暗闇と宝石

 石丸さんからのラインを見てからも、私は中々マンションに戻る事が出来なかった。

 1時間ほどコンビ二に寄ったりしながら携帯の電源も切って、お酒やおつまみを時間をかけて選んでいたのだ。

 

 なぜかすぐに戻る気にならない。

 どんな顔をして彼女に会えばいいのか……


 そんな事を考えてハッとした。

 私、なんでそんな事考えてるんだろ。

 私は間違った事はしていない。

 校則違反の生徒を指導しただけ。

 ちょっと感情的になったけど、あれは石丸さんの態度にも……


 彼女と顔を合わせたくない。

 

 今日の私はどうかしている。

 石丸さんがクラスメイトと仲良くしている事は喜ばしい事だ。

 有るべき姿だし、私もつかの間だけど解放され……いや、上手く行けば私への執着も消えてくれるかも。

 

 そうだ。

 もしかしたら石丸さんにとって今までの事はのようなもので、彼女も夢から覚めたのかも知れない。

 だったら私だって有るべき自分に戻ってもいい。


 そう思うとじわじわと笑顔になってくる。

 今のままならお互い理想的な関係になる。

 彼女は私への尊敬。

 私は彼女の信頼と涼子さんの愛。

 それを持ったまま。


 そう思い、携帯を取り出した。 

 石丸さんに会おう。

 確認すると石丸さんと涼子さんから来ていた。

 先に涼子さんを確認すると「明後日の夜、ご飯でもいかがです?」と尻尾を振っている子犬のスタンプがあった。

 私は笑顔になって「もちろん! すっごく楽しみ」と飛びかかる子犬のスタンプと一緒に返信した。

 

 次に石丸さんの方を確認すると、こちらにはシンプルに一言「来られない様なので帰ります。また明日」と書かれていた。


 あ、そうか……大分待たせちゃったもんね。


 でも良かった。

 今夜で頭を整理していこう。

 そうすれば明日には石丸さんを一生徒として見られるような気がする。


 ホッとため息をついて「分かった。また明日」とだけ返す。

 彼女は友達にスタンプとか送るのかな……


 それからビールとウイスキーを買って、地下の駐車場に入ったのは結局さらに1時間以上もかけた22時過ぎだった。


 明日は教頭先生との食事。

 すぐにシャワーを浴びて早めに寝よう。

 頑張って点数稼がないと。

 

 そう思い、エンジンを切ってバッグなどを取ったとき。

 急に窓をコンコンと軽やかに叩く音が聞こえたので、ビックリして目を向けるとそこにはニコニコと笑っている石丸さんが立っていた。

 

 え? なんで……


 慌ててドアを開けると石丸さんはぺこりと頭を下げた。


「こんばんは。お待ちしてました」


「なんで……さっきラインで……」


「ああ、あれ。すいません嘘ついちゃいました。ああ送らないと先生いつまでたっても戻ってこないかなぁって思ったので」


 そういうと石丸さんは笑顔を消した。


「先生、私をさけるおつもりですよね」


「ずっと……待ってたの? ここで」


「はい。喜んでいそいそ帰ってくるかと思ったので意外でしたけど。きっと携帯の電源お切りになってたんでしょうね」

 

 私は無言で目をそらした。


「明日は早いから。今からお風呂に入って寝ようと思ってたの。あなたも帰りなさい。送るか……」


「私もご一緒します」


「え……一緒って……」


「約束。まさか忘れたなんて言いませんよね」


 それは軽やかだが有無を言わせぬものだった。

 やむなく駐車場からエレベーターに乗って、部屋の前まで一緒に向かった。

 その間、石丸さんは終始無言だったが、ドアを開けて部屋に入ると突然後ろから抱きしめてきた。

 そして手を身体のあちこちに滑らせる。


「あの……石丸……さん」


「あ、すいません。これってじゃないですね」


 そう言ってクスクス笑う声が聞こえる。


「からかわないで」


「すいません。うれしくてつい」


「嬉しいって?」


「先生、まさかあんなに分かりやすくヤキモチ焼いてくれるなんて。笑いをこらえるのに結構頑張ったんですよ。色んな子を誘った甲斐がありました」


 え?


