」


 背後の扉から複数の足音が響いてくる中、わたしはヒノエ様の胸に顔を埋め、これまでの人生の中で、初めて声をあげて泣き尽くした。

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