第5話 3
革鞄を持ったブレザー学生服姿の黒髪黒目の男の子。
顔はそれなりに整って入るけど、際立ってイケメンってほどではない。
あれならティア様に仕えている執事や近衛の方が上だろう。
日本人らしい特徴をしている彼は、不安げに周囲を見回していて。
「――おお、勇者よ! よくぞお越しくださいました」
ティア様が彼の前に進み出て、甘い声色でそう呼びかけた。
――『おお、勇者よ』って、本当に言うんだ……
とか、この時のわたしは考えてたと思う。
わたしがこの世界で目覚めて、ベアおじさんに拾われた時、しぃちゃんが貸してくれた物語だったら普通――と、そう考えたのを思い出しながら。
「――ゆ、勇者? てことは、これってひょっとして異世界召喚っ!?」
不安げだった彼の顔が、喜びに染まっていくのをわたしは見逃さなかった。
どうやら二年経った今でも、あちらの世界では異世界召喚は人気ジャンルのままみたい。
しぃちゃんの異世界の物語を聞かせてくれる時の、あの興奮気味なきらきらした表情を懐かしく思った。
あの横顔と同じ、憧れと喜びに満ちた表情を浮かべている男の子。
「ええ、そうです。あなたは勇者として、このアーガス王国に召喚されたのです。
――お名前を伺えますか? 勇者様」
ティア様に促されて。
「スオウ・セイヤ――いや、セイヤ・スオウの方が良いのかな?
セイヤが名前で、スオウは苗字」
「まあ! セイヤ様は貴族の出でらっしゃるのね!」
ベアおじさんがわたしを拾ってくれた時も勘違いされたけど、この世界で姓があるのは貴族だけだから、ティア様もそう勘違いしたようだ。
「あ、いや……」
一度は否定しようとしたセイヤくんだったけれど、彼はそこで言葉を押し留めた。
――まあ、その方が都合が良いのか?
そう、唇が動くのをわたしは見逃さなかった。
きっと、異世界の貴族だと思われることで、有利な立場を得ようとしたんだろうね。
セイヤくんは頭が回る人なんだと、わたしは思った。
「それで、僕を――勇者を喚び出して、なにをさせようと言うんだ?」
と、セイヤくんは腕組みして、ティア様に訊ねる。
ついさっきまでの不安げな表情は、もう完全になくなっていた。
普通、いきなり異世界に喚び出されたら、帰り方とか気にならないものだろうか――わたしはそんな事を考えたけど、わたし自身がつい先日まで帰還方法なんて考えもしなかった事を思い出して、その考えを否定する。
彼もまた、おうちの事情とか色々あって、あっちの世界に未練がない人なのかもしれない。
どうやら異世界に強い憧れがあったようだから、居場所を見つけられて喜んでいるのかも――と、あの時のわたしはそんな風に考えたんだ。
「そうですわね。まずは勇者様の素養を調べて、その役割を決めたいと思いますわ」
「ああ、よくあるステータスを調べたりってやつだな?
――ステータス・オープン!