「あなた……毎日来てたの?」


「いいえ。週に3日くらい。クラスの子や別のクラスで知り合った子を誘って。先生あのカフェにきっと思い入れがあると思ったので」


「なんでそんな……」


「答える必要はありません……口を滑らせました。全部、あなたのせい」


 そういうと私を無理やり振り向かせて、玄関に座り込ませた。

 なんて力……


「ずっと我慢してたんですよ。色々と準備するのに時間かかっちゃって。お預けくらったみたいで辛かったです」


 そういうと強い力で私を抱きしめた。


「あの……明日、早いから……」


「先生、愛してます」


「ねえ……石丸……」


「なんて言うんでしたっけ?」


「ねえ、やめて! もう……やめましょう。あるべき形に……」


「それって何ですか? 私、頭が悪いから難しい事言われてもわかんないです。でも、契約を破る人には罰を与えないと」


 え?

 ポカンとしていると、石丸さんは私のブラウスの胸元を無理に開くと強く吸い付いた。


「ちょ……ちょっと!」


「どうせ今週のどこかで佐村さんと会うんですよね?」


 そういうとそのままあちこちに噛み付き始めた……


 ※


 暗闇の中、時計を見るとデジタルの鈍い光の中で浮かぶ数字を見た。

 午前3時。

 深くため息をつくと、自分の身体を見る。

 あちこちにキスマークや噛み跡が暗闇でも分かるくらい残っていた。

 あんな荒っぽい事を……

 明後日涼子さんと会うのに……どうしよう。

 こんなの絶対消えない。

 隣で眠っている石丸さんを見ると、彼女は目を開けた。


「もう起きてたんですね、先生」


「こういうのは……やめて」


 噛み跡を撫でながらそういうと、石丸さんはこともなげに言った。


「じゃあ約束は守って下さい。『愛してる』と返してくださいね」


「……なんで私なの?」


 私は暗闇の中でずっと疑問に思ってたことを言った。


「私、あなたに何もした覚えない。そんな飛びぬけて綺麗でもない。それだったら涼子さんの方がずっと綺麗でしょ? なんで私に執着するの?」


 話しながら自分が泣き始めているのが分かった。

 でも構わず続ける。


「私を……解放して。……怖いの。自分がどうなるか分からない。そうよ、あの時ヤキモチやいた。二人を見て。……もう、嫌なの。こんな私が」


 そう言って嗚咽を漏らした私の耳に石丸さんの声が文字通り飛び込んできた。


「嫌です。逃がしてあげません」


 子供のようにイヤイヤする私に石丸さんは抱きついてきた。

 彼女の汗ばんだ肌が吸い付いてくるようだ。


「私、先生を満足させてあげられます。心も体も。たっぷり勉強したんですよ。先生の欲しいものも上げられます。出世したいんですよね? 私ならあなたを高いところまで連れていくことが出来る。その準備をずっとしてたんです。佐村のおばさんにそんな事できます? せいぜい『涌井先生頑張って!』って言うくらい。どっちがメリットあるんです?」


「愛情って……そんなんじゃない」


 その途端。

 石丸さんの目が冷ややかに輝いた。

 

「私の事……愛してますよね?」


「え……」


「聞こえませんでした? 愛してますよね? で、なかったらカフェであんな子供みたいにヒステリー起こさないですよね。私の下着触ったりしないですよね? 私に抱かれてあんな声上げないですよね」


 目の前の石丸さんが別人みたいに見えた。

 暗闇の中で宝石のように大きく綺麗な瞳だけが異様な輝きを放っていた。


「私を切り捨てたいならご自由になさって下さい。そうですね……その時はラインでも手紙でも結構です『落合公園』とだけ送って下さい。それが契約解消の手続きです」


 落合……公園。


「それからは一切先生には干渉しません。でも……先生がそれを送る事はないと信じています。その後の事も含めて。覚えておいてください」


「落合公園って……どういうこと?」


「さあ。ところで先生。一つおねだりしてもいいですか?」


「なに?」


「今月末に秋祭りありますよね? 隣の市で。あれ行きたいです。つれてって下さい」


 私は無言で頷いた。

 今の石丸さんはとても冷たくて……恐ろしかったから。

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