薄い卵の殻みたいな
「なに馬鹿な事言ってるの。生徒を何の理由も無く家に入れられるわけ無いでしょ。あの時はあんなことするからやむを得ず入れたけど、本来は考えられない事です」
「でもショーツ返していただきたいんですけど。先生だってあんなのずっとあったら困るでしょ? だからアパートにお伺いしたいです」
「だめ。それは絶対お断り」
根拠は無いけど今度、彼女を家に上げたら後戻りできない何かがあるような気がして怖い。
「だったら……近くのカフェで会うのはどうです?」
石丸さんはニッコリと笑って言った。
カフェ……それなら家よりはずっとマシか。
不承不承と言う表情を作り頷くと、石丸さんはパッと表情を輝かせた。
「わ、やったあ。涌井先生とカフェデートだ。じゃああの辺だと良く行くカフェがあるんです。『リエル』って言う所なんですけど、そこでもいいですか?」
「え? ……いいけど……」
「じゃあ決まり! そうなると連絡もしなきゃですね。ライン交換しません?」
「それは……教師と生徒なんだからダメ」
「でも、もしすれ違ったりしたら困ります。じゃあ帰りここで待ち合わせて車に乗せてってくれます? それならいいですよね」
「それはダメ。他の人に見られたらどうするの?」
「分かりました。じゃあカフェでのお話が終わったら、目の前で私のラインをブロックして削除して下さい。それなら後腐れないですよね」
それなら……大丈夫か。
やむなくニコニコとしている石丸さんとライン交換をしてしまった。
なんだか石丸さんに踊らされてしまった気がする。
結局カフェとはいえ二人で会うことになっちゃたし……
お昼休み。
佐村さんとのイタリアンでのランチのお陰で今朝の悶々とした気分もかなり晴れ、充電完了! とばかりに午後の授業の準備をしていたとき。
ふと斜め向かいの江口先生の様子が目に入った。
何故か分からないがかなり浮かれているようだ。
ニヤニヤしながら何度もスマホを見ている。
「江口先生、すっごいご機嫌ですね。何かありました?」
佐村さんが興味津々と言った感じで声をかけると、江口先生は「それは言えないね」と笑顔で言った。
その笑顔を見たとき、上手くいえないが……「オスの生臭い匂い」が漂ってきたように感じ、危うく顔をしかめそうになった。
何年も前、渋々参加した合コンの場での男たちから漂う匂いと一緒。
毛穴から滲んで、匂ってくるかのようなオスの本能。
だから男って……
ふと、私の目は佐村さんを追いかけて……そして脳裏には石丸さんの横顔が浮かんだ。
石丸さんの均整の取れた横顔。
産毛まで見える一転の濁りもないような肌。
精巧な細工のガラス玉のような瞳。
ああ……なんでこんなときに。
私は石丸さんの影を払うように佐村さんの横顔を見た。
やっぱり綺麗だ……
「え~! その顔、もしかして彼女とか出来ました?」
「佐村先生、さすが敏感だね。ちょっと違うけど……カテゴリーは近いかな」
「え? そうなんです? すご~い!」
「からかうのはこの辺で。じゃあ僕は授業があるから」
そういいながら嬉しそうに教科書類を抱えて出て行った。
「しっかし、あの江口先生に出会いがあるなんて、ビックリですね」
そう言って舌を出して微笑む佐村さんをぽかんとしながら見た。
こういう子が出世するのかな……
そして、佐村さんは周囲をキョロキョロと見て、小声で言った。
「涌井先輩。今夜良かったら飲みに行きません? 美味しいウイスキーを置いてあるバーを見つけたんです」
「え! ほんと。いくいく!」
ウイスキーよりも佐村さんに誘われた事に浮かれてしまい、前のめりで返事した。
「じゃあ決まりですね。アパートの前に迎えに行きますよ。先輩飲んでください」
「うん! すっごく楽しみ」
そう返事をしたとき。
ふと、職員室の外から視線を感じたような気がして思わず振り返った。
しかし、そこには誰も居なかった。
気のせい……
「……どうしました?」
「あ、ううん。なんでもない。なんか、誰か居た気がして」
「そうです? 特に誰も……それに職員室の外まで聞こえないですよ」
「うん。そうだね」
やった。
すごく楽しみだ。
石丸さんにさっとショーツを渡したら、すぐにアパートに帰ってお洒落するんだ。
佐村さんとの約束のお陰だろうか。
午後の授業もいたって順調だった。
最前列の石丸さんの様子がつい気になってしまったけど、彼女はいたっていつも通りまじめに授業を受けている。
典型的な優等生。
クラスメイトともトラブルは一切無く、教師の受けもいい。
あれだけ飛びぬけた美少女なら同姓や異性と何らかのトラブルもありそうだが、彼女は誰に対しても実にそつ無く接していた。
まるで彼女の行動言動の全てが台本でもあるかのように。
ただ……彼女は友達とかいるのだろうか?
誰とも親しげに話してるけど、誰とも壁があるような。
卵の殻一枚程度だけど確実に存在する壁。
心許せる、心から信頼する相手はいるのだろうか?
そんな彼女を見ていると、透明人間の自分を重ねてしまう。
佐村さんに出会うまでの私……
放課後。
石丸さんとの約束の「カフェ・リエル」はネットですぐに場所が分かり、約束の20分前に席に着いた。
ショーツはキチンとアイロンをかけて、紙袋に入れた。
殺風景過ぎない。それでいて親しみを感じさせない程度のよそよそしさのデザイン。
あくまで仕事として返却するんだ。
そう思いながら待っていたけど、石丸さんは時間を過ぎても現れなかった。
待ち合わせを20分も過ぎている。
どうしたんだろ……
ラインに送ってみるけど既読が着かない。
あの子は連絡も無く時間に遅れる子には思えない。
何かあったんだろうか……
時間を30分も過ぎて心配がピークに達した頃。
石丸さんが店内に入ってきた。
心なしか足取りがおぼつかないように見えた。
「大丈夫? 何かあったの?」
席に座る石丸さんはぼんやりした目をしている。
そしてハッと気付いた。
……泣いてる?
「どうしたの? 泣いてるの? 良かったら話して」
「先生……すいません。確かに私、調子に乗りすぎてたかもしれません」
「え……何のこと?」
石丸さんは迷っているように視線を中にさまよわせていたが、やがて意を決したように携帯をテーブルに置いた。
そこにはラインのトークの画面があった。
「江口先生から、何度も誘われちゃって……私、脅されてるんです。付き合えって……言う事聞かないと、私の秘密をばらすって……どうしよう先生。私……怖いです」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます