視線
悲喜こもごも、と言っては気取りすぎだろうか。
そんな週末が終わって、また1週間が始まった。
私は車を降りて、湿度の高い空気自体が重さを持っているような空の下を、校舎に向かって歩いていた。
また雨降るんだな……
天気予報では夕方から雨と言うことだった。
雨は嫌いだ。
軽くため息をつきながら足を進めていると「涌井先生、おはようございます」と、背後から声をかけられて慌てて振り向いた。
「あ、江口先生。おはようございます」
内心の憂鬱さを悟られないように意識的に笑顔と明るい口調を作る。
目の前に立っている2年先輩の
……のだけど、以前から生徒へのボディタッチが多く、女子からはかなり不評を被っていた。
そのため、現在の担任である1Cの生徒からもかなり評判が悪い。
それでも担任を外されること無くこの中学校で勤務できているのは、校長の親戚だから、と言うのがもっぱらの噂だ。
ホントかどうかは分からないけど、校長と親しげに話している姿は実際に私も見ている。 生徒からの冷たい態度にも平然と教鞭を執っているそのメンタルには敬意を表したい。
ただ……最近、この人で困ったこともある。
「涌井先生。今日もその服装お似合いですね。先生は身体のラインが綺麗だから、そこを強調しててとてもお似合いですよ」
「……どうも」
江口先生の言葉がまるで私の肌に触れているように感じ、鳥肌が立ってきた。
この人はいつも私を見るとき、顔から足下まで値踏みするように見ている。
本人は気付かれてないと思ってるのだろうけど、見られている方には丸わかりだ。
「江口先生こそ、そのスーツとてもお似合いですよ。格好いいです」
「ほんとですか!? 涌井先生に褒められたなら、同じの何枚も買っちゃおうかな」
勝手にしてよ。
ヘラヘラと笑っている江口先生に内心で毒づきながら、やや大げさな身振りで腕時計を見る。
「あ、授業の準備があるのでお先に失礼します。今日もお互い頑張りましょうね」
「そうですね。お互い良い一日を。所で、もし良かったら今日、お昼でもご一緒にどうですか? 近くに美味しいエスプレッソを出すカフェがあるんですよ。涌井先生のイメージにピッタリだと思うんですよ。そこ、僕の後輩がやってるカフェだから、頼めばサービスしてくれますよ」
え……冗談でしょ。
お昼は佐村先生とランチの予定だが、仮に予定が無くても御免被りたい。
江口先生の話をどう断ろうかと思ってたとき、突然校舎の方から石丸さんが現れた。
え? ここ……職員用の駐車場だけど。
ポカンとする私に目もくれず、江口先生にペコリと頭を下げた。
「江口先生、おはようございます。あ、涌井先生もおはようございます」
「あ、石丸さんおはよう」
良いタイミングで現れてくれた石丸さんにホッとしながら、笑顔で挨拶を返したけど、江口先生は邪魔されたと感じたのか不機嫌さを隠そうともせずに言った。
「石丸さん、おはよう。ただ、ここは教職員用の駐車場だよ。生徒が立ち入るところではない。どういう事かな」
「私、早めに来て学校をお散歩するのが好きなんです。この学校って季節によって色々な顔があるから好きです」
「それにしても、教職員用の場所は控えなさい。あまり続くなら校長に話さねばならないよ」
「すいません、今後気をつけます。確かに、今回みたいに涌井先生をランチにお誘いになられていた所に鉢合わせ、って事にもなっちゃうし、考えが足りませんでした。……でも、何だか寂しいです」
「え? 何を言ってるんだ。あと、先生をお誘いしたのは……」
「最近、前みたいに私の事を見てくれないじゃないですか? 前は会うたびに私の顔とか……この辺とかずっと見てくれてたのに」
そう言って石丸さんは、ブレザーの胸元から下腹部の辺りを両手で撫でた。
その途端、江口先生は表情が一気に硬くなった。
「1Aや1Cの間では結構噂になってたんですよ、その事。なのに、今度は涌井先生なんて……酷いです」
「ぼ、僕は……君には興味ない! それは自意識過剰と言うんだ。君は生徒だろ。しかもまだ子供だ」
「そうなんです? そっか……じゃあ、前に体育の授業の後、職員室から携帯で私のこと撮ってくださってたのも自意識過剰だったんだ……なんか悲しいな」
そんな事……
思わず凝視した私を睨み付けると、江口先生は早口でまくし立てるように言った。
「あれは生徒みんなを撮ってたんだ。みんなの学校生活の記念に使えるかも、と思って。1年はみんな大事な生徒達だからな。お前だけじゃ無い」
「あの時、携帯のカメラがぼやけず写せる範囲には私しか居ませんでしたよ。だから嬉しかったです」
江口先生は哀れなくらいに視線を宙に泳がせていた。
私の冷ややかな視線にも気付いたのか、目をつり上げて睨み付けてきた。
マズい……つい本音が。
「寂しいです先生。あんまり辛くなっちゃうと、涌井先生じゃ当てにならないから教務主任の高田先生か、校長先生に相談……」
「そんな事はしなくていい! お前の行ってるのはみんな誤解だ。証拠も無いのに無責任に言うのは止めなさい! ……今度、君とはちゃんと話をする必要があるな。涌井先生、よろしいですか?」
「え? いや……それは……」
「私は構いません。よろしくお願いします」
そう言って深々と頭を下げた石丸さんを睨み付けると、江口先生は校舎の方に歩いて行った。
「あ~あ、怒っちゃった」
そう言って苦笑いを浮かべる石丸さんを私は思わずまじまじと見つめてしまった。
あれって……脅迫じゃ無い。
「石丸さん……あなた」
「どうしました? 私、何か変なこと言いました?」
「それはそうでしょ! だってあれって……」
そう言って私は次の言葉が出なかった。
確かに石丸さんは何ら脅迫を匂わせることは言っていない。
でも……確かに……
「あれって何です? そっか、江口先生とランチ行きたかったんですね。ごめんなさい邪魔して。昨日、佐村先生とあんなに幸せそうにデートしてたから、てっきりさっきの誘い、迷惑だと思って助けてあげたのに」
「あ、あれはデートじゃない! 同僚と映画を見ただけです」
「それはもうどうでもいいです。涌井先生って意外とコウモリですよね。あの夜は私のキャミソール姿じろじろ見てたくせに」
その冷ややかな言葉に私はカッと顔が熱くなるのを感じた。
気付かれてた……
「あ、キャミで思い出した。ねえ、先生。先生のお家に置き忘れてたショーツ、取りに行ってもいいですか、放課後。もちろん嫌とは言いませんよね。生徒は我が子同然ですもんね」
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