ん、違うのか? ステータス! じゃあ、鑑定! オープン・ウィンドウ!」
セイヤくんは異世界転移モノで定番の言葉を唱えたけど、当然、なにも起こらなかった。
周囲の人々は、突然始まった奇特な行動に困惑顔だ。
姫様も表情には出していないものの、ちょっと引き気味なご様子。
けれど、ティア様だけは微笑みの表情のままで、セイヤくんが突き出した右手に自分の手を添えて。
「セイヤ様、お待ちになってくださいませ。
素養を調べるには、専用の神器を用いるのです。
――エレノーラ様……」
その白い顔がこちらに――姫様に向けられた。
紅く塗られた唇が、笑みを湛えて弧を描く。
姫様の左眉が、一瞬だけ跳ね上がった。
「……
本当に小さく――すぐ隣にいるわたしにさえ、ようやく聞き取れるくらいの声で、姫様は吐き捨てる。
わたしもちょっとだけイラっとした。
貴族の礼儀に従うなら、たとえ王様のお気に入りの愛妾であっても、公式の場なんだから姫様の事は「王女殿下」と呼ぶべきなんだ。
それをティア様は敬称は付けていたものの、名前で呼んだ。
重鎮達が集う、そして喚ばれたばかりの勇者がいるこの場で。
――まるで自分の方が上だと、周囲に示すかのように。
「――エレノーラ、なにをしている」
王様が姫様に促して、姫様は拡げていた扇をパチンと閉じた。
「……はい」
王様に応じて、姫様がセイヤくんに向かって歩き出し、わたしもそのすぐ後ろに付き従った。
「――ん? お姉さん達なに?」
「――ッ!!」
近づいたわたし達に、セイヤくんは首を傾げながら不用意に姫様との距離を詰めようとしたから、わたしは割って入ってそれを阻む。
「――お控え下さい勇者様。
この方はエレノーラ王女殿下――このアーガス王国の第一王女にあらせられます!」
そう告げると、セイヤくんは無遠慮に姫様の頭の上から爪先までを眺め回した。
その視線に、姫様は不愉快そうに扇を開いて顔を隠す。
「あー、はいはい! ヒロインの第一候補ね!」
「――なぁっ!?」
絶句するわたしをよそに、セイヤくんは腕組みして右手をアゴに当てたまま、姫様を眺め回す。
「ん~、ヒロインっていうにはちょっと年上過ぎる気もするけど、母親NTRモノでも愉しめる僕なら、全然イケるかな。
美人だし、ハーレムメンバーのひとりと考えれば、全然ありか……」
――たぶん、彼の言っている意味を理解できた人は、あの場にはわたし以外にいなかったと思う。
わたしは……しぃちゃんのお姉ちゃんに教えられて、そういうジャンルのお話も多少知識があったから、セイヤくんが姫様を性的な目で見ているのだと理解できた。
――姫様をハーレムとか、この人……
顔に不快感を出さないようにするのが大変だったのを覚えてる。
それからセイヤくんはわたしを見下ろして。
「……君はロリ妹枠かな? ツンデレっぽい事言ってたもんね。
良いよね、ツンデレロリメイド」
ようやく抑え込んだ不快感がまた噴き出し、背筋を冷たい感覚が駆け上がった。
十五歳を迎えたというのに、わたしは相変わらず痩せっぽっちで小柄なままだった。
この春、新しい制服の採寸の為にドロレス様が身長を測ってくれたのだけれど、一四四センチしかなくてしょんぼりしたんだ。
どう見ても小学校高学年女子程度。
『春の彩』で花付きとして売り出したとしても、相変わらず鼻で笑われるような見た目だ。
けれど、セイヤくんはそんなわたしすら、そういう対象として見ているようで。
――シュバルツさんが言う、異端者だ!
そう思うと、わたしは彼とは決して仲良くなれないと思った。
目を閉じて、深く呼吸して遅れて湧き上がりそうになる怒りを押し殺す。
「――勇者様、これから勇者様の素養を調べます。
こちらを――」
なるべく早くセイヤくんから離れたくて、わたしは早口でそう告げて、手にしていた箱の蓋を開いた。
先程見た時と同じく、虹色に輝く珠を手に取り。
「これを持って、目覚めてもたらせ、コードリライターと唄って下さい」
わたしがそう告げた瞬間だった。
胸の奥の魔道器官が熱くなって、全身の魔道が集約された。
「あ……」
こぼれ出た言葉にすら魔道が乗っているのを感じる。
集まった魔道が白色の燐光となって胸から溢れ出し。
「――なぜ、おまえにそれが反応するの!?」
ティア様の驚愕の声が聞こえた。
「――ミィナっ!?」
姫様が駆け寄って来ようとしたのが見えたけど、その瞬間、わたしの胸から溢れ出た燐光が虹色の帯となって、わたしを包み込んだ。
……そう、これがわたしのこの世界での最大のミス。
この時までは、それなりに上手くやって来たのに。
よりにもよってわたしは……勇者選定を執り行う神器の喚起詞を、みんなの前で唄ってしまったんだ……
